10 / 14
10
しおりを挟む
▽10
床に座り、自身の脚を抱え込む。
ミネラヴァは、『レグルスの希望で』監視者としての責務から外れることになった、と言った。嘘だ、と言うことはできなかった。
もし、あのとき熱を持って語られた言葉が本心ではなく、彼の職務への忠誠心から出た言葉であったなら。浮かんだ可能性を、否定し切ることができなかった。
妙な夢を見るようになる前、ほんの小さな、ひと一人のちょっとした未来を読んでいたあの頃は、不幸を回避できた、と喜ぶ人たちがいた。
星読師としての俺を見る眼差しは、まだ、人間を見る目をしていた。
だが、権力者の死を読んだ時から、周囲は俺を人として見なくなった。噂で語られる化け物としての俺は肥大化し、もう、俺自身にすら制御できぬ存在へと成り果てた。
たぶん、それから唯一、俺を人間として扱ってくれたのがレグルスだった。責めても、軽口を叩いたとしても、怒って、言葉を返して、人間として扱ってくれた。
「レグルス……」
ぼとり、ぼとりと目から水が滴り落ちる。地下室であるこの場所には、雨が届かない筈なのに、水音は止まない。
彼の希望で監視者を辞めるのか、問い糾したくない。是、と答えられてしまったら、今度こそ俺は、人間ではいられなくなる。
脚を抱える指先は真っ白になって、感覚を失っていた。
「どうせ、いなくなるなら────」
人としての幸せなんて、思い出させないで欲しかった。
化け物は化け物のまま、ひっそりと塔の中で、ただ胸を痛めながら、救えぬ不幸を読んでいたかった。
夜空の中に、人は星を探す。真っ暗な、どこまでも黒く広がる夜空に、人は輝くものを見つけようとする。
人が希望を絵として描くなら、きっとそれは、何れ墜ちていくであろう星のかたちをしている筈だ。
今は、暗闇しか見えない。
「────……」
どれだけの時間が経ったか分からない、手足の感覚が遠くなっていく中で、耳が階段を降りてくる音を拾った。
しかも、どかどかと蹴るように床を叩く音だ。
腕を放し、立ち上がる。危害を加えられぬよう、魔術を思い浮かべたところで、ひょっこりと鉄格子の隙間から、ちいさな影が姿を現す。
『よう』
「なん、……、っ、妖精くん……!」
ぶわ、と目元から涙が溢れ出した。ぴょん、ぴょん、と妖精たちは閉じ込められた扉の中に入ってくると、わらわらと俺に群がる。
小さな指で涙を掬い取ろうとする姿に、また泣けた。
『おほしさまは、みんなのちかくにいるものだ』
カシャリ、と扉の外で鍵を回す音がする。
音に身を竦めると、扉が外から押し開けられた。見知った姿、求めていた姿に、一気に体温が上がった。
「イオ! 無事か!?」
その声で、俺の目元は決壊した。うわぁああ、と悲鳴だか歓声だか分からない声を上げ、彼の首筋に縋り付く。
腕の中は温かくて、寝台で感じたそれと同じだった。
ただ子どものようにわんわんと泣くことしかできない俺を、大きな掌が撫でる。
泣きすぎてしゃくりあげることしか出来ない身体を、根気強く支え、しっかりとした胸元に押し付ける。
「レグルス! お、おれ……!」
「ああ。妖精たちから話は聞いた。塔が崩れる原因を突き止めて、早く知らせようとしてくれたんだろう?」
『妖精たちから話は聞いた』その言葉に、はた、と顔を上げる。
「なんで、会話が……?」
「それが、私にも分からないのだが。この子たちが、君のいう妖精だろう?」
レグルスが指さした先には、確かに妖精がいた。基本的に、人間には妖精が見えない筈だ。
視線で説明を促すと、妖精たちのうち一人が進み出る。
『とうの、かんりにんは、まりょくのなみをとうろくする』
「どの人間が管理人か、っていうのを、個人の魔力の波形を登録し、読み取って見分けている?」
『そうだ。でも、ほしよみしには、いま、べつのまりょくがまざっている』
「魔力が混ざるって……! 別に、……レグルスとは一緒に寝ただけだぞ!?」
魔術師にとって魔力が混ざる、最も簡単な手段は粘膜接触、性交だ。
だから、あいつと魔力が混ざってないか、という問いは、あいつと寝たのか、という意味合いを暗に含んでいる。
慌てて否定するのだが、レグルスは何が何か分かっていない様子で、妖精たちには、はいはい、と流された。
『ほしよみしは、まざったじょうたいで、かんりにんをとうろくした。よって、かんししゃもまた、とうのかんりにんになった』
「魔力が混ざっていた所為で、管理人を登録する装置がレグルスも管理者であると誤認した。結果、同じく管理人になったレグルスも、妖精たちが見えるようになった」
『そうだ。いちゃいちゃしておいて、たすかったな』
妖精たちの言葉に、ずっとレグルスの腕の中にいたことに気づく。びくりと身を震わせて腕を放し、慌てて距離を取った。
彼は俺の身体に傷がないことを確かめ、背を支えて立たせる。渡された鞄は、妖精たちが入っていたものだ。
「手間取って悪かった。領主様には話をしたいと連絡をして、白亜の塔へ行く前に、屋敷に立ち寄ってもらうよう頼んだ。イオも来てくれ。対策を話し合おう」
「分かった」
部屋を出て、地下室から上階へと向かう階段を登る。ほんの数時間ぶりのはずの地上は、やけに眩しかった。
大股で廊下を歩く、レグルスの背を追いかける。そういえば、今日の彼の服装は、装飾が多く、布地も分厚い。
どこぞの貴族のような服装が、やけに似合っていた。
「あんたは、なんで戻ってこなかったんだ……!?」
脚の長さの違いを埋めるため、息を切らせながら付いていく。ほぼ駆けるように、精一杯、脚を伸ばした。
「ちょうど、決めなければいけない事が溜まっていた。領主様から連絡を受けて帰ったら、い……、ミネラヴァ……様に、留まるよう工作された。事情を相談する手紙も飛ばしたが、握りつぶされたようだな」
「ああ、届いてないな。じゃあ、俺が捕まったのも」
「彼女は、信心深いと言っただろう。お前の星読みを、心から信じている人物のひとりだ。その所為で、私とイオを引き離さねば、と思ったらしい」
バン、と叩き付けるように扉を開ける。
扉の先には、白髪の男性が豪奢な椅子に腰掛けていた。服装は舞踏会用の洒落たもので、男性は立ち上がると、俺に視線を向ける。
この男が、リギア家当主であり、ここ一帯の領主その人のようだ。
「レグルスから概要は聞いている。星読師よ、分かっていること話してくれ」
俺は建物の構造に問題が見られないこと、舞踏場の妖精と話したこと。舞踏場を建てる際に崖の上の木を切り倒した所為で、その部分には木の根がなく、土砂崩れを起こしやすい状態になっていること。ここ最近は雨が続き、今日の雨がとどめになるであろうことを語った。
領主は、俺の話を遮ることなく聞き終えると、表情を曇らせた。
「あの崖は、私も目にして気になっていた。そうか。『星が墜ちる』とは、舞踏場が潰れて死者が出る、ということか」
「領主様。まず、白亜の塔に集まっている人々を、脱出させましょう」
「それは、……今はできない。先ほど、塔に通じる馬車の通れる幅の道路が、土砂崩れによって埋まった。雨がまだ落ち着いていた時間に館に入った来賓には、道路が直るまで滞在していただくことになっている」
馬で白亜の塔へと向かった時に使った、大きな道路のことだろう。あの道路が塞がっているなら、半分獣道のような道しか残っていない。
「ですが……!」
「当たるか、当たらないか分からない星読みの結果を元に、来賓の皆様に、雨が降った暗い道を歩かせることは、……私には選択できないな」
レグルスが食い下がっても、領主は首を横に振った。
人を逃がせないのなら、あの崖を崩れなくするか、崩れた土砂を何らかの方法で食い止めるか、だ。
「なあ、妖精くん。もし妖精たちに、対価を積んだら、どこまでできる」
『がけのそくめんに、いしをつむくらいなら』
「強度は足りるか」
『おそらく、たりない』
妖精は何も言わず鞄に潜ると、水分を吸ってよれた紙を引っ張り出す。
渡された紙を開くと、以前、建築方法の書かれた本から俺が魔術式を書き写したものだった。
今日は、本当に彼らは大盤振る舞いだ。言われなくとも、意図が伝わった。
「崖の側面に、妖精くんの力を借りて石を積み、魔術で補強した場合は?」
『…………ためす、かちはある』
途中、何事かを問おうとした領主は、黙って俺たちの会話を見守っていた。
二人に向き直ると、あの、と提案を口にする。
「妖精が、対価を積めば、崖の側面に崩落防止のために擁壁……石で出来た壁を建ててくれると言っています。ただ、それだと強度が足りないので、魔術で壁を補強して、土砂崩れを食い止めよう、と」
「領主様。あの、妖精など、絵空事を、と思うかもしれませんが……」
説明しようとしたレグルスの言葉を、領主は手を上げて制した。
「説明はよい。妖精はいるとも。君からずっと報告を受けていたし……昔、幼い息子が、よく話して聞かせてくれた」
レグルスは呆然と領主を見つめ、はっと我に返る。
「少し、待っていてくれるか。妖精たちへの対価を用意する」
彼は部屋を走り出ると、しばらくして、小さな宝石箱を抱えて走り込んできた。蓋を開け、妖精に向けて箱ごと差し出す。
その箱を見たとき、領主の顔色が変わる。
「その箱は……」
「母の遺品です。私に譲られたものですので、使い方は、────私が決めます」
箱の中に入り、宝石を確認している妖精たちは、こくん、と頷き合った。
『よいしなだ、たしかに……』
「待ってくれ」
妖精が箱を受け取ろうとした時、領主の声が割って入った。ふう、と苦笑を浮かべ、俺たちを見ている。
「誰かの遺品は、大切にしたまえ」
「でも、私には、他に対価になるものが……」
「領地の事だ、私が払っても良いだろう。宝石なら、私の方が多く持っている」
領主は片目をつぶると、執事を呼びつけ、両手に溢れるほどの宝飾品を運んできた。
妖精たちの了承を得ると、瞬きの間に、その品々は掻き消える。領主は唖然としていたが、憑き物でも落ちたかのように、穏やかな笑みを浮かべた。
『では、ようせいたちは、さきにむかう』
そう言い残し、妖精たち自身も屋敷から姿を消した。
「屋敷に仕えている魔術師に、補助をお願いできませんか。俺一人より、魔術の強度が上がるので」
「今、屋敷にいるのは、多くても五名ほどだが」
「いないよりいいです。魔術師なら、身体強化魔術を使って白亜の塔へ足で移動もできるでしょう、急いで向かわせて貰えますか」
「分かった」
領主が指示を出し終えると、俺たちも白亜の塔へと向かう準備を整える。
雨具を身に付け、屋敷の外へ出る。捕まった時に持っていた台車を、と言うと、領主を経由しての言葉だったこともあり、すぐに手配された。
雨に打たれながら、レグルスが台車を見て怪訝な表情を浮かべる。
「なんだ、これは……?」
「『自動走行式台車』だ」
「だから、それがなんだ、と……」
「乗ってくれ」
二人でいっぱいになる荷台に乗ると、俺は操作棒を目いっぱい手前に引く。屋敷の綺麗に整えられている土を跳ね上げながら、台車は動き始めた。
俺たちの姿を、馬に乗る領主が見送る。
「星読師! あとは頼む!」
操作棒を掴んだまま、片手を挙げた。
目の前には何も見えない、暗い景色だけが広がっている。
この雨音の中でもはっきりと通る声を背に、俺たちは暗い雨空の下を走り出した。
床に座り、自身の脚を抱え込む。
ミネラヴァは、『レグルスの希望で』監視者としての責務から外れることになった、と言った。嘘だ、と言うことはできなかった。
もし、あのとき熱を持って語られた言葉が本心ではなく、彼の職務への忠誠心から出た言葉であったなら。浮かんだ可能性を、否定し切ることができなかった。
妙な夢を見るようになる前、ほんの小さな、ひと一人のちょっとした未来を読んでいたあの頃は、不幸を回避できた、と喜ぶ人たちがいた。
星読師としての俺を見る眼差しは、まだ、人間を見る目をしていた。
だが、権力者の死を読んだ時から、周囲は俺を人として見なくなった。噂で語られる化け物としての俺は肥大化し、もう、俺自身にすら制御できぬ存在へと成り果てた。
たぶん、それから唯一、俺を人間として扱ってくれたのがレグルスだった。責めても、軽口を叩いたとしても、怒って、言葉を返して、人間として扱ってくれた。
「レグルス……」
ぼとり、ぼとりと目から水が滴り落ちる。地下室であるこの場所には、雨が届かない筈なのに、水音は止まない。
彼の希望で監視者を辞めるのか、問い糾したくない。是、と答えられてしまったら、今度こそ俺は、人間ではいられなくなる。
脚を抱える指先は真っ白になって、感覚を失っていた。
「どうせ、いなくなるなら────」
人としての幸せなんて、思い出させないで欲しかった。
化け物は化け物のまま、ひっそりと塔の中で、ただ胸を痛めながら、救えぬ不幸を読んでいたかった。
夜空の中に、人は星を探す。真っ暗な、どこまでも黒く広がる夜空に、人は輝くものを見つけようとする。
人が希望を絵として描くなら、きっとそれは、何れ墜ちていくであろう星のかたちをしている筈だ。
今は、暗闇しか見えない。
「────……」
どれだけの時間が経ったか分からない、手足の感覚が遠くなっていく中で、耳が階段を降りてくる音を拾った。
しかも、どかどかと蹴るように床を叩く音だ。
腕を放し、立ち上がる。危害を加えられぬよう、魔術を思い浮かべたところで、ひょっこりと鉄格子の隙間から、ちいさな影が姿を現す。
『よう』
「なん、……、っ、妖精くん……!」
ぶわ、と目元から涙が溢れ出した。ぴょん、ぴょん、と妖精たちは閉じ込められた扉の中に入ってくると、わらわらと俺に群がる。
小さな指で涙を掬い取ろうとする姿に、また泣けた。
『おほしさまは、みんなのちかくにいるものだ』
カシャリ、と扉の外で鍵を回す音がする。
音に身を竦めると、扉が外から押し開けられた。見知った姿、求めていた姿に、一気に体温が上がった。
「イオ! 無事か!?」
その声で、俺の目元は決壊した。うわぁああ、と悲鳴だか歓声だか分からない声を上げ、彼の首筋に縋り付く。
腕の中は温かくて、寝台で感じたそれと同じだった。
ただ子どものようにわんわんと泣くことしかできない俺を、大きな掌が撫でる。
泣きすぎてしゃくりあげることしか出来ない身体を、根気強く支え、しっかりとした胸元に押し付ける。
「レグルス! お、おれ……!」
「ああ。妖精たちから話は聞いた。塔が崩れる原因を突き止めて、早く知らせようとしてくれたんだろう?」
『妖精たちから話は聞いた』その言葉に、はた、と顔を上げる。
「なんで、会話が……?」
「それが、私にも分からないのだが。この子たちが、君のいう妖精だろう?」
レグルスが指さした先には、確かに妖精がいた。基本的に、人間には妖精が見えない筈だ。
視線で説明を促すと、妖精たちのうち一人が進み出る。
『とうの、かんりにんは、まりょくのなみをとうろくする』
「どの人間が管理人か、っていうのを、個人の魔力の波形を登録し、読み取って見分けている?」
『そうだ。でも、ほしよみしには、いま、べつのまりょくがまざっている』
「魔力が混ざるって……! 別に、……レグルスとは一緒に寝ただけだぞ!?」
魔術師にとって魔力が混ざる、最も簡単な手段は粘膜接触、性交だ。
だから、あいつと魔力が混ざってないか、という問いは、あいつと寝たのか、という意味合いを暗に含んでいる。
慌てて否定するのだが、レグルスは何が何か分かっていない様子で、妖精たちには、はいはい、と流された。
『ほしよみしは、まざったじょうたいで、かんりにんをとうろくした。よって、かんししゃもまた、とうのかんりにんになった』
「魔力が混ざっていた所為で、管理人を登録する装置がレグルスも管理者であると誤認した。結果、同じく管理人になったレグルスも、妖精たちが見えるようになった」
『そうだ。いちゃいちゃしておいて、たすかったな』
妖精たちの言葉に、ずっとレグルスの腕の中にいたことに気づく。びくりと身を震わせて腕を放し、慌てて距離を取った。
彼は俺の身体に傷がないことを確かめ、背を支えて立たせる。渡された鞄は、妖精たちが入っていたものだ。
「手間取って悪かった。領主様には話をしたいと連絡をして、白亜の塔へ行く前に、屋敷に立ち寄ってもらうよう頼んだ。イオも来てくれ。対策を話し合おう」
「分かった」
部屋を出て、地下室から上階へと向かう階段を登る。ほんの数時間ぶりのはずの地上は、やけに眩しかった。
大股で廊下を歩く、レグルスの背を追いかける。そういえば、今日の彼の服装は、装飾が多く、布地も分厚い。
どこぞの貴族のような服装が、やけに似合っていた。
「あんたは、なんで戻ってこなかったんだ……!?」
脚の長さの違いを埋めるため、息を切らせながら付いていく。ほぼ駆けるように、精一杯、脚を伸ばした。
「ちょうど、決めなければいけない事が溜まっていた。領主様から連絡を受けて帰ったら、い……、ミネラヴァ……様に、留まるよう工作された。事情を相談する手紙も飛ばしたが、握りつぶされたようだな」
「ああ、届いてないな。じゃあ、俺が捕まったのも」
「彼女は、信心深いと言っただろう。お前の星読みを、心から信じている人物のひとりだ。その所為で、私とイオを引き離さねば、と思ったらしい」
バン、と叩き付けるように扉を開ける。
扉の先には、白髪の男性が豪奢な椅子に腰掛けていた。服装は舞踏会用の洒落たもので、男性は立ち上がると、俺に視線を向ける。
この男が、リギア家当主であり、ここ一帯の領主その人のようだ。
「レグルスから概要は聞いている。星読師よ、分かっていること話してくれ」
俺は建物の構造に問題が見られないこと、舞踏場の妖精と話したこと。舞踏場を建てる際に崖の上の木を切り倒した所為で、その部分には木の根がなく、土砂崩れを起こしやすい状態になっていること。ここ最近は雨が続き、今日の雨がとどめになるであろうことを語った。
領主は、俺の話を遮ることなく聞き終えると、表情を曇らせた。
「あの崖は、私も目にして気になっていた。そうか。『星が墜ちる』とは、舞踏場が潰れて死者が出る、ということか」
「領主様。まず、白亜の塔に集まっている人々を、脱出させましょう」
「それは、……今はできない。先ほど、塔に通じる馬車の通れる幅の道路が、土砂崩れによって埋まった。雨がまだ落ち着いていた時間に館に入った来賓には、道路が直るまで滞在していただくことになっている」
馬で白亜の塔へと向かった時に使った、大きな道路のことだろう。あの道路が塞がっているなら、半分獣道のような道しか残っていない。
「ですが……!」
「当たるか、当たらないか分からない星読みの結果を元に、来賓の皆様に、雨が降った暗い道を歩かせることは、……私には選択できないな」
レグルスが食い下がっても、領主は首を横に振った。
人を逃がせないのなら、あの崖を崩れなくするか、崩れた土砂を何らかの方法で食い止めるか、だ。
「なあ、妖精くん。もし妖精たちに、対価を積んだら、どこまでできる」
『がけのそくめんに、いしをつむくらいなら』
「強度は足りるか」
『おそらく、たりない』
妖精は何も言わず鞄に潜ると、水分を吸ってよれた紙を引っ張り出す。
渡された紙を開くと、以前、建築方法の書かれた本から俺が魔術式を書き写したものだった。
今日は、本当に彼らは大盤振る舞いだ。言われなくとも、意図が伝わった。
「崖の側面に、妖精くんの力を借りて石を積み、魔術で補強した場合は?」
『…………ためす、かちはある』
途中、何事かを問おうとした領主は、黙って俺たちの会話を見守っていた。
二人に向き直ると、あの、と提案を口にする。
「妖精が、対価を積めば、崖の側面に崩落防止のために擁壁……石で出来た壁を建ててくれると言っています。ただ、それだと強度が足りないので、魔術で壁を補強して、土砂崩れを食い止めよう、と」
「領主様。あの、妖精など、絵空事を、と思うかもしれませんが……」
説明しようとしたレグルスの言葉を、領主は手を上げて制した。
「説明はよい。妖精はいるとも。君からずっと報告を受けていたし……昔、幼い息子が、よく話して聞かせてくれた」
レグルスは呆然と領主を見つめ、はっと我に返る。
「少し、待っていてくれるか。妖精たちへの対価を用意する」
彼は部屋を走り出ると、しばらくして、小さな宝石箱を抱えて走り込んできた。蓋を開け、妖精に向けて箱ごと差し出す。
その箱を見たとき、領主の顔色が変わる。
「その箱は……」
「母の遺品です。私に譲られたものですので、使い方は、────私が決めます」
箱の中に入り、宝石を確認している妖精たちは、こくん、と頷き合った。
『よいしなだ、たしかに……』
「待ってくれ」
妖精が箱を受け取ろうとした時、領主の声が割って入った。ふう、と苦笑を浮かべ、俺たちを見ている。
「誰かの遺品は、大切にしたまえ」
「でも、私には、他に対価になるものが……」
「領地の事だ、私が払っても良いだろう。宝石なら、私の方が多く持っている」
領主は片目をつぶると、執事を呼びつけ、両手に溢れるほどの宝飾品を運んできた。
妖精たちの了承を得ると、瞬きの間に、その品々は掻き消える。領主は唖然としていたが、憑き物でも落ちたかのように、穏やかな笑みを浮かべた。
『では、ようせいたちは、さきにむかう』
そう言い残し、妖精たち自身も屋敷から姿を消した。
「屋敷に仕えている魔術師に、補助をお願いできませんか。俺一人より、魔術の強度が上がるので」
「今、屋敷にいるのは、多くても五名ほどだが」
「いないよりいいです。魔術師なら、身体強化魔術を使って白亜の塔へ足で移動もできるでしょう、急いで向かわせて貰えますか」
「分かった」
領主が指示を出し終えると、俺たちも白亜の塔へと向かう準備を整える。
雨具を身に付け、屋敷の外へ出る。捕まった時に持っていた台車を、と言うと、領主を経由しての言葉だったこともあり、すぐに手配された。
雨に打たれながら、レグルスが台車を見て怪訝な表情を浮かべる。
「なんだ、これは……?」
「『自動走行式台車』だ」
「だから、それがなんだ、と……」
「乗ってくれ」
二人でいっぱいになる荷台に乗ると、俺は操作棒を目いっぱい手前に引く。屋敷の綺麗に整えられている土を跳ね上げながら、台車は動き始めた。
俺たちの姿を、馬に乗る領主が見送る。
「星読師! あとは頼む!」
操作棒を掴んだまま、片手を挙げた。
目の前には何も見えない、暗い景色だけが広がっている。
この雨音の中でもはっきりと通る声を背に、俺たちは暗い雨空の下を走り出した。
22
あなたにおすすめの小説
真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~
水凪しおん
BL
フェロモンの影響を受けない「ベータ」の執事ルシアンは、前世の記憶を持つ転生者。
アルファ至上主義の荒れた王城で、彼はその特異な「無臭」体質ゆえに、フェロモン過多で情緒不安定な三人の王子たちにとって唯一の「精神安定剤」となってしまう。
氷の第一王子、野獣の第二王子、知略の第三王子――最強のアルファ兄弟から、匂いを嗅がれ、抱きつかれ、執着される日々。
「私はただの執事です。平穏に仕事をさせてください」
辞表を出せば即却下、他国へ逃げれば奪還作戦。
これは、無自覚に王子たちを癒やしてしまった最強執事が、国ぐるみで溺愛され、外堀を埋められていくお仕事&逆ハーレムBLファンタジー!
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
過労死転生した公務員、魔力がないだけで辺境に追放されたので、忠犬騎士と知識チートでざまぁしながら領地経営はじめます
水凪しおん
BL
過労死した元公務員の俺が転生したのは、魔法と剣が存在する異世界の、どうしようもない貧乏貴族の三男だった。
家族からは能無しと蔑まれ、与えられたのは「ゴミ捨て場」と揶揄される荒れ果てた辺境の領地。これは、事実上の追放だ。
絶望的な状況の中、俺に付き従ったのは、無口で無骨だが、その瞳に確かな忠誠を宿す一人の護衛騎士だけだった。
「大丈夫だ。俺がいる」
彼の言葉を胸に、俺は決意する。公務員として培った知識と経験、そして持ち前のしぶとさで、この最悪な領地を最高の楽園に変えてみせると。
これは、不遇な貴族と忠実な騎士が織りなす、絶望の淵から始まる領地改革ファンタジー。そして、固い絆で結ばれた二人が、やがて王国を揺るがす運命に立ち向かう物語。
無能と罵った家族に、見て見ぬふりをした者たちに、最高の「ざまぁ」をお見舞いしてやろうじゃないか!
転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした
リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。
仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
記憶を無くしたら家族に愛されました
レン
BL
リオンは第三王子で横暴で傲慢で侍女や執事が少しでも気に入らなかったら物を投げたり怒鳴ったりする。家族の前でも態度はあまり変わらない…
家族からも煩わしく思われたていて嫌われていた… そんなある日階段から落ちて意識をなくした…数日後目を覚ましたらリオンの様子がいつもと違くて…
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!?
「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる