1 / 14
1
▽1
「イオ。起きろ、いつまで寝ている!」
びりびりと鼓膜を震わせる声に、耳を塞ぎ、毛布の中に頭を入れる。自分でざんばらに切り、見苦しいと整え直された髪が、さり、と耳元で音を立てた。
大きな足音が体重を掛け、廊下の床を踏みしめる。足音で近づいてきているのを察し、更に憂鬱になった。
もっと。ずっと。寝ていたい。
「昨日、寝たのは何時だ!?」
バン、と扉が叩き付けるように開かれ、奥から長身の男が顔を出す。
炎色で、動きやすさを重視して整えられた髪、湛える水の色をした瞳と、よく見れば端整な顔立ちをした男。
レグルス。なんだったか、彼の姓は興味が無くて尋ねたかも忘れた。俺の監視をしている男だ。
「……明け方」
昨夜も、ずっと星を見ていた。男は床に散らばった紙片を拾い上げると、近くの棚に纏めて置く。
寝台に向かって大股で歩み寄ると、身体の上にあったはずの薄っぺらい毛布も布団も、すべて一気に剥ぎ取られた。
俺お手製のいびつな寝台は、床からの冷気を直で伝えてくる。
「寒いんだよ…………」
「動けば暖まる。ほら、立たないか」
背と寝台の間に男の手が入ると、ひょいと抱え上げられた。視界が一気に明るくなり、真正面には朝にふさわしい顔をした男がいる。
彼の筋肉は服を押し上げ、身体の皮膚のあちこちに治りきらない傷が見える。俺の監視をする前は、戦う仕事をしていたらしい。
「また軽くなったか……?」
「もう。料理、増やされんのやだよぉ……」
彼と出遭ってしまった頃は骨と皮ばかりで、これでもまだふっくらした方なのだ。
だが、この男は俺がひょろりとしているのがお気に召さないらしく、食材を持ち込み、料理を作り、食べさせる。
監視、ではなく、世話、のほうが言葉として適切な気がしていた。
「だったら健康的なくらい太れ」
「健康だ「ひと月前に風邪を引いた事はまだ時効ではない」────って」
低い声が被さって、己の弱っちい声は溶け消えた。
開いた扉から男はすたすたと寝室を出ると、食卓まで俺の身体を運んでいく。
俺たちは、外観上は石造りの塔に住んでいる。
室内は主に木で構成されており、俺だけで住んでいた頃は、仕事用具以外はこざっぱりした室内だった。
今は、少しだけ色味のある布が増え、落ち着いた色味で整えられている。戦場にいたであろう男の趣味は静かで、髪の炎色のほうが室内では浮いていた。
木製の椅子を引き、腰掛けさせられる。刺繍の入った布地を机の上に敷くと、皿が決まった場所に置かれた。
皿には温かい色味のスープが注がれる。パンは焼きたてのそれ。野菜は取れたての瑞々しい葉を千切って味付けされている。
真ん中の皿には加工肉を炙ったものに、焼いた卵が添えられた。
「今日もこんなに食べられない」
「残った分は私が食べる。食べられるだけ腹に入れるんだ」
レグルスの言葉に、好きなものから手をつけ始める。貧弱な腹は少し重いものを入れると、途端に悲鳴を上げ始めた。
これでも許容量は増えたのだが、美味しいのに、量が食べられない。
「卵。美味い」
「そうか、また作ろう」
甘いソースを卵黄に絡め、口に運ぶ。はぐはぐと食いついていると、綺麗に野菜類だけが残った。
野菜類も、好みに合うように味付けされ、苦みやえぐみを抜く下処理がされている。好きな料理に比べればゆっくりだが、口に入れて咀嚼した。
好んで食べようとは思わないが、不味い、という味でもない。
満腹に近づいてくると、彼は紅茶を淹れてくれる。前を見ると、彼の皿は綺麗に空になり、底の白さが見えた。
「美味しかった」
「もう食べないか?」
尋ねられ、頷く。
そうか、と呟いたレグルスは、俺の皿を回収して残りを食べ始める。俺は皿が片付くまで、お茶を飲みつつ膨れた腹を落ち着けた。
風が吹いたのに気付き、入り口となった窓を見た。薄墨色の髪の中に、星色の瞳が浮かんでいる。やせっぽちで背の低い。幼い顔立ちの男がこちらを見返していた。
もう成人して数年経つのだが、町の酒場で酒を飲むことは許されないだろう。町の酒場に行くこともないが。
「イオ。昨日の星見の結果を教えてくれるか?」
俺は、星読師だ。
魔術も使えるが、時間が掛かりすぎて魔術師としての腕は良くない。その代わり、魔力の流れを読む事は、他よりも得意としている。
星の運行、地脈の流れ、そして人の魔力の滞留。それらの情報を重ね合わせ、先の時を読む。本来なら、喜ばれ、尊ばれる職業だった。
だが、俺は牢のようなこの場所で、監視のこの男にのみ、星読みの結果を告げる。
「『日出づる所 白亜の塔が崩れ 星が墜ちる』」
「いつもの事だが、悪い事しか告げないな」
彼の声は苦々しげだった。
俺は悪い事柄しか読むことができず、一度、権力者の死を読んだことがある。
『凶星を招く星読師』
しばらく軟禁され、この場所に移された時には、噂は尾鰭を伴って広まった後だった。
それから俺はこの牢に閉じ込められ、監視されることになった。この男が監視者として赴任したのは最近、ここ数ヶ月のことだ。
「嘘を言っても仕方ないだろ」
俺が椅子の背に体重を預けていると、食事を終えたレグルスが立ち上がって、机の上を片付けた。大きな手が布巾で表面を拭うと、木目が濡れて浮かび上がる。
代わりに、空いた場所には地図が広げられた。この周辺しか載っていないような、比較的、小さなものだ。
「『日出ずる』……は、東。最も該当しそうなのは、リギア家所有のこの塔か。館と舞踏場が併設されていて、時折、舞踏会が開かれている」
「へえ。詳しいな」
「私はリギア家の当主から雇われている、と言っただろう」
「自分を閉じ込めてる領主の名前なんか、忘れたいだろ」
「…………」
むっつりと黙り込んでしまったレグルスの様子に、頬を掻く。
別に、この場所の生活に困る所はなく、衣食住が揃っていること自体は有難い話だ。ぎい、と体重を掛けた椅子の脚が軋んだ。
「塔が崩れる、か。……近場での話だ、領主に報告して現地を見に行ってくる」
「ふぅん。俺は行かなくていいの?」
尋ねると、レグルスは渋い顔をした。
噂の所為で、俺自身が災いを呼ぶ、というような印象を持たれている。この牢獄は檻でありながら、皮肉にも、俺を守る盾であった。
「現地が近いんなら地脈でも読めば、もっと詳しい情報が分かるかもしれないのになあ」
「それは……、領主に聞いてみる」
そう言い、レグルスは食事の後片付けをして外に出ると、馬に跨がって走り去ってしまう。
窓からその後ろ姿を見送って、俺も立ち上がる。
居間を出て作業室に戻ると、仕事道具を星見台へと置き忘れた事に気づいた。机の上に置いていた菓子瓶を懐に入れ、作業室の扉が閉じる前に廊下へと出る。
この塔の頂上にある星見台へは、階段を使っては時間が掛かりすぎる。廊下の端にある小部屋に入り、天井を見上げた。
この小部屋は、金属製の綱で頂点から釣られている箱、の構造をしている。
「妖精くん、いる?」
『いる。ひとのこのように、けいちょうにいきてはおらぬ』
今朝の寝坊は、妖精たちにすら、軽佻、と釘を刺される始末だ。
ひょこ、ひょこ、と部屋中から何かが姿を現した気配がする。人間とは本質的に違う波が、俺の声に返事をした。
「屋上に行きたい。対価は飴玉で」
懐から菓子瓶を取り出し、カラカラと中身を振って示した。
ざわり、と魔力が蠢く。
『よきいろをしておるな。みっつだ』
「分かった」
ガコン、と小部屋が揺れ、上向きの力が加わった。妖精の操作によって金属製の綱がぐるぐると巻き取られ、箱は持ち上げられて上昇する。
上方からぶつかる音が響くと共に、最上階へと辿り着いた。
「ありがとう」
手のひらに飴玉を四つ載せ、掲げる。
「一つはおまけだ。いい天気だからさ」
『ほう。ようせいも、そとにでるか』
嬉しげな声と共に、気配は小部屋の外に出ていく。流れを追って外に出ると、頬に風が吹いた。髪が舞い上がる。
ここが星見台、塔の頂上だ。
星見に適した高い塔。遙か昔に建てられたこの建物は、魔術的な大断絶……大戦以前の時代の代物だ。
昇降する小部屋を始め、解析不可能な魔術装置が数多く残されているが、俺には操作方法が分からない。
唯一、この塔に住む妖精たちは装置を動作させることができるが、使い方まで教えてくれることはない。
円形に広がる床は石で埋め尽くされ、方角を示す文字が刻まれている。ゆっくりと歩いて、周囲を囲む柵に手を掛けた。
視界の先には、壁が同心円状にこの塔を囲んでいる様が見て取れる。塔よりは低い。だが、人ならまず越えられないような壁が、三重に敷地を囲む。
そして、最も外側の壁の先には堀があり、なみなみと水が湛えられていた。
敷地と外との出入りは、ただ一カ所ある跳ね橋を使う。
跳ね橋は特定の操作をしないと動かず、その操作方法はレグルスの雇い主である、リギア家の領主が管理している。
「外は、遠いな」
柵に両腕を乗せ、その上に顎を置いた。
敷地の先には道が延び、町まで繋がっている。領主の屋敷がある町だ。
反対側にある道を行けば、また別の国の領地が広がっている。国境沿い近くにある交易が盛んな土地柄。だからこそ、貴族たちの交流、舞踏会を行うような建物が存在する。
「今更、外に行きたいか、っていうと。微妙なんだけどさ」
孤児として生まれ、育ての親の元で魔術の基礎と、星読みを学んだ。
親元を離れ、近くの町で働き始めたのは成人してからだ。街頭で大道芸人よろしく星読みを行い、投げ銭を得るようになった。
その時はまだ影響範囲が小規模で、星読みの結果、難を逃れた人もいたのだ。
だが、ある日から夢を見るようになった。誰かが夢に出て、星読みの結果に言葉を付け加える。ぼんやりしていた星読みの結果は、段々と輪郭を得るようになった。
夢を繰り返すに連れて、結果を齎す規模が段々と大きくなった。そして、権力者の死を読む、という結末を招いた。
俺の能力は、危険である。人々はそう言い、領主が手配をして、塔へと幽閉される事となった。
「外に出ても。どうせまた、繰り返すんだろうしなぁ……」
未だに、星読みの結果を補足する夢は見続けている。知った以上、伝えない事はできない。レグルスはいつも顰めっ面をしながら、結果を持ち帰る。
屋上は、唯一、外に出ている気分になる。
買い物をして、古本屋を漁って、美味しいものでも食べて、そういった日常が急に失われたから、名残惜しいのだろうか。
『そとにいきたいのか』
ずし、と肩に重みが掛かったような気がした。妖精たちは気まぐれだが、時おり慰めのような言葉を口にする。
くすぐったく思いながら答えた。
「行きたくないよ、面倒だし。そもそも、跳ね橋が動かせないだろ」
『そうか。それならいいが』
妖精は肩から頭へと移動し、そよぐ風を受けている。姿の見えない彼らは、この敷地を出られない事を不満に思わないのだろうか。
答えが怖くて疑問を口にできず、ただ俺は唇を閉じた。
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科
空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する
高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体
それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった
至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する
意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク”
消える教師
山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー
元カレに追い出された専門学生がネカフェでP活相手のパパちんぽに理解らせられてトロトロのメロメロになっちゃう話
ルシーアンナ
BL
既婚子持ちバイ×専門学生
Pixiv https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=27436158
ムーンライトノベルズ https://novel18.syosetu.com/n1512ls/
fujossy https://fujossy.jp/books/31185
処刑される悪役令息に転生したらなぜか推しの騎士団長がグイグイ近づいてくる
猫に小判
BL
交通事故で死んだはずの会社員・田中悠人は、気がつくとBL小説『恋と陰謀~はじまりは夜に~』の世界に転生していた。
しかも転生先は、原作で処刑される悪役令息エリオット。
当然そんな未来は回避したい。
原作知識を頼りに慎重に立ち回るつもりだったのに、気づけば王宮を揺るがす事件に巻き込まれていき――。
さらに困ったことに、原作で一番の推しだった騎士団長ガイウスがやたらと距離を詰めてきて……?
平穏に生きたい元悪役令息と、過保護な騎士団長がじれじれ距離を縮める話。
ガイウス(騎士団長)×エリオット(元悪役令息)
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
マンスーン
BL
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
家に帰ったら、妻は冷たくなっていた。突然シングルファザーになった勇者パーティーの治癒師は家族を修復したい
八朔バニラ
ファンタジー
勇者パーティーに所属し、魔王討伐した治癒師(ヒーラー)のゼノスは街の人々の歓声に包まれながら、3年ぶりに家に帰った。家族が出迎えてくれると思ったが、誰も出迎えてくれない。ゼノスは不満に思いながら家に入ると、妻の身体は冷たくなっていた。15歳の長男ルミナスはゼノスの代わりに一家の柱として妹を守り抜き、父に深い拒絶のこもった瞳を向けていた。そして、8歳の長女ミリアは父の顔も忘れていた。
ゼノスは決意する。英雄の肩書きを捨て、一人の不器用な父親として、バラバラになった家族の心を繋ぎ合わせることを。
これは世界最強の治癒師が家族を修復する物語である。