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想章【思い出と名前】
7.大好きだよ
しおりを挟む「…生きてる」
ぼやけた視界。見慣れた天井。
ぽつりと、声を出したら少し枯れていて喉に痛みが走った。
「ユーク…!」
右手が温かい。
ゆっくりと右を向くと、涙をぼろぼろと流しながらアレクシスが身を乗り出していた。
(ハンカチ、出さなきゃ)
アレクシスの綺麗な青空から降る雨は、全部受け止めるって決めたから。
服のポケットを探ろうとしたら、そもそもポケットが存在しなかった。着替えていたらしい。
せめて手で拭おうと右手を持ち上げたらアレクシスが握り締めていた。いつも少し冷たいアレクシスの手が温かくなるまで握ってくれていたんだ。
「アレク、なみだ…」
「死んだと、間に合わなかったと思った…ユークを失うと、失ってしまったら、私は」
「…死んでないよ。俺、起きていい?」
怪我とかしてたら怖いから言ってみたけど、アレクシスは手を離して、すぐにベッドに上がって俺を抱き上げた。いつもの横抱きだ。
「俺、熱出したり倒れたりしてばっかだから、いつもこの体勢…ケホッ」
「喉を痛めているから、あまり話さない方がいい。……良かった。ユークが無事で、良かった…」
「アレク」
首に触れると包帯が巻かれていた。怪我とかしてたのかな。思い出すだけで怖くなる出来事だった。
人から殺意を向けられるって、あんなに怖いんだと知った。
(でも俺も、あそこで向けた矢は…殺意だった。かも)
「賢者は、どうなった?」
「……殺した。少なくとも、肉体は」
「…どっちか分からなくて迷ってる?」
「……ユークだって、信じたい。」
もしも賢者だったら殺してくれと頼んだから、起きないのも怖かっただろうし、起きても怖かっただろう。
それでもアレクシスは待ってくれていたんだとユークリッドは力の抜けた笑顔で微笑んだ。
「俺さ、夢の世界で戦ってきたんだ。久しぶりに神無木真の姿になって、弓に触れた。…嬉しかったな」
「カンナギマコト…」
「俺の前世で、神子の名前。」
──あぁ、喉が痛いな。たくさん、話をしたいのに。
アレクシスの手が震えている。泣き腫らした目から涙がまた溢れ出している。ハンカチを持ってないから、ユークリッドは自分の袖を掴んで雨を降らせる目元に押し当てた。
「真が名前。アレクシスが初恋してた神子は、マコトって名前なんだ。」
「なんで、今…」
「…踏ん切り、ついたから」
ずっと、考えていたんだ。
もしも時を戻せるなら、もしも魔法が使えて、帰れるようになったら
この世界を捨てて、帰るかなって。
きっと、少なくとも俺がいなくなって泣いている人がいる。その人達を放っておいて俺が幸せになれるだろうかって。
「ずっと帰りたかった。見えない誰かの涙を止めたかった。…でも、帰れないって気付いたんだ。」
魔法は万能じゃない。だってあんなに神無木真を苦しめたじゃないか。
魔法が万能なら、誰も苦しめない優しい魔法であっても良かったじゃないか。
「魂だけ帰っても、駄目なんだ。進んだ時間は戻せない。今、この時を生きてるのが俺なんだって。…生きてる今を大事にしないと、もっと涙が流れてしまうじゃん」
例え、過去に誰かが涙を流していても、どこかで悲しむ人がいるとしても、自分に止められるのは目の前で流れた涙だけ。
「だから、俺はアレクシスの涙だけを止めるんだ。アレクシスが過去を想って流す涙、未来で流す涙、…今、流してる涙。俺が全部、受け止めるって決めたから」
ごめんなさい。元の世界で傷付けた人達の涙は、俺には拭えない。
神無木真の涙も、神子達の涙も、何も救えないまま時間が風化して終わる。
「俺、ユークリッドだから。アレクシスの伴侶の、ユークリッドだから。…この世界で、今生きてるんだ。」
「…私だって。過去の神子じゃない、ユークリッドを心の底から愛している」
「……あい、……だい、すきだよ。俺だって」
「ふ、まだ恥ずかしがってる」
「なッ!………いった…喉、痛い」
「無理に喋らない方がいい、身体もゆっくり休めないと…」
もう一度寝たほうが、とアレクシスが心配していると、部屋の外に控えていたらしい侍従から訪問者の声がかけられた。
「ユークリッド、起きたのか」
「ランス兄さん、ヘル兄さ…いだっ!」
部屋に入るなり早足で近付いてきたヴィルヘルムに、ユークリッドはゲンコツをくらってしまった。
「兄上!暴力はいけません!」
「小突いた程度だ。ッこの馬鹿が!弱え癖に無茶ばっかりしやがって!」
「ヴィル、落ち着きなさい。今はまだ回復していない。」
「なんでも自分で解決しようとすんな!お前が生き残ったのは運が良かっただけで死ぬ寸前だったんだからな!!アレクシスの事も少しは考えてやれ!」
「ッ…ごめ、なさい…」
緑色の瞳が揺れて、ずっと堪えていた涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
ズキズキと痛む頭よりも、アレクシスの心の方がよっぽど痛んだはずだ。それはユークリッドも理解していた。
「だって、早く解決しなきゃって…俺のせいで」
「ユークリッド、守ることを誰も負担には思っていない。大切な人、大切なものを守る為に皆強くなって、今この場に立ち続けている。強くなる前に勢いだけで飛び出してしまってはいけない。」
頭を押さえるユークリッドの手に自分の添えて静かに話すランスロットは言い聞かせるように優しく叱った。
「本当に。報告を聞いたフリッツがどれだけ心配して泣いたか」
「セディ!そんな事は言わなくていい!」
「にいさっ…ゲホッ、」
「ユーク、大声は駄目だよ」
いつの間にか部屋に来ていたセドリックとフリードリヒに、奥にはクリストファーもいる。
咳き込んだユークリッドを抱え直したアレクシスは、皆が見えるようにユークリッドの身体を正面に向けた。
「…ユーク、私は勿論だけど、皆とても心配していたんだ。魔法について、確かに私達は無知で頼りなかったと思う。でも最初に助けを求めようとしたよね」
「……うん」
「それでいいんだ。対策がわからなくても出来る限りの事をしたい。ユークリッドがそれだけ大切なんだ。…この世界に、ユークを守らせてほしい」
「でも、今回のは俺が向き合わなきゃいけなく…ぃてっ」
「ヴィル。流石に私も怒る」
デコピンをされたユークリッドの顔を庇いながら、ランスロットがやけに迫力のある怒り顔をヴィルヘルムに向けた。
「………うるせぇ。荒事は俺が担当だって言ってんだろ。ユークリッド、お前もちゃんと守られてろ」
「ユークは私が守ります。もう二度と、ユークを危険な目にはあわせません。」
「アレクシス王弟殿下が言うとなんか束縛強そうですよね~…おっと」
「セディ…宰相がそんなに口が軽くてどうする。…ユークリッド、僕は非力だが、兄として守りたいと思っている」
皆の温かさが降り注いで、ユークリッドの目元から頬を伝って落ちていった。
新しい涙はアレクシスの手が受け止めて、拭われる。
ユークリッドがアレクシスの涙を止めたいように、アレクシスだって、ユークリッドの涙を止めたいんだ。支えたいんだ。
支え合って、守り合って、この世界を生きたいんだ。
「みんな、大好き…この世界で生きるみんなが、大好きだよ。」
─────x年後。墓場にて
「なんて、書いているんだ?」
「………神無木真。この墓に眠る、神子の名前」
見た事のない文字を迷いなく刻む弟は、本当に別の世界から来たんだなとフリードリヒは感心して眺めていた。
ずっと名前の無かった墓に、借りてきた道具を使ってガリガリと削る。上手くは書けないけど、誰かに依頼したい事でもない。
自分でやりたいと思ったから、ユークリッドは真剣に墓石を削った。
「もっと、悲しくなるって思ってた。ずっと過去にしたくないって思ってた」
「…時間とは怖いな」
そう、怖いんだ。大切なものを忘れてしまうのが。辛かった記憶も、悲しかった記憶も、全部が大切なのに過去になって薄れてしまう。
こんなにも心が揺らがない。幸せが降り注ぎ、足下から徐々に埋もれて、悲しかった大地が見えなくなってしまった。
時間が解決してくれたのか、忘れさせてしまったのか。
「…兄様、違う世界に手紙とか届けられないかな」
「違う世界?」
「うん。神子の生きてた世界」
「全くわからないな…世界が違う、か」
ユークリッドだって、言ったことが無理で無茶な願望だと理解している。
でも真剣に考えるフリードリヒの様子に、やっぱり良い兄を持ったなと嬉しくなる。
「まぁやらないより、やる方がいいだろう。手紙を書いてみるといい」
「…届けられないのに?」
「死者に届かない花を添えるのは、無意味か?」
墓に添えられた花を見て、フリードリヒは問い掛けた。
アレクシスは、今も毎日欠かさず神子の墓に花を添えている。
ここには死体が埋まっているだけの場所だと、魂はもう、生まれ変わっているのだと知っていても。それでも花を添え、思い出に祈りを捧げて一日が始まる。
それを無意味だと切り捨てるのは、ユークリッドには出来ない。でも、決して届けられない手紙を書く事に意味があるのかは…
「……わかんない。」
口を尖らせて、また子供のように拗ねた顔をするユークリッドに苦笑いして隣にしゃがんだ。
「ユークリッド、この世界…この国で、亡くなった人はどのように扱われる?」
「えっと、教会に依頼して、お葬式して、お墓に埋めて…」
「そう。生命を終えた、ただ死体に過ぎなくとも、…故人を大切にしていた人々の手によって大切に弔われる。」
「…神子達も、大切にされてた?」
「少なくとも、カンナギマコトは今も大切にされているじゃないか。…他の墓も、こんなに花に囲まれている。」
新しい庭師が修行がてらあちこちに花を植えて、とうとう墓場も花畑のようになった。
硬い土からここまで見事な花畑を作るとは…と感動したフリードリヒは庭師を毎日訪ねてセドリックがやきもきしていると聞いた。
「花を植えたいだけで弔いとは違うかもしれないが…それもいいじゃないか。届かないかもしれないけれど、届いているかもしれない、それでいいんだ。」
フリードリヒはぼうっと墓場を眺めるユークリッドのふわふわのくせっ髪を撫で付けた。
兄の手は、手袋に包まれていても心地良い。
「おいで。便箋を買いに行こう。」
「…街に?」
「あぁ。街にある雑貨屋は、令嬢達がよく行くから見た目の良い物が揃っているんだ」
「行ってみたい!」
アレクシスに報告をしなければならないから、その時に護衛はつけてもらえるだろう。
好奇心に緑の目を輝かせる弟に手を引かれながら墓場を後にした。
「私も──」
「殿下、いけませんよ。急ぎの仕事があるでしょう」
一緒に街に行きたがったアレクシスの主張を、クリストファーが即座に止めて書類の束をアレクシスの机に追加した。
「……俺、仕事手伝うよ?」
「ユークはお休み。…仕方ない、任せるよ。」
無理をさせない為、ゆっくりと身体を作る為。ユークリッドの休みは絶対に確保するアレクシスに「俺に甘いなぁ」と苦笑いした。
そんなユークリッドとフリードリヒは休みの日によく一緒に行動していた。
渋々ながらも見送ってくれたアレクシスに、何かお土産を買いたいと相談しながら歩く。
「オーグストの行方がわからなくてな…稀に手紙は届くから真面目にやっているようだが」
「へぇ………あれ?兄様っ!あれ!」
「うん?……教会が」
街で一番大きな建物だから嫌でも目立っていた大聖堂が、解体されて石の山へと姿を変えていた。
「セディからは何も聞いていなかったが……無くなったのか」
「教会がなくなるなんてこと、あるの?」
「目の前で起こっているだろう」
神子が召喚された泉も埋め立てられて、どこにあったか分からない。
魔法陣は壊しても、本当に神子が召喚されないか不安だったあの泉が、消えた。
「………本当に、終わったんだ」
「ユークリッド?……あぁ、終わったな。」
隣で静かに涙を流す弟の頭を撫でる。今日は便箋を買ったら早く帰ろう。
「殿下と一緒に来た方がよかったな。」
「…うん。なんか、アレクに会いたい」
今すぐに、話したい。気持ちを共有したい。
「ほら。早く店に行って買い物を済ませるぞ」
「うん」
なんて言おう。どう話そう。
思い出す度に心の傷は痛むけど、ちゃんと未来に進んでるよって、言おうかな…教会の解体とか、アレクシスの方が把握してると思うけど。
いつの間にか、街を出歩くのも怖くなくなったように、完全には消えなくても、思い通りにいかなくても、時間をかけて前に進むから。
「手紙…いっぱい書いてもいいかな」
「いくらでも書いたらいい。店にある便箋を買い占めてやろう」
「あははっ兄様って時々極端になるよね」
前世の世界よりも不便だったり、ままならない事も多い世界だけど、別に嫌だなんて思わない。今は大嫌いだった世界だけじゃない。大切な人がたくさんいる大好きな世界でもあるんだ。
「──ユーク、早かったね。おかえり」
「ただいま!アレク!」
少し離れてただけですぐに会いたくなる人がいる。
嬉しかった事も、悲しかった事も、寂しいことも。全部共有したいと思う相手がいる。
ちょうど休憩をしていたらしいアレクシスがお茶を飲んでいたので走り寄った。
「あのさ、アレク、えーっと…」
「うん?」
何を話そうとしたんだっけ。召喚の場所がなくなってて、無性にアレクに会いたくなって、ギュッて抱き締めてもらいたくなって…
「えっと…大好きなので、……抱き締めて、ください?」
「…喜んで。愛しの伴侶殿」
俺が望めばすぐに立ち上がって期待に応える。アレクシスの甘い顔は、俺だけに向けられる特別な表情だ。
勢いで話しかけて、なんだか恥ずかしい事になってしまったけど…たまにはいいんだ。
「…へへ。愛してるよ、アレクシス」
「今日のユークはご機嫌だね…私を誘惑しに来たのかな?」
顔を上げたら唇を撫でられたから、目を閉じた。
いつもアレクシスの頭が上にあるから、唇が重なる直前は髪が顔をくすぐってくるんだ。
そのくすぐったささえ嬉しくて、クスリと笑って目を開けたら至近距離のままアレクシスも俺を見ていた。
「……幸せだね、アレク」
「私はユークのお陰でずっと幸せだよ。」
大好きな青空の瞳が細められて、俺の姿だけを映してる。きっと俺の瞳もアレクシスだけを映してる。
「大好きだよ。」
大変だった、つらかった、そんな事が多い人生を歩んできたけれど
全部、心の中で大切に抱き締めて、今この時間を生きていくって決めたから。
だから…もう大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。涙で抱き締めてくれて、ありがとう。
俺はもう、アレクシスも、この世界も、大好きだよ。
───これが、異世界転移して転生して思い出した俺の、物語の結末。
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