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 イザナとの同居は、結構な速度で周囲に知れ渡った。

 その度に研究の為に同居を、と説明をするのだが、研究の為に同居できるほど仲が良い番候補なのだ、と曲解されてばかりだ。

 最近は面倒になって、番扱いも受け流している。

 そんなとある日、イザナから俺の実家に行かないか、と誘われた。多く耳付きが生まれている家柄だからこそ、父母なら知っていることがあるのでは、との事だった。

 俺は両親に連絡を取り、耳付きについて研究している同僚が、と説明をして訪問の予定を立てた。今日は昼まで仕事をして、午後から実家に訪問する予定だ。

 昼休憩の鐘が鳴ると、俺は机の上を片付けて立ち上がる。

「フェーレス。昼から休みだっけ?」

「ロア課長」

 俺が動くのを見かけたのか、課長から声が掛かる。この人は俺と同じく耳付きの人物で、イザナの研究協力者としても名前が挙がった人だ。

 薬で魔力に干渉しようと思っている、と簡単に進捗報告もしていた。

「はい、今日はうちの実家に行って、耳付きの事について両親に話を聞こうと思ってるんです」

「ああ。耳付きがよく生まれる家、なんだっけ」

「そう、ですね。なので、俺が知らないことも、両親なら知っているんじゃないかと」

 俺の言葉を聞いて、ロア課長はくしゃりと顔を顰めた。わしわしと俺の頭を撫でる。

 この人は俺が無理をしているんじゃないかと思っているらしく、こうやってよく様子を確認している。

「嫌なことされたら言うんだぞ。俺が医療魔術部へ殴り込みに行くから」

「はぁ……。今のとこ、特になにも……」

「でも、急に同居を始めるってなあ。本気で心配なんだが……」

 はあ、と息を吐く上司は、俺の周りで唯一といっていいほど、イザナへの警戒心を隠さない。

 俺すらも丸め込まれつつあるのに、上司が牙を剥いているのが面白く感じてしまうほどだ。

「まあ、不安もなくはないですけど。生殖能力が備わる薬、できたら課長も欲しくないですか?」

 軽口のつもりだったのだが、相手の視線は泳いだ。

「…………そりゃ、なあ」

 ぽつり、と落ちた言葉に、感情が痛いほど乗っていた。この人には、番がいる。姉と同じだ。

 俺が言葉を返そうと口を開いた時、背後から声がかかる。

「フェーレス。お迎え!」

 振り返ると、部の出入り口にイザナが立っていた。

 今日は眼鏡もなく、白衣姿でもなく。髪もきっちりと結われ、服も訪問着として相応しい上品な服装をしていた。

 俺もローブを別の質の良い外套へと着替えるつもりだが、イザナの変貌はあまりにも抜きん出ている。

 貴族の出、だと聞いた。彼を連れてそう言えば、誰もがそれに頷くだろう。

「捕まえて悪かった。……いってらっしゃい」

 ひらり、と手を振る上司に、断ってその場を離れる。イザナの元に駆け寄ると、彼はにこりと笑った。

「さっきの、耳付きの課長さん?」

「ああ。協力者候補だったんだっけ」

「うん。けど、番持ちは、……あっちのアルファが嫌がるだろうしね」

 時折、イザナは俺の手に触れては、魔力の流れを読んでいる。薬の試作品を飲まされ、魔力の変化を読み、更に薬を改良、という手順を繰り返す以上、互いの接触は不可避だ。

 番持ちのオメガにやろうものなら、相手のアルファによって血を見る気がした。

「フェーレスが引き受けてくれてよかったよ」

「一石投げても、一羽の鳥にしか当たらないぞ」

 俺は更衣室に立ち寄り、外套を羽織った。ほんの少しだけ髪型を整え、待たせていたイザナに歩み寄る。

 彼の手元には、有名店の紙袋が提げられていた。

「それ、手土産か?」

「うん。将来、僕の御両親になる人たちだし」

「もう一々、なんか言うの疲れた」

 最近は、この言動にも反応しなくなった。

 だが、イザナは俺が受け入れているとでも思っているのか、嬉しそうにするばかりだ。今まで周囲にいたアルファはもっと攻撃的な印象だったが、彼に対しては、それはない。

 実は、真綿で絞められているのかもしれない。だが、俺が気づいていない以上、その感触には慣れていくばかりだ。

「あれ? 乗合馬車じゃないのか」

 思っていた方向と、逆に向かうイザナを呼びとめる。彼は一度振り返って、頷いた。

「実家の馬車を呼んであるよ。一応、ご挨拶だし、形だけでもね」

 案内された場所では、白馬が引く明るい色の馬車が停まっていた。御者はイザナを見つけると挨拶をして扉を開け、中へと促す。

 室内は貴族らしく華やかで、生花が彩りを添えている。仕事着に少し良い外套を羽織ったばかりの俺には、場違いに感じるほどだ。

「これ、あとで請求されたりとか……ないよな」

「ははは、ないない。父は相当、財産を持っているよ。請求されるんなら、僕が生まれてからの養育費も請求されないとなぁ」

 黒いものが混じった冗談に、俺は苦笑いを返す。どうやら放任主義ながらも、頼めば役割を果たしてくれる父親らしい。

 イザナ自身は愛人の子、と言っていたが、憎まれている訳でもないようだ。

「そうだ、フェーレス。手土産はお菓子にしたんだけれど、ご両親、甘いものは大丈夫だったかな」

「ああ。好きだよ」

 開かれた袋の先は、手土産としてはちょっとお高めの、定番商品だった。父も母も喜んで食べるだろう。

 ほっとしたように袋の口を閉じる姿から、真面目に手土産を選んだことが窺える。

 服装や、髪がきちんと梳かれ、結われていることから、彼の普段の研究馬鹿っぷりを想像することは難しい。

 普段は眼鏡の奥にある温かみのある色が、まっすぐに俺を射貫く。

 彼を表現するなら、貴族の御曹司だとか、それこそ王子様とでも喩えるかもしれない。

「今日は……、準備がいいな」

「うん。これで手抜きをするようじゃ、君の番にはなれないからね」

 普段は番になることが前提のように発言するのに、今日の言葉はなんとも弱気だ。目を瞬かせ、普段のあの態度が、どうやら虚勢込みであったことを知る。

 本心から、俺と番になれると思ってなどいないのだ。だから、彼は階段を踏む。

「冗談じゃなかったんだな」

「君を番にしたいってこと?」

「ああ。なんだっけ、飲み物を奢った? それで番を決めるなんて、冗談みたいだろ」

 笑っているのは、俺だけだった。イザナは寂しそうに眉を下げる。やがて、俺の笑みも萎んでしまった。

「────僕は、運命的な恋をするのは、アルファの方が多いと考えてる。なんでだと思う?」

「……オメガは、発情期以外では大人しいというか。あんまり、アルファに近づこうとしない、から?」

 俺の返事に、イザナは興味深そうに目を細めた。組んだ指を動かし、言葉を頭に叩き込んでいる様子だ。

「発情期以外に、相手に対して欲を持ちやすいのは、アルファの方かもしれないね」

「うん、そんな感じ。イザナは、なんでだと思うんだ?」

「僕はね。アルファの方が、欠けているからだって思う」

 黙って、言葉の先を促す。

 オメガの立場から見て、アルファに欠けていると思ったことはない。むしろ、アルファと呼ばれる人々は、様々な能力に長けている印象だ。

「生まれた時から、何かが足りないって感覚が付きまとう。だから、揺らいで、欲の振れ幅が強くて、落ち着かない。番にしたいオメガを見つけると、雷に打たれたように思うんだ。やっと、欠けた部分を見つけた、って。手に入れて、傍に置かないと。また、あの、ゆらゆら揺られるような日々が始まってしまう」

 彼は両手を開いて、組んでいた手を解いた。

 伸びてきた指は、俺の頬を撫でる。慣れつつある魔力が、皮膚の上を滑った。感じたのは平穏だ。

 欠けた部分を埋められたような、なんともいえない充足感がある。

「アルファも、オメガも、魔力の波は独特な波形を持っているのかもしれない。その波形を合わせて、噛み合うような相手を探す。そうすると、穏やかに居られるから」

 頬に触れていた掌が離れ、俺との間に差し出される。その掌に、手を重ねた。

 軽く握られた手から、相手の魔力が流れ込んでくる。もう、俺の魔力については、相手の方がよく知っているかもしれない。

 だから、これは単なる戯れだ。

「恋をするのに理由を探すのは馬鹿げているよ。だって僕ら、生物なんだもの」

 こんな男の魔力に対して、身体は落ち着きを覚えている。対して、頭は相手のことでいっぱいで、ぐらぐらと揺れている。

「……そんなの、信用できるか」

「うん。信用してもらえるように頑張るよ」

 不安に揺れている声は、この男には効かない。押し負けていることを自覚しながら、馬車に揺られた。

 普段からすれば静かな馬車内も、酷い空気ではない。アルファを傍らに置く空間に、俺は慣れつつあった。

「お世話になりました」

 御者に挨拶をして、実家の前に降りる。こんなに豪華な馬車が来るのが珍しいのか、もう父母が共に玄関先まで見に来ていた。

 御者は出発前に父母に挨拶をすると、後をイザナに引き継いで馬車で去っていった。

「初めまして。魔術研究所、医療魔術部所属のイザナといいます。今回は、研究へのご協力、ありがとうございます」

 手土産を渡し、両親と自己紹介を済ませる。母は手土産を受け取ると、中に、と建物内へ促した。

 自宅は、家族で住むには狭い家だ。だが、いま住んでいるのは両親くらいのもので、庭は父の日曜大工の成果も含め、綺麗に整えられている。

 子どもたちが家を出るまではここまで整っていなかったから、最近できた趣味なのだろう。

 家に入る前に、イザナは神殿の方向を見上げた。実家からは、象徴ともいえる高い壁が視界に入る。

「神殿、近いだろ?」

「うん。ここまでご近所だとは……」

 二人そろって居間に案内され、上着を脱いだ。脱いだ上着は預かられ、部屋の隅に掛けられる。

 勧められた椅子に腰掛けると、間を置かずに目の前の机にお茶と菓子が出された。

「ありがとうございます。……いただきます」

 イザナは綺麗な所作でお茶を口に含む。座り方も背筋が伸びていて、貴族としての立ち振る舞いの教育は受けていることが分かった。

 父も母も、彼の容姿と空気に飲まれている。我が家は丸ごと一般庶民の家で、その中にイザナを置くと浮いて見える。

「今日、お邪魔したのは、……頭の上に三角耳のある人物に……」

「ああ。『耳付き』と呼んで構いません。貴方が差別的な言葉ではなく、便宜上そう言っているのだと、理解しておりますので」

 父がそう言うと、イザナは助かった、というように浮かんでいた肩を下ろした。

「僕は、耳付きの人々に、生殖能力がない原因が何か。そして、それが解消できないかの研究をしています。この家には、耳付きが生まれることが多かった、とフェーレスに聞きました。耳付きについて、知っていることをお聞かせ願えませんか」

 父は手元のカップを持ち上げ、唇を湿らせた。いちど俺に視線を向け、イザナへと戻す。

「耳付きは、我が家では祝福だと教えられてきました。耳付きの子は、膨大な魔力を有します。魔術師が生まれるような家系ではない我が家から、王家の中枢で働くような子が突然生まれるのです」

「フェーレスのお姉さんも、同じ耳付きだとお伺いしました」

「はい。あちらも親の贔屓目ではありますが、魔術師としてはよくやっておるようです。最近、番を得たばかりで、……ですが、娘の番にも私たちは話をしました。『基本的に』耳付きの人間に生殖能力はない、その覚悟をしてくれ、と」

 父の言葉の中で、強調された一語があった。俺もイザナもそれに気づく。二人で視線を交わし合い、相手の口が開かれるのに任せた。

「『基本的に』? 子どもを得る方法があるのですか?」

「…………。ただの伝聞です。そうした人物がいた、という不確かな情報でしかありません。だから、娘たちには伝えてありますが、あまりにも不確かすぎる情報だとも言いました」

「その、例外とは?」

 ゆらゆらとカップから上がる湯気の所為で、空気が重たい。両親は顔を見合わせる、そうして、重たい口を開いた。

「耳を切り落とす、のです」

 ごくり、と唾を飲んだ。喉がからからに渇いて、痛みさえ覚えるほどだった。

 俺もイザナも、ただ言葉を失う。

「神から祝福を与えられた耳を切り落とし、膨大な魔力を失えば、生殖能力が戻る、と、そう言い伝えられてきました。けれど、神から与えられた祝福を切り落とすなんて、とんでもない。それに、情報も不確かなことから、ここ最近で試した者はおりません」

「………………。すみません、あまり。気分のよくない話をさせてしまって」

「いいえ。このことを話した時、娘も気落ちしていました。耳を失わずに、生殖能力が備わるのなら、娘は喜ぶと思います」

 それから、イザナはこれまでに俺の身体を介して知り得たことを両親に語った。確かに、これまでの仮説からすれば、耳を失えば生殖能力は備わる気がする。

 彼は、普段よりも強い口調で語る。

「────既に、無意識に魔力を放出してしまう病への薬は存在します。零から一は難しくとも、この問題には一がある。今回、話を聞いて、自分の考えが間違っていなかったことが分かりました。あとは、薬を完成させるだけです」

 耳が魔力を取り込む仕組みも、薬が目指す効能も、イザナは強い口調で、感情を含めた声音で語る。

 父も、母も、そして俺もがその熱に巻かれていた。一頻り話し終えると、彼はカップを持ち上げて喉を濡らす。

「…………あまり、専門的な話ばかりで面白くなかったでしょう。取りあえず、フェーレスのお姉さんに、あと数年くらい、耳を落とすのは待つよう伝えてもらえませんか? それまでには、なんとか薬を完成させたいと思っていますから」

「はい。……よろしく、お願いします」

 父母はその場で頭を下げた。

 イザナは頭を上げるように言う。まだ薬も完成していないのに、と彼は言うのだが、ここまで、この問題に深く取り組もうとした人を見たのは初めてだ。

 俺だって、姉がここまで重く捉えているとは知らなかったのだ。

「フェーレス。やっぱり、耳に限定して干渉すればいい気がする。その膨大な魔力の恩恵は一定期間、失うかもしれない。だけど、完全に失う訳じゃない。外界と魔力を中継する、その耳だけに作用しつつ、副作用のない成分を探そう」

「おう」

 俺たちが話し合っている様を、両親は物珍しそうに見つめている。二人の存在を思い出し、俺が言葉を切ると、イザナも申し訳なさそうに苦笑した。

「フェーレス。は、イザナさんと仲がいいんだな」

「う、ん……まあまあ。研究のために一緒に住んでるから」

「「え……?」」

 父と母の声が揃った。

 俺は失言だったことを悟るが、もう放った言葉が戻ってくることはない。視線が泳ぎ、両親の顔を見られなかった。

「あの、同居、といってもお互いの部屋に鍵は掛かります。僕の方は、彼さえよければ番になりたいと思っているんですが」

「おい……!」

 横から彼の腕を掴んで揺さぶるのだが、イザナはにこりと笑うばかりだ。俺が両親の方を見ると、二人ともが生暖かい視線をこちらに向けていた。

「だから、今日ご挨拶に?」

 母の言葉に、俺は額をイザナの肩にぶつける。もう、弁解のしようもないかもしれない。

「いえ、まだ。僕の方が、気持ちを伝えて、回答待ちというか……」

「あらあら。まあ……! お父さん、どうしましょう」

 なんだか嬉しそうな両親と、いつも通りな同居人との間に挟まれ、俺は居心地の悪さに尻が浮く。

 俺だけ来て話を聞けばよかった、と思っても後の祭りだ。

 それから実家で所有する耳付きに関する資料を出してもらい、大量に出されたお菓子を食べ、両親が最近力を入れている庭を見せてもらい、夜になって帰る頃にはイザナは父母と意気投合していた。

 父も母も、新しく婿を迎えたかのような空気だ。外堀を埋められる、というのは、こういう事なのだと身をもって知った。





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