番を持ちたがらないはずのアルファは、何故かいつも距離が近い【オメガバース】

さか【傘路さか】

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 数日間、僕はリカルドを見つける度に目で追っていた。

 彼の眼の下には隈が刻まれ、あまりいい休息は取れていないようだ。こっそりと窓枠に近づき、ぎゅっと熱くなる目頭を揉んだ。

 家族以外で、唯一、近しく接した人だからだろう。自身に言い聞かせては、疼く胸を押さえつける。

 彼から貰った菓子の箱は、寝台の横の小机に置きっぱなしだ。まだ、何を入れようか決めきれずにいる。

「ロシュ、昼から少し時間をくれるか?」

「…………いいよ。でも、どうしたの」

 朝方、出会い頭に声を掛けられ、そう問い返した。リカルドは答えを濁らせ、表情を曇らせる。

 僕は安心させるように、柔らかく言葉を続けた。

「答えにくいなら大丈夫。どこで待ち合わせする?」

「ああ、俺の部屋で。ロシュの、いつもの昼食時間の後くらいでどうだ?」

「分かった。それまでに仕事を片付けるね」

 大げさなほど笑って、胸の前で両の拳を握りしめる。リカルドはふっと唇を緩めると、小さく手を振って歩いていった。

 触られなかった、と気づいて、その事にがっかりしている自分に驚く。

「僕、魔力を混ぜて欲しかったのかな……」

 抱き寄せられた時の匂いと、魔力の感覚を思い出す。引っ掛ければ容易く絡み付くような相性の魔力。あの魔力が、いずれ他の誰かのものになるのか。

 リカルドが雷管石を神殿に預けようとしないことに安堵して、いずれその日が来ることを憂う。初めて得た感情は、掬い上げたくない程どろどろとしていた。

 昼まで速度を上げて仕事を片付け、ちょうど昼前に魔術式の補修を終える。急いで食堂へ行って食事を終え、時間に余裕を持たせておいた。

 予定していた時間ちょうどに、彼の部屋の扉を叩く。

「どうぞ」

 部屋の中から聞こえた声は、予想していた声ではなかった。中から扉が開き、見慣れた琥珀色の瞳が出迎える。

「リカルド……?」

 彼の背後には、ひらひらと手を振る青い目の人がいる。あれ、と隣に視線を向けた。

「呼んでおいたんだ。三人で話をしたくて」

「そうなんだ」

 いつも二人で並ぶはずのソファは空けられており、オースティン様はひとつだけ離れた席のほうに座っていた。中央の机には湯気を立てたポットとお茶菓子が届けられている。

 果たして、あの菓子の味を楽しむ余裕はあるのだろうか。二人にそれぞれ依頼を受けていた立場であり、それでいてリカルドが苛ついていた様子を見ていた限り、あまりいい話の気がしない。

 そろそろとソファに腰掛けると、間を空けてリカルドが隣に座った。オースティン様が僕のカップにお茶を注いでくれる。雷管石と同じような色味の液体が、精緻な細工が施されたカップを染めた。

 続いて、にこにことリカルドのカップを満たしはじめた兄を、弟は釈然としない表情で見つめていた。

「それで、ロシュと私をどうして此処に?」

 自分のカップにゆっくりと口を付けた後で、オースティン様は問いかけた。リカルドの背が伸びる。

 ぴりぴりとした空気を感じ、僕はカップを一口以上くちに含めなかった。

「例の、雷管石に魔力が込められない件だが」

「ああ、リカルドが原因だ、っていう話?」

「把握してるなら話が早い。おそらく、俺が神術に似たものを作り出してしまったんだろう。それで、……俺は、術に似たもの……この魔力を弾く障壁を解きたいと思っている」

「どうして? ロシュには伝えたけど、私は別にその雷管石が売れなくてもいいと思っているよ」

 リカルドは向かいの兄を見つめ、ゆっくりと首を横に振る。

 誰も手を付けないカップの中の水面は、一筋の波紋すら立たなかった。

「この雷管石は、障壁が解けたとしても手元に置く。そう決めた」

「そう……それは良かった」

「本当にいいの? リカルド」

 そう言ってはっと口を押さえるが、目の前のオースティン様は、にや、と笑うだけで、敬語を無くした僕を咎めはしなかった。

「……あぁ、売り上げに拘りすぎていたのかもしれない。と思い直してな。それに。……大神官に言われた通り、この雷管石は、俺が望んで手放したくない、と思ったものなんだ」

 はあ、と観念したようにリカルドは指を伸ばし、カップを持ち上げた。まだ冷えきっていないだろうそれを、ぐっと喉に流し込む。

「俺は、この雷管石を渡したい人がいる」

 え、と口を衝いて出ようとした言葉を必死で飲み込む。

「だから、売りたくなかった。……最初から、売ろうとしなきゃ良かったよ。埋め合わせに他の石を安く売ることになっちまったし」

「それくらい心が決まっているのなら、障壁、とやらが解けてもいいと思うけどね」

 オースティン様は、リカルドが握った石を覗き込む。石からは魔力の気配を感じなかった。

「ああ。でも、まだ俺がぐちゃぐちゃしてるから、変な力が変に発動したままなんだろう。その解決の為に兄貴に来てもらったんだ」

「なに?」

 兄は、ふわり、と柔らかい笑みを口元に刷いて、艶然と脚を組み替える。弟はそれを受けても、態度を崩さなかった。

 解決を、とリカルドが望んでいることがよく分かった。

「俺は、あんたより前に番を持ちたくない。……いや、持ちたくなかった」

 はっきりと、オースティン様が疑念を抱いていた事柄を弟は肯定する。

「うん。何となく、分かっていたよ」

 受け止める兄も、当然のように受け入れた。もう何年も、独りで、肯定された仮説を立て続けてきたような態度だった。

「昔、あんたの生みの親……母親に会ったことがある」

「え…………?」

 オースティン様の唇から声が漏れ、驚きに目が丸くなった。

「裏門の外にいた時、偶然はち合わせた。あちらは、長いこと復縁を望んでいたらしい。俺のことを見て『貴方がいなければ』と言われたよ。もう少し長く罵られたはずだけど、詳しくは覚えてない。その人と、二度会うこともなかった」

 ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ様子は頼りなくて、手を伸ばして重ねたくなった。なのに、他に雷管石を渡したい、と思う人がいる事実が僕を押し留める。

 もう、崩れる肩を支えるのは自分の役目ではないのだ。

「それから、何となく後ろめたくて。兄貴が屋敷を継ぐことになって、正直ほっとした。出来が悪い弟になりたくなくて努力はしたけど、それでも、兄の次でいたかった。番ができるのも、あんたの次がよかった」

 どれだけの時間だったか、無音が過ぎた。しばらくして、静かな音が聞こえてくる。

 目の前で、オースティン様は静かに涙を伝わせていた。しゃくり上げもせず、ただ涙の川を落としていく。

 呆然とした顔には、驚きと後悔の色がある。

「────リカルド。私は、君より上に立ったことなんてないよ」

「は…………?」

「番の間の子じゃない。ただ、一番目に生まれただけだ。一番を譲ってもらって、お飾りの当主になる。父には散々言ったんだ。能力のあるリカルドを上に立たせた方が良いって」

 美しい人は懐から四つ折りにした白い布を取り出すと、目の下を拭った。くしゃりと握り込んだ布には皺ができている。

「でも、聞き入れて貰えなかった。リカルドには行動力がある、飛び回るのだって苦にしない。それなら役割分担として、弟の方に立場として自由を持たせた方がいいと考えている、と父は言った。私はね。領主としての能力がなくてもいいんだよ。……リカルドがいるなら」

 ぽたり、ぽたり、と拭ったはずの涙が湧く。布で拭いきれなくて、綺麗な服にも染みができていった。

 リカルドもまた、目元に涙を溜めている。あと僅かで、堰を切りそうだ。

「でも。私はやっぱり君が好きで、弟がいて良かったと思ってる。私の能力が足らないのは私の責任で、これから積み上げればいいことだ。だから、もう、私に遠慮するのはやめてほしい。────私は、君以外に弟を持たないんだよ」

 はは、と照れ笑いを浮かべて、残った涙を布地に押しつける。

 兄が弟の事を心配していたのは、自分もまた、後ろめたい所があったからかもしれない。疎外感を弟と同じように感じているからこそ、彼を救いたくて僕にまで頼んだのかもしれない。

 僕の肩にリカルドの顔が押し付けられる。ぽたぽたと落ちる水滴がなんであるかは、問わずとも分かった。そろりと手を伸ばし、頭を撫でる。

 彼の番はここにはいない、それまでの代役だ。

「……俺、は…………。あんたの次期当主としての能力を、疑った事なんてない……。俺の兄貴だって、あんただけだろ」

「────うん」

 頷いた兄は嬉しそうで、膨らんだつぼみが花開く様を思わせた。リカルドはそれからしばらく肩を震わせ、落ち着いたときには目が真っ赤になっていた。

 取り出した四角布で目元を拭うと、照れたように顔を逸らす。くすくすと笑うと、頬まで真っ赤になった。

「ほんと、うちの弟はかわいいよね。リカルドは小さい頃、川の近くに行くのが好きで、綺麗な石を拾っては私にくれたんだよ」

「へぇ……。かわいいね、リカルド」

「兄貴……!」

 立ち上がって掴みかかろうとする弟を、兄は、あはは、と笑いながらいなす。アルファ同士である兄弟の力関係にそこまで差はないようで、オースティン様はなかなか捕まらなかった。

 諦めた弟は僕の隣に戻ってくる。どっかりと座り込んで、思い出したように顔を上げた。

「────そういえば、兄貴はロシュが好みだったりするか?」

「それは、番として?」

「ああ」

「……考えたこともなかったなあ。匂いは親しみやすいものだけど、番とは違うかな」

 あっさりとオースティン様はそう言った。

 彼は僕と二人きりで話す時も、ずっとリカルドの話ばかりだった。几帳面なほど僕に触ろうとはしないし、それは、番としての好意を示さないことで、僕を安心させるためだったように思う。

 つい、横から口を出してしまった。

「オースティン様は親切にしてくださっただけだよ」

「……土産を渡したりしただろ」

「ああ、そういうことか」

 合点がいったように、オースティン様は両の掌を合わせる。

「私が、ロシュに頼み事をしていたんだよ。リカルドがなぜ番を作ろうとしないのか、調べてほしい。……って、お土産はそのお礼」

「相談、って。そういうことかよ……ロシュも土産の缶を大事そうにしてるし」

「だって、綺麗な缶だったから。……あ、調味料入れに使わせていただいてます」

「食べた後も使ってくれて嬉しいよ」

「………………調味料入れ?」

 リカルドは何となく思っていたのと違ったようで、溜めていた息を吐き出した。ソファに背を預け、無言で天井を見る。

 僕はきょとんとリカルドに視線をやった。

「僕がオースティン様に釣り合ってないのは分かるけど、そこまであからさまに安心しなくても……。僕とオースティン様じゃ、どうもなりっこないよ」

「……いや、そういうことじゃ…………」

 オースティン様は、向こう側でけらけらと腹を抱えて笑っている。身を起こしたリカルドがじとりと兄を睨め付けると、ごめんごめん、と笑いを落ち着ける。

 目元に浮いた涙を掬い取って、青い目を弟に向けた。

「雷管石。うまく渡せることを祈っているよ」

「口元がまだ笑ってんだよ……!」

 立ち上がった弟はまた兄に掴みかかると、ぐいぐいと肩をソファに押し付ける。遊びにしては本気になって掴み合いはじめた二人に、僕が制止の言葉を掛けるのも遠いことではなかった。



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