風ゆく夏の愛と神友

いすみ 静江

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第二章 無垢のダイヤモンド

第十四話 覚醒せよKou

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 翌、八月十日の六時に、AyaはうきうきとしてKouの部屋をノックした。

「あら、おかしいわ。早起きが得意なのにね」

 再三ノックをしても返事がなかった。
 Ayaに悪い予感が走る。

「どうしたのかしら? 買い物に行く時間でもないし、ラウンジにもいなかったわね」

 鍵をホテルのスタッフに開けてもらったが、誰もいなかった。

「光? どこに行ってしまったの?」


 Kouを失った哀しみは、孤独の深淵に落されたも等しい。

 ◇◇◇

 Ayaは、一人でドラゴンと雪の関わりを追う決意をした。
 いなくなったとしても、Kouも子どもではない。
 何とか生き抜いて、再び会う日を待つしかない。

「私達、いつも、こうだったわよね。一緒にいられないのが、ごく普通だった。少し、贅沢しちゃっただけ……」

 軽く俯いていた顔を上げた。

「泣かないわ! そう決めたのだから」

 Ayaは本当は涙もろいタイプだから、唇をかんでがんばるしかない。
 スーツケースを引いてチェックアウトをした。
 ラウンジでスマートフォンを開き、美味しくないと感じるアッサムティーをこくりと飲む。

「まずは、ドラゴンの特定と雪の過去ね。雪は、二十歳で李建の後妻に入ったのよ。そして、当時十七歳だった私と李信は、教育係をほされる。まるで、李凛のガードを甘くするようだわ」

 三年前、泣きじゃくり、Ayaにしがみついた凛を思い出す。

「李信がドラゴンの存在を知っているようだけれども、聞いても分からないでしょうね。いや、口が裂けても言えないのかも知れないわ」

 Kouは、どうしているのだろか。
 Ayaは、そちらが気になって仕方がない。

「もしかして、記念写真がいけなかったのかしら?」

 ふと思ったので、データを確認する。
 クラウドにはアップしないで、スマートフォンの本体とナノムチップに保存してある位だ。
 無事に入っていることと、誰かが触っていないことを確認した。

「背後の証拠より、光のかしこまった笑顔が私には大切なの……」

 Ayaは、ホテル・ニース・ブランのお手洗いの個室で、ナノムチップをにゃんこっこで買ったスターにゃんこのフォトグラフと取り換え、ナノムチップは、自分の誰も触れられない場所へ隠した。
 スマートフォンは、簡単に破壊できるし、盗難もされる。
 ドラゴンの存在の証と何よりKouの笑顔を守る為に、カモフラージュをした。

「あら、どうも。マダム」
「すみません」

 お手洗いを出る時、肩をぶつけた女がいた。
 ショルダーバッグのスマートフォンに手をかけようとされたが、うまくかわした。
 そこで、渡してしまえば簡単なのだが、もし、Kouが捕縛されていたら、組織Jや何かの背景に抹殺されてしまうかも知れない。
 やはり狙われていると思うと、油断がならない。
 全てが敵になって立ちはだかっているように思えた。


「無事でいて……! 迎えに行くわ」

 ◇◇◇

 八月十一日の木曜日、日本で、むくもがんばっていた。
 ウルフの家で、お昼ご飯を食べていた。
 麺類の好きなウルフの特製パスタ、フレッシュバジルのジェノベーゼがお腹にきゅんとしみいる。

「ウルフおじいちゃまとスターにゃんこの寅祐さんに、むくは慰められます」
「それは、何よりじゃよ。また、楽しみが増えるといいの」

「むくは、元気です」
「むくちゃん、無理はするでないぞ」

「アチャ。気を付けます。美味しいです。ウルフおじいちゃまは、お医者様ですが、お店を構えられます」
「むくちゃんは、バレエをしていたせいかちょっと細いからのう。沢山、召し上がれ」

「アトリエへ行って来ます」

 ◇◇◇

 この日から、むくは『ジレとアデーレ』のような油彩ができないかと、新たにチャレンジすることで、意識を変えようとした。
 特に何をするでもなく、お喋りをしていた亮と麻子にお願いする。

「神崎部長、朝比奈さん。美術部員として、モデルになっていただけますか」

 むくは、丁寧に頭を下げる。
 おこがましいが、人をゆるす事は、人が人たらしめるものであると、むくは思うようになっていた。

「ああ、僕はいいよ。同じ部員だし。麻子は?」
「答えは決まっているわ。素敵なカップルにしてくださるのよね?」

「亮……」
「麻子……」

 むくの前で、いちゃこら、いちゃこらしている。

「バレたなら、もういいよな」

 亮がふっ切れたらしかった。

「むくは、がんばります。素敵な『ジレとアデーレ』を描きたいです」
「あら? むっくんは、亮にご執心よね?」

「絵にすると落ち着きます」
「亮、この子は変わっているわ」

「むくは、秋の学園祭に間に合わせたいです。でも回り道をします。丁寧なデッサンがきっと心のこもったものになると思います」
「まー、適当にな。むく。僕は受験もあるし」

「亮は、どこを受けるの? 同じ大学を受けたーいー」
「あー、麻子って結構利口なんだよな。余裕で受かるよ」

「きゃー! 愛してる!」
「僕もだよ」

 切ない気持ちも持ち合わせたまま、むくは、恋人の絵の為に幾つか習作を描いた。

「アチャ」

 ◇◇◇

 八月十三日、徳川第二団地四〇一号室で、朝ご飯はおにぎりを食べた。
 孤食なのは、致し方ない。
 むくは、一人で鍵を開けてアトリエに入る。
 習作をもとに幾つかの案をまとめようと思っていた。

「今日は、構成をまとめましょう」

 むくは、ミニトートバッグをぽとりと落した。

「酷いです……」

 絶句しかなかった。

 アトリエに入るとむくの描いた朝比奈麻子と神崎亮の『クロッキーcroquis』つまり速写画や鉛筆デッサン等複数の肖像画への習作に、イタズラがされていた。

 赤いスプレーで、大きなバツが書かれていた。

「誰がしたにしても酷いです。むくは、隣がお付き合いされている朝比奈さんでも、それでも神崎部長をキャンバスに残せると思いました」

 アトリエは、非情なまでに冷える。
 ショックのあまり膝を落した。
 胸の前で手を組み、小さく言の葉がこぼれる。

「神崎部長……。恋人が居ても嫌いになれない私への神罰でしょうか?」


 冷たいアトリエで、予感に震えるしかなかった。

 ◇◇◇

 この様子を一部始終、観察する者がいた。
 にゃんこっこで、むくがウルフと同じく反応していたので、あとをつけられていた。

「……への手紙Jの刻印撲滅機構。そこだけは聞き取れたので、何か組織と関係があるのじゃろうな」

 ウルフは自宅リビングの窓から、尾行者を見つけていた。

「そうですね。あの者は危険な匂いがする」
「おいおい、河合くん。決めつけるのは早いぞ」

 その後ろから、Kouが見ている。
 早朝に、ウルフとの接触に成功し、河合光の名でむくの身辺警護を頼まれたと伝えた。

「武術なら、儂もまだまだ、負けないがな」
「ほう、流派はどちらですか?」

六芒星ろくぼうせいとでも言えばいいのかいの?」
「六芒星!」

「河合くんにはお伝えすべきかの。我が家系は、五芒星ごぼうせいや六芒星の力を持つものがよく生まれるのじゃ」

「では、お孫さんのむくさんは?」
「あれは、隠れ五芒星じゃ」

 Kouは、桁外れの話に卒倒しそうだ。

「五芒星や六芒星の力とはどんなものですか?」
「異能なのか、超能力なのか、詳しくは知らないのう。ただ、めんめんと受け継がれて来た『血』によるものじゃ」

「実は、儂が河合くんに会うのは、初めてではない。Ayaさんとの関わりも知っておる。だから、嫌でなければ、いつかはコードネームで呼びたいの」

 ウルフは、なんちゃってをしたくて、うずうずした。

「覚醒せよ! Kou!」


「無理! 絶対、無理!」
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