わたしを捨てたはずの婚約者様からは逃げられない。

りつ

文字の大きさ
71 / 116

71、父の危篤

 ディートハルトはああ言ったが、エミールとヨルクはイレーネの帰りをたいそう喜んでくれて、べったりとそばについて離れなかった。ディートハルトは特に何も言わなかったが、夜はイレーネを手放さなかった。

 久しぶりに屋敷でゆっくりできると思ったが、ある日父の危篤が知らされた。

 突然のことに驚きつつ、急いで男爵家へ向かった。父は辛うじて生きている状態で、イレーネとエミールの顔を見ると、もう何も心残りはないというように息を引き取っていった。

 父の財産は、すべてイレーネとエミールのものとなった。そしてその知らせを聞いたからかわからないが、ハインツの実家――ブレット家がイレーネたちのもとへ訪れ、エミールを引き取りたいと申し出てきた。

 実は一度、ハインツの弟であるアドリアン夫妻には顔合わせしている。王都に戻ってきたばかりのことだ。

 まだディートハルトと正式に再婚する前のことで、アドリアンはイレーネの全身にさっと目を通すと、母子ともに伯爵家で引き取っていいと申し出た。

 しかしイレーネは彼のエミールに対する冷淡な態度や、アドリアンの妻の敵意に満ちた眼差しに丁重に辞退した。その時は、彼らも無理強いすることはなかった。

 だが今回は違った。

「あなたのお父様は、爵位をお持ちでしたが、それは一代限りのものでしょう? 我が家の正式な跡取りとなってくれるならば、伯爵家の当主となれます。それは、亡くなった兄上の望むことでもあるでしょう」

 アドリアンはさもこれはあなたたちのためを思って提案しているのだという口調で述べると、その代わり、エミールの教育方針には一切口を出さず、イレーネがこちらへ来ることも控えてほしいと条件をつけた。実質、エミールを自分たちの子どもとして世間には見られたいようだった。

 もし彼らがエミールのことを思って、好意的な態度を見せてくれたらイレーネも考えただろう。しかしアドリアンたちは以前と変わらなかった。むしろイレーネの負担を減らしてやるのだから感謝しろという高圧的な態度は以前よりも増していた。

 丁重に断ると、正気かとアドリアンはイレーネに考え直すよう言葉を重ねたが、彼女の意思はより強固になるばかりであった。

「兄上のためにも、僕たちに預けた方がいいとは思わないのですか」

 自分たちから彼を放り出したくせによく言う。

「ええ、思いませんわ。あの人は、エミールの幸せを誰よりも願っておりましたから」

 むしろ彼らの手に委ねた方が、怒るだろう。

 それでも夫妻はまだ納得できない様子であれこれと説得を試みたが、ディートハルトが部屋へ入ってくると、分が悪いと思ったのか、渋々と帰って行った。

 ディートハルトはイレーネの隣に座ると、そっと背中に手を当ててくる。

「大丈夫か」
「ええ。大丈夫です」

 その日、イレーネたちは男爵家に泊まった。エミールとヨルクは別の部屋に。イレーネは自分の部屋で一人物思いに耽っていた。屋敷の整理や訪れた人間の対応でくたくたに疲れているはずなのに、いろいろと考えてしまい、妙に目が覚めてしまう。

 窓際に立ってじっと外を眺めていると、ガチャリと扉が開かれ、ディートハルトが静かに入ってきた。彼にも今夜は一人にさせてほしいと告げたが、イレーネが心配で様子だけ見に来たそうだ。

 近づいてきて、後ろからそっと抱きしめられる。彼はこういう時、寄り添うことを必ず忘れない。母が亡くなった時もそうだった。心が弱って、誰かに縋りつきたいと思う時を、彼は逃さない。そうすれば、イレーネの心が手に入ると思っている。

「イレーネ……」

 わかっていても、イレーネはディートハルトの温もりに縋った。弱いから。だから強い存在に守ってほしいと思った。そんなイレーネの弱さを見抜いているようにディートハルトは優しく抱いた。

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

【完結】愛していないと王子が言った

miniko
恋愛
王子の婚約者であるリリアナは、大好きな彼が「リリアナの事など愛していない」と言っているのを、偶然立ち聞きしてしまう。 「こんな気持ちになるならば、恋など知りたくはなかったのに・・・」 ショックを受けたリリアナは、王子と距離を置こうとするのだが、なかなか上手くいかず・・・。 ※合わない場合はそっ閉じお願いします。 ※感想欄、ネタバレ有りの振り分けをしていないので、本編未読の方は自己責任で閲覧お願いします。

【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──