初恋に身を焦がす

りつ

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ハロルド 嫉妬深い夫

 もう一度騎士として王家に仕えないかと公爵や騎士団の人間にも誘われたが、ハロルドはきっぱりと断り、領地へ戻ると告げた。

 あんなことがあって、もう以前と同じようにジュリアンに仕えることはできなかった。そして何よりヴェロニカを彼の届かぬ、遠く離れた地へ連れて行かなくてはハロルド自身が安心できなかった。

 ヴェロニカは特に反対することもなく、夫が行く場所には何があってもついて行くと言ってくれた。王都よりもずっと広い土地と屋敷に子どもたちは毎日大はしゃぎで、ヴェロニカの雷が落ちることもあり、ようやく以前の日常に戻っていく気がした。

「――ヴェロニカは?」
「お部屋にいらっしゃいますよ」

 仕事が一段落したので妻の様子を見に行くと、彼女は何か書き物をしている最中であった。ハロルドに気づくと、「会えて嬉しい」というように微笑んだので、彼も口元に笑みを浮かべた。

 近寄ってヴェロニカのこめかみに口づけを落とし、彼女の手元にさっと目をやって、次いで「子どもたちは?」と尋ねた。

「湖に魚を見に行くって言っていたわ」
「子どもたちだけで?」
「乳母も念のためついているわ。エルドレッドもいるし、大丈夫でしょう」

 エルドレッドももう悪戯ばかりしていた小さな少年ではない。今では長男として、他の子たちの面倒を率先してよく見てくれている。セシリアも同様だ。

「ほんと、ついこの間まで小さかったのに、あっという間に大きくなっちゃって……」

 将来が楽しみでもあるが、少し寂しいわと彼女はしんみりとした口調でつぶやいた。

「将来、か……。エルドレッドは何になるだろうな」

 父親としては将来この土地の管理を任せたいが、騎士になりたいような素振りも見せている。ヴェロニカはできるだけ本人の意思に沿わせてやりたい、と言っているが、ハロルドは迷っている。

 騎士になるならば、いずれは王都へ行くことになるからだ。

 ジュリアンは昔の素行が嘘のように今では落ち着いて、王女殿下や王太子殿下を可愛がっているそうだ。カトリーナとの仲も一時は危ぶまれたものの、今では相思相愛の様子を国民に見せて、理想の夫婦だと言われている。

 しかし王太子であるルイスが生まれて以来、二人の間に子はできていない。

 遠く離れた地では、何が正しいのかはわからない。近くで見ていても、見たもの全てがその通りだとは限らない。もしかするとジュリアンはまだ――

「どうしたの?」
「いや……この手紙の相手は誰だろうと思って」

 ヴェロニカが熱心に書いていたのは手紙である。彼女から他の誰かへ向けての。

「以前屋敷に招いた人よ」
「宛名が男の名前に見えるけど」
「だって男性ですもの」

 ハロルドが思わず口を噤むと、ヴェロニカはちょっと呆れた顔をする。

「忘れたの? 商会の人よ。あなたがこの人の売っている品物をいろいろ見てみたいと言って、こちらから都合のいい日程をお教えしますって約束したんじゃない」

 そういえばそんなことを言った気がする。しかし大勢の客人を相手にしていたし、お酒も口にしていたので、記憶にあまり自信がない。

「けどなぜきみが?」
「私に任せる、って言ってくれたじゃない。もう。ほんとに覚えていないの?」

 ……すっかり忘れていた。だが商売人とはいえ、男への手紙を熱心に綴る妻を見て、ハロルドは面白くない。

「俺が後で目を通しても構わないか」
「それは別にいいけれど……なぁに。疑っているの?」
「あの日のきみはとても魅力的だったから、よからぬことを考える男性がいたかもしれない」
「よからぬことって……だから商談の話よ?」
「他の話で警戒心を緩めて、というのはよくある手段だ」

 ハロルドとしてはどこまでも真剣なつもりで言ったのだが、ヴェロニカは真面目に取り合おうとしない。

「何言っているのよ。子どももあんなにいて、歳だってもう若くないのに」
「そんなのちっとも関係ない。きみは今でも十分魅力的だ」

 むしろ年相応の落ち着きを身につけて、色香もある。屋敷で客人をもてなす度、人妻である彼女に目を奪われる男は少なくない。

「やはり手紙は俺が書こう」
「せっかく書いたのに」

 いいから、とハロルドは彼女が書いた手紙をひったくるようにして奪うと、自身のポケットへ押し込んだ。

「手紙くらいで大げさな……」

 諦めたようにため息をつく妻に、ちっとも大げさではないと彼は口づけした。隙あれば妻を可愛がろうとする夫の口を手で塞ぐと、ヴェロニカは困ったように笑う。彼女にしては珍しい笑みだった。

「ヴェロニカ?」
「ねぇ、ハロルド……私も、同じだったのよ」

 一瞬何のことだろうかと思ったが、ヴェロニカが手紙の入ったポケットをサッと撫でたので、あの手紙のことだと気づいた。

 初めてヴェロニカが手紙のことに――カトリーナのことに触れて、ハロルドは緊張が走る。けれど心のどこかで、ようやく、という思いがあった。

「ヴェロニカ……」
「いろいろあったけれど……私が愛しているのはあなただけ。あなたも、そうでしょう?」
「もちろんだ」

 もうハロルドの心にいるのはヴェロニカだけだ。彼女のことしか考えられなかった。

「……きみは?」

 ヴェロニカは目を潤ませ、ハロルドに抱きついた。

「わたしも」

 そうか、と呟き彼は妻を優しく抱きしめ返した。嘘でも、本当でも、どちらでもよかった。今彼女の隣にいるのは紛れもなく自分であり、一生分の愛を渡すことができるのも自分だけだったから。

 今はそう、穏やかに思うことができた。



 おわり
 

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