初恋に身を焦がす

りつ

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ハロルド 再会の夜

 リンドバーグ辺境伯はヴェロニカの陥った境遇に激怒しつつ、騎士団を動かすことには慎重な姿勢を見せた。ハロルドはあくまでも最後の手段だと述べつつ、いざとなったら協力してほしいという旨を伝え、了解を得た。

 騎士団を王都の近くに駐留させる手筈を整えている間、公爵からヴェロニカに会えたという知らせを聞いた。居ても立っても居られず、ハロルドは一度王都へ戻ることにした。

「閣下。ヴェロニカは無事でしたか!」
「ああ。しかし……」

 連れ戻すことはできなかった。

 ハロルドは公爵の失敗に落胆の色を隠せなかった。またなぜ自分に言わず作戦を決行したのかと責める気持ちもわいた。そんなハロルドの内心を察してか、「陛下が留守であるのが、その時しかなかったのだ」と公爵は説明した。

「陛下はずいぶんと夫人にご執着のようだ。無理矢理連れて行こうとしたら、私の命まで切り捨てようとしたのだからな……」
「そんな……」

 ヴェロニカはただ利用するためだけの存在ではなかったのか。いつもの気紛れではなかったのか。

「ヴェロニカは……ヴェロニカの様子はどうでしたか」
「私が見た限りでは気丈な様子だったよ。来るのが遅いと大変ご立腹していた」

 その姿が目に浮かぶようで、ハロルドは泣き笑いのような表情を浮かべた。彼女は生きている。自分のもとへ帰ろうとしている。その事実が何より彼の心を救った。

「閣下。今回の件で陛下はまたヴェロニカを別の部屋へ移すかもしれません。その前にもう一度……今度こそ私が彼女を連れ戻します」

 最後の機会だと思った。

 ハロルドは警備をしている近衛騎士のうち、以前懇意にしていた者に接触し、説得を試みた。

 このまま本当にカトリーナを王妃の地位から降ろしていいのか。それが本当に敬愛する主君のためになるのか。

 忠誠心に訴えかけ、ヴェロニカの救出に協力してほしいと訴えた。――ハロルドの熱意が届いたのか、それとも以前から思うところがあったのか、男はハロルドを部屋へ通すこと、見逃すことを約束してくれた。

 あまりにもあっさりと承諾され、罠かもしれないという考えが過る。

(けど、それでもいい)

 ヴェロニカと突然引き離され、半年が経とうとしていた。もはや冷静さは失われ、罠だろうが何だろうが彼女に会いたかった。きっと彼女も同じ気持ちだ。そう思っていたのに――

「私がこんなかたちで逃げれば、あの人は今度こそ何も信じられなくなる」

 ヴェロニカの言葉が信じられなかった。帰ろうと言った自分の手を取れないと断ったこと。その理由が、ジュリアンにあるということが。

(どうして……)

 ヴェロニカが愛しているのはハロルドだけだ。いつも激しすぎるほどの愛を自分へぶつけてきた。それなのにどうしてジュリアンのことを考える必要があるのだ。彼のせいで自分たち夫婦は引き離されたというのに!

(なぜ陛下の心配などするんだ。きみをこんな部屋に閉じ込めて。自由を奪って。俺からきみを奪って、俺はこんなにも苦しんで、きみのことばかり考えて、忘れられなくて、苦しくて、辛くて仕方がなかったというのに……)

 同じ気持ちではなかったのか。

 ヴェロニカが愛しているのは、自分ではないのか。そんなにもジュリアンに――

(愛されたのか)

 夫しか知らぬ身体を他の男にも許したというのか。それで心まで明け渡してしまったのか。

 どこかで覚悟していたことだった。それでも無事であるならばいいと思っていた。心は変わらず自分のもとにあると思っていたから。それなのに自分だけに向けられていた想いまで奪われたというのなら――

「陛下に襲われそうになった時、自害しようした傷よ」

 首筋の傷痕をなぞって、というように指を這わせられた。

 ヴェロニカの目が真っ直ぐとハロルドに訴えかける。

 ――私が愛しているのはあなただけ。

 妻の捨て身とも言える行動の証に、ハロルドは激しく胸をかき乱された。

 命と引き換えにしてでも自分への貞潔を守ろうとしたこと。生きていてくれた安堵と嬉しさ。彼女を疑ってしまったことへの罪悪感。残された自分や子どもたちの気持ち。ジュリアンよりも自分を愛していること。自分もまた、彼女を深く愛していること。

「ヴェロニカ……!」

 ジュリアンと何があったのか、問いただしたい気持ちは未だ強くあった。けれど、それよりも彼女が生きて、今こうしてまた会えただけで十分だと思った。

 ヴェロニカと帰りたかった。エルドレッドたちに母親の顔を見せたかった。

 それなのに彼女はやはりできないと首を横に振った。カトリーナやジュリアン。自分ではない他人のことばかり気にかける。特にジュリアンに対しては、ハロルドが数年かけて知った彼の弱さを見抜いているような感じであった。

「だから私は残る。あの人を信じたい」

 その言葉はハロルドに向けられたものではない。

『陛下はずいぶんと夫人にご執着のようだ。無理矢理連れて行こうとしたら、私の命まで切り捨てようとしたのだからな……』

 ――ああ、きっと公爵の言葉は誇張でも冗談でもない。

 ジュリアンはヴェロニカに心を奪われたのだ。今までの女性たちとは違う何かを感じて、カトリーナにすら埋められなかったものをヴェロニカからは与えられた。

(陛下はヴェロニカを……)

 狂おしいほどの嫉妬に襲われたかと思ったら、諦観にも似た仄暗い感情がハロルドの心を支配していく。

(あの騎士が俺をこの部屋へ招き入れたのはやはり陛下の罠なのだろう……。もうすぐこの部屋へ飛び込んできて、俺を今度こそ殺すかもしれない……)

 逃げられはしない。ヴェロニカはこの手に戻らない。それならいっそのこと――

「一緒に、死のうか」
「え?」

 ヴェロニカを他の男ジュリアンに奪われるくらいなら、自分の手で奪われないようにすればいい。

 あの時カトリーナが自分と一緒に死んでくれと言った気持ちが、今ハロルドには痛いほどわかった。

「ハロルド……」

 ヴェロニカはハロルドの殺意に驚きはしても、拒絶はしなかった。従順な彼女の態度にハロルドの心も満たされる。幸せだ、と思った。

「安心してくれ。きみが死んだら、俺もすぐに追いかける」

 しかしヴェロニカはハロルドのその言葉に突然もがき、逆に押し倒してきた。呆気にとられる彼を見つめながら彼女は言った。

「私が死んでも、あなたには生きていてほしい」

 ――あなたが好きだから。愛しているから。

 ヴェロニカの叫びに目が覚めるようだった。

(そうだ。俺が好きになった彼女は、どんな状況になっても、決して諦めない強い女だった……)

 そんな彼女だから、ハロルドは安心して家へ帰ることができた。ジュリアンやカトリーナの幸せを願うことができたのだ。

「……きみは本当に、たくましいな」

 ヴェロニカは絶対に帰ると約束した。嫌だ。置いていくことなどできない ――最後までそうした思いと葛藤しつつ、結局ハロルドは彼女の言葉を信じることにした。それでも心のどこかでヴェロニカがやっぱり帰ると言い出さないかと期待した。

 何もかもすべて捨てて、自分だけを選ぶ道をとらないかと。

「きみが好きだ。ヴェロニカ……」

 もどかしかった。今この腕の中にいるのに、どうして連れて帰れない。愛されているのは確かに自分なのに彼女の心はどこか遠くへ行ってしまいそうで、ハロルドはその不安を埋めるようにヴェロニカに口づけを繰り返した。


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