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母J
母J④
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何か、何かと探していると、一冊、部屋の片隅に見つけた。建築関係の本だ。息子の趣味とも思えないが、何故こんな所にこんな本が?
今まで気付かなかった。まるで、今日、この日に見つけてもらう為にひっそりと隠れていたように、そこにあった。
本のテーマは『借景』というものだった。
酷く難しい言葉が並べられ、とても全てを理解出来るような物ではなかった。が、それで良かった。考えている間は、私はこの世界から消えて無くなれる。
と、ある一文で目が止まる。
『季節は移り変わるもの。一つの窓から見る景色は、同じように見えても全く同じ日など無く、ただ往き過ぎる日々を切り取ってるだけに過ぎない。それはまるで、人生のようだ』
何だか、心にすっと入ってきた。
同じ日々など無い。ただ往き過ぎる人生を、自分の眼という『窓』で見ているだけ。意志によって景色は変わり続ける。そして二度と戻らぬ過去を記憶し、時折思い出しては未来を向いて生きていく。
それでも、過去を記録して、より鮮明に思い返したい。そう願った結果、人は様々な形で残すようになった。
小説、日記、ブログ、ビデオ、映画、ドキュメンタリー。インタビュー記事なんていうのも、その一つかも知れない。
そうして残された記録を眺めて、別な誰かがその景色を想像する。それが、本。
これまで読み散らかした本の山を眺めて、そこに多くの人生が転がっている事を知った。
……本を読む事の喜びとは、他人の人生を知る事にあるのかも知れない。
そう気付けば、見るもの全てに人生が関わっている事に気付く。
本。食べ物。家。家具。家電。目に見えるあらゆる物が、とある人の人生の一部を使って作られた物ばかりだ。
人は一人で生きられぬ、とは言うが、これほどまでにこの部屋は他人の人生で満ち溢れている。
それだけではない。ここに以前住んだ人もいただろう。その人生は如何なる物であったか?柱の傷も、画鋲の痕も、想像しか許さない。
……それに加えて、今ここで生きている私の人生。そして、ここで生きていた息子の人生。この部屋は、なんと多くの人生で満たされているのだろう。
もしかしたら。
ふと、淡い期待を抱く。いや、先程のような空虚な妄想ではない。
私は弓から放たれた矢のように押入へ飛んでいく。仕舞っておいた箱という箱を皆開け、息子の残された足跡を確認しようとする。
きっと何か書き残している物があるはずだ。切り取り、残された息子の人生を少しでも見たい!
そうは思っても、なかなかそれらしい物は見つからない。一箱終え、二箱終え、焦りは募る。
散らかり始めた部屋の事など気にせず、息子の服やら参考書やら全てひっくり返していく。
最後の一箱。全ての物を取り出して、一つ一つ確認していく。何か、書き残した物はないか、目を光らせながら。
そして箱の一番底に、遂に見つけた。
『遺書』
息子の文字だ。こんな物を遺していたのか。
そう言えば以前、漏らしていた事があった。「自分の人生はきっと短い」と。こんな事になると、予感していたのだろうか。
開いて眺める。あぁ、この癖字。間違いなく息子の文字だ。
愛おしく指でなぞりながら、息子の意志を、遺志を読み解いてく。
ふう、と溜息。
気付いたら、心に悲しみは無くなっていた。
息子の人生とは、一体どんなだったのだろうか。どんな事があって、どんな物を見て、どんな事を考え、どんな風に過ごしてきたのか。改めてそれが無性に知りたくなった。
もう彼自身にそれを直接尋ねる事は出来ない。
それでも、彼の住んだ町に彼の姿を映した眼が、人がまだいるはずだ。
心の中に火がついて、炎となった一つの意志が私の体を突き動かす。
――探そう。彼の生きた時間を。
空想などではなく、確かにそこにあった息子の人生を見つめるのだ。それが私の、残された役割なのかも知れない。
急ぎ押入から旅行鞄を取り出し、荷物を詰め、動きやすい服装で玄関に立つ。
様々な人生で、そして息子と私の人生で満たされたこの部屋に、誰へともなく「行ってきます」と呟いて、扉を開けた。
今まで気付かなかった。まるで、今日、この日に見つけてもらう為にひっそりと隠れていたように、そこにあった。
本のテーマは『借景』というものだった。
酷く難しい言葉が並べられ、とても全てを理解出来るような物ではなかった。が、それで良かった。考えている間は、私はこの世界から消えて無くなれる。
と、ある一文で目が止まる。
『季節は移り変わるもの。一つの窓から見る景色は、同じように見えても全く同じ日など無く、ただ往き過ぎる日々を切り取ってるだけに過ぎない。それはまるで、人生のようだ』
何だか、心にすっと入ってきた。
同じ日々など無い。ただ往き過ぎる人生を、自分の眼という『窓』で見ているだけ。意志によって景色は変わり続ける。そして二度と戻らぬ過去を記憶し、時折思い出しては未来を向いて生きていく。
それでも、過去を記録して、より鮮明に思い返したい。そう願った結果、人は様々な形で残すようになった。
小説、日記、ブログ、ビデオ、映画、ドキュメンタリー。インタビュー記事なんていうのも、その一つかも知れない。
そうして残された記録を眺めて、別な誰かがその景色を想像する。それが、本。
これまで読み散らかした本の山を眺めて、そこに多くの人生が転がっている事を知った。
……本を読む事の喜びとは、他人の人生を知る事にあるのかも知れない。
そう気付けば、見るもの全てに人生が関わっている事に気付く。
本。食べ物。家。家具。家電。目に見えるあらゆる物が、とある人の人生の一部を使って作られた物ばかりだ。
人は一人で生きられぬ、とは言うが、これほどまでにこの部屋は他人の人生で満ち溢れている。
それだけではない。ここに以前住んだ人もいただろう。その人生は如何なる物であったか?柱の傷も、画鋲の痕も、想像しか許さない。
……それに加えて、今ここで生きている私の人生。そして、ここで生きていた息子の人生。この部屋は、なんと多くの人生で満たされているのだろう。
もしかしたら。
ふと、淡い期待を抱く。いや、先程のような空虚な妄想ではない。
私は弓から放たれた矢のように押入へ飛んでいく。仕舞っておいた箱という箱を皆開け、息子の残された足跡を確認しようとする。
きっと何か書き残している物があるはずだ。切り取り、残された息子の人生を少しでも見たい!
そうは思っても、なかなかそれらしい物は見つからない。一箱終え、二箱終え、焦りは募る。
散らかり始めた部屋の事など気にせず、息子の服やら参考書やら全てひっくり返していく。
最後の一箱。全ての物を取り出して、一つ一つ確認していく。何か、書き残した物はないか、目を光らせながら。
そして箱の一番底に、遂に見つけた。
『遺書』
息子の文字だ。こんな物を遺していたのか。
そう言えば以前、漏らしていた事があった。「自分の人生はきっと短い」と。こんな事になると、予感していたのだろうか。
開いて眺める。あぁ、この癖字。間違いなく息子の文字だ。
愛おしく指でなぞりながら、息子の意志を、遺志を読み解いてく。
ふう、と溜息。
気付いたら、心に悲しみは無くなっていた。
息子の人生とは、一体どんなだったのだろうか。どんな事があって、どんな物を見て、どんな事を考え、どんな風に過ごしてきたのか。改めてそれが無性に知りたくなった。
もう彼自身にそれを直接尋ねる事は出来ない。
それでも、彼の住んだ町に彼の姿を映した眼が、人がまだいるはずだ。
心の中に火がついて、炎となった一つの意志が私の体を突き動かす。
――探そう。彼の生きた時間を。
空想などではなく、確かにそこにあった息子の人生を見つめるのだ。それが私の、残された役割なのかも知れない。
急ぎ押入から旅行鞄を取り出し、荷物を詰め、動きやすい服装で玄関に立つ。
様々な人生で、そして息子と私の人生で満たされたこの部屋に、誰へともなく「行ってきます」と呟いて、扉を開けた。
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