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第一章「吸血鬼の噂」

プロローグ / 一話「吸血鬼現る」

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 夜の公園にいた。
 私は幼児のような小さな姿で、がくがくと体を震わせる。目の前にいる男を見上げた。
 ずいっと彼の顔がこちらに近づく。

「…………っ、」

 俯いてぎゅっと目をつぶると同時に、声をかけられた。

「夜の公園に女の子が一人でいるなど感心しないな」

 その声と口調は思いのほか優しい。だが、キラリとひときわ尖った歯が垣間見え、私のなかから怖いという感情が消えることはなかった。
 街灯に照らされた銀の髪がさらさらと揺れ、瞳はあやしく赤色に光っている。

「……ぐすんっ」

 吸血鬼なんだろうか、そう考えると私は自然と泣いていたのだった。震えの止まらない体を守るように縮こませる。

「はは、そんなに怖がらなくともいい。先ほど血をいただいた女は貧血で倒れただけだ」

 やはり吸血鬼なんだ、逃げなきゃ。そう思って後ずさろうとしたときだ。

「ん……」

 唇にやわらかな感触。目の前で輝く銀の髪。

「…………っ!?」

 驚きのあまり、涙は止まっていた。おそるおそる私は唇に触れる。
 吸血鬼を見つめていたら、彼の手が頭に乗った。びくりと私の肩が跳ねる。

「ふっ、十年後にまた会えるというまじないだ」
「十年後?」
「ああ。そのときに、君のその甘い血をいただくとしよう」

 そして、吸血鬼は闇の中へと去っていった。


*****


「夢……か、はあ……」

 見慣れた部屋は、私を安堵させるには十分だった。
 時刻は七時十八分。いつも起きる時間よりも少しだけ早い。
 私は体を起こしてカーテンに歩み寄る。カーテンを開けると、朝日はさらに部屋に入り込んだ。眩しくて反射的に目を閉じれば、瞼の裏にあの吸血鬼が過ぎった。

 嫌な、夢。
 
 過去にも何度か似たような夢を見たことがある。だが、私の過去の記憶にはないもの。そう、あれはやっぱり夢なんだ。
 自然とカーテンを握る手に力が込もる。吸血鬼なんているはずないのに、バカみたいな夢。
 そういえば、夢の吸血鬼の顔、最近出会った誰かに似ている気がする。

「誰だっけ」

 まあ、いいか。その人が吸血鬼に似ているからなんだというのか、という話だ。

 それから、いつもどおり朝食を食べて家を出た。部活はやっていない私にもちろん朝練はない。学校も近いので、出発する時間はかなり遅い。
 六組まで歩いている途中、引き寄せられるように私の顔が三組に向いた。ある男子生徒と目が合う。
 そうだ。思い出した。夢の吸血鬼に似ているのは、一昨日の生徒会で出会った人だ。確か、久徳とかいう名前だった。

 彼は、長身細身のどこか妖しい雰囲気を放つ、到底同い年には見えない容姿をしている。しかし、切れ長の目と美しい髪はどちらも黒。吸血鬼のものとはかけ離れた色だ。

「………………」

 釘付けにされていたら、久徳がふっと笑みを浮かべた。なんだかぞっと寒気がしたので、すぐに視線を逸らした。早歩きでクラスに向かう。教室に足を踏み入れようとしたその瞬間、肩に大きな手の感触。

「おはよう、奥山」

 振り返ると、そこには久徳の姿が。途端にそわそわし出す自分の心が少し怖い。そして、同時に思い出す夢の内容、吸血鬼の顔。久徳は銀色の髪も真紅の瞳も持ち合わせていないのに、どうしてだか脳裏でかぶる。

「そんなに俺を見つめて、何か用事があるのか?」

 久徳が私の顔を覗き込む。絹糸のような黒髪がさらりと額にかかり、髪の間から見える淫靡さを秘めた瞳が私をとらえた。

「べ、別に」

 私は逃げるように教室へ入って行った。
 それからして、クラス中で話されている内容が「昨日、また吸血鬼が女性を襲った」というものだと気付いた。
 と言うのも、ここ赤羽市内では3ヶ月ほど前から「女性が血を吸われた後に意識を失って倒れている」という事件が度々起こっているのだった。そして、女性は揃って「吸血鬼に襲われた」と証言しているのである。
 ふと、夢の中の吸血鬼が脳裏に浮かんできたのは気のせいだと信じたい。

 その日の晩だった。宿題をしていたらコンコンとしきりに何かを軽く叩くような音が聞こえた。無視していられなくなって、私は耳を立てて音の鳴る場所を探ってみた。

「……ここ?」

 カーテンの方からのようだったので、私は恐る恐る開けてみた。

「うぇっ……?!」

 そこにいたのは久徳だった。あまりに吃驚したので、調子外れな声が出た。

 こっわ! っていうかここ二階なのに、どうやって上がったんだよ。マジで怖いって!

 なんて思ってたらさらに恐怖心の湧き起こることが起こった。
 ガチャ、と音がしたのだ。
 鍵が開くような。そう、つまり、鍵が開いたということなのだが、ガラガラと窓を開けて入ってきやがった。

「こんばんは、奥山」
「いやいや、こんばんはじゃないでしょ、何してんの……」
「会いに来たんだ」

 何してんのとは言ったが、私が聞きたいのはそういうことじゃない。何なんだ、この人。

「たいして知りもしない人の家に乗りこんで頭おかしいでしょ……今なら警察呼ばないであげるし出てって」

 しっしっと手で払ったが、久徳はさらに一歩詰めてくる。私は自然と後退り、とうとうベッドの縁に足が当たるまで追い込まれた。
 次に出した声は震えていた。

「で、出てってば」
「客人を追い返すだなんて、奥山はつれないな」
「まず客人じゃな、」

 と言いかけたときだ。久徳がもう一歩近寄り、頬に手を添えた。もう片方の手は腰に手をかけられ、キスでもされそうな距離にまでなっていた。

「きゅ、久徳……」

 見上げればすぐそこに、久徳の整った顔。真っ直ぐと見据えてくる瞳は黒い。それなのに、あの赤く妖しい目を思い出してしまう。
 彼の細くしなやかな指が私の前髪をさっと避け、額にキスを落とされた。

 「うっ……!」

 口付けられたことに驚く暇もなく、ずきり、と頭が鋭く痛んだ。私は左手で頭を押さえる。そうしている間にも、どくん、どくん、と心臓が脈打つのが早まる。
 そして、それとともに蘇る記憶。

 ああ、思い出した。
 私、この吸血鬼ひとに出会っている。

 あれは夢なんかじゃない。あの夜、私がまだ6歳くらいのとき、あの公園で……

 私の唇を奪った吸血鬼は、彼なんだーー
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