【本編完結済】神子は二度、姿を現す

江多之折

文字の大きさ
10 / 45
4章【炎と氷】

9.手記と花

しおりを挟む


執務室から出て使用人用の細い廊下に向かい、邪魔にならないよう端に寄って進む。今日は何を食べようかと考えながら歩くこの時間は好きだなとユークリッドはすれ違う使用人に軽く挨拶を交わしていた。

使用人棟に設置された食堂は、その日に食べたい物を選んで注文出来るようになっているので元日本人らしい食へのこだわりまで思い出したユークリッドには有難い福利厚生だ。

───ユークリッドがアレクシスの侍従見習いになってから、1ヶ月が経とうとしていた。





「へ、陛下?!」
「ユークリッド、やはり使用人用の廊下を使っていたのか。なかなか会えないので探した」

使用人専用の廊下に似つかわしくないにも程がある煌びやかな男と鉢合わせて、つい大声で叫んでしまったユークリッドはハッとして周りを見渡したが、近くを歩いている使用人達は特に気にした様子もなかった。それぞれ忙しく仕事をしている。

「今から昼食か?」
「へ?!あ、はい、これからで…」
「なら一緒に食べよう。……そこの君、食事を二人分用意するよう厨房に伝えてくれ」

通りすがりの使用人に声を掛けて「食堂はこっちだ」と先導するランスロットに、もう何から指摘をしたらいいのやら分からないユークリッドだった。




大きなテーブルに二人だけが席について食事をしている。ユークリッドには慣れない環境だ。

「仕事には慣れたか?アレクの担当は市民から集めた嘆願書の最終決定だから数が多く忙しいとは思うが」
「えっと…資料探したり大変だけど、市民の生活が知れて楽しいです。」

王城で働く使用人は貴族出身も多いから、使用人棟で食べる食事もそれなりに立派な物だ。しかしランスロットと共に食べる食事は更にワンランク上な感じがする。

ユークリッドはどちらかといえば食べ慣れた使用人棟での食事の方が好みだが、目の前に座って食事をするランスロットは当たり前に様になっている。


(改めて見ると、本当に綺麗な人だな…)


毎日会っているアレクシスは金色の長い髪に緩やかなパーマがかかっているが、同じ金色でもランスロットはアレクシスよりも髪が細くてサラリと手触りが良さそうだ。

…いや、アレクシスも艶があって触り心地が良さそうだけれど。


「弟贔屓に聞こえるかもしれないが、アレクはとても優秀で人の気持ちを思いやれるから市民の声に寄り添えると判断してその配置にしたのだ」
「そう、ですか……そうですね。アレクシス殿下は優しいです」


1ヶ月、一緒に働いてそれは感じた。

仕事中のアレクシスは書類を捌くスピードが早い割に内容もしっかり考えられていて、処理済の嘆願書には比較的簡単な内容でも今後の方針をびっしり書き込んでいたり、クリストファーやユークリッドに資料を求めてしっかりと検討した上で的確に処理をする。

ユークリッドにも意見を求める事があるが、どんな意見もちゃんと聞いて、時にアドバイスをしてくれたり、執務室と聞くと厳格な響きがする部屋なのに空気感は常に穏やかだ。


「アレクシス殿下は、なんというか、理想の上司…という感じで。子爵位の私が王弟殿下に恐れ多いですが」
「ふむ。私の所で働いていたら、ユークリッドは私を理想にしてくれただろうか」
「え」

すました顔で小さく切った肉を口に運ぶランスロットの顔を不躾に凝視してしまったユークリッドが焦っていると、「冗談だ」と至って真面目な顔で続けるのでいよいよ困った。




「──さて、食事が終わったところで本題があるのだが」
「はぁ…」


国王陛下と二人きりで食事というだけで緊張するのに冗談かわからない冗談まで飛ばしてきたランスロットになんだかどっと疲れたユークリッドはかろうじて姿勢を正したままランスロットの話を聞いた。

「ユークリッドにコレを解読して欲しい。私が自分で出来たらよかったが…時間が足りない身分だから、難しい。」
「本ですか?陛下に分からない事が私に務まるか…」
「ヴィルヘルムは文字を見ただけで逃げ出したが、ユークリッドには読めるはずだ」

ランスロットに本を手渡され、適当なページを開いたユークリッドはカチンと音がしそうなほど全身が固まった。

『異世界での生活〇×日目──』

断片的に目に入った文字列が、瞬時に理解できる。


「………日本語だ…」


それは、少し斜めに書かれた癖のある字がビッシリと書き込まれた本だった。












どうにか平静を保って午後も働いたが、クリストファーとアレクシスにはバレていたかもしれない。


使用人棟の自室は個人部屋でこそあるものの、広さも備え付けの家具もこじんまりしててベッドもシングル。
高位貴族の出身なら狭いと感じるかもしれないが、クリストファーは本城に部屋があると言っていたし高位貴族は使用人棟に居ないのかもな。

そんな関係ない事を考えてユークリッドは自分を誤魔化してみたが、気持ちの落ち込みは変わらない。

寝転びながらランスロットに預けられた本を取り出した。
表面には何も書かれていない本。何代か前の神子が残した手記だと言っていた。



────『無理はしなくていい。苦しくなるようなら、関わらない事も出来る。』



ユークリッドと神子の話をする時、ランスロットは何度も無理をしないようにと気遣っていた。


「俺が死ぬ前も、あんな王様だったら死ななかったのかな…」

ランスロットが優しければ優しい程にユークリッドの気持ちも重くなった。

死んでも結局、元の世界に戻れていなかった事に静かに絶望した。自分みたいな神子を、もう増やしたくないと思うのも本心だ。


「だーめだ!なんか、気分転換しよう」


本はもう少し、気持ちが落ち着いてから読む。

そう決めて帰ってきたばかりのユークリッドは再び退室した。








王城の門を通るには色々と手続きが必要だけど、入ってしまえば庭園は割と自由に歩き回れる。訪問客には立ち入れない場所もあるけれど、城内で働くユークリッドは侍従の制服さえ着ていれば、あちこちで警備している騎士とも大体が顔見知りなので問題なく歩き回れた。

「おや、珍しいねぇ。ここを訪れる人はあまり居ないんだが…あぁ、アレクシス殿下の新しい侍従さんだね」

ハサミ片手に植木の手入れをしている老齢の男性庭師に話しかけられてユークリッドは立ち止まった。
無意識に歩いていたらかなり奥まで来ていたようだ。

「こんにちは、失礼ですが前にも会いましたっけ…?」
「あー、1ヶ月前に殿下と来た時にいなかったかな?殿下が可愛い侍従が増えたと言っていたから、お前さんだろう」

可愛い侍従…?
アレクシスは何を言っているんだと思ったがユークリッドは笑って誤魔化した。

「殿下ならいつも通り居るよ。新人さんも色々言われてるだろうがね、年寄りの儂が言えるのは気にしなさんな、くらいかね」

いつも通り、と言いながら一方に視線を投げた庭師に、ハッとしたユークリッドは礼を言ってその視線の方向に歩みを進めた。
自分の前世が神子だとバレた時に見た小さな門。そこにクリストファー静かに中の様子を窺っていた。

────やっぱり、墓場だ。


ユークリッドが来た事に気付いたクリストファーは一瞬目を見開いたが、人差し指を唇に当てて門の奥へと視線を戻す。
クリストファーの隣に立てば、幾つもの墓石が並ぶ中、アレクシスがひとつの墓の前で腰掛けているのが見えた。
ユークリッドより大きな身体を持つのにその背中はやけに小さく感じて、邪魔をしてはいけないと思いつつも一歩、また一歩と足を動かす。
そんなユークリッドを、クリストファーは止めようと手を伸ばし…その手を下ろして二人を見守っていた。



「今日は、ユークリッドの様子が少しおかしかったんだ。
もう一ヶ月も私の所に居るから…苦痛なのかもしれないな」

ぽつりぽつりと独り言を言っているアレクシスは近付くユークリッドの存在に気が付かない。

「神子様…あなたのように、苦しむだけの一生で終わらせたくないんだ。でもユークリッドを見ていると、時々、神子様の存在に触れられているようで…」

グス、と小さく鼻をすする音がきこえた。

「やはり、私は愚かです。ユークリッドに苦しんでほしくない、もっと幸せに生きてほしい、なのに、私から離れるように言えない…情けない」

震える声で、最後に「ごめんなさい神子様」と呟いて墓石を抱きしめた。
幼い子供に背負わせた咎は、自らの手で今もこうして続いている。

「……」
 

──だから、前世なんて思い出さない方が幸せに生きられたんだ。
こんな世界、大嫌いな世界で生きる人々がどうなろうと、知ったこっちゃない。死んでも結局戻れなかったし、元の世界で残された人達だって、少なくとも両親は、きっと悲しんでくれてる。

ユークリッドはぐちゃぐちゃになる感情を必死に抑え込んだ。でないと立っていられなくなるから。
壊れてしまった王子を見たあの日に、ランスロットと話をしたあの日に、この世界でする事は決めたから。
ポケットを探り、ハンカチを取り出した。

「…アレクシス殿下」

驚かせないように声を掛けたけど、ビクリと大きく肩を揺らしたアレクシスに近寄り、隣にしゃがんでハンカチをアレクシスの目に押し当てた。

「神子の事は、分かりません。言えません。…でも、殿下と働くの、苦しんでいないですよ」


ハンカチに涙が滲んでいく。
アレクシスの足元には、赤い花が添えられていた。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

黒獅子の愛でる花

なこ
BL
レノアール伯爵家次男のサフィアは、伯爵家の中でもとりわけ浮いた存在だ。 中性的で神秘的なその美しさには、誰しもが息を呑んだ。 深い碧眼はどこか憂いを帯びており、見る者を惑わすと言う。 サフィアは密かに、幼馴染の侯爵家三男リヒトと将来を誓い合っていた。 しかし、その誓いを信じて疑うこともなかったサフィアとは裏腹に、リヒトは公爵家へ婿入りしてしまう。 毎日のように愛を囁き続けてきたリヒトの裏切り行為に、サフィアは困惑する。  そんなある日、複雑な想いを抱えて過ごすサフィアの元に、幼い王太子の世話係を打診する知らせが届く。 王太子は、黒獅子と呼ばれ、前国王を王座から引きずり降ろした現王と、その幼馴染である王妃との一人息子だ。 王妃は現在、病で療養中だという。 幼い王太子と、黒獅子の王、王妃の住まう王城で、サフィアはこれまで知ることのなかった様々な感情と直面する。 サフィアと黒獅子の王ライは、二人を取り巻く愛憎の渦に巻き込まれながらも、密かにゆっくりと心を通わせていくが…

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

残念でした。悪役令嬢です【BL】

渡辺 佐倉
BL
転生ものBL この世界には前世の記憶を持った人間がたまにいる。 主人公の蒼士もその一人だ。 日々愛を囁いてくる男も同じ前世の記憶があるらしい。 だけど……。 同じ記憶があると言っても蒼士の前世は悪役令嬢だった。 エブリスタにも同じ内容で掲載中です。

姉の聖女召喚に巻き込まれた無能で不要な弟ですが、ほんものの聖女はどうやら僕らしいです。気付いた時には二人の皇子に完全包囲されていました

彩矢
BL
20年ほど昔に書いたお話しです。いろいろと拙いですが、あたたかく見守っていただければ幸いです。 姉の聖女召喚に巻き込まれたサク。無実の罪を着せられ処刑される寸前第4王子、アルドリック殿下に助け出さる。臣籍降下したアルドリック殿下とともに不毛の辺境の地へと旅立つサク。奇跡をおこし、隣国の第2皇子、セドリック殿下から突然プロポーズされる。

声だけカワイイ俺と標の塔の主様

鷹椋
BL
※第2部準備中。  クールで男前な見た目に反し、透き通るような美しい女声をもつ子爵子息クラヴィス。前世を思い出し、冷遇される環境からどうにか逃げだした彼だったが、成り行きで性別を偽り大の男嫌いだという引きこもり凄腕魔法使いアルベルトの使用人として働くことに。 訳あって視力が弱い状態のアルベルトはクラヴィスが男だと気づかない。むしろその美声を気に入られ朗読係として重宝される。 そうして『メイドのリズ』として順調に仕事をこなしていたところ、今度は『無口な剣士クラヴィス』としても、彼と深く関わることになってしまって――

拝啓お父様。私は野良魔王を拾いました。ちゃんとお世話するので飼ってよいでしょうか?

ミクリ21
BL
ある日、ルーゼンは野良魔王を拾った。 ルーゼンはある理由から、領地で家族とは離れて暮らしているのだ。 そして、父親に手紙で野良魔王を飼っていいかを伺うのだった。

何故か転生?したらしいので【この子】を幸せにしたい。

くらげ
ファンタジー
俺、 鷹中 結糸(たかなか ゆいと) は…36歳 独身のどこにでも居る普通のサラリーマンの筈だった。 しかし…ある日、会社終わりに事故に合ったらしく…目が覚めたら細く小さい少年に転生?憑依?していた! しかも…【この子】は、どうやら家族からも、国からも、嫌われているようで……!? よし!じゃあ!冒険者になって自由にスローライフ目指して生きようと思った矢先…何故か色々な事に巻き込まれてしまい……?! 「これ…スローライフ目指せるのか?」 この物語は、【この子】と俺が…この異世界で幸せスローライフを目指して奮闘する物語!

処理中です...