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第4話 モストロ領域の怪物と生活
しおりを挟む「モストロ領域に怪物、ですか?」
アウローラが執務室で公務に勤しんでいると、ミラーナから不思議な噂を耳にする。
ミラーナが淹れてくれた紅茶を口にし、カップをソーサーに置く。
その表情は紅茶の苦味とは関係なく、なにを言っているんだというように微妙な表情を浮かべていた。
「そもそも、あそこは怪物だらけの領域なのですが……」
怪物が跋扈《ばっこ》するからこそ、モストロ領域は知恵ある種族の支配を受け付けない領域なのだ。その場所に怪物がいるのは当然で、逆にいなくなったと言われたほうが大問題である。
そのようなこと、指摘されずともミラーナは理解しているはずだ。彼女もどこか困惑したように眉尻を下げる。
「私もそうは思ったのですが……。モストロ領域を調査していた者たちが、竜を喰らう怪物を見た、と」
モストロ領域は災害級の魔物が多く生息している。そのせいで、軍事大国のサングエ帝国ですら手が出せない領域だ。
しかし、サングエ帝国の東部地域の一部がモストロ領域に接触しており、モストロ領域から侵入してきた魔物によって被害を受けることが稀にある。
そのため、数年に一度、軍隊こそ動かせないが、モストロ領域の調査を行っているのだ。生態系に変化がないか、危険な魔物が生まれていないかなど様々だ。ただ、モストロ領域は強者の領域だ。人種などというひ弱な種族は喰われるのが常。調査をする度に、兵士を含めた調査団から死者を多く出している。
必要なことだと理解をしていても、被害を前提とした調査には、アウローラは難色を示していた。
ただ、その調査の結果、危険な魔物の発生をいち早く発見でき、対策を立てられるのだから、代案を提示もせず、苦言だけを口にすることはできない。
「……あそこには、そのような恐ろしい魔物がいるのですか?」
竜とは、モストロ領域に生息する魔物の中でも上位の強さを誇る。
いわく、大空《たいくう》の支配者。
巨大で強靭な身体が空を飛ぶだけでも脅威だというのに、種類によっては口から炎や雷撃まで吐き出すものまでいる。モストロ領域には存在しないが、人種並みかそれ以上の知恵を持つ、竜族と呼ばれる種族までいるほどだ。
竜が街に現れれば、壊滅は必至。討伐する間にどれだけ犠牲が増えるか想像もできない。
それほどの脅威である竜を喰らう怪物とは一体どれほどの化け物なのか。アウローラには想像もできない。
「見た目は、大きな竜に似ているとのことです」
「竜同士で争っていたということでしょうか? 種類が違えばそのようなこともあるでしょうね」
竜同士で争うというのはあまり見られない光景だ。
もとより、一体現れただけでも死を覚悟するのだ。二体以上が揃っているところを目撃するなど見たくもない。
ただ、竜を喰らった相手がまた竜というのであれば、新種の魔物が現れたというよりは納得のできる話だ。安心もできる。
「ただ、翼はなく竜というより、どちらかといえば蜥蜴に似ていると。二本足で立つ、不思議な生態をしていたようですが」
ミラーナの説明を訊いた瞬間、がたっと椅子を鳴らしてアウローラが立ち上がる。
突然の主の行動に、ミラーナが驚く。
けれど、もっとも驚いているのはアウローラであった。彼女は目を見開き、真剣な眼差しでミラーナへと強い視線を向ける。
「色は……身体の色は何色だったのですかっ?」
執務机を乗り越えてしまいそうなほどに、前のめりになってアウローラが質問する。
普段は声を荒げることのないアウローラの必死な形相に、ミラーナは驚くばかりだ。
「黒、だそうです。その体色のせいで、金色の瞳が遠目からでも分かったそうで、余計に恐ろしかったようと」
「黒……」
ぽすんっと気の抜けたような音を立てて、椅子に座るアウローラ。
先程までの勢いをなくし、魂が抜けたように呆けた主をミラーナは心配そうに見つめる。
どれだけそうしていたのか。
声を掛けるのを躊躇し、さりとてこのまま放置しておくのもよくないと、ミラーナが内心右往左往していると、突然、ネジを巻いたかのように勢い良くアウローラが立ち上がった。
彼女は机の上に置いてあった書類を片付けると、執務室を出て行こうとする。
奇行と呼んでもいいほどの突飛な行動に、ミラーナは慌てるしかない。
「いきなりどうしたのですか?」
「ミラーナも準備をして下さい。今こそ動く時です」
「……! 今、なのですか?」
驚愕。けれど、ミラーナの声には驚きだけでなく、期待が込められていた。
その期待に応えるように、アウローラは大きく頷いてみせる。
「はい。五年前からずっと、私はこの時を待っておりました」
兄が追放された時からこれまで、アウローラはこの時を心待ちにしていた。
運命の時は来たれり。
執務室を飛び出そうとしたところでアウローラはあることを思い至り、ミラーナに笑顔を向ける。
「ただ、出発する前に一つ布石は打っておきましょう」
楽しみで仕方ないと、遠出を前にした子供のようにアウローラの表情は輝いていた。
――
モストロ領域中央部。
危険な領域として知られるモストロ領域の中でも、特に大型の魔物が蔓延る場所だ。
深き森。まだ日は高いというのに、天高く伸びた大樹によって森林内は薄暗く、湿り気が多い。
どこからともなく魔物の鳴き声が響き渡り、真っ当な人種であれば恐怖で気を保っていられなくなるだろう。
知恵ある種族が訪れることのない、怪物の巣窟。
その奥地では、怪物の断末魔が一際響き渡っていた。
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
一つ目の人の形をした怪物が、大きな眼《まなこ》から血の涙を流し泣き叫ぶ。
しかし、それも直ぐに途切れる。首に噛み付いた大きな怪物の顎によって、喰い千切られたからだ。
息絶えた獲物を加え、竜に似た怪物は大地を震わせながら住処へと向かう。
口の中で滴る血を舐め取り、機嫌が良いのか尻尾が大きく揺れている。
「筋肉が固く、噛みごたえがあってこいつの肉は悪くない」
怪物から発声したとは思えない、人種に似た声で独り言が零れる。
翼のない大地を支配する竜。本人はティラノサウルスと呼ぶ竜に似た怪物は、元サングエ帝国第三皇子ディーノ・クローディアが変身した姿であった。
生前、ティラノサウルスとして肉食獣の王者であった彼は、死後サングエ帝国の皇子として転生を果たした。
ディーノは生前の姿となれる特異な能力【DINO・SAURUS】によって、ティラノサウルスへと変貌することができた。
サングエ帝国を追放されて以降は、もっぱらこの姿を維持し、弱肉強食が理《ことわり》であるモストロ領域で逞しく生き抜いていた。
モストロ領域には凶悪な魔物が多い。前世であれば叶わなかったであろう魔物も多くいるが、どうやらこちらの世界の影響を受けて恐竜形態はより強靭な強さへと変貌しているようだ。
とはいえ、この場所でやることなど、獲物を狩って喰って寝るぐらいだ。皇子の時のような多様性はない。
けれど、それが退屈かと問われれば否であり、前世のような気楽な生活をディーノは気に入ってた。
「……まあ、料理だけは残念であるが」
住処にしている湖のほとりで獲物に噛み付き、骨ごと喰らう。
殺したばかりの新鮮な血と肉の味は、皇子時代では味わえなかったディーノの好物だ。
しかし、舌を楽しませる繊細な料理というのも、ディーノは気に入っていたのだ。人種に転生して唯一良かったと思えたことであり、初めて調理された肉を食べた時の幸福をディーノは忘れたことはなかった。
料理を抜きにすれば、ディーノにとってモストロ領域は最高の環境である。いつの日かより強い魔物に喰われ死のうとも、悔いはない。
ぐちゃぐちゃと人によってはトラウマモノの肉を喰らう音を楽しみながら食事を取っていると、小さな魔物が集まってきた。
見た目は仔犬や仔猫、仔狐などといった動物に似ているが、足の付いた地面に霜が付くなど、やはり普通の動物とは違う能力を有していた。
巨大なディーノがいるというのに、彼らは恐れることなくディーノの傍に近付く。粗方お腹を満たしたディーノがその子らに気が付くと、一瞥しただけでゆっくりと獲物の傍から離れていった。
それが合図だったかのように、小さな魔物たちはディーノが食べ残した獲物をむしゃむしゃと食べ始める。食べ残しといっても、巨体のディーノが残した物だ。小さな魔物たちが食べるには十分な量が残っていた。口一杯に頬張っては、元気に尻尾を振っている。
この魔物たちは、ディーノが住処としている湖の周辺にいつの間にか住み着くようになった子たちだ。
親の姿はなく、皆小さい。恐らく、喰われたのだろう。モストロ領域では珍しくもない、ありふれた日常だ。当然、身を守る術のない小さな魔物が生きられるほど、この領域は甘くない。普通であれば、日を跨ぐことなくより大きな魔物の餌となっていたはずだ。
けれど、彼らは生き残った。
ディーノがここを住処にしてからというもの、この周辺に近付く魔物は減った。
ここに来た当初、住処など持たず、目に付いた大型の獲物を喰らっていたためだろうか。大抵の魔物はディーノを恐れて近付くことがなくなった。
湖のほとりを住処にしてしばらく、いつの間にか小さな魔物たちが周辺に住み着いていたのだ。そして、時折残すディーノの獲物を喰らい、生きている。
ディーノからすればよく逃げないものだと感心する。ディーノが狙うのは自身と同じか、それ以上の大型の魔物ばかりだ。それ故、ここに集まる小型の獲物を喰らうことはない。
そのことを理解しているのか、それともディーノが優しいとでも思っているのか、彼らはディーノを警戒することがない。
これも、自然ならではの生きる術なのかねぇ。
少し多めに残した獲物を喰らう小さな魔物たちをちらりと見て、ディーノはそんなことを考える。
食後休みとして転がっていた時であった。不意に視線を感じて起き上がると、首を回す。
王宮で人として暮らしていた頃の名残か、ディーノは視線に敏感であった。そのおかげて、ディーノを狙っていた獲物を返り討ちにしたこともある。
ただ、金色の瞳を動かしても、周囲には影はなく、いつの間にか視線を感じなくなっていた。
気のせいか? だが……。
自分の感覚には自信がある。気のせいと片付けるのはモヤモヤとした。
しばらく警戒を続けていたが、特に視線を感じることはなかった。憮然としつつ、湖で身体を清めるかと大きな巨体を起こした時、近くで戦う音が聞こえてきた。
戦闘音など珍しくもないのだが、聞こえてきた音に聞き覚えがあり訝しむ。
「あン? 金属音?」
この領域ではまず聞くことのない金属を弾く音。魔物ではない。知恵ある種族が武器を持って戦う音だ。
最近で言えば、サングエ帝国の調査団がモストロ領域に来ていたが、基本、彼らは戦わない。見つからないよう隠れ、逃げに徹し調査を進めるのが常であった。
だというのに武器を取ったということは、そうせざるおえなくなったということ。
「…………」
モストロ領域は弱肉強食の世界だ。
たとえ人種であろうとも、その摂理からは逃れられない。故に、ディーノにはなにも関係のない話であるのだが……。
ざわつく心。匂いか、それとも肌に伝わる空気か。身体が鋭敏にナニかを感じ取り、様子を見に行くべきだと訴えている。
「見に行くだけだ」
まるで言い訳をするように、ディーノは重い足を動かし戦闘音のする方へと歩いていく。
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