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5.目覚めた芸術品
「ひと月…寝込んでいましたか」
予想していたより長い時間が経っていたらしい。
私がゆったり出来るようにと気を配りつつこれまでの事を話すルルに感心しつつ、ソファを運び込んだという事はルルとララ以外にも使用人がいるのかと背中に当たる柔らかいクッションにもたれながら話を続けた。
こんなにだらしない姿勢でくつろぐのは初めてだ。
「通常なら喉は怪我しても回復が早いものですが、身体に回っていた毒と、元々弱っていた上に出血量も多かったので
医者もよく生きていられたと驚く程には危ない状態でした。」
「なるほど…あ、ウォルター様は私の用意した解毒剤で大丈夫でしたか?」
「そこは大丈夫です。元々治癒能力は人間より高いので直ぐに回復されました。」
「それは良かった…すみません、私がこのような体質だと説明する間もなく」
「主様の油断が招いた事なのでお気になさらず」
「………ルル、お茶をいれてこい」
「レナード様と僕が会話をしているだけで嫉妬ですか?見苦しいですよ。主様」
バッサリと切り伏せるように言葉を返しつつも、「貴方には少しでも栄養がとれるようにスープをお出ししますね」と付け足して
執務室を出て行ったルルに礼を言ってウォルターへと向き直った。
この屋敷で出会ったウォルター、ルル、ララの三人の中ではルルが一番表情が豊かだと感じた。
目の前でムスッとしながらも忙しなくペンを動かして仕事を片付けている姿に、
まさか自ら世話を焼いてくれると思ってもみなかったから申し訳ないなと寝泊まりしていた部屋でのやり取りを思い出した。
介助がやけに慣れていて、もしかしたら自分が知らないだけで眠っている間もウォルター自らが看病してくれていた可能性がある。
恐らくはウォルターが吸血鬼という特殊性もあってこの屋敷の使用人の数は多くないのだろう。
それでいて人間の公爵という肩書きも持っており、領地を運営しているとなれば多忙を極めている筈だ。
レナードも領地の運営はしていたからその忙しさを理解している。
(…あぁ、ひと月ともなれば侯爵領の状況も動いているか)
成人してから、正式に家督を継ぐ事が可能になってデュジー夫妻は様々な言い訳や方法でそれを阻止していた。
王都に向かって腕の良い医者に治療してもらえと体良く屋敷を追い出されたのも
領地の権利書など侯爵家を自分達の所有物にする為に必要な物の家捜しをするのが目的だろう。
あわよくば道中で死んでくれれば自分達は知らない所で起こった事故だと言い張ろうとしていた。そんなところか。
しかし、これまで散々毒を盛り鞭を打ち付けて来ていたくせに殺すという手段には出れない揃って小心者なデュジー夫妻だ。
表面上は怯えて支配されている傀儡に見せておいて、万が一にでも殺された場合を想定して手は打っておいた。
──予想外に吸血鬼の餌にはなったが、その点に問題は無い。
ウォルターを見つめていたはずが、いつの間にか思考の海を漂っている私はウォルターが逆に私を見つめている事など気が付かないのだった。
───このひと月、ウォルターは屋敷に籠って仕事をこなしながら頻繁に鍵付きの部屋を訪れては白髪の多く交じった金髪を眺めていた。
錆柄の猫のように斑な色合いの頭髪、顔は痩せこけてこそいるが端正な見た目をしている。
眠っている間の薄い唇がほんの少しだけ開いている様に、何度この舌を差し込んで掻き乱したいと思ったか…いや、何度かは…唇を重ねるだけに留めたが。
世話を焼いていくうちに絆された部分もあるが
血を吸いきって殺してしまわなくて良かったと後から安堵した程度にはレナードの顔を気に入っている。
美しい顔の完成された姿が見たい。
その欲が抑えきれなくなったのか、どうにも自分が世話を焼きたくなって基本的にはララが世話をしていたが、仕事の合間を縫っては
眠っているレナードに少しずつ水を飲ませたり身体を拭いたりと甲斐甲斐しく世話をしていた。
時折、我慢出来なくなって口から溢れてしまった水を舐め取りつつ少々の悪戯は働いてしまったが、意識のあるレナードに先程やらかしてしまって気まずい空気が流れたので控えた方がいいのかもしれない。
しかし、先程の顔を赤らめたレナードの破壊力はウォルターの心臓が一瞬動きを止めてその後激しく動き出してしまう位には凄かった。
「…ウォルター様?」
ウォルターはウォルターでしっかり思考の世界に旅立っていたが、先に意識を戻したらしいレナードに声を掛けられハッとして止まった手元を見た。
気付けばペンが止まって紙にインクが滲んでしまっている。
書き直しだと新しい紙を出しながら「なんだ」とそっけなくレナードに返したものの、声が出せるようになったレナードは男性の中ではやや高めでよく通る美しい声をしている。
生ける芸術品のような人間だとウォルターは心の中でレナードの声を噛み締めていた。
「すみません、仕事の邪魔になりそうですし、私は部屋に…」
「疲れたらそのまま横になれ。もうすぐスープも出来上がる筈だ」
「はい。…すみません、ではお行儀が悪いですが、このまま姿勢を崩させて頂きますね」
内心では傍に置く言い訳ばかり考えているウォルターに気が付かないレナードは、ひとまず姿勢を崩している事に断りを入れた。
クッションは用意されているが背筋は伸ばすものだと叩き込まれているレナードは使用するという選択肢が通常ならばまず出ない。
しかし姿勢良く座り続けるには体力が落ちすぎた。
まともに座ることすら難しいらしいレナードが全身の力を抜き、ゆっくりと背もたれに身体を沈めると自然と息が口から漏れ出た。
きついのかと心配するウォルターに大丈夫ですと返したものの、久しぶりに起き上がった身体はまだ休息を求めているらしく、
しばらくは意識を保とうと努力していたが五分もしないうちにレナードはスゥスゥと寝息を立てていた。
「…お休みになりましたか。執務室に連れて来るのは負担が大きかったのでは?」
「ならば俺の寝室に机を運び込め。暗くても書類の文字は読める」
お茶とスープを運んできたルルは眠っているレナードに気付いて静かに自分の主人へ問いかけたが、
あくまでも傍に居ると、しかもどさくさに紛れて自分の寝室に連れ込もうとする姿に溜息をついて「とりあえず今はこのままにして、寝室を整えてきます。明かりはもう少し減らした方が良いかと」とルルは静かにお茶を置いて再び執務室を出て行った。
このひと月で主人がこの人間に夢中になっているなど重々承知している事実だ。
今までは最低限しか目覚めない寝たきり状態だったが、目を覚ましたら大変な事になりそうだと予想はしていた。ここまでとは思っていなかったが。
(主様、そもそも貴方様にこのような感情が存在していた事が予想外すぎました。)
口ではまったく、と呟きつつ、常にツンとすましている顔を崩して笑う少年の顔は見た目の年相応の表情だったが、それを目撃した人は誰も居ないのだった。
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