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「なあ、なんで誰も居ないんだろう」
俺が幹の辺りに話しかけると、木は頭上から返事を寄越した。
「おまえさん、忘れてるのか。今日は元日だよ、どこの店も休みだ」
嗚呼なんだ、そういうことか。俺は自分を取り戻した代わりに時間の感覚を失ったらしい。
「なあ、アンタはどれくらいここに居るんだ?」
「わしは今寝起きでね」
そう言うと木は上の方の枝をぶるぶると震わせた。
「数字は分からんのだよ」
「なあ、俺は根無し草なんだ。根っこのあるアンタが羨ましいよ」
木は返事をしなかった。雪はしんしんと降り続けて、粉雪が冗談みたいなスピードで積もっていっていた。気付くと俺は膝まで雪に埋もれていた。気に入ってるジーンズなのに。
そこで俺は何かを感じた。
無言の木の下を這う根っこ、土の中を縦横無尽に駆け巡る根っこ。それだけじゃない。元旦、ほとんどの人間がゆっくりと過ごしている今、根無し草になって初めて、俺は彼らの根っこを感じることが出来た。眉の太いレジ打ち女子の。火村書店のおっさんの。宏一の。スーパーの実習生のおばさんの。喫茶店に居た外国人女性と二人のギャルの。カレー屋の店員達の。千鶴の。喫茶店の老夫婦の。ラーメン屋の女性店員の。顔を殴られたレンタル屋の男の。その他全ての、俺がこれまで目にしてきた人間の。
雪は降り続けていて、俺はもう腰まで埋まってしまった。その時決めた。俺は根っこになる。決めたら早かった。俺は身体の力を抜き、背の高い木の横に自分自身を横たえ、地中に入り込んだ。案の定、土の中はあの木の立派な根でいっぱいで、所々に雑草のちゃちな、糸みたいな白い根もあった。
俺は目を閉じて、いや、目なんてもうないんだっけ、とにかく視界をオフにして、自分が根っこになることを強く強くイメージした。大地からエネルギーを吸い上げて脱・根無し草、悪くない。土の中は心地よかった。誰も、少なくとも人間には見られないし、誰も邪魔しない。誰も俺のことを気にしないし、俺も誰のことも気にかけない。
また長い間、俺はそうしていたようだ。実感があった、俺は根になりつつある。力を感じた。多分、土とか大地からもらってる力だ。俺は嬉しかった。根無し草の俺が根っこになれるなんて、凄いことじゃないか。
「なあ、おまえさん」
地上の高い所から、今になってあの木の声が聞こえてきた。
「おまえさんは根無し草と言ったな。根っこになってどうする」
根っこ、根っこは確実なものなんだ。俺はここに根を張って、俺自身を確実なものに、確固たるものにして、根無しなんて誰にも言わせなくするんだ。
「そうは言ってもだな」
木が呆れたように言う。
「根っこだけじゃ何も咲かんよ。おまえさんは地上から逃げただけじゃないのか。根だけでなんてやってけんよ。おまえさんは、一体地上に何を残すんだ?」
俺は、俺は、俺は。
俺は根っこになってしまった。木の言う通りじゃないか、俺自身が、俺本体が地上に居ないと根っこの意味なんて、存在意義なんて、ほとんどないじゃないか。ヤバい、戻らないと。
「残念だがもう遅いな」
木が言う。
「おまえさんは確かにもう根無し草じゃない。その代わり本来在るところに存在もしない。なに、運が良ければ花の一つでも咲くだろうよ」
違う、俺は根っこが欲しかっただけだ。
俺はただ、根っこが欲しかっただけなんだ。
【了】
俺が幹の辺りに話しかけると、木は頭上から返事を寄越した。
「おまえさん、忘れてるのか。今日は元日だよ、どこの店も休みだ」
嗚呼なんだ、そういうことか。俺は自分を取り戻した代わりに時間の感覚を失ったらしい。
「なあ、アンタはどれくらいここに居るんだ?」
「わしは今寝起きでね」
そう言うと木は上の方の枝をぶるぶると震わせた。
「数字は分からんのだよ」
「なあ、俺は根無し草なんだ。根っこのあるアンタが羨ましいよ」
木は返事をしなかった。雪はしんしんと降り続けて、粉雪が冗談みたいなスピードで積もっていっていた。気付くと俺は膝まで雪に埋もれていた。気に入ってるジーンズなのに。
そこで俺は何かを感じた。
無言の木の下を這う根っこ、土の中を縦横無尽に駆け巡る根っこ。それだけじゃない。元旦、ほとんどの人間がゆっくりと過ごしている今、根無し草になって初めて、俺は彼らの根っこを感じることが出来た。眉の太いレジ打ち女子の。火村書店のおっさんの。宏一の。スーパーの実習生のおばさんの。喫茶店に居た外国人女性と二人のギャルの。カレー屋の店員達の。千鶴の。喫茶店の老夫婦の。ラーメン屋の女性店員の。顔を殴られたレンタル屋の男の。その他全ての、俺がこれまで目にしてきた人間の。
雪は降り続けていて、俺はもう腰まで埋まってしまった。その時決めた。俺は根っこになる。決めたら早かった。俺は身体の力を抜き、背の高い木の横に自分自身を横たえ、地中に入り込んだ。案の定、土の中はあの木の立派な根でいっぱいで、所々に雑草のちゃちな、糸みたいな白い根もあった。
俺は目を閉じて、いや、目なんてもうないんだっけ、とにかく視界をオフにして、自分が根っこになることを強く強くイメージした。大地からエネルギーを吸い上げて脱・根無し草、悪くない。土の中は心地よかった。誰も、少なくとも人間には見られないし、誰も邪魔しない。誰も俺のことを気にしないし、俺も誰のことも気にかけない。
また長い間、俺はそうしていたようだ。実感があった、俺は根になりつつある。力を感じた。多分、土とか大地からもらってる力だ。俺は嬉しかった。根無し草の俺が根っこになれるなんて、凄いことじゃないか。
「なあ、おまえさん」
地上の高い所から、今になってあの木の声が聞こえてきた。
「おまえさんは根無し草と言ったな。根っこになってどうする」
根っこ、根っこは確実なものなんだ。俺はここに根を張って、俺自身を確実なものに、確固たるものにして、根無しなんて誰にも言わせなくするんだ。
「そうは言ってもだな」
木が呆れたように言う。
「根っこだけじゃ何も咲かんよ。おまえさんは地上から逃げただけじゃないのか。根だけでなんてやってけんよ。おまえさんは、一体地上に何を残すんだ?」
俺は、俺は、俺は。
俺は根っこになってしまった。木の言う通りじゃないか、俺自身が、俺本体が地上に居ないと根っこの意味なんて、存在意義なんて、ほとんどないじゃないか。ヤバい、戻らないと。
「残念だがもう遅いな」
木が言う。
「おまえさんは確かにもう根無し草じゃない。その代わり本来在るところに存在もしない。なに、運が良ければ花の一つでも咲くだろうよ」
違う、俺は根っこが欲しかっただけだ。
俺はただ、根っこが欲しかっただけなんだ。
【了】
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