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弐拾ノ章(参)
劉清秀、龐塞に着目す【貞観二十二(六四八)年、九月】
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「それで結局、その漢はいま、こちらの獄のなかというわけか⁉」
清秀は王栄と両筆の顔を交互に見比べながら、呆れたように云った。
「よくもまあ、次から次へと、面倒事を持ち込んでくれるものだ」
偽らざる本音だろう。二人は身を縮めて恐縮してみせるが、その声音に意外と怒気が含まれていないことにも気づいていた。こうした想定外の事態に陥った時にこそ、その人の真の人間性が垣間見えてくるものだ。その意味においても、いまや御史台を代表する顔になっているこの劉清秀という若き切れ者は、一種独特な傑物であると云えた。
「で、その龐塞という漢、一体、なにを白状すると云ってるんだ?」
清秀は王栄に話の先を促すが、しかし、語りだしたのは両筆の方だった。それは、私の方からと、後を引き取る。
「その龐塞なんですが、『皇族のあるお方と有徳の僧侶が不義密通を重ねていた証拠の品を、自分はその僧侶のところから盗み出した。その件について正直に申し立てるので、代わりに自分の罪を不問にしてほしい』、そう吠えたてています」
(皇族の不義密通?)
侍御史の眼が光る。皇族絡みとなると、こちらも相当に肚を括って事に当たる必要があるが、邸店に絡んで呉王の案件だってどう転ぶかも判らないのに、今度もまた皇族かと、清秀は嗤いたくなる。だが、同時に、興味もそそられる。
「それで、その申し状、どの程度信憑性がありそうだ?」
「龐塞が云う証拠の品は、たしかに邸店から押収した盗品のなかにありました」
今度は王栄が答える。あまたの宝玉で飾られた宝枕で、こんなものを僧侶が所有していたということになれば、それだけで充分に審問に値するほどの逸品だと云う。
「これほどの細工物となると、造れる人間は京師内でもそう多くはありません。著名な細工師を辿っていけば、すぐに注文主は判明するでしょう」
「書令史の勘では、かなり確度は高い、ということだな」
腕組みをしながら、劉清秀は考えをまとめようとする。しかし、どう考えてみても、龐塞の口にしている皇族とは、
(高陽公主様しかおられまい!)
その不羈奔放な振る舞いは、広く世に知られている。さすがに、御史台内でもこれを問題視する者があり、主上への奏上も再三なされてはいるのだが、御寵愛深い愛娘ということもあって、主上もなかなか決断をなされない。しかし、その関係性も、房家の嫁としての傍若無人の振る舞いが先頃、主上の御勘気を蒙り、かなり怪しくなっているという話も聞こえている。
(もし、仕掛けるなら、いまがいい潮時かもしれないな)
清秀はそんな算盤を弾いていた。実は、清秀も軍需物資である糧食の横流しの一件に関して、公主のある疑惑を掴んだばかりだ。そこに、この耳寄りな情報である。まさに天の時はいましかないと、彼の直感がそう囁いている。
「それで、その皇族と不義密通をしている僧侶というのは?」
「それはまだ吐きません。自分の出した条件が確約されてからだと、完全に居直っています」
「なんとも厚かましい漢だな」
侍御史は、苦々し気に吐き捨てた。幸か不幸か、盗賊団としての活動で、人を殺めるような事態は引き起こしていない。律に照らして、龐塞に死罪を申し渡すことにはならないだろうが、辺境の地への流刑は免れない重罪だ。それを一気に無罪にしろとは、いくらなんでも要求としては過大すぎる。もっとも、『唐』の律では、役人が罪を犯した場合、銅を贖って官に納めることで、実刑を避ける、あるいは減刑されることが認められている。龐塞にしてみれば、不義密通の告発がその贖銅代わりのつもりなのかもしれない。
「ともかく、一度、その者に会ってみよう。どのような罪を言い渡すかは、その後のことにすればよい」
どうやら清秀は、この件を表に出して扱う肚を括ったようだ。劉侍御史なら、きっとそうするだろうと考えて、今度もあえて引っ張り出してみたものの、不安がないわけではなかった。それがあっさりと解消され、王栄、そして両筆も、内心ほっとしている。
「ところで、龐塞を捕縛した際に、若い者が怪我をしたらしいが、傷の具合はどうだ?」
ちゃんと手当は済ましているだろうが、完全に傷がよくなるまで、役所に出てくる必要はないと伝えておいてくれ。ほんの些少だが、見舞金が出るように取り計らっておいたからと、清秀は云った。
捕縛時の様子も詳細に知ってくれているようで、有難いことに侍御史は、労いの言葉までかけてくれる。このあたりが、誰からも信頼される所以なのだろう。呉渓を負傷させてしまったことは、半ば自分の失敗だと反省していたこともあり、王栄は嬉しかった。
「はい、お陰様で、一人左肩をやられた程度で、生命に別条はございません。ただ、袖箭の威力が意外に強烈で、……」
「待て⁉」
突然、侍御史から厳しい声が飛んだ。
「呉渓は『袖箭』にやられたのか?」
「はい、その通りですが、……それが何か?」
考え込む侍御史の姿を見て、王栄は驚きながら答える。
「龐塞とやらには、どうやらもう一つ聞かねばならないことが増えたようだ」
清秀がそう呟くのを耳にしても、王栄と両筆にはまったくその意味が判らない。
(その答え次第では、……)
侍御史の脳裏にはいま、過去のある事件が甦っていた。
【注】
※一 「袖箭」
袖で隠せる大きさの矢をばねで発射する小型の武器
清秀は王栄と両筆の顔を交互に見比べながら、呆れたように云った。
「よくもまあ、次から次へと、面倒事を持ち込んでくれるものだ」
偽らざる本音だろう。二人は身を縮めて恐縮してみせるが、その声音に意外と怒気が含まれていないことにも気づいていた。こうした想定外の事態に陥った時にこそ、その人の真の人間性が垣間見えてくるものだ。その意味においても、いまや御史台を代表する顔になっているこの劉清秀という若き切れ者は、一種独特な傑物であると云えた。
「で、その龐塞という漢、一体、なにを白状すると云ってるんだ?」
清秀は王栄に話の先を促すが、しかし、語りだしたのは両筆の方だった。それは、私の方からと、後を引き取る。
「その龐塞なんですが、『皇族のあるお方と有徳の僧侶が不義密通を重ねていた証拠の品を、自分はその僧侶のところから盗み出した。その件について正直に申し立てるので、代わりに自分の罪を不問にしてほしい』、そう吠えたてています」
(皇族の不義密通?)
侍御史の眼が光る。皇族絡みとなると、こちらも相当に肚を括って事に当たる必要があるが、邸店に絡んで呉王の案件だってどう転ぶかも判らないのに、今度もまた皇族かと、清秀は嗤いたくなる。だが、同時に、興味もそそられる。
「それで、その申し状、どの程度信憑性がありそうだ?」
「龐塞が云う証拠の品は、たしかに邸店から押収した盗品のなかにありました」
今度は王栄が答える。あまたの宝玉で飾られた宝枕で、こんなものを僧侶が所有していたということになれば、それだけで充分に審問に値するほどの逸品だと云う。
「これほどの細工物となると、造れる人間は京師内でもそう多くはありません。著名な細工師を辿っていけば、すぐに注文主は判明するでしょう」
「書令史の勘では、かなり確度は高い、ということだな」
腕組みをしながら、劉清秀は考えをまとめようとする。しかし、どう考えてみても、龐塞の口にしている皇族とは、
(高陽公主様しかおられまい!)
その不羈奔放な振る舞いは、広く世に知られている。さすがに、御史台内でもこれを問題視する者があり、主上への奏上も再三なされてはいるのだが、御寵愛深い愛娘ということもあって、主上もなかなか決断をなされない。しかし、その関係性も、房家の嫁としての傍若無人の振る舞いが先頃、主上の御勘気を蒙り、かなり怪しくなっているという話も聞こえている。
(もし、仕掛けるなら、いまがいい潮時かもしれないな)
清秀はそんな算盤を弾いていた。実は、清秀も軍需物資である糧食の横流しの一件に関して、公主のある疑惑を掴んだばかりだ。そこに、この耳寄りな情報である。まさに天の時はいましかないと、彼の直感がそう囁いている。
「それで、その皇族と不義密通をしている僧侶というのは?」
「それはまだ吐きません。自分の出した条件が確約されてからだと、完全に居直っています」
「なんとも厚かましい漢だな」
侍御史は、苦々し気に吐き捨てた。幸か不幸か、盗賊団としての活動で、人を殺めるような事態は引き起こしていない。律に照らして、龐塞に死罪を申し渡すことにはならないだろうが、辺境の地への流刑は免れない重罪だ。それを一気に無罪にしろとは、いくらなんでも要求としては過大すぎる。もっとも、『唐』の律では、役人が罪を犯した場合、銅を贖って官に納めることで、実刑を避ける、あるいは減刑されることが認められている。龐塞にしてみれば、不義密通の告発がその贖銅代わりのつもりなのかもしれない。
「ともかく、一度、その者に会ってみよう。どのような罪を言い渡すかは、その後のことにすればよい」
どうやら清秀は、この件を表に出して扱う肚を括ったようだ。劉侍御史なら、きっとそうするだろうと考えて、今度もあえて引っ張り出してみたものの、不安がないわけではなかった。それがあっさりと解消され、王栄、そして両筆も、内心ほっとしている。
「ところで、龐塞を捕縛した際に、若い者が怪我をしたらしいが、傷の具合はどうだ?」
ちゃんと手当は済ましているだろうが、完全に傷がよくなるまで、役所に出てくる必要はないと伝えておいてくれ。ほんの些少だが、見舞金が出るように取り計らっておいたからと、清秀は云った。
捕縛時の様子も詳細に知ってくれているようで、有難いことに侍御史は、労いの言葉までかけてくれる。このあたりが、誰からも信頼される所以なのだろう。呉渓を負傷させてしまったことは、半ば自分の失敗だと反省していたこともあり、王栄は嬉しかった。
「はい、お陰様で、一人左肩をやられた程度で、生命に別条はございません。ただ、袖箭の威力が意外に強烈で、……」
「待て⁉」
突然、侍御史から厳しい声が飛んだ。
「呉渓は『袖箭』にやられたのか?」
「はい、その通りですが、……それが何か?」
考え込む侍御史の姿を見て、王栄は驚きながら答える。
「龐塞とやらには、どうやらもう一つ聞かねばならないことが増えたようだ」
清秀がそう呟くのを耳にしても、王栄と両筆にはまったくその意味が判らない。
(その答え次第では、……)
侍御史の脳裏にはいま、過去のある事件が甦っていた。
【注】
※一 「袖箭」
袖で隠せる大きさの矢をばねで発射する小型の武器
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