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32、けじめ
ヴェロニカは翌朝、いつも通りの朝を迎えた。グレンダは何も言わなかった。昼過ぎにジュリアンが来た時は、さすがに緊張したけれど、彼の態度も昨日と変わらなかった。
「――なぜハロルドを追い返した」
だから出し抜けにそう言われた時、ヴェロニカはとても驚いてしまった。夕食が終わって、就寝まで話をする時間のことだった。
「どうして知っているの」
まさか騎士の一人が密告したのだろうか。それとも……。
「近衛騎士たちには向こうから接触するようなことがあれば、誘いに乗っておくよう予め命じておいた」
「どうして?」
「目障りだからだ」
かつて誰よりも信頼していた臣下をそんなふうに呼ぶジュリアンの変化が、ヴェロニカは腹立たしくもあり、悲しくもあった。
「ハロルドが簡単に諦める男ではないことは知っていた。水面下で何か動いていることも、な」
「……」
「おそらくそなたの実家、辺境伯を頼ろうとしているのではないか」
ジュリアンはすべて見抜いていたのだ。
「私がハロルドに連れ戻されても、あなたは黙って見逃すつもりだったということ?」
「見逃した上で、今度こそそなたを手に入れるつもりだった」
邪魔者を完全に排除するために誘いに乗ってやる。ジュリアンはそう言っているのだ。
(どうして……)
ヴェロニカにはわからなかった。どうしてジュリアンはそんなにも自分に固執するのだろう。
「今度はカトリーナ様から私に執着するの?」
「言い方は悪いが、そういうことになるな」
「どうして……」
納得できないヴェロニカに、ジュリアンは何も言わなかった。言っても理解できないと思ったからか。人の感情は複雑だ。死ぬほど好きだと思っていた人間が実はそうでもないと気づき、恋すら抱いていなかったという残酷な事実を今さらになって知る瞬間がある。
ヴェロニカにはジュリアンの内面を知ることはできない。実は本人すら、よくわかっていないのかもしれない。
「昨夜ハロルドがここへ来たのだろう?」
彼女はこれも罠だろうかと、素直に認めるのを躊躇った。けれどジュリアンは構わず、ハロルドが来たと断定した口調で話を続けていく。
「ハロルドはそなたを迎えに来たはずだ。帰ろうと、言ったはずだ。それなのにそなたはなぜ……共に帰らなかった」
教えてくれ、とジュリアンがヴェロニカの前に膝をついた。見上げる彼の顔は何かを期待するようで、苦しんでいた。
「これはあなたが始めたことよ。あなたがけじめをつけて」
「……私を選んで、残ってくれたわけではないのだな」
「当たり前じゃない」
思い上がらないで、と突き放すような冷たい口調で答えていた。
「……そうだな。そなたは、そういう人間だ」
けれど、と彼は顔を伏せて、縋るようにヴェロニカの手に自分の掌を重ねてきた。
「そなたは、残ってくれた。私を見捨てなかった……。だから、一瞬でも、期待してしまった……」
自分がここに残った選択は間違いだったのだろうか。ジュリアンをただ傷つけるだけだったのか。
ヴェロニカは自問自答したけれど、その後悔や彼に対する罪悪感は、決して口にはしなかった。
「……嫌われてもいいからそばにいてほしいと思ったのは、そなたが初めてだったんだ」
顔を上げて、ジュリアンはヴェロニカに自身の気持ちを打ち明ける。
「カトリーナには、何としても私自身のことを愛してほしかった。そうでなければとても耐えられなかった。彼女が私のそばにいる意味がわからなくなった」
この期に及んでもカトリーナを引き合いに出す彼は、やはり未練を残しているように思えた。けれど誰かと比べなければ、相手への気持ちが何なのか確認できないのかもしれない。
「身体を繋げなければ相手の想いを繋ぎ止められないと思っていた。私自身も、相手を愛することはできないと思っていた。でも、そなたと会って、違うのかもしれない、と思うようになった……」
「私はあなたにとって、家族みたいなものだったのではなくて?」
違う、と彼は呻くように否定した。
「最初はそうかと思った……。けれど、ならばこの胸の苦しみは一体なんだ。そなたの笑顔を見ると、そなたが私の名前を呼ぶと、たまらなく胸が締め付けられる。激しいくらいハロルドを想うそなたが憎らしい。ハロルドが羨ましくて、仕方がない。私は……」
ヴェロニカ、とジュリアンが突然彼女の腕を掴んで自身の方へ引きずり下ろした。彼女は椅子から落ち、そのままジュリアンの腕の中に受け止められる。骨が軋むのではないかと思うほどきつく抱きしめられる。彼の熱い息が首筋にかかる。
「そなたが好きなんだ……」
ヴェロニカはジュリアンの告白になぜか泣きそうになった。どうしてだろう。あまりにも彼の声が必死で、苦しそうに聞こえたからだろうか。
「許されないことだとはわかっている。そなたを傷つけ、酷いことを数え切れないほどしてきた。それでも……憎んでいても、ずっと嫌いでもいい……。私のそばにずっといてほしいんだ」
頼む、とジュリアンは肩口に額を当て、懇願する。ヴェロニカは彼の言葉を頭の中で繰り返しながら、やがて「できない」と小さな声で返事をした。彼は答えず、いっそう抱擁を強くした。
「ジュリアン」
「いやだ、と言ったら」
「あなたの顔が見たい」
ヴェロニカのお願いに彼は抱擁を緩める。おずおずと上げた彼は泣きそうであったけれど、目があうと下手くそに笑みを浮かべた。
「そなたは私を扱うのが上手い」
「ここにずっと閉じ込められて、あなたとしか会えなかったのよ。どうしたら言うことを聞いてもらえるだろうって考えてから……上手くもなるわ」
「そうか……そうだな。私がずっとそなたを囲っていた」
彼はヴェロニカの頬を撫でた。
「もし、そなたがハロルドと結婚しておらず、子どももいなかったら、そしたら……そなたは私を選んでくれたか」
ヴェロニカは笑った。
「いいえ、あなたが私を選ばなかったわ。気が強くて嫉妬深い魔女みたいな女、王妃にはとてもなれないってね」
「……そうか。そうだな」
もしも、はない。考えたって意味がない。
ジュリアンがカトリーナとハロルドに嫉妬して、ヴェロニカを利用した。自分たちはそうして出会った。それしかなかった。
「ジュリアン。私を帰して。あなたが、終わらせて」
彼は涙を流した。永い沈黙の後、わかったと掠れた声で承諾した。
「――なぜハロルドを追い返した」
だから出し抜けにそう言われた時、ヴェロニカはとても驚いてしまった。夕食が終わって、就寝まで話をする時間のことだった。
「どうして知っているの」
まさか騎士の一人が密告したのだろうか。それとも……。
「近衛騎士たちには向こうから接触するようなことがあれば、誘いに乗っておくよう予め命じておいた」
「どうして?」
「目障りだからだ」
かつて誰よりも信頼していた臣下をそんなふうに呼ぶジュリアンの変化が、ヴェロニカは腹立たしくもあり、悲しくもあった。
「ハロルドが簡単に諦める男ではないことは知っていた。水面下で何か動いていることも、な」
「……」
「おそらくそなたの実家、辺境伯を頼ろうとしているのではないか」
ジュリアンはすべて見抜いていたのだ。
「私がハロルドに連れ戻されても、あなたは黙って見逃すつもりだったということ?」
「見逃した上で、今度こそそなたを手に入れるつもりだった」
邪魔者を完全に排除するために誘いに乗ってやる。ジュリアンはそう言っているのだ。
(どうして……)
ヴェロニカにはわからなかった。どうしてジュリアンはそんなにも自分に固執するのだろう。
「今度はカトリーナ様から私に執着するの?」
「言い方は悪いが、そういうことになるな」
「どうして……」
納得できないヴェロニカに、ジュリアンは何も言わなかった。言っても理解できないと思ったからか。人の感情は複雑だ。死ぬほど好きだと思っていた人間が実はそうでもないと気づき、恋すら抱いていなかったという残酷な事実を今さらになって知る瞬間がある。
ヴェロニカにはジュリアンの内面を知ることはできない。実は本人すら、よくわかっていないのかもしれない。
「昨夜ハロルドがここへ来たのだろう?」
彼女はこれも罠だろうかと、素直に認めるのを躊躇った。けれどジュリアンは構わず、ハロルドが来たと断定した口調で話を続けていく。
「ハロルドはそなたを迎えに来たはずだ。帰ろうと、言ったはずだ。それなのにそなたはなぜ……共に帰らなかった」
教えてくれ、とジュリアンがヴェロニカの前に膝をついた。見上げる彼の顔は何かを期待するようで、苦しんでいた。
「これはあなたが始めたことよ。あなたがけじめをつけて」
「……私を選んで、残ってくれたわけではないのだな」
「当たり前じゃない」
思い上がらないで、と突き放すような冷たい口調で答えていた。
「……そうだな。そなたは、そういう人間だ」
けれど、と彼は顔を伏せて、縋るようにヴェロニカの手に自分の掌を重ねてきた。
「そなたは、残ってくれた。私を見捨てなかった……。だから、一瞬でも、期待してしまった……」
自分がここに残った選択は間違いだったのだろうか。ジュリアンをただ傷つけるだけだったのか。
ヴェロニカは自問自答したけれど、その後悔や彼に対する罪悪感は、決して口にはしなかった。
「……嫌われてもいいからそばにいてほしいと思ったのは、そなたが初めてだったんだ」
顔を上げて、ジュリアンはヴェロニカに自身の気持ちを打ち明ける。
「カトリーナには、何としても私自身のことを愛してほしかった。そうでなければとても耐えられなかった。彼女が私のそばにいる意味がわからなくなった」
この期に及んでもカトリーナを引き合いに出す彼は、やはり未練を残しているように思えた。けれど誰かと比べなければ、相手への気持ちが何なのか確認できないのかもしれない。
「身体を繋げなければ相手の想いを繋ぎ止められないと思っていた。私自身も、相手を愛することはできないと思っていた。でも、そなたと会って、違うのかもしれない、と思うようになった……」
「私はあなたにとって、家族みたいなものだったのではなくて?」
違う、と彼は呻くように否定した。
「最初はそうかと思った……。けれど、ならばこの胸の苦しみは一体なんだ。そなたの笑顔を見ると、そなたが私の名前を呼ぶと、たまらなく胸が締め付けられる。激しいくらいハロルドを想うそなたが憎らしい。ハロルドが羨ましくて、仕方がない。私は……」
ヴェロニカ、とジュリアンが突然彼女の腕を掴んで自身の方へ引きずり下ろした。彼女は椅子から落ち、そのままジュリアンの腕の中に受け止められる。骨が軋むのではないかと思うほどきつく抱きしめられる。彼の熱い息が首筋にかかる。
「そなたが好きなんだ……」
ヴェロニカはジュリアンの告白になぜか泣きそうになった。どうしてだろう。あまりにも彼の声が必死で、苦しそうに聞こえたからだろうか。
「許されないことだとはわかっている。そなたを傷つけ、酷いことを数え切れないほどしてきた。それでも……憎んでいても、ずっと嫌いでもいい……。私のそばにずっといてほしいんだ」
頼む、とジュリアンは肩口に額を当て、懇願する。ヴェロニカは彼の言葉を頭の中で繰り返しながら、やがて「できない」と小さな声で返事をした。彼は答えず、いっそう抱擁を強くした。
「ジュリアン」
「いやだ、と言ったら」
「あなたの顔が見たい」
ヴェロニカのお願いに彼は抱擁を緩める。おずおずと上げた彼は泣きそうであったけれど、目があうと下手くそに笑みを浮かべた。
「そなたは私を扱うのが上手い」
「ここにずっと閉じ込められて、あなたとしか会えなかったのよ。どうしたら言うことを聞いてもらえるだろうって考えてから……上手くもなるわ」
「そうか……そうだな。私がずっとそなたを囲っていた」
彼はヴェロニカの頬を撫でた。
「もし、そなたがハロルドと結婚しておらず、子どももいなかったら、そしたら……そなたは私を選んでくれたか」
ヴェロニカは笑った。
「いいえ、あなたが私を選ばなかったわ。気が強くて嫉妬深い魔女みたいな女、王妃にはとてもなれないってね」
「……そうか。そうだな」
もしも、はない。考えたって意味がない。
ジュリアンがカトリーナとハロルドに嫉妬して、ヴェロニカを利用した。自分たちはそうして出会った。それしかなかった。
「ジュリアン。私を帰して。あなたが、終わらせて」
彼は涙を流した。永い沈黙の後、わかったと掠れた声で承諾した。
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