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第6話 お兄様が大好き過ぎる第三皇女
しおりを挟むディーノが住処としている湖のほとりで、ミラーナはディーノが着替えるのを騎士団と共に待っていた。
モストロ領域で生きるようになってから、人型になることがほとんどなかったらしい。アウローラはそれを見越してディーノ用の服を持ってきていたようだ。
静かな水面で待つミラーナの頭の中では、バジリスクと戦っている黒竜の姿が鮮明に描かれていた。
「まさか、あの黒竜、いえ……恐竜、でしたか。それが、第三皇子ディーノ・クローディア様だったとは思いもしませんでした」
モストロ領域で今尚ディーノが生きているから探しに行くとアウローラが言い出した時には、彼女に全てを捧げているミラーナであっても心配になったものだ。
モストロ領域は怪物の巣窟。只人が単身で生きられるような世界ではないのだから。けれども、その絶対は予想外の形で裏切られた。
「確かにあれほど強力な能力を持つディーノ様のお力をお借りすることができれば、アウローラ様の目的を叶えるうえで心強いでしょう」
騎士団でも敵わないような怪物であるバジリスクを圧倒する力。生まれ持った能力なのか、後天的なものかは分からないが、是が非でも協力関係を築きたい。
しかし、とミラーナは思う。
帝国から追放されたディーノが、はたして妹の頼みとはいえ快く力を貸してくれるだろうか?
裏切られた国のために行動するなど、ミラーナにはとてもできない。
それ故に、アウローラによる交渉はとても重要だ。頼みの綱と言っていい。
ミラーナたちにとって希望であるアウローラが、ディーノを伴って戻って来る。悪い印象を与えないよう、ミラーナは笑顔で迎えようとして失敗する。
「アウローラさ……ま…………?」
今、私はどのような表情をしているのでしょうか?
自身の表情すらコントロールできなくなるほど、ミラーナの眼前に広がった光景は驚くべきものであった。
「やはりお兄様には黒が合いますね。とても格好良いです!」
「息苦しい」
アウローラが持ち込んだ黒いジャケットを羽織り、ディーノは胸元を緩める。
獣のような鋭い瞳ながらも、端正な顔立ち。引き締まった身体に纏う黒は、アウローラの言う通り良く似合う。キッチリ着こなすよりも、気崩している分魅力が増している。
それはいい。問題はディーノの片腕を抱きしめ、だらしなく表情を緩めた少女が一体誰なのかということである。
頬を赤く染め、今にもよだれが垂れてしまいそうなほど口元が緩んでいる少女がまさかアウローラであるはずがない。
……いいえ。現実を受け止めましょう。あの見るに堪えない緩み切った少女は、間違いなく我が主です。
アウローラに仕えてからおよそ三年が経つが、一度も見たことのないアウローラの姿にミラーナは言葉も出ない。
「ああ、お兄様は必ず生きていると信じておりましたが、こうして再会することができて、アウローラは嬉しくてたまりません。金輪際、御傍を離れはしませんからね?」
「俺も再会は嬉しいが……離れろ。暑苦しい」
「いーやーでーすー」
あの、ハートを振りまく、誰が見てもデレデレとした女性が我が主……。ディーノ様のことを大好きだと公言しておりましたが、まさかここまでとは。
会えなかった五年という月日が、彼女の兄妹愛を異常なまでに強くしてしまったのだろうか。
優しきお姫様と謳われる姿は欠片一つ残ってはおらず、ただただ兄が大好きなだけの妹が一人……。
「……困ったものです」
疲れたようにミラーナはため息を付いた。
~~
ディーノは近くの樹木の幹を背もたれにし、地面に腰を下ろす。
自身の領域に人種が存在しているのがとても不可思議で、違和感がある。かつては見慣れた光景であったが、今となっては目のする機会すらほとんどなくなった同族だ。
命の危険を冒してまでこのような危険な地になにをしに来たのか。
ニコニコと右腕を一切離さないアウローラを放置して、彼女の従者だろう女性に問う。
「それで、お前は?」
「これは失礼致しました」
スカートをちょんっと摘み、見慣れた、けれど懐かしさすら覚えるカーテシーをしてメイドが名乗る。
「私《わたくし》、サングエ帝国第三皇女アウローラ・クローディア様にお仕え致しますメイド、ミラーナ・セルジオと申します。アウローラ様の兄であらせられる第三皇子ディーノ様に置かれましては、覚えおき頂ければ幸いでございます」
「元、第三皇子だ」
訂正する。
ディーノが皇子だったのは追放される前までだ。今となってはサングエ帝国とは関係がない。
ディーノの言葉を受けてミラーナは素直に謝罪する。
「失礼致しました」
「別にいい。しかし、メイド、か」
訝しむように、ディーノはミラーナの服装を上から下まで流し見する。
「なにかおかしな点がございますでしょうか? ご不快にさせてしまったのであれば、このミラーナ、誠心誠意謝罪の上、改めさせて頂く所存でございます」
「馬鹿丁寧に過ぎる。少し気になっただけだ。……ふん、なるほど。帝国では珍しくもない、か」
メイドが、という意味ではない。没落した貴族が、という意味だ。
ミラーナが目を丸くする。
「帝国を離れてから五年が経っていると記憶しておりますが……」
「五年前までの情勢は記憶している。それこそ、貴族の名前程度はな」
アウローラのメイドであることを誇らしく名乗ったミラーナ。ディーノが貴族であったと記憶しているセルジオという自身の家名ではなく、メイドであることを、だ。
それだけで、どのような経歴かを察せてしまい程度には、貴族の没落など帝国ではありふれていた。
この短いやり取りでミラーナの事情を察したためか、彼女の声に称賛の感情が含まれる。小さく頭を下げた。
「御見それ致しました。流石はアウローラ様の兄君でございますね」
「仮にも元皇子だ。この程度、当然だ」
「……だと、宜しかったのですが」
口籠る返答。それは、皇女とは思えないほど甘え切ったアウローラに対する含みなのか、それとも、本国にいるいずれかの皇子と比較したが故になのか。
特段興味がないディーノは、先を促す。
「それで? まさか、アウローラを連れてモストロ領域でピクニックなどという戯言は言わんだろう?」
「当然……と口にできれば最良でございましたが…………」
ミラーナの視線がアウローラへと向く。
「お兄様……」
ミラーナの視線の先では、仔猫が甘えるように身体をすり寄せる主の姿。ピクニックと言いたくなかろうが、遊び半分に見えてしまうのは否めない。
「我が主の……少々だらしない姿を見ると、そのように思われてもやむを得ないかもしれませんね。アウローラ様、この場所へ来た目的のご説明をディーノ様へお願い致します」
「……? 説明もなにも、私はお兄様に会いに来た、それだけです」
アウローラの従者は、天を仰ぐように顔を上げ、額に手を当てる。処置なしという意味だ。
唯一ディーノが血の繋がった妹と認めているのがアウローラだ。兄として、少しばかり申し訳なく思った。
「苦労していそうだな?」
「いえ、普段は生真面目な方なのですが、ディーノ様にお会いして少々気が緩んでしまっているのでしょう。ディーノ様がいなくなってから、アウローラ様も苦労なされております。少しばかり甘えることをお許し下さいませ」
出来たメイドである。彼女に仕えてもらっているアウローラは幸せ者であろう。
けれど、アウローラ本人はミラーナの言葉を遠回しな皮肉と取ったのか、居心地が悪そうにお尻の位置を調整し出した。
「……そのようなことを目の前で言われては、甘え続けるのも難しいのですけど」
「で、あれば、主として相応しい姿をお見せ頂けますと、メイドとして大変嬉しく思います」
「……はあ。わかりました」
名残惜しそうにディーノから離れると、アウローラは彼の正面で膝を付く。
これまでのお兄様大好きっぷりが嘘のように、表情を引き締めたアウローラの姿は正しく皇女であった。
「ただ、先程の言葉が嘘というわけではありません。お兄様にお会いしたかったのは本当です。こうして再会することができただけでも、私はこれまでの頑張りが報われたように感じております」
「その点は疑ってない。気にせず話を進めろ」
「感謝致します。この気持ちをお兄様に疑われたらと思うと……湖で身投げしたくなります」
「止・め・ろ」
口調に一切の冗談がなく、影の差した表情は本当に身投げをしそうな印象を受ける。やってもおかしくない態度だったため、ディーノは語調を強めて釘を刺しておく。
大抵のことは気にしないディーノだが、住処にある湖で妹が死んだとあっては笑えない。しかも、こんなくだらない理由で。
昔以上に自身への依存度が上がっているのではないかと嫌な予感に駆られていると、アウローラが真剣な眼差しを向けて来た。
「お兄様……お願いがございます」
「なんだ?」
問い返すと、両手を組み、祈るように乞うてくる。その姿はさながら神に祈る聖女のように清廉であり、美しい。そして、彼女が口にする願いもまた、穢れがなく清らかだ。
「帝国の民を救うため、大陸に平和を成すため、お兄様のお力を御貸し頂けないでしょうか?」
臣民を想い、平和を願う皇女の切なる願い。
その願いを受け止めたディーノは、しばらく瞼を閉じて黙する。
一秒、二秒と時が流れ、彼らの間を微風が吹く。
ミラーナや騎士団の面々が息を飲んで見守る中、ディーノが瞼を開くと短く返答する。
「断る」
「それならば仕方がありませんね!」
あっけらかんと、そんなことどうでもよかったと言わんばかりにアウローラは皇女モードを解除すると、お兄様大好き妹モードのスイッチを入れてディーノへと抱き着いて甘え出す。
あまりの急展開に、ミラーナや騎士団一同は呆けるしかなかった。
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