初恋に身を焦がす

りつ

文字の大きさ
6 / 47

6、知らぬ世界

「ヴェロニカ」

 夕食の時間にまた会うことを約束し、謁見の間からカトリーナの部屋へ行こうとした時、後を追いかけるようにしてハロルドが声をかけてきた。カトリーナが気を遣って距離を置く。

「大丈夫か」
「ええ、大丈夫よ。心配しないで」

 いつも冷静な夫が、珍しく不安を露わにしていた。ヴェロニカの心はかえって落ち着いた。しっかりしなければ、という気持ちにさせられた。

「今までずっと断り続けていたんですもの。一度くらい席を共にした方がいいわ」
「しかし……」
「それよりあなた、まだお仕事の途中なのでしょう? 私のことはいいから、早く戻らないと他の方が困るのではなくて?」

 仕事を疎かにするのは彼らしくない。ヴェロニカも怠慢は嫌いであった。

「今はきみの方が心配だ」
「ハロルド。そう心配なさらないで。奥様のそばには、わたくしがついていますわ」

 ヴェロニカたちのやり取りを黙って聞いていたカトリーナがそっと声をかけてきた。夫の視線が妻から王妃へと向けられる。

「だから安心して戻りなさい」
「……わかりました」

 妻の言葉ではなく、彼女の言葉に納得させられた夫をヴェロニカは軽く睨みつけた。気づいた夫が軽く笑う。

「そんな顔をしていては、ここでは浮いてしまうぞ」
「わかっているわよ」

 早く戻れば、と冷たく答える。彼はまだ何か言いたげであったが、結局「また後で」と言い残して持ち場に戻って行った。

「仲がよろしいのですね」

 恨めしげに背中を見るヴェロニカに、カトリーナが朗らかに言った。振り返れば、微笑ましそうにヴェロニカを見ていた。つい場所を忘れてしまっていつものように接してしまった。彼女は恥じて「そんなことありません」といささか強い口調で否定した。

「あの人、いつも、私のこと子ども扱いするんです」
「……でも、羨ましいわ」

 消え入りそうな小さな声。ハッとした様子でカトリーナは「わたくしたちも行きましょうか」と言った。
 ヴェロニカが聞き返す暇もなかった。

 カトリーナは緊張しているヴェロニカを気遣うように、または本来の話し方なのか、おっとりとした調子で話しかけてくれたので、ヴェロニカの緊張もしだいに解れていった。けれどやはり残してきた子どもたちのことが気にかかり、そわそわしてしまう。そのことを見抜いたカトリーナがごめんなさい、と謝った。

「陛下は周囲が反対すると強引に事を進めてしまうような、頑なな所がおありだから、わたくしとハロルドの言葉は余計だったかもしれません」
「いいえ、お気になさらないで下さい。私もずっと断り続けていたこと、心苦しく思っていましたから」

 カトリーナがあまりにも申し訳なさそうに謝るので、ヴェロニカは恐縮してしまう。王宮の夫人というのはみなこんな感じなのだろうか。

「それに家のことで忙しかったので、休める良い機会ですわ」
「子どもがいるのよね? おいくつ?」
「五歳と三歳です」
「まぁ、そうなの? 下の子はわたくしの坊やと同じ年齢ね」

 現在王位継承権に最も近いのが、カトリーナが産んだルイスであった。たくさんの女性を抱いたジュリアンであるが、子どもは彼女と、離宮に移ったと言われるサンドラの娘、アンドレア王女のみ。ルイスが生まれた後は後宮からも足が遠のき、今ではカトリーナのみを愛しているので、次の子を産むのも彼女だろうと言われている。

『――陛下が寝起きする宮殿には、カトリーナ様だけがいる』

 夫の言葉をなぜか思い出し、ヴェロニカは唇を軽く噛んだ。

「ハロルドには、本当に感謝しておりますわ」

 精巧な模様が入ったティーカップを手に取り、カトリーナはしみじみと言った。

「陛下が不安定な時、そばについていつも支えておりますもの。間違いだと思った時は、恐れず意見を申し上げて……きっと陛下も、ハロルドのことを兄のような、父のような存在として受け止めているはずですわ」

 夫が頼りにされている話を聞くのは誇らしかった。けれど自分が知らないことをカトリーナの口から聞くのは、胸がざわついた。

「カトリーナ様は、」
「はい」
「……ハロルドと、面識がありますの?」

 たずねた声はみっともなく震えてしまった。

 ちっともいつもの自分が出せなかった。カトリーナも瞬きを忙しなく繰り返してヴェロニカを見つめている。弱々しく眉を下げて、今にも泣いてしまいそうな顔を晒す自分に困惑しているのだろう。

「ヴェロニカ様」
「はい」
「……確かに、ハロルドとは面識がありますわ」
「いつからですの」
「彼が騎士見習いとして王宮に通っていた頃、わたくしは父の紹介で何度か顔を見合わせたんです」

 彼女と夫がずっと幼い頃から知り合いであったことを、ヴェロニカはいま初めて知った。

「それで?」
「それだけですわ」
「本当ですか」

 ヴェロニカはじっとカトリーナの目を見つめた。疑わしい所がないか探る目つきだったはずなのに、カトリーナは逸らすこともなく本当ですと静かに告げた。

「わたくしが十六の時に陛下と婚約を結びました。陛下はその時まだ十四でしたけれど……一刻も早く世継ぎを、ということで二年後に結婚しましたわ」

(私と同じ歳に陛下は結婚したのね……)

「でも先にお子を身ごもったのは、隣国から嫁いできたサンドラ様でした」

 もともと娶るのはカトリーナ一人だけであったらしい。けれど他国との結びつきを強めるため――尊い王族同士の血を絶やさぬため、比較的年齢の近かったジュリアンが選ばれたのだった。サンドラは彼より六歳上の女性。当時の彼は十七歳であった。

 早く子を、早く世継ぎを、と無言の重圧が常にジュリアンにはあった。それは産む側の王妃とはまた別の苦しみだろう。

「お生まれになった王女殿下はいずれ向こうの国へ嫁ぐことになるでしょう。男ではなくて、逆によかったと、サンドラ様は零しておられましたわ」

 カトリーナたちの話はヴェロニカの想像をはるかに越えていた。夫を共有しつつ、生まれてくる子が一生を左右する。今目の前で語っているカトリーナも、話の中のサンドラも、すでに人生を達観している雰囲気があった。

(ここはそういう世界なんだわ……)

 自分は恵まれている。好きな人だけを愛することができて、彼の子を産むことができたのだから。

「ごめんなさい。こんな話をしてしまって」
「いいえ、構いません」
「……貴女は、」

 カトリーナは何か言いかけたが、何でもないわとおっとりと微笑んだ。

「最初の話に戻りますけれど、ハロルドのことはただ知っているというだけ……あなたが心配することは何もありませんから、どうか心配なさらないで」

 どこか寂しげな笑みでカトリーナは言った。

あなたにおすすめの小説

【完結】あなたを忘れたい

やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。 そんな時、不幸が訪れる。 ■□■ 【毎日更新】毎日8時と18時更新です。 【完結保証】最終話まで書き終えています。 最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)

悪女の最後の手紙

新川 さとし
恋愛
王国を揺るがす地震が続く中、王子の隣に立っていたのは、婚約者ではなかった。 人々から「悪女」と呼ばれた、ひとりの少女。 彼女は笑い、奪い、好き勝手に振る舞っているように見えた。 婚約者である令嬢は、ただ黙って、その光景を見つめるしかなかった。 理由も知らされないまま、少しずつ立場を奪われ、周囲の視線と噂に耐えながら。 やがて地震は収まり、王国には安堵が訪れる。 ――その直後、一通の手紙が届く。 それは、世界の見え方を、静かに反転させる手紙だった。 悪女と呼ばれた少女が、誰にも知られぬまま選び取った「最後の選択」を描いた物語。 表紙の作成と、文章の校正にAIを利用しています。

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

いつも隣にいる

はなおくら
恋愛
心の感情を出すのが苦手なリチアには、婚約者がいた。婚約者には幼馴染がおり常にリチアの婚約者の後を追う幼馴染の姿を見ても羨ましいとは思えなかった。しかし次第に婚約者の気持ちを聞くうちに変わる自分がいたのだった。

【完結済】次こそは愛されるかもしれないと、期待した私が愚かでした。

こゆき
恋愛
リーゼッヒ王国、王太子アレン。 彼の婚約者として、清く正しく生きてきたヴィオラ・ライラック。 皆に祝福されたその婚約は、とてもとても幸せなものだった。 だが、学園にとあるご令嬢が転入してきたことにより、彼女の生活は一変してしまう。 何もしていないのに、『ヴィオラがそのご令嬢をいじめている』とみんなが言うのだ。 どれだけ違うと訴えても、誰も信じてはくれなかった。 絶望と悲しみにくれるヴィオラは、そのまま隣国の王太子──ハイル帝国の王太子、レオへと『同盟の証』という名の厄介払いとして嫁がされてしまう。 聡明な王子としてリーゼッヒ王国でも有名だったレオならば、己の無罪を信じてくれるかと期待したヴィオラだったが──…… ※在り来りなご都合主義設定です ※『悪役令嬢は自分磨きに忙しい!』の合間の息抜き小説です ※つまりは行き当たりばったり ※不定期掲載な上に雰囲気小説です。ご了承ください 4/1 HOT女性向け2位に入りました。ありがとうございます!

これ以上私の心をかき乱さないで下さい

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。 そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。 そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが “君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない” そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。 そこでユーリを待っていたのは…

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

背徳の恋のあとで

ひかり芽衣
恋愛
『愛人を作ることは、家族を維持するために必要なことなのかもしれない』 恋愛小説が好きで純愛を夢見ていた男爵家の一人娘アリーナは、いつの間にかそう考えるようになっていた。 自分が子供を産むまでは…… 物心ついた時から愛人に現を抜かす父にかわり、父の仕事までこなす母。母のことを尊敬し真っ直ぐに育ったアリーナは、完璧な母にも唯一弱音を吐ける人物がいることを知る。 母の恋に衝撃を受ける中、予期せぬ相手とのアリーナの初恋。 そして、ずっとアリーナのよき相談相手である図書館管理者との距離も次第に近づいていき…… 不倫が身近な存在の今、結婚を、夫婦を、子どもの存在を……あなたはどう考えていますか? ※アリーナの幸せを一緒に見届けて下さると嬉しいです。