デラシネ議事録

秋坂ゆえ

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 駅の反対側はクリスマスムード一色になっていた。火村書店に目当ての本がなかったので久々に行ってみたらもう、赤白緑の三色、そればかりが強調されていて他の色彩が哀れなほどであった。俺が住んでる南口側にもクリスマスっぽい装飾はされているんだけど、こちらほど大々的ではない。ロータリーの向かいにあるビル、一階の書店ですらクリスマスギフトがどうとかいうポスターやクリスマスツリーやその他赤白緑で溢れていた。俺はイベントごとにはそんなにはしゃがない方だけど、自分へのクリスマスプレゼントにハードカバーの本を買ってもいいかもな、と何となく考えた。店に入ってすぐの所にはベストセラーとかブックランキングのコーナーがあったけど俺はスルーして文庫ブースに行く。師走、クリスマス、年の瀬、繁忙期、年忘れ、といった複合的な要因で、店の中に居る全ての人間が三センチくらい宙に浮いているように見えた。探していた本があっさり見付かったので、俺は長い列に並んで会計を待った。新しいこの店にはレジが四つあって、対応する店員も全員ぴしっと制服を着ていてきびきびと客を流していた。彼ら店員達も、俺と同じように並んでいる客も、店内をうろうろする他の連中も、どこか他に帰る場所があって、ここは通過する場所であって、ここに留まる人間は多分居ない。なんてことを考えている内に俺の番が来たので、カバーはいりませんと言って会計を済ませた。

 駅を越えて南口に出ると、何というか、ふうと息をつきたくなるような感覚が上から降ってきた。ここに住むようになってから四年くらい経つけど、なんだかんだ言って慣れみたいな、そういうものが俺の中に芽生えていたとしても不思議はない。でもまあ、この街に友人知人は居ないし、この街で生活するってのは俺にとって徹底的に独りになるってことで、見慣れはするけど、別によそに引っ越してそこに長く暮らせば同じような感情を抱くことになるのだろう。俺はどこにだって行ける。

 パチンコ屋の角を曲がって暗い路地を二軒分歩く間、急に誰かに呼ばれたような気がして俺は振り返った。顔を赤くしたじいさんが危うげな足取りで通過していって、その向こうには目抜き通りを行き交う人々が見えていて、誰も俺のことを気にしない。独り肩をすくめてからアパートに戻った。

 あるもので夕食を作って、買ってきた本をぺらぺらとめくりながら食べた。洗い物は明日の朝でいい、と思ってベッドに転がり、横を向いて文庫本を最初から読み始めた。二十ページくらい読み進めてから音楽がかかっていないことに気付いて、文庫本片手にウォークマンの再生ボタンを押す。またミューズの古いアルバムが流れてきた。本に集中していたからすぐには気付かなかったんだけど、おかしいな、勘違いか記憶違いか、さっきまでは同じミューズの最新アルバムを聞いていなかったっけ、と首を傾げたけど、まあいいやと思ってまた本の世界に浸った。俺は英語を理解しないけど、気に入った曲のタイトルや歌詞は調べることがある。シャッフル再生していたミューズのセカンドアルバム「Origin of Symmetry」、その中の俺的ベストソングのイントロが聞こえてきた。『Space Dementia』という曲で、意味は確か、宇宙に行った人間があまりの壮大さに圧倒されて精神に異常を来す現象じゃなかったか。このアルバムを初めて聞いた時は本当に衝撃を受けて最後の曲が終わる頃には俺は何故か半泣きになっていて、そうアレは確か高校に入りたてくらいの時で、これを聞きたいがために午後の授業をサボってCD屋で買って自宅でヘッドホンをして聞いたのだ。夏だったのを覚えていて、ベッド脇にアイスミルクティーをスタンバってたけど口にする余裕すらなかった。それくらい圧倒的にどうかしている作品だった。そう思ったら俺はもう、本の世界から一歩引いていて、栞を挟んで文庫本を閉じ、枕元に投げて曲に集中した。歌詞は分からないけど曲のイカレっぷりが最高だ。でもまた、そこであの感じが、現実が遠のく気がしてきて、俺は音の空間に拉致される。ギターやピアノ、ベースやドラムの音が一つずつ光になって俺を照らす、でも俺はまた色を失ってしまっていて、光は半透明の俺の中で変色する。きらきらと眩しくて俺は目を閉じるんだけどそもそも音の世界の俺には目がなくて、いつしか物質としての肉体も失っていて、多分意識、俺の脳みその何かしらの部分だけになっていて、クライマックスに差し掛かった曲が洪水みたいに音を噴射してくるのを、俺は眼球ではない器官で知覚していた。爆発するみたいに最後の轟音が鳴り響いて、音の世界は白い光でいっぱいになって、六分二十秒の曲が終わると俺は自分の部屋のベッドに胎児のような格好で横になっている自分を発見する。カーテンを閉める。
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