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7.体力がなさすぎて
「湯着にじぶんできがえられたら、おふろにもはいれるとおもいます」
「そうですね。体力は落ちていますがそれくらいは出来ると思います」
車椅子で浴室まで連れられ、公爵家の屋敷に相応しくタイルを張られた床に木製の椅子や棚が置かれているが
車椅子でも問題ない広さが確保されており、奥の方にはカーテンで囲まれた空間が見える。
そこに湯船があるのだろう。
髪だけを洗う予定だったようだが、出来ればお風呂に入らせてもらえないだろうかとララに問いかけたら色良い返事が返ってきた。
湯着を手渡されて、湯舟の方の支度をすると言ってカーテンで仕切られた向こう側へと行くララ。
寝込んでいる間に身体を拭いてもらっていたとはいえ、あまり見せたいものでは無い。だから正直助かったなとピンクのスカートがふわふわ揺れてカーテンの向こうへと消えたのを見届けてからシャツのボタンを外した。
(餌といえど清潔感がなければ失礼だ…とはいえ、相変わらず中身は醜い身体だけど)
服を脱ぐ。そして露わになる肢体。それだけでレナードの心は氷のように冷たく固まっていく。
痩せぎすの身体付きよりも際立って主張する無数の鞭跡。時には出血も伴い、茶色く変色した線が刻まれているこの身体を、主に世話をしていたであろうララに見られていたとなると恥ずかしさよりも申し訳なさが先立つ。
軽く頭を振って雑念を払い、久しぶりに自分で立ち上がるのだから慎重にならねばとゆっくりと車椅子から立ち上がれば、
予想通り目眩に襲われて倒れないように足を踏ん張ったが結局崩れ落ちてしまって外で控えているララが心配の声をかけてきた。
大丈夫だと返してどうにか立ち上がる。ここまで体力が落ちてるとは。
時間をかけて湯着を身に付け、ララを呼べばピンクのスカートがふわりと舞う位には急いでこちらに駆け付けて大丈夫かと改めて伺ってきた。
「たおれましたか?いどうは車椅子でしますか?」
「いえ、大丈夫。…歩けます」
動かさなければ衰えた筋力も戻らない。
これくらいは出来なければと背筋を伸ばして足を動かし…時間は掛かったが湯舟に無事浸かることが出来た。湯舟の端に首を置いてそこから頭を洗ってもらう。
こうして世話してもらうと分かる。ララは子供の姿をしているが立派なプロのメイドだ。
優しく頭皮を揉みほぐす手付きがそれを証明している。ウォルターの髪もララが櫛を通したりと手入れをしている様子を見たことがあるが…この双子は万能すぎるなとつくづく思う。
それに、湯には香油を入れてくれたのだろう。良い香りがして至れり尽くせりだ。心身が解れるような心地良さにだんだん眠気が襲ってきていた。
こんな所で寝ようなんて、気を抜きすぎているな…
「あの、これ以上は…眠ってしまいそうです…」
「おねむりになったら、ころあいをみて起こします」
「…すみません…」
うとうととしながらも、レナードはどうにか眠気を訴えたがララが中途半端と思うタイミングで髪を洗うのを止めるのは申し訳なくて、寝るのを堪えていた。
しかし瞼の重みに耐えきれなくなるまでそう時間もかからなかった。
静かに頭皮をマッサージしていたララは、指に引っかかる感触に気付いて髪をかき分けて確認すると茶色く変色した皮膚が浮き出るようにそこにあった。
「ここ、傷跡があります。さわるといたみますか?……おやすみなさいませ」
ウォルターに「この男はきっと、この身体を見られたくはないだろう。ララはしなくていい」とレナードの世話を断られた事がある。だから湯着も自分で着てもらった。
いつもは霞がかった思考が、最近少しハッキリとしてきていると自覚しているララは、レナードの頭に残る傷跡で以前のウォルターの言葉がどういうことか理解出来た。
(わたしにも、おそろいの模様、あります)
ぼんやりとした記憶の先にある、暗いモヤ。この人もきっと、同じものを心に持っている。
傷跡は触れないようにして、白髪の多く混じる金髪を撫でるように、ララは早く主様のように艶やかな髪にしてあげたいと苦労を語る髪を慈しむように洗うのだった。
「レナード様を、このまま見殺しにするおつもりで?」
「…」
「治療はしていますが、10年に及ぶ服毒によりあの方の身体はもうどうしようもなく、残り少ない命を穏やかに過ごせるように出来るくらいだ、と」
「分かっている。俺もそこに居ただろう」
眠っているレナードを医者に診察してもらった時の言葉を繰り返すルルに、ウォルターは舌打ちをして握っていたペンを書類の上に放った。ルルが言いたい事など理解している。
「レニーの意志の確認からだ。」
「そうやって勝手に愛称つけるくらいには熱を入れてるくせに」
「ルル…」
ギロリと睨み付けるウォルターに怯えるルルではない。
真っ直ぐに視線を向けてしばらく無言で互いを牽制していたが、やがてウォルターの方がそっぽを向いて不貞腐れる。
「レニーの為と言いながら、お前はララの事しか考えてないだろ。」
「当然です。レナード様も良い方ではありますが、僕の最優先はララです。…姉が、30年振りに笑ったんだから、希望だって抱くでしょう」
寂しそうに下を向く小さな頭を眺めて溜息をついた。
ララはあまり喋れず、表情も取り繕うレナードとは違う完全な無表情が常だ。それをルルがいつもただ静かに見守っているしか出来なかったのも知っている。だが…
「…兎に角、今はまだ、何もしない。」
「………ヘタレ」
「おい」
「それより髪を洗うだけにしては時間がかかってますね。様子を見てきましょうか」
サラッと暴言を吐いて部屋を出て行ったルルに「この1ヶ月でやけに気が強くなったな…」と溜息混じりに仕事の続きをしようとペンを握ったが、
小走りで帰ってきたルルに「レナード様がお風呂で力尽きてしまったようです」と報告を受けてまた直ぐにペンを放ることになるのだった。
「……こんなに、起きられないなんて…」
レナードが次に目を覚ました時はウォルターの私室に置かれているソファに居て、しっかり寝着に着替え終わっていたし
定位置化しつつあるウォルターの太腿の上で横抱きにされていた。
風呂で髪を洗ってもらっていた。香油の香りが染み付いた身体と全身のスッキリ感が間違いなくそれが現実だったと伝えている。
ララが湯舟から出してくれたかと言えば…それは不可能だろう。水を吸った湯着と成人男性の重みに耐えられる筈がない。
となると、この屋敷でレナードと面識があって運べる成人男性はウォルターしか居ない訳で…
「あの、ここまでの世話は」
「俺が全てしたが」
「大変申し訳ありません…」
「湯舟まで歩いたんだろう?疲れたんだ。」
子供のように抱き上げられるのも慣れたが、当たり前のようにレナードの髪に鼻を擦り付けて匂いを嗅いでいるウォルターにも、やや慣れてきてしまった。
起きている間にされるスキンシップの多さが物語る距離感。その度に自分は餌だと心の中で反芻するレナードにウォルターは気が付いているだろうか?
それを確かめるべくウォルターの顔を見たい気持ちもあるが、
しかしレナードはあの醜い身体をこの人に見られてしまったのかと思うと胃のあたりがずっしり重い石でも飲み込んだかのような心地で、無意識に自分の身体を抱き締めていた。
「主様、レナード様はお目覚めになりましたか?」
「…あぁ。だがまだ目覚めたばかりだ。食事はもう少し後に」
「お薬を飲む為には食事をなさらなければなりません。主様、レナード様は回復が必要です」
私室のドアをノックして静かに顔を出したルルが様子を伺いつつ釘を刺すようにウォルターへと告げると小さく舌打ちして
「食堂に連れて行くからそこに用意しろ」と渋々返事をした主人を見て大きな溜息をつきながら礼をしてまたドアを閉めて行った。
ふんと鼻息ひとつついて向き直ったウォルターは間近にある群青色が戸惑いを隠せないように揺らめいて見えて、
たまらず己の唇を小さな額に押し付けた。
恐らくは、寝落ちたレナードを湯舟から出したり着替えさせたり、その全てをウォルターが世話したと聞いて身体を見られてしまったとショックを受けているのだろうと予想は出来ている。
実は、今回に限らず寝込んでいるレナードの身体を拭いたりするのも、屋敷に連れて来た時からウォルターが一人でしていて
ルルとララはレナードの服の下を見た事がない。
医者とウォルターだけが知っている事なので湯舟に浸かったと聞いた時は内心焦った。
ララは裸を見ていないようだったのでレナードが自分で着替えなどしたが、体力の限界で力尽きたのだろう。
ここ数日、ようやく固形物を少し口にして一日のうち数時間は起きるようになったが
身体はまだ衰弱しきっていて動き回る事はせずほとんど寝て過ごしている。
厄介な事に表情を作るのが上手いので、ララにこの仮面を見抜くのは無理だ。レナードが涼しい顔で大丈夫だと言われればそう信じた筈だ。
食事の用意や掃除で必要以上に顔を合わせないララに何も言わずに任せた自分のミスだとウォルターは反省していた。
あの時は、髪を洗うと聞いて少し表情を明るくしたレナードが可愛かったから…と言えばルルがまた呆れるだろう。
自分のマイナスととれる部分は徹底して見せたがらないレナードが、身体に刻まれた痕を晒すリスクを省みずに湯に浸るのを望んだのが予想外だったのもある。
体を拭くのは寝ている間に行っていたからメイドのララが自分の世話をしていると判断して今更だと思ったか…?
そうだとしても、今後も自分以外に素肌を晒させないように風呂は一緒に入ろうと誓った。どうにも自分以外にこの男の身体を見られるのが許せそうにない。
力尽きたレナードを抱いて薄暗い廊下を歩いている間、先程のルルとの会話が反芻して、いつまでこの男の体温を感じていられるのか悶々と考えた。
痩けた頬が少しだけマシになってきて、益々美しい顔に磨きがかかった男はウォルターにとって宝石で出来た鳥のような存在だ。
大事に大事に磨いて籠の中に飾る。磨けば磨くほど輝きを放つレナードが完全に回復を果たした時、それがどれほど美しいか。
回想を終えて、大人しく腕の中に収まる小鳥の額にもう一度、唇を押し付けた。
「喉はどうだ?まだ痛むか」
「固形物を飲み込む時に少し痛いくらいです。」
「そうか。風呂に入る程度には回復したようだし、これからは体力の方も戻していかなければな」
いっそ、永遠に立てないままのレナードを腕の中で愛でたいが……そうなる未来を想像してうっそりと微笑んでしまったウォルターにレナードは何やら背筋がぞくりとした。
が、表情に出すことはなくただ微笑んで返した。
──その後、ルルが食事を運んで来た際に「これからは自分で食べますね」と回復訓練にやる気を見せるレナードにウォルターが一層のこと怪しく微笑んでいたので、
先程の寒気は間違いじゃないとレナードは確信するのだった。
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