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沙織
26 沙織、暴走する4
しおりを挟む「私と康市君は良いのだ。だがな、優子がな・・・」
優子…。
山本優子。沙織の母親である。
そして、権兵衛の実の娘……。
優子は、慎也のことをゴキブリの如く、いや、糞便に湧く蛆虫の如く忌み嫌っていた。彼女は、絶対に許さないだろう…。
大学教授をしている優子は、自分の信念を曲げない、真面目一方の超堅物。公安トップの康市といえども頭が上がらない、かなり強烈な女性だ。
妹の亜希子と非常に仲の良い姉妹であるのだが、性格は、少々異なる。
どちらかというと大雑把な亜希子と対照的に、細かなところにも気が付き、些細な不正も絶対許さない正義感の塊といったところ。
意外なことに、いじめられっ子的存在だった亜希子を、一人で身を挺して庇って来たという女傑でもある。
そんな彼女だから、「自分の娘が妾に」なんてことを許せるはずがない。
五年前、娘たちが慎也の元へ行ってしまった時は、もう、発狂せんばかりの大騒ぎだったのだ。
権兵衛も康市も、あの時は何とか鎮めるのに多大な、多大な、苦労を強いられた。
そして、五年限定ということで、何とか、何とか、収めていたのだ。
なのに、また娘が慎也のところへ戻るとなったら、どうなってしまうか分からない。
沙織の淫気のことを話したところで、到底納得するとは思えない。
もしかすると、自分の元に沙織を一生監禁してしまうことも考えられた。
沙織も自分の母親のことだ。当然、その気性はよく分かっている。
しょんぼりする憐れな孫に、権兵衛から一つ妥協策が提示された。
それは、沙織を、権兵衛の地元秘書に配置換えするという案だった。
権兵衛の地元は、愛知県小牧市だ。ここには、権兵衛が熱烈に信仰する尾張賀茂神社があり、権兵衛は、かなり頻繁に帰っていた。
尾張賀茂神社は、沙織の親友、尾賀恵美の実家でもある。だから、沙織の主な仕事は、尾張賀茂神社との連絡係ということにする。
この神社は「神子」の件で慎也の奈来早神社とも繋がりがある。
よって、仕事名目で、慎也と偶に会うことも出来るようにする。
そうすれば、沙織の力の暴走も和らぐはずだ。
これで時間を稼ぎ、それでも沙織の想いが変わらないのであれば、優子の方の説得も試みて・・・。
つまるところ、この案は、暴走させない程度に沙織の淫気を和らげておいての、問題先送りだ。
「優子の説得を試みる」などと言っても、権兵衛には、説得を成功させる自信など皆無である。
だが、それでも沙織にとっては、希望の光の見えた気がする有難い案であった。
丁度、権兵衛は明日、帰郷する予定になっている。
当初、沙織は同行しない予定だったが、沙織も一緒に連れてゆき、そのまま地元に留め置くことに決まった。
今の沙織には一刻の猶予も無いのだ。放置すれば放置するだけ、「犠牲者」が増えてしまう。
他人事でなく、自分たちもその「犠牲者」になりかねないという明らかな自覚と多大な危機感もあって、迅速に決まったのだった。
涙を流しながら礼を言って退室していった沙織を見送り(…危険だから、あまり長く近くに置いておけない)、康市は、久しぶりに顔を合わせた義父、権兵衛を改めて注視した。
「だいぶ、お痩せになられたようですね…」
遠慮がちに訊いてみる。顔色も良くないように見えるのだ。
娘の沙織のことで心労を重ねさせてしまったのかと思うと、申し訳無い事この上ない。
「う~ん。私も、もう八十だ。何時お迎えが来てもおかしくない歳になった。どこも悪くないとは、行かぬようだ」
康市は驚いた。
元気が取柄の義父の口から、こんな弱気な発言を聞いたのは初めてだった。
「どこか、お悪いんですか?」
「うむ、皆には言うなよ。最近ちょっと、腹痛がしてな」
「医者には?」
「わしが医者嫌いなことは、知っているだろう」
「いや、でもそれは・・・。
帰郷されるんでしたら、亜希子さんに診てもらったらどうでしょう?
最近、名医と評判になっていますよ」
「亜希子か・・・。そうじゃな…。そうするかな」
権兵衛は小声で答えた。複雑な顔をして。
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