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33、帰途につく
「ヴェロニカ!」
ハロルドは部屋に入ってきたヴェロニカの姿を見ると、周囲の目も気にせず駆け寄って抱きしめた。
「ハロルド……」
ヴェロニカの方が気にして身を引こうとすれば動くなというように彼は腕の力を強めた。彼女も夫の気持ちがよくわかったので諦めて彼の背中に腕を伸ばした。どれくらいそうしていただろうか。後ろからわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
「ハロルド。ようやく奥方と再会できて離れがたい気持ちはわかるが、そろそろいいかね」
「……宰相閣下。これは失礼いたしました」
口では謝罪を述べたものの、ハロルドはヴェロニカを胸に抱き寄せたまま、クレッセン公爵に向き直った。公爵は小さくため息をつき、仕切り直すように畏まった口調で言った。
「この度セヴェランス夫人には王妃殿下が病気で療養している間、陛下の話相手として色々と世話になりました」
どうやらそういうことにするらしい。
「何か他の案はないのでしょうか」
「すでに取り返しのつかないような噂が出回っているんだ。文句を述べるのならば、代わりの言い訳を出したまえ」
(取り返しのつかない……)
覚悟していたことだが、事態は想像以上で、ヴェロニカは呆然とした。妻の不安を感じ取ったのか、腰に回されたハロルドの手に力がこもった。
「妻は病気に罹り、王宮で治療を受けていたということにしてください。臣下思いの陛下が私の頼みを聞いてくださって、王宮で有名な医師に診せてくれて、設備の整った環境で治療を受けさせてくれていた、と」
「……陛下が離宮に見舞っていたのは?」
「離宮にいたのが王妃殿下だということにすればいいでしょう。そこに陛下が通っていたのを目撃した人間が、何を思ったのか私の妻だと勘違いした」
「ずいぶん、無理矢理な話だな」
「陛下自身の口からも説明させてください」
厳しい口調でハロルドは言った。
「……わかった。私から頼んでみよう」
「閣下で無理ならば、私が説得します」
わかった、と公爵は疲れたように了承した。他に細々としたことを決め、ハロルドはヴェロニカの顔を見て帰ろうと微笑んだ。二人が話している間もどこかぼんやりとしていたヴェロニカは、彼の言葉に実感が湧かなかったが、黙って頷いた。
「それにしても、こんなにもあっさり陛下がお返しなさるとは思いませんでしたな」
公爵がじっとヴェロニカを見つめる。
「一体どんな魔術を使ったのか、ぜひともご教授願いたいところですな」
「……私は何もしておりませんわ」
「おや、そうなのですか。私があなたのもとへ出向いた時は、陛下に殺されそうなほどあなたに執着を見せていましたが」
公爵の目は以前と同じように冷たかった。
「あら。だったら助けない方がよかったかしら」
「いいえ、感謝しておりますよ。ただ私の娘ではなく、あなただった理由が私にはよくわからないのですよ」
「宰相閣下」
ハロルドがこれ以上刺激するようなことを言うなと咎めた。けれど公爵の疑問はもっともだ。今でもジュリアンのあの告白が、ヴェロニカにはただ縋りつきたいがためのものだったと思える。
(でも……)
「何か言いたげですな。おっしゃってくれて構わないのですよ」
「……いいえ。何もありませんわ」
早く家に帰してくださいと澄ました顔で言えば、ハロルドもそうしようと促した。公爵はヴェロニカの反応に思うところがあったようだが、結局何も言わず「どうぞ」と手を挙げて帰宅を許したのだった。
◇
帰りの馬車の中でも、夫婦は無言だった。ただ身体だけはくっつけて、離さないというようにヴェロニカの手はハロルドに握りしめられていた。
(ようやく、帰れる……)
ジュリアンが帰すと約束して、一週間が経ってのことだった。待っている間、もしかすると嘘だったのではないかと思った。けれどジュリアンをもう疑いたくはなかった。
「――ヴェロニカ様」
だから黙ってやり過ごしていたある夜のこと、寝支度を済ませたグレンダが一切の感情を浮かべずに名を呼んだ時は緊張した。
「本当にお帰りになられるのですか」
「ええ」
「陛下を見捨てるのですか」
グレンダはヴェロニカの選択を責めていた。
「もともと私とあの人には何の関係もないわ。見捨てるも何もないでしょう」
「ですが陛下は――」
「そんなに言うのならば、あなたがそばにいてあげればいいわ」
いつかと同じ言葉を繰り返せば、グレンダは口を噤む。一瞬強い怒りが彼女の目に浮かんだのをヴェロニカは見逃さなかった。
「……私はあの人と釣り合うほどの身分を持ち合わせておりません」
「あなたにとっては身分が邪魔するのね。夫や子どもがいる私には、同じ言葉をかけられるのに」
「それは……」
「私の立場は関係ない? 私の大切なものをすべて捨てて陛下を選ぶことを、あなたは強いるのに?」
「……申し訳ありません」
それでも、とグレンダは食い下がる。
「ヴェロニカ様ならば、と思ったのでございます」
「……あなたみたいな人が、他にもたくさんいるんでしょうね」
ジュリアンは自分を守ってくれる人は誰もいないと言っていたけれど、そんなことない。確かに対等な関係ではなく、臣下であるかもしれない。打算だって、多少はあるだろう。
それでも、それでいいじゃないか。そう思えるくらい強くなってほしい。
「陛下のこと……」
よろしく頼むと言っていいものか、ヴェロニカは迷った。本当は彼に対して言いたいことがたくさんある。けれど結局やめた。
(もっと真正面からぶつかってほしい、だなんて……)
「――ヴェロニカ」
ハロルドの声にハッとする。彼は身体を前へ傾け、ヴェロニカの顔を覗き込んでいた。
「何を考えていた?」
「早く、子どもたちに会いたいと思って」
「本当?」
あまりにも真剣な顔をして聞いてくるので、少し笑ってしまう。
「どうして嘘をつく必要があるの?」
「きみが……いや、そうだな。悪かった」
ヴェロニカ、とハロルドが手を伸ばしてくる。彼の手を自分の頬に当てさせ、彼女は軽く息を吐いた。
「ハロルド。私、帰れるのよね?」
「ああ」
「……今でも、あなたの妻なのよね?」
もちろんだ、と彼は頷いた。
「陛下は俺たちを離縁させようとしたが、教会側や宰相閣下の反対で受理されていない」
「本当?」
「本当だ。そもそも夫婦本人でもないし、子どもだっているんだ。そんなの、たとえ陛下の命であっても認めることはできないと断ってくれた」
だから何も心配することはないと言われ、ヴェロニカはようやく胸のつかえがとれるようであった。
「もう、大丈夫だ」
ハロルドの方へ引き寄せられると、素直に身を預け、肩口に頬を押し当てた。夫の香りがする。何かを忘れるようにきつく、服の裾を握りしめた。
ハロルドは部屋に入ってきたヴェロニカの姿を見ると、周囲の目も気にせず駆け寄って抱きしめた。
「ハロルド……」
ヴェロニカの方が気にして身を引こうとすれば動くなというように彼は腕の力を強めた。彼女も夫の気持ちがよくわかったので諦めて彼の背中に腕を伸ばした。どれくらいそうしていただろうか。後ろからわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
「ハロルド。ようやく奥方と再会できて離れがたい気持ちはわかるが、そろそろいいかね」
「……宰相閣下。これは失礼いたしました」
口では謝罪を述べたものの、ハロルドはヴェロニカを胸に抱き寄せたまま、クレッセン公爵に向き直った。公爵は小さくため息をつき、仕切り直すように畏まった口調で言った。
「この度セヴェランス夫人には王妃殿下が病気で療養している間、陛下の話相手として色々と世話になりました」
どうやらそういうことにするらしい。
「何か他の案はないのでしょうか」
「すでに取り返しのつかないような噂が出回っているんだ。文句を述べるのならば、代わりの言い訳を出したまえ」
(取り返しのつかない……)
覚悟していたことだが、事態は想像以上で、ヴェロニカは呆然とした。妻の不安を感じ取ったのか、腰に回されたハロルドの手に力がこもった。
「妻は病気に罹り、王宮で治療を受けていたということにしてください。臣下思いの陛下が私の頼みを聞いてくださって、王宮で有名な医師に診せてくれて、設備の整った環境で治療を受けさせてくれていた、と」
「……陛下が離宮に見舞っていたのは?」
「離宮にいたのが王妃殿下だということにすればいいでしょう。そこに陛下が通っていたのを目撃した人間が、何を思ったのか私の妻だと勘違いした」
「ずいぶん、無理矢理な話だな」
「陛下自身の口からも説明させてください」
厳しい口調でハロルドは言った。
「……わかった。私から頼んでみよう」
「閣下で無理ならば、私が説得します」
わかった、と公爵は疲れたように了承した。他に細々としたことを決め、ハロルドはヴェロニカの顔を見て帰ろうと微笑んだ。二人が話している間もどこかぼんやりとしていたヴェロニカは、彼の言葉に実感が湧かなかったが、黙って頷いた。
「それにしても、こんなにもあっさり陛下がお返しなさるとは思いませんでしたな」
公爵がじっとヴェロニカを見つめる。
「一体どんな魔術を使ったのか、ぜひともご教授願いたいところですな」
「……私は何もしておりませんわ」
「おや、そうなのですか。私があなたのもとへ出向いた時は、陛下に殺されそうなほどあなたに執着を見せていましたが」
公爵の目は以前と同じように冷たかった。
「あら。だったら助けない方がよかったかしら」
「いいえ、感謝しておりますよ。ただ私の娘ではなく、あなただった理由が私にはよくわからないのですよ」
「宰相閣下」
ハロルドがこれ以上刺激するようなことを言うなと咎めた。けれど公爵の疑問はもっともだ。今でもジュリアンのあの告白が、ヴェロニカにはただ縋りつきたいがためのものだったと思える。
(でも……)
「何か言いたげですな。おっしゃってくれて構わないのですよ」
「……いいえ。何もありませんわ」
早く家に帰してくださいと澄ました顔で言えば、ハロルドもそうしようと促した。公爵はヴェロニカの反応に思うところがあったようだが、結局何も言わず「どうぞ」と手を挙げて帰宅を許したのだった。
◇
帰りの馬車の中でも、夫婦は無言だった。ただ身体だけはくっつけて、離さないというようにヴェロニカの手はハロルドに握りしめられていた。
(ようやく、帰れる……)
ジュリアンが帰すと約束して、一週間が経ってのことだった。待っている間、もしかすると嘘だったのではないかと思った。けれどジュリアンをもう疑いたくはなかった。
「――ヴェロニカ様」
だから黙ってやり過ごしていたある夜のこと、寝支度を済ませたグレンダが一切の感情を浮かべずに名を呼んだ時は緊張した。
「本当にお帰りになられるのですか」
「ええ」
「陛下を見捨てるのですか」
グレンダはヴェロニカの選択を責めていた。
「もともと私とあの人には何の関係もないわ。見捨てるも何もないでしょう」
「ですが陛下は――」
「そんなに言うのならば、あなたがそばにいてあげればいいわ」
いつかと同じ言葉を繰り返せば、グレンダは口を噤む。一瞬強い怒りが彼女の目に浮かんだのをヴェロニカは見逃さなかった。
「……私はあの人と釣り合うほどの身分を持ち合わせておりません」
「あなたにとっては身分が邪魔するのね。夫や子どもがいる私には、同じ言葉をかけられるのに」
「それは……」
「私の立場は関係ない? 私の大切なものをすべて捨てて陛下を選ぶことを、あなたは強いるのに?」
「……申し訳ありません」
それでも、とグレンダは食い下がる。
「ヴェロニカ様ならば、と思ったのでございます」
「……あなたみたいな人が、他にもたくさんいるんでしょうね」
ジュリアンは自分を守ってくれる人は誰もいないと言っていたけれど、そんなことない。確かに対等な関係ではなく、臣下であるかもしれない。打算だって、多少はあるだろう。
それでも、それでいいじゃないか。そう思えるくらい強くなってほしい。
「陛下のこと……」
よろしく頼むと言っていいものか、ヴェロニカは迷った。本当は彼に対して言いたいことがたくさんある。けれど結局やめた。
(もっと真正面からぶつかってほしい、だなんて……)
「――ヴェロニカ」
ハロルドの声にハッとする。彼は身体を前へ傾け、ヴェロニカの顔を覗き込んでいた。
「何を考えていた?」
「早く、子どもたちに会いたいと思って」
「本当?」
あまりにも真剣な顔をして聞いてくるので、少し笑ってしまう。
「どうして嘘をつく必要があるの?」
「きみが……いや、そうだな。悪かった」
ヴェロニカ、とハロルドが手を伸ばしてくる。彼の手を自分の頬に当てさせ、彼女は軽く息を吐いた。
「ハロルド。私、帰れるのよね?」
「ああ」
「……今でも、あなたの妻なのよね?」
もちろんだ、と彼は頷いた。
「陛下は俺たちを離縁させようとしたが、教会側や宰相閣下の反対で受理されていない」
「本当?」
「本当だ。そもそも夫婦本人でもないし、子どもだっているんだ。そんなの、たとえ陛下の命であっても認めることはできないと断ってくれた」
だから何も心配することはないと言われ、ヴェロニカはようやく胸のつかえがとれるようであった。
「もう、大丈夫だ」
ハロルドの方へ引き寄せられると、素直に身を預け、肩口に頬を押し当てた。夫の香りがする。何かを忘れるようにきつく、服の裾を握りしめた。
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