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4章 港湾都市アイラ編
176話 フラッド
彼がそれを望んだのはいつだったか
──フラッド、庶民が恒常的に消費するものは安価で広く流通されるべきではないのか?
彼がそれに疑問を抱いたのはいつだったか
──フラッド、どこかの都市群が落ちればシーラッドは瓦解する、だから脅威に対して一致団結して当たるという都市連合の防衛理念は理解出来る。しかしそれは、その危機を「確実に排除できる」前提があってはじめて通用する。はたして、どこか1都市群が外敵に奪われた時、その先のシーラッドはどうなる?
彼が何を思って行動に出たのか
──フラッド、その時はいつか必ずやって来る! だからシーラッドも変わる必要がある、いや、変わらなければならないんだ!
彼は何を自分に託したのか
──フラッド、頼む、俺はここで終わるとしても、俺やお前の子供達には未来を残してやりたいんだ! だから──
「ボクには何一つ解らなかったんだよね、友の心の中が……」
シンと向かい合ったフラッドはグラスを少しだけ傾けながら、かつて自分が裁いた友の言葉を紡ぐ。
それは告解の様でもあり、独り言の様でもあり……。
「アンタに理解出来なかったのならそれは、その友人の罪だろ。伝わらない時点でそいつの話し方に問題がある」
「見も蓋も無いねぇ。ボクが頭が悪いとは言わないのかい?」
「それを考慮しないそいつが悪い。お互い様と言う訳だ」
つまりどちらも頭が悪いらしい。
「ははは、シンは優しいねえ……」
──だから気に病むな──シンの分かり難い慰めの言葉にフラッドは少しだけ笑い、今度は古き友の事ではなく、その息子の事を話し出す。
「ロイス君──いや、クレイス君かな、無責任と言われるかもしれないけど残された家族に関しては何も手段を講じなかった。コッチもそれどころじゃなかったからね」
秘密裏に他都市群の取り扱い品を生産していた農家に対する警告と、今後それの製造をしない事、製法を伝えない事等々、口止めや他都市群への賠償、新領主としてやるべき事はいくらでもあり、遺族の行動を監視するためだけに人員を割く余裕などどこにも無かった。
第4都市群も落ち着き、ある程度の余裕が出来た段階で彼等の現在を調べた結果、長男ロイスは失踪、母娘は盗賊団によって死亡、という報告だった。
「だから、彼が名前を偽っているとは言え、生きていた事は本当に嬉しかったんだよ」
だからこそ、私情が無いかと言えば嘘になるが、傍目にも優秀な彼を手元に呼び寄せ、部下として色々と教えていった。
前領主の理念を真っ向から否定する現領主の治世を最も近い場所で見たクレイスが何を感じたか、クレイス自身にしかそれは分からない。少なくとも、彼の復讐の炎を消すには至らなかったと言う事だ。
「いずれボクの後を継いだアリオスの片腕になってくれれば、何も言う事は無かったんだけどね……」
「嫡子、それもたった一人の男子が後継を辞退するなんざ、普通は予測できねえよ」
「まったく、ボクも足元が疎かだよねえ」
ハハハと笑う2人の間に沈黙が下りる──。
アリオスの後継者辞退によりお鉢が回ってきたタレイア、双方に実績を積ませるためタレイアには比較的安定している港湾都市アイラの統治を、そしてクレイスにその補佐を、と、フラッドは期待と希望を込めて送り出したのだった。
「まあ、結果は見ての通り、彼の憎しみを測り切れなかったボクの責任だね」
「本人の言によれば、タレイアと出会って彼女を愛してしまったから、お前に復讐するんじゃなく、父親が正しかった事を証明しようとしてたみたいだぜ?」
「!! そうか……娘を愛してると言ってくれたかい」
「まあそれも、妹が生きていた事で歯車が狂ったようだが」
「……だとすればやはり、当時の彼等の状況を把握していなかったボクの責任なのかねえ……」
失政までならフラッドが手を回していくらでもフォロー出来た。だが、盗賊団を集めて第4都市群の転覆を図るのは擁護のしようが無い。
それの原因が女頭目にあるとすれば、運命とは常に悲劇と共に在るのかもしれない。
「言っておくが、俺はお前を慰めも罵倒もしねえぞ?」
「ははは──シンにはお見通しなんだねえ……うん、ありがとう」
お前は悪くないと言われれば「そんな事は無い」と自分を責める、お前のせいだと言われれば「そうだその通りだ」と自分を責める、自分で自分を責める行為に救いは無い、そこに生まれるのは、悲嘆に暮れ悲劇に酔うだけの歪んだナルシズムだ。
それこそ復讐と同じく「その先」がなければ意味が無い。
「で、愚痴はもういいだろう、これから政都はどう動くつもりだ?」
「クレイスは執政官を薬物を使って意のままに操り、アイラの市場を混乱させた。それを立て直すべく政都側が動くと見るや否や、海竜を怒らせて漁村を破壊、さらには盗賊団を第4都市群に引き込み、最終的にはシーラッド転覆を企てた。たった一人でこれだけの事をやってのけた、稀代の大悪人だね」
「前領主の息子だって情報は?」
「庶民が知る必要は無いね、各都市群の領主には伝えておくけどさ」
「それで自分は領主の座を降りる、か?」
コクン──
フラッドは何も言わず、ただ頷く。
表向きは薬物でボロボロになった娘の静養に寄り添うと言う形で勇退、領主間では、前領主の息子である事を知っていながら情に絆され登用した結果、第4都市群を混乱させた責任、という事で。
そして後継者にはアリオス=ヒューバートが若き新領主として納まる。先だってはグレートオーシャンクラブを討伐し、今回の騒乱においても第6遊撃隊を率いていち早く鎮圧に動いた、今だ混乱期の第4都市群としては血筋と武名を最大限利用できる適任者であった。
「シナリオ通りに行くかね……」
「既に代表他、都市群の領主にはその旨伝えて承認も得ているよ。息子も、一連の事態の引き金を引いたかもしれないと言う負い目があるからね、受けてくれたよ」
当然、受けなければ次の領主に相応しい能力を持った男が、妹の婿としてヒューバート家の一員となる、さすがにアリオスも断り辛かろう。
「ホント、スキが無えなあ」
「……振り返ってみれば、物事を上手い事転がすボクの背中ばかりをタレイアは見ていたのかもしれないね、それこそが最大の失敗だったよ」
力なく笑うフラッドは、愛娘の今後を想像し、すぐにその顔を歪める。
「タレイア! 次期領主にお前を望んだばかりに! 穏やかな生活も、愛する男も、そして将来も全て奪う事に!! すまない……すまない……」
両手で顔を覆うフラッドは、シンの前で号泣し、ただただタレイア、そしてクレイスへの懺悔の言葉を叫ぶように言葉を綴った。
そしてシンは、それを静かに聞いていた──
──────────────
──────────────
そして、
「──すまなかったね、長々と引き止めてしまって」
「構わないさ、予定に縛られる人生でもないしな……そういえば、一つ聞いていいか?」
「何かな?」
「前領主は昔からシーラッドの体制に懐疑的だったのか?」
「そういえば、そんな話は聞いた事が無いねえ……そういえば」
「ん?」
「彼は昔から世界を救った勇者の話が好きでね、1000年前の勇者に関する文献を集めていたよ」
「?????」
シンはいきなり斜めの方向に飛んだ話の内容に首を傾げる。
フラッドは続ける。
「ある日、彼はボクに勇者の世界の話を聞かせてくれたんだ」
──知ってるか? 世界を救うべく女神によって遣わされた異世界の勇者、彼の世界では生活に必要な物は全て、驚くほど安かったらしい。
誰しも最低限の人間らしい生活を営む権利がある、それが勇者の住んでいた世界での基本理念だったんだそうだ──
「もしかしたら彼は、勇者の世界のあり様こそが正しい世界だと思ったのかもしれないね……」
よそはよそ、ウチはウチ──こんな簡単な理屈が分からない彼ではないはずなのに、そう締めくくったフラッドに、しかしシンは難しい顔を浮かべる。
「1000年前の勇者か……もしかしたらその辺が原因かもな」
「!? シン、どういう事だい? 何か分かったっていうのかい!?」
「想像でよければな、フラッド、知ってるか? 西大陸と魔属領の間に存在する、世界を隔てる大結界の事を」
「そりゃあもちろん、大結界があるからこそ今のボク達の平和が保たれているんだからね」
「あの結界だがな、あと10年と少しで消えるぞ」
なんでもない事のように告げるシンの言葉は、フラッドをたっぷり10秒間、硬直させることに成功した。
「……シン、今キミはなんと?」
「事実から目を逸らしても良い事は何一つ無いぜ? あの結界の寿命は1000年、つまりあと13……もうすぐ年も改まることだし12年だな、向こうの世界と繋がるまで」
「──まさかタルシスは!?」
「その事を知って、今のシーラッドじゃ危険だと思ったのかもしれないな。それこそ末端を切り離してでも全体を延命させる方法しかないと」
全ては推測の域を超えない、しかし結界が消失するのは確実にやって来る未来であり、その事を記した文献をどこかで前領主が見た可能性が無いとは言えない。
「シン、キミは──」
「旅の薬師なんでね、旅先で色々聞いた事があるだけさ」
それ以外の追求を認めないシンの態度に、フラッドもそれ以上何も言わず、ブツブツと小声で何か呟いている。
その顔は既に第4都市群現領主のものであった。
「──シン、情報提供に感謝するよ。他の領主や代表がこの情報をどうするかまでは分からないけど、黙っている訳にもいかないからね」
「どういたしまして。ところで、前領主は勇者の話はどこで集めていたんだ?」
「確か、ハルト王国には文献が多く残っているとかで、国外に持ち出せない貴重な文献を見るため、年に1~2回仕事を部下に任せて遠出をしていたはずだよ」
「……ハルト王国かよ」
シンは顔を顰めながら舌打ちをする。
今現在、ハルト王国と揉めた事実はないが因縁はある、正直関わりを持つのは御免被りたい国である。
ただ、大結界の寿命など、世に知られていない情報がかの国にあると言うのであれば、いつか、ほとぼりが冷めたであろう時期に訪れるべきかもしれない。
思わぬ所で意外な名前を聞いたシンは、フラッドに謝意を伝え、お互い用事は済んだとシンは席を立つ。
そこに、
「シン……ボクは如何すべきだったんだろうね」
第4都市群の為、シーラッドの為、彼は友を裁き、その息子を裁き、娘を不幸にした。
彼の献身に対する報酬はなんだというのだろう?
「フラッド、正しいと思った行動が常に報われる訳でも無いし、間違わない事が正解な訳でも無い。同時に、今が不幸に思えても、それは将来への布石なのかもしれない。まあなんだ──」
明日は誰にも分からない、歩いた先に何があるのか、どこに向かっているのか。
だから──
「それでも明日は今日より良い日だと信じて生きることだな」
「──使徒様は優しいね」
「なんか言ったか?」
「いいや何も……シン、もうボクは領主ではなくなる、ただのフラッドと言う名のおじさんだ。そんなボクならキミの友達になれるかな」
「鼻突っつき合わせて本心を語れば、それはもう友達ってことだろ? まあ俺は本心なんか語っていないがな」
そういって笑うシンの悪戯っぽい笑顔を見たフラッドは、
「ありがとう、友達──」
「またな、悪友──」
パタン──
扉が閉まり一人となったフラッドの私室、そこでは一晩中、フラッドの泣く声が聞こえていた──。
──フラッド、庶民が恒常的に消費するものは安価で広く流通されるべきではないのか?
彼がそれに疑問を抱いたのはいつだったか
──フラッド、どこかの都市群が落ちればシーラッドは瓦解する、だから脅威に対して一致団結して当たるという都市連合の防衛理念は理解出来る。しかしそれは、その危機を「確実に排除できる」前提があってはじめて通用する。はたして、どこか1都市群が外敵に奪われた時、その先のシーラッドはどうなる?
彼が何を思って行動に出たのか
──フラッド、その時はいつか必ずやって来る! だからシーラッドも変わる必要がある、いや、変わらなければならないんだ!
彼は何を自分に託したのか
──フラッド、頼む、俺はここで終わるとしても、俺やお前の子供達には未来を残してやりたいんだ! だから──
「ボクには何一つ解らなかったんだよね、友の心の中が……」
シンと向かい合ったフラッドはグラスを少しだけ傾けながら、かつて自分が裁いた友の言葉を紡ぐ。
それは告解の様でもあり、独り言の様でもあり……。
「アンタに理解出来なかったのならそれは、その友人の罪だろ。伝わらない時点でそいつの話し方に問題がある」
「見も蓋も無いねぇ。ボクが頭が悪いとは言わないのかい?」
「それを考慮しないそいつが悪い。お互い様と言う訳だ」
つまりどちらも頭が悪いらしい。
「ははは、シンは優しいねえ……」
──だから気に病むな──シンの分かり難い慰めの言葉にフラッドは少しだけ笑い、今度は古き友の事ではなく、その息子の事を話し出す。
「ロイス君──いや、クレイス君かな、無責任と言われるかもしれないけど残された家族に関しては何も手段を講じなかった。コッチもそれどころじゃなかったからね」
秘密裏に他都市群の取り扱い品を生産していた農家に対する警告と、今後それの製造をしない事、製法を伝えない事等々、口止めや他都市群への賠償、新領主としてやるべき事はいくらでもあり、遺族の行動を監視するためだけに人員を割く余裕などどこにも無かった。
第4都市群も落ち着き、ある程度の余裕が出来た段階で彼等の現在を調べた結果、長男ロイスは失踪、母娘は盗賊団によって死亡、という報告だった。
「だから、彼が名前を偽っているとは言え、生きていた事は本当に嬉しかったんだよ」
だからこそ、私情が無いかと言えば嘘になるが、傍目にも優秀な彼を手元に呼び寄せ、部下として色々と教えていった。
前領主の理念を真っ向から否定する現領主の治世を最も近い場所で見たクレイスが何を感じたか、クレイス自身にしかそれは分からない。少なくとも、彼の復讐の炎を消すには至らなかったと言う事だ。
「いずれボクの後を継いだアリオスの片腕になってくれれば、何も言う事は無かったんだけどね……」
「嫡子、それもたった一人の男子が後継を辞退するなんざ、普通は予測できねえよ」
「まったく、ボクも足元が疎かだよねえ」
ハハハと笑う2人の間に沈黙が下りる──。
アリオスの後継者辞退によりお鉢が回ってきたタレイア、双方に実績を積ませるためタレイアには比較的安定している港湾都市アイラの統治を、そしてクレイスにその補佐を、と、フラッドは期待と希望を込めて送り出したのだった。
「まあ、結果は見ての通り、彼の憎しみを測り切れなかったボクの責任だね」
「本人の言によれば、タレイアと出会って彼女を愛してしまったから、お前に復讐するんじゃなく、父親が正しかった事を証明しようとしてたみたいだぜ?」
「!! そうか……娘を愛してると言ってくれたかい」
「まあそれも、妹が生きていた事で歯車が狂ったようだが」
「……だとすればやはり、当時の彼等の状況を把握していなかったボクの責任なのかねえ……」
失政までならフラッドが手を回していくらでもフォロー出来た。だが、盗賊団を集めて第4都市群の転覆を図るのは擁護のしようが無い。
それの原因が女頭目にあるとすれば、運命とは常に悲劇と共に在るのかもしれない。
「言っておくが、俺はお前を慰めも罵倒もしねえぞ?」
「ははは──シンにはお見通しなんだねえ……うん、ありがとう」
お前は悪くないと言われれば「そんな事は無い」と自分を責める、お前のせいだと言われれば「そうだその通りだ」と自分を責める、自分で自分を責める行為に救いは無い、そこに生まれるのは、悲嘆に暮れ悲劇に酔うだけの歪んだナルシズムだ。
それこそ復讐と同じく「その先」がなければ意味が無い。
「で、愚痴はもういいだろう、これから政都はどう動くつもりだ?」
「クレイスは執政官を薬物を使って意のままに操り、アイラの市場を混乱させた。それを立て直すべく政都側が動くと見るや否や、海竜を怒らせて漁村を破壊、さらには盗賊団を第4都市群に引き込み、最終的にはシーラッド転覆を企てた。たった一人でこれだけの事をやってのけた、稀代の大悪人だね」
「前領主の息子だって情報は?」
「庶民が知る必要は無いね、各都市群の領主には伝えておくけどさ」
「それで自分は領主の座を降りる、か?」
コクン──
フラッドは何も言わず、ただ頷く。
表向きは薬物でボロボロになった娘の静養に寄り添うと言う形で勇退、領主間では、前領主の息子である事を知っていながら情に絆され登用した結果、第4都市群を混乱させた責任、という事で。
そして後継者にはアリオス=ヒューバートが若き新領主として納まる。先だってはグレートオーシャンクラブを討伐し、今回の騒乱においても第6遊撃隊を率いていち早く鎮圧に動いた、今だ混乱期の第4都市群としては血筋と武名を最大限利用できる適任者であった。
「シナリオ通りに行くかね……」
「既に代表他、都市群の領主にはその旨伝えて承認も得ているよ。息子も、一連の事態の引き金を引いたかもしれないと言う負い目があるからね、受けてくれたよ」
当然、受けなければ次の領主に相応しい能力を持った男が、妹の婿としてヒューバート家の一員となる、さすがにアリオスも断り辛かろう。
「ホント、スキが無えなあ」
「……振り返ってみれば、物事を上手い事転がすボクの背中ばかりをタレイアは見ていたのかもしれないね、それこそが最大の失敗だったよ」
力なく笑うフラッドは、愛娘の今後を想像し、すぐにその顔を歪める。
「タレイア! 次期領主にお前を望んだばかりに! 穏やかな生活も、愛する男も、そして将来も全て奪う事に!! すまない……すまない……」
両手で顔を覆うフラッドは、シンの前で号泣し、ただただタレイア、そしてクレイスへの懺悔の言葉を叫ぶように言葉を綴った。
そしてシンは、それを静かに聞いていた──
──────────────
──────────────
そして、
「──すまなかったね、長々と引き止めてしまって」
「構わないさ、予定に縛られる人生でもないしな……そういえば、一つ聞いていいか?」
「何かな?」
「前領主は昔からシーラッドの体制に懐疑的だったのか?」
「そういえば、そんな話は聞いた事が無いねえ……そういえば」
「ん?」
「彼は昔から世界を救った勇者の話が好きでね、1000年前の勇者に関する文献を集めていたよ」
「?????」
シンはいきなり斜めの方向に飛んだ話の内容に首を傾げる。
フラッドは続ける。
「ある日、彼はボクに勇者の世界の話を聞かせてくれたんだ」
──知ってるか? 世界を救うべく女神によって遣わされた異世界の勇者、彼の世界では生活に必要な物は全て、驚くほど安かったらしい。
誰しも最低限の人間らしい生活を営む権利がある、それが勇者の住んでいた世界での基本理念だったんだそうだ──
「もしかしたら彼は、勇者の世界のあり様こそが正しい世界だと思ったのかもしれないね……」
よそはよそ、ウチはウチ──こんな簡単な理屈が分からない彼ではないはずなのに、そう締めくくったフラッドに、しかしシンは難しい顔を浮かべる。
「1000年前の勇者か……もしかしたらその辺が原因かもな」
「!? シン、どういう事だい? 何か分かったっていうのかい!?」
「想像でよければな、フラッド、知ってるか? 西大陸と魔属領の間に存在する、世界を隔てる大結界の事を」
「そりゃあもちろん、大結界があるからこそ今のボク達の平和が保たれているんだからね」
「あの結界だがな、あと10年と少しで消えるぞ」
なんでもない事のように告げるシンの言葉は、フラッドをたっぷり10秒間、硬直させることに成功した。
「……シン、今キミはなんと?」
「事実から目を逸らしても良い事は何一つ無いぜ? あの結界の寿命は1000年、つまりあと13……もうすぐ年も改まることだし12年だな、向こうの世界と繋がるまで」
「──まさかタルシスは!?」
「その事を知って、今のシーラッドじゃ危険だと思ったのかもしれないな。それこそ末端を切り離してでも全体を延命させる方法しかないと」
全ては推測の域を超えない、しかし結界が消失するのは確実にやって来る未来であり、その事を記した文献をどこかで前領主が見た可能性が無いとは言えない。
「シン、キミは──」
「旅の薬師なんでね、旅先で色々聞いた事があるだけさ」
それ以外の追求を認めないシンの態度に、フラッドもそれ以上何も言わず、ブツブツと小声で何か呟いている。
その顔は既に第4都市群現領主のものであった。
「──シン、情報提供に感謝するよ。他の領主や代表がこの情報をどうするかまでは分からないけど、黙っている訳にもいかないからね」
「どういたしまして。ところで、前領主は勇者の話はどこで集めていたんだ?」
「確か、ハルト王国には文献が多く残っているとかで、国外に持ち出せない貴重な文献を見るため、年に1~2回仕事を部下に任せて遠出をしていたはずだよ」
「……ハルト王国かよ」
シンは顔を顰めながら舌打ちをする。
今現在、ハルト王国と揉めた事実はないが因縁はある、正直関わりを持つのは御免被りたい国である。
ただ、大結界の寿命など、世に知られていない情報がかの国にあると言うのであれば、いつか、ほとぼりが冷めたであろう時期に訪れるべきかもしれない。
思わぬ所で意外な名前を聞いたシンは、フラッドに謝意を伝え、お互い用事は済んだとシンは席を立つ。
そこに、
「シン……ボクは如何すべきだったんだろうね」
第4都市群の為、シーラッドの為、彼は友を裁き、その息子を裁き、娘を不幸にした。
彼の献身に対する報酬はなんだというのだろう?
「フラッド、正しいと思った行動が常に報われる訳でも無いし、間違わない事が正解な訳でも無い。同時に、今が不幸に思えても、それは将来への布石なのかもしれない。まあなんだ──」
明日は誰にも分からない、歩いた先に何があるのか、どこに向かっているのか。
だから──
「それでも明日は今日より良い日だと信じて生きることだな」
「──使徒様は優しいね」
「なんか言ったか?」
「いいや何も……シン、もうボクは領主ではなくなる、ただのフラッドと言う名のおじさんだ。そんなボクならキミの友達になれるかな」
「鼻突っつき合わせて本心を語れば、それはもう友達ってことだろ? まあ俺は本心なんか語っていないがな」
そういって笑うシンの悪戯っぽい笑顔を見たフラッドは、
「ありがとう、友達──」
「またな、悪友──」
パタン──
扉が閉まり一人となったフラッドの私室、そこでは一晩中、フラッドの泣く声が聞こえていた──。
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