凜恋心

降谷みやび

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battle71…菩薩との契約 (前編)

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それから街を出て、一つ、二つと過ぎて行った。そして着いた大きな街。もうじき一月も終わろうとしていた。宿も珍しく一人一部屋取れた。たまにはゆっくりと眠ろうかとそれぞれ別の部屋に入っていく。そんな夜遅くに、雅の部屋に来客がやって来た。

「ン…」
「おい、起きろ…」
「……ぇ?」

そこに見えたのはいつだかに会った菩薩だった。

「あ……菩薩さん……」
「ププ…やっぱおもしれえな、俺の事『菩薩さん』って呼ぶのお前くらいだぜ?」
「…えと、それで?こんな夜中に……どうかしたんですか?」
「いや、もっと驚けよ。天下の観世音菩薩が直々に会いに来てやってんだからさ」
「ありがとうございます……あ……そうだ…」
「なんだ」
「この間…助けてくれてありがとうございます……」
「フ……」

まだ少しはっきりしない頭で菩薩を前にして雅は小さく目を擦った。

「今日は雅、お前に頼みがあってきた。」
「頼み…ですか?」
「あぁ。」
「なんでしょうか…」
「三蔵と、あいつらと離れてくれねえか」

突然言われた別れの頼みに雅の思考回路は別の意味でストップした。

「……あの…それって…」
「そのままの意味だ。」
「そのままのって……」
「解らねえか?三蔵とは別れて、あとの三人とも離れろって言ってんだ。」
「なんで…!?」
「なんで、だ?」

そう言うと菩薩はぎしりとベッドに乗るとグッと雅の顎を持ち上げた。

「これから先、もっと過酷になってくる。西に近付けば近付く程妖怪達の力も上がってくる。あいつらだって自分守るのに必死になってくる。」
「……でも…」
「夫婦になったのに…てか?」
「……ッッ…」
「解ってるよ、そんな事。これをオレはあいつらに言わなくちゃいけねえから。雅から言えなんて言わねえから心配すんな。」
「そうじゃなくて…!!」
「なんだ、言いたい事でもあるのか?」
「たくさんあります!」
「……ほう?聞こうか…?」

そう言うと持ち上げていた顎から手をほどき、菩薩はベッドの縁に腰かけた。

「私…三蔵は私いないとダメだとかは言いません。私いなくても十分なのかも知れない…でも…私……離れたくないって言ったらわがままかも知れないですけど…」
「完全なエゴじゃねえか」
「解ってます…」
「なら諦めろ」
「私が……私がこの間…死にかけて……迷惑かけたからですか?」
「あれは関係ねえよ。その前から潮時だとは感じてた。」
「それでも…!!それでも私は諦めたくない…そういったらどうしますか?」
「参ったなぁ…」

そう言いながらも頭を掻いていた菩薩。

「でも、そう言うのも想定内だけどな…」
「え……」
「オレが言うのもなんだけど、あれだけ貴重な三蔵を近くでずっと見てたら離れたくもなくなるだろうが…それでも、オレも今回は引くわけにはいかねえんだよ。として、な」
「私もいくら菩薩さんの望みや頼みでも…」
「はっきり言わねえと解らねえのか。」
「え……?」
「死ぬぜ?あいつら。」

そう言われた言葉はガツンと殴られるように、雅の胸はドクリと高鳴った。

「し……ぬ?」
「あぁ。力のコントロールが出来る様になってきたとはいえ、本来はただの人間だ。三蔵みてえに経文を持っていたりバカみたいな力や戦闘能力があるわけでもねえ。だとしたら雅?お前はあいつらの枷になるつもりか?」
「…それは……」

そう言いながらもそっと雅の頬を撫でる菩薩。きゅっと下唇を噛む雅涙をこらえながら、俯いたまま菩薩に問うた。

「私……死ぬんですか?」
「は?」
「だって……」
「死なねえよ。てかちゃんと最後まで生きろよ。」
「……この街に…とどまれば良いんでしょうか…」
「いや、それは無理だろ。お前無一文だし」
「……そうですけど…」
「少しの間、オレと一緒に来い。」
「……どういう…」
「少しの間って言っても当面の生活が出来る位の資金を稼ぐだけだ。」
「それって…」
「オレの付き人にでもなれよ、ちゃんと給料は出してやる。それに加えて三食+衣住付だ。しかも、いざって時の為に力の使い方指導まで付いてるぜ?お得だろ?」

そんな無謀にも近いことを平気で言い放つ菩薩。雅の頭には大きな疑問がわいた。

「あの……」
「なんだよ」
「なんで私、なんですか?」
「は?」
「だから…」
「いや、お前だけだろ。あの一行に付いてる奴」
「…じゃなくて。何も理由がないならきっとさっさと手を打つんじゃないかって思ったから…」
「ププ…オレが気に入った。」
「……へ?」
「間抜け面だな」
「だって…あ、でもそれって私、やっぱ死んじゃうってこと?」
「だぁから、死なねえって!」
「だって……天界って死んだ人がいくんでしょ?」
「偏った言い分だな、おい」
「だって……」
「ま、死なせねえから安心しろ」
「……それから……」
「ん?まだあんのか」
「……あの……」

手のひらをぎゅっと握りしめた雅は言い出したくとも言い出せないことがあった。

「……」
「なんだ、」
「…………なんですか?」
「は?」
「いつ……離れなきゃ……いけないんですか?」
「…早い内がいい、できるだけな」
「…ッッ…」
「それから……」

そう続けて菩薩は話し出す。

「天界に連れていく前に、雅の記憶は消させてもらう。」
「え……記憶ッ…?」
「あぁ。と言っても、あの四人と出会った後の記憶だけな?」
「…どうしても?」
「あぁ。残しておくわけには行かねえからな」
「……わか…りました…」
「後悔させるために言ってんじゃねえよ。勘違いするな。」
「…解ってます。」
「納得できねえのも承知してる。オレの事憎くてもいい…」
「そんなこと……」
「……じゃぁ、また明日来る」

そう言うと菩薩は優しい瞳を残して雅の前から姿を消した。頭の中でなにか起こったのか…整理しようとしても整理しきれない。菩薩に言われたことがようやく理解できた頃には雅の目からは止めどなく涙が溢れた。

「……ック…ズッ……ンフゥ……ック…」

誰に聞かれるでもないまま嗚咽は一人の部屋に響き渡っていた。

翌朝、思った通りに目が腫れた雅。

「ど……どうしたんだよ!その目」
「ちょっと……ね」
「ちょっとどころじゃないですよ?雅、冷やしてください?」
「ありがと」
「三蔵、お前あんなに目ぇ腫れるまでヤんなよ、雅病み上がりだぜ?」
「何の話だ」
「え?違うのか?」
「生憎昨夜は別だったんでな」
「…喧嘩か?」
「何でそうなる」
「いやぁ、だって…」

そんな時だ。

「あぁあ、んな目ぇ腫らして」

その声の方へと視線を移す。雅はくっと息を飲んだ。

「なんの用だ」
「…ひでえ言い方だな。相変わらず」
「うるせえよ。」
「なんだよ、ちゅうまでシた仲だろ?」
「あれは致し方なくだろうが!」
「まぁまぁ、三蔵?それで、菩薩あなたがどうしてここに?」
「あの…!!」
「雅、いいから黙ってろ」
「…雅?」

そう菩薩に止められた雅。少し俯き加減に視線をそらした。

「この街でにしろ」
「……は?」
「おい、なんの冗談だ」
「冗談で言えるか?こんなコト」
「笑えねえよ」
「笑えても笑えねえでも最後にしろ。」
「…てめ」

じりっと三蔵は菩薩に歩みよった。

「なんの真似だ」
「フッ、そりゃこっちが聞きてえな」
「最後にって雅と離れるってことか?」
「そう、みたいですね…」
「嫌だよ!俺…」
「うるせえ猿、黙ってろ」
「雅には昨日の内に話してある。」
「……だから…」
「ふざけた事抜かしてんじゃねえぞ、クソババァ」
「おい!貴様!以前にもまして口の聞き方に注意しろ!!」
「まぁ黙ってろ、二郎神。ここから先、西に向かえば向かうほど、負の波動はどんどん強くなってくる。そんな中に雅連れ込むのか?」
「……ッッ」
「それともなんだ。師の形見の聖天経文も取られたまま?西の異変も止められず…?尻尾巻いて逃げんのか、てめえはそれほど腰抜けか?」
「…言いたい放題抜かしやがって……」

そう言いながらも三蔵の顔は怒りなのか、それとも抗いなのか…解らないままの顔で菩薩の胸ぐらを掴んだ。

「…ほう、いい度胸だな」
「てめえ等に丸投げされて面倒くせえのに…西の異変を止めろだとか…どうでも『三蔵!』…ッッ」
「どうでも良い訳ない……そうでしょ?」
「雅は黙ってろ」
「…そんなこと出来ない」

そういって雅はグッと歯を食いしばると顔をあげた。

「雅?」
「私、菩薩さんと一緒にいくよ」
「いくって……どこにですか?」
「あぁ、それいってなかったな。雅は天界につれていく。」
「あぁああ!!!いってしまった……」
「二郎神、お前もうるせえよ」
「……そうは言いましても……やはり無理が…」
「あると思うか?俺がつれていくって言ってんだ」
「勝手に話を進めるな」
「天界ッ……そうすると、雅死ぬのか?」
「死なねえよ。天界に死はからな。」
「じゃぁ、不老不死…?」
「いや?ずっと天界にいさせる訳じゃねえよ。バイトだバイト。」
「……ふざけてんのか、貴様は…」
「ふざけてねえさ。」

そう答える前に三蔵は菩薩に殴りかかる。しかしスルッと交わされ、そのまま手首を掴んだ。

「……なに考えてやがる」
「…クッ…」
「何がおかしい」
「なにもおかしくはないさ。ただ…」
「…言えよ」
「…詰めが甘いんだ、よ!」

ドっと思いきり腹部に入ると三蔵は床に座り込んだ。

「さ…ッ……・・」

言い淀み、雅はあえて、近付かなかった。

「おい、雅?それでもいいのかよ!」
「……ッッ…」
「なんとか…言ってください!」
「……」
「雅!!!」

三人の声が部屋に響く。しかし雅はペコリと頭をこれでもない位深く下げていた。ゆっくりと頭をあげると、くるりと体の向きを変えたのだった。
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