婚約破棄されましたが、幼馴染の彼は諦めませんでした。

りつ

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あの雨の続き

「スカーレット。そんなに怒るな」
「怒っていません」

 買い物を済ませ、私たちは喫茶店にてお茶をしていた。窓際の席で、暖かな日の光が差し込んでくる特等席。客の会話を邪魔しない洒落た音楽も店内には流れ、美味しいお菓子だって皿の上には用意されている。

 幸せなひと時だと普段ならば感じるであろうが、今の私はそうではなかった。原因はもちろん目の前に座る男にあった。いや、この男にしかない。

「いいや、怒っているだろう。俺にはわかるぞ」
「いいえ、怒っていません」
「その言い方が怒っている」

 怒っているように聞こえるならば、自分が怒るようなことを言ったという自覚があるからだろう。

「俺は本当のことを言っただけだ」
「本当のことだからといって、何でもかんでも言うのは間違っています」
「ということは認めるんだな?」
「あなたって本当に嫌な人ね」

 本当は私のことが好きなのではなく、嫌いなのだ。だから嫌がらせをしているのだ。そうに違いない。

「おいスカーレット」

 私は貝のように口を閉じ、もう何も言うまいと決意した。周囲の客が好奇の眼差しを向けてくるが、気にするものか。

「その、悪かった」

 こちらの態度に耐え切れなくなったのか、それともただ単に沈黙が辛くなったのか、彼は急に謝罪の言葉を口にした。だがそれですんなりと許せる私ではない。

「謝るくらいなら最初から言わなければよかったのに」

 うっ……とグレイは言葉をつまらせた。またもや気まずい雰囲気が流れ、チラチラとこちらの様子を伺ってくる視線をさらに感じたが、私は決して目を合わせようとはしなかった。

「そんなにやつのことが好きだったのか?」

 またしばらくして、ポツリと彼が言った。心なしかしょんぼりとしたような声に聞こえなくもない。やつというのは、おそらく私の婚約者のことを指しているのだろう。

「ええ。好きでした」

 そして今も。

 婚約者だった彼。私よりも二つ年上だったけれど、とても大人に見えた。私は生まれて初めて恋に落ちた。それまで私が知っている男性というものは、粗野であまり品のない、同じ人間ではあるが、決して同じとは認めたくない別の生き物であった。

 けれど彼は違った。

 物腰も洗練されており、言葉遣いもとても丁寧だ。教養もあり、それを周囲にひけらかすようなこともしない。穏やかで、目を細めて笑う表情が好きで、不思議とずっと見ていたくなる。

 好きだった。大好きだった。

「俺にはあの男のどこがいいのかちっともわからん」

 それはそうだろう。グレイと彼は真逆の人間であった。彼が持っていないものをグレイは持っている。グレイが持てないものを彼は持っている。そんな彼を私は好きになった。

 グレイを結婚相手として受け入れられないのは当然のことなのだ。どうすればわかってもらえるのか……。ふっと物憂げに窓の外へ目を向ける。

「あ」

 思わず声が漏れた。

「どうした?」

 私はグレイの問いには答えなかった。答えられなかった。ガタリと席を立ち、足が動いていた。

「おい、スカーレット!」

 店を飛び出す。彼の呼びかけも耳に入らない。今胸に占めているのは、ただ一人の人間だけだった。一心不乱にその人物を追いかける。周囲にいた人間が驚いたように、迷惑そうに振り返るのも、息が苦しいのも気にならない。だって――

「アーネスト!」

 あの夜の続きだった。会えなかった婚約者に、今ようやく会えたのだ。

「スカーレット?」

 優し気な目が見開かれる。その表情も変わらない。あの時と同じだ。私が好きな彼のままだった。

「どうしてきみがここに……」

 口を開いて何かを言いかけ、閉じる。驚いた様子から次第に気まずい色を浮かべる彼に、私はようやく我に返る。それはいささか遅すぎる気づきだった。

「あの、私、あなたが見えて、それで……」

 それで、何をしたかったのだろう。じっと見つめ合う私たちに、容赦なく通りの人間の視線が突き刺さる。じわじわと追い詰められていく感じだった。いや、もうとっくに追い詰められていた。

「まあ、アーネスト。どなた?」

 朗らかな声に、アーネストが安心したような笑みを浮かべたのを私は見逃さなかった。

 その人は柔らかな金色の髪を背中まで流しており、私には似合わない青色のスカートが良く似合っている女性だった。

「遅かったね」

 アーネストが微笑んだ。私が好きな笑み。その表情にあ、と思う。馬鹿だ、私。

 これはあの雨の続きだった。会えなかった婚約者に、今ようやく会えた。けれど本当は会ってはいけなかったのだ。

 だって彼には、アーネストにはすでに愛する人がいるから。その人のために私と別れたのだから。それなのに私はなんて愚かなことをしてしまったのだろう。

「アーネスト、私……」

 それから何と言ってその場を後にしたかは覚えていない。背中を向ける私にアーネストがはたして声をかけてくれたのか、元婚約者が自分から立ち去ってくれてほっと胸をなで下ろしたのか、何一つ。

 あまりの恥ずかしさに、記憶がきれいさっぱり消えてしまったのだ。

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