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12、夫と妻の交換
「は」
(なにを言っているの?)
「陛下。何をおっしゃっているのですか」
ジュリアン以外が思っていることをハロルドが代表して口にする。
「何を言っている、か……。そうだな。カトリーナをあげるから、代わりにヴェロニカを私に譲って欲しいということだ」
「陛下!」
ハロルドが初めて、声を荒らげる。
「いい加減にして下さい。冗談が過ぎます」
「冗談ではない」
ジュリアンはハロルドに笑い返すが、その目は笑っていない。
「私の三人目の妻を知っているだろう? ああ、ヴェロニカは知らないかもしれない。他の妃たちに比べると影が薄かったからね。彼女はいちおう私の妻として嫁いでいたんだが、臣下の一人に恋をしてしまってね。人目を忍んで会っていたんだよ。それで子ができてしまって……泣いて謝って、可哀想だったからね、その想い人とやらの臣下に下げ渡したんだよ」
三人目の妻。彼の従姉妹にあたる娘である。
そんな事情があったとは、たしかにヴェロニカは今初めて知った。てっきりカトリーナだけを愛するようになったから手放したと思っていた。
「その時の彼女の顔は、私をまるで神のように崇めるものだった。あんなふうに人から感謝されるのは生まれて初めての経験だった。よほど嬉しかったのだろうな」
だから、とジュリアンはハロルドを見る。
「私もぜひ妻の願いを叶えてやろうと思ったのさ」
「何を馬鹿なことを……カトリーナ様は貴方の子まで産んでいるのですよ」
「そうだな。だが女はいくつになっても恋をする生き物だ。そなたのことも、愛してくれるだろうよ」
そう言うと、ジュリアンはヴェロニカの手を取った。とっさのことで、彼女は振り払うことができず、また捩じ上げるような強い力に、抵抗することも敵わずジュリアンの腕の中に閉じ込められてしまった。
「っ」
「陛下!」
「妻は二人もいるまい。おまえの妻は私がもらおう」
「っ、何を勝手なことを――」
耐え切れずヴェロニカは文句を言おうとしたが、ひゅっと息を呑んだ。ジュリアンの手がヴェロニカの首へ回ったのだ。
「ヴェロニカ!」
ハロルドが近寄ろうとすると、「動くな」とジュリアンが短く命じた。
「陛下。浅はかな行動は慎むべきです。今ならまだ、カトリーナ様も、」
「もういいわ」
ずっと黙っていたカトリーナが立ち上がって、ジュリアンを見据える。
「陛下。貴方の言う通りです。わたくしはハロルドを愛しています。あの時ハロルドと一緒に逃げることができたらどんなに幸せだっただろう、と何度も夢見ました」
ジュリアンに拘束されていたからこそヴェロニカはわかったが、彼の手はカトリーナの言葉によって震えていた。
「夫以外の男性に想いを寄せるなど、許されることではありません。わたくしが今まで陛下のそばにいたのは間違いでした。陛下のおっしゃる通り、王宮から出て行きます。今までわたくしのような人間をそばにおいて下さって、深く感謝いたします」
淡々とそう述べたカトリーナは深くお辞儀をした。
「……そうか。それがおまえの出した答えなんだな」
その声はカトリーナにまで聞こえたかわからなかった。
「この女を連れて行け」
ジュリアンは衛兵たちにカトリーナとハロルドを連れ出すよう命じた。カトリーナは逆らわなかった。ハロルドはやめろ、と今や動揺を露わに叫んでいた。ヴェロニカも夫の名を呼んでジュリアンの腕から逃れようとしたけれど、首筋に衝撃が走り、ふっと意識が遠のいた。
――目が覚めると、とても高い天井が目に入った。自宅の寝室とは違う。王宮でずっと寝泊まりしていた部屋とも違う。
(ここは……)
はっとヴェロニカは飛び起きた。けれど頭が強く痛んで、うめき声をあげて蹲った。
(そうだ。あの時私は……)
「やぁ、起きたのか」
びくりと肩を震わせて声の方を見る。音もなく、ジュリアンが部屋の中へ入ってきていた。
「私を帰して下さい」
「寝起きでずいぶんとはっきり物申すのだな」
ジュリアンは微笑を浮かべてこちらへ歩いてくる。ヴェロニカは寝台から素早く降りると、彼から距離をとった。
あれからどれくらい眠っていたのか。ハロルドやカトリーナは今どこに。どうしてあんな馬鹿げたことをした。尋ねたいことはそれこそたくさんあったけれど、今はこの男から逃げろと身体が叫んでいた。
「帰るというが、どこへ帰る」
「もちろん、私の家です」
「私の家とは?」
「セヴェランス家です」
「それはもうできない」
「どうして!」
彼女は叫んだ。国王に対して不敬な態度だとわかっていながらヴェロニカは我慢の限界だった。
「私はハロルドの妻です。ハロルド・セヴェランスの妻なんです! 他にどこへ帰るというの!?」
「そう喚くな。おまえはもうハロルドの妻ではない」
ジュリアンの言っていることは何一つ意味がわからなかった。
カトリーナを捨てるなど、ヴェロニカと交換して欲しいなど、勝手で無茶苦茶なことばかりだ。
「ヴェロニカ」
「それ以上来ないで下さいっ……!」
壁際に追い込んだヴェロニカを見て、ジュリアンは喉を鳴らした。
「いやっ!」
腕を掴まれた。ひんやりとした感触を顔に感じる。ジュリアンの手が、ヴェロニカの顎を捕えて、強引に目を覗き込んでくる。すべてを奪い尽くそうとする獰猛な目に射貫かれ、彼女の頭の中は恐怖で真っ白になる。
「今日からは私がおまえの夫となる。私のものだ」
「っ、そんなの認めない!」
認められるさ、と彼は耳元で囁き、意外にもあっさりと離れた。
「私はこの国の王だ。それまで大事にしていた妻を捨て、他人の妻を奪っても、誰も咎めることはできない」
ここにいるしかないんだよ、と先ほどとは打って変わった優しい口調でヴェロニカに言うと、食事を用意させると背を向けた。
「明日また訪れるから、それまでに心の準備をしておきなさい」
パタンと扉が閉められる。鍵をかけられる音がした。せっかくの逃げる機会だったのに、ヴェロニカは全身の力が抜け、ふらふらとその場に座り込んでしまった。
(悪い夢だ……)
夢なら早く覚めて欲しい。この悪夢から現実へと戻りたい。
ヴェロニカは蹲って、夫と子どもの顔を何度も思い浮かべた。
しばらくして、侍女が食事を運んで来た。空腹ではなかったが、体力をつけておくべきだと思って無理矢理胃の中へ流し込んだ。
(もう一度、帰してもらうよう頼んでみよう)
あの時のジュリアンとカトリーナはどちらも冷静さを失っており、まともに話し合おうという雰囲気ではなかった。ハロルドの言う通り、もう一度落ち着いて話し合うべきであった。
(ここ数年、陛下はカトリーナ様のことをとても大切になさっていたじゃない。だからきっと……)
『わたくしはハロルドを――』
「っ」
ヴェロニカはだめだと目を瞑った。今思い出すべきではない。あれは売り言葉に買い言葉。本心ではない。
(そうよ。きっとハロルドも……)
夫は今、ヴェロニカを助けるために必死にジュリアンを説得しているはずだ。しかしそれに彼が一切耳を傾けなければ――
『私はこの国の王だ。それまで大事にしていた妻を捨て、他人の妻を奪っても、誰にも咎めることはできない』
(そんなこと、許されるはずがない!)
いくら王でも。愛し合った夫婦を引き裂くことなど、子どものいる女を妻にするなど、できるはずがない!
そう思うのに、ヴェロニカの心は暗く押しつぶされていく。
(ハロルド……エルドレッド、セシリア……)
ヴェロニカは彼らの顔を思い出し、パンっと頬を叩いた。
(しっかりしなさい。今ここで頼れるのは、自分自身かいないのよ!)
何があっても、絶対に帰る。子どもたちと約束したじゃないか。ヴェロニカはそう思い、グラスに入った水を一気に飲み干した。
(なにを言っているの?)
「陛下。何をおっしゃっているのですか」
ジュリアン以外が思っていることをハロルドが代表して口にする。
「何を言っている、か……。そうだな。カトリーナをあげるから、代わりにヴェロニカを私に譲って欲しいということだ」
「陛下!」
ハロルドが初めて、声を荒らげる。
「いい加減にして下さい。冗談が過ぎます」
「冗談ではない」
ジュリアンはハロルドに笑い返すが、その目は笑っていない。
「私の三人目の妻を知っているだろう? ああ、ヴェロニカは知らないかもしれない。他の妃たちに比べると影が薄かったからね。彼女はいちおう私の妻として嫁いでいたんだが、臣下の一人に恋をしてしまってね。人目を忍んで会っていたんだよ。それで子ができてしまって……泣いて謝って、可哀想だったからね、その想い人とやらの臣下に下げ渡したんだよ」
三人目の妻。彼の従姉妹にあたる娘である。
そんな事情があったとは、たしかにヴェロニカは今初めて知った。てっきりカトリーナだけを愛するようになったから手放したと思っていた。
「その時の彼女の顔は、私をまるで神のように崇めるものだった。あんなふうに人から感謝されるのは生まれて初めての経験だった。よほど嬉しかったのだろうな」
だから、とジュリアンはハロルドを見る。
「私もぜひ妻の願いを叶えてやろうと思ったのさ」
「何を馬鹿なことを……カトリーナ様は貴方の子まで産んでいるのですよ」
「そうだな。だが女はいくつになっても恋をする生き物だ。そなたのことも、愛してくれるだろうよ」
そう言うと、ジュリアンはヴェロニカの手を取った。とっさのことで、彼女は振り払うことができず、また捩じ上げるような強い力に、抵抗することも敵わずジュリアンの腕の中に閉じ込められてしまった。
「っ」
「陛下!」
「妻は二人もいるまい。おまえの妻は私がもらおう」
「っ、何を勝手なことを――」
耐え切れずヴェロニカは文句を言おうとしたが、ひゅっと息を呑んだ。ジュリアンの手がヴェロニカの首へ回ったのだ。
「ヴェロニカ!」
ハロルドが近寄ろうとすると、「動くな」とジュリアンが短く命じた。
「陛下。浅はかな行動は慎むべきです。今ならまだ、カトリーナ様も、」
「もういいわ」
ずっと黙っていたカトリーナが立ち上がって、ジュリアンを見据える。
「陛下。貴方の言う通りです。わたくしはハロルドを愛しています。あの時ハロルドと一緒に逃げることができたらどんなに幸せだっただろう、と何度も夢見ました」
ジュリアンに拘束されていたからこそヴェロニカはわかったが、彼の手はカトリーナの言葉によって震えていた。
「夫以外の男性に想いを寄せるなど、許されることではありません。わたくしが今まで陛下のそばにいたのは間違いでした。陛下のおっしゃる通り、王宮から出て行きます。今までわたくしのような人間をそばにおいて下さって、深く感謝いたします」
淡々とそう述べたカトリーナは深くお辞儀をした。
「……そうか。それがおまえの出した答えなんだな」
その声はカトリーナにまで聞こえたかわからなかった。
「この女を連れて行け」
ジュリアンは衛兵たちにカトリーナとハロルドを連れ出すよう命じた。カトリーナは逆らわなかった。ハロルドはやめろ、と今や動揺を露わに叫んでいた。ヴェロニカも夫の名を呼んでジュリアンの腕から逃れようとしたけれど、首筋に衝撃が走り、ふっと意識が遠のいた。
――目が覚めると、とても高い天井が目に入った。自宅の寝室とは違う。王宮でずっと寝泊まりしていた部屋とも違う。
(ここは……)
はっとヴェロニカは飛び起きた。けれど頭が強く痛んで、うめき声をあげて蹲った。
(そうだ。あの時私は……)
「やぁ、起きたのか」
びくりと肩を震わせて声の方を見る。音もなく、ジュリアンが部屋の中へ入ってきていた。
「私を帰して下さい」
「寝起きでずいぶんとはっきり物申すのだな」
ジュリアンは微笑を浮かべてこちらへ歩いてくる。ヴェロニカは寝台から素早く降りると、彼から距離をとった。
あれからどれくらい眠っていたのか。ハロルドやカトリーナは今どこに。どうしてあんな馬鹿げたことをした。尋ねたいことはそれこそたくさんあったけれど、今はこの男から逃げろと身体が叫んでいた。
「帰るというが、どこへ帰る」
「もちろん、私の家です」
「私の家とは?」
「セヴェランス家です」
「それはもうできない」
「どうして!」
彼女は叫んだ。国王に対して不敬な態度だとわかっていながらヴェロニカは我慢の限界だった。
「私はハロルドの妻です。ハロルド・セヴェランスの妻なんです! 他にどこへ帰るというの!?」
「そう喚くな。おまえはもうハロルドの妻ではない」
ジュリアンの言っていることは何一つ意味がわからなかった。
カトリーナを捨てるなど、ヴェロニカと交換して欲しいなど、勝手で無茶苦茶なことばかりだ。
「ヴェロニカ」
「それ以上来ないで下さいっ……!」
壁際に追い込んだヴェロニカを見て、ジュリアンは喉を鳴らした。
「いやっ!」
腕を掴まれた。ひんやりとした感触を顔に感じる。ジュリアンの手が、ヴェロニカの顎を捕えて、強引に目を覗き込んでくる。すべてを奪い尽くそうとする獰猛な目に射貫かれ、彼女の頭の中は恐怖で真っ白になる。
「今日からは私がおまえの夫となる。私のものだ」
「っ、そんなの認めない!」
認められるさ、と彼は耳元で囁き、意外にもあっさりと離れた。
「私はこの国の王だ。それまで大事にしていた妻を捨て、他人の妻を奪っても、誰も咎めることはできない」
ここにいるしかないんだよ、と先ほどとは打って変わった優しい口調でヴェロニカに言うと、食事を用意させると背を向けた。
「明日また訪れるから、それまでに心の準備をしておきなさい」
パタンと扉が閉められる。鍵をかけられる音がした。せっかくの逃げる機会だったのに、ヴェロニカは全身の力が抜け、ふらふらとその場に座り込んでしまった。
(悪い夢だ……)
夢なら早く覚めて欲しい。この悪夢から現実へと戻りたい。
ヴェロニカは蹲って、夫と子どもの顔を何度も思い浮かべた。
しばらくして、侍女が食事を運んで来た。空腹ではなかったが、体力をつけておくべきだと思って無理矢理胃の中へ流し込んだ。
(もう一度、帰してもらうよう頼んでみよう)
あの時のジュリアンとカトリーナはどちらも冷静さを失っており、まともに話し合おうという雰囲気ではなかった。ハロルドの言う通り、もう一度落ち着いて話し合うべきであった。
(ここ数年、陛下はカトリーナ様のことをとても大切になさっていたじゃない。だからきっと……)
『わたくしはハロルドを――』
「っ」
ヴェロニカはだめだと目を瞑った。今思い出すべきではない。あれは売り言葉に買い言葉。本心ではない。
(そうよ。きっとハロルドも……)
夫は今、ヴェロニカを助けるために必死にジュリアンを説得しているはずだ。しかしそれに彼が一切耳を傾けなければ――
『私はこの国の王だ。それまで大事にしていた妻を捨て、他人の妻を奪っても、誰にも咎めることはできない』
(そんなこと、許されるはずがない!)
いくら王でも。愛し合った夫婦を引き裂くことなど、子どものいる女を妻にするなど、できるはずがない!
そう思うのに、ヴェロニカの心は暗く押しつぶされていく。
(ハロルド……エルドレッド、セシリア……)
ヴェロニカは彼らの顔を思い出し、パンっと頬を叩いた。
(しっかりしなさい。今ここで頼れるのは、自分自身かいないのよ!)
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