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7、カリウス辺境伯
辺境伯家へ嫁ぐと決まった日から慌ただしく支度がなされて、マリアは気づけば馬車に乗せられていた。
『マリア。私のせいで本当にごめんなさい。辺境伯様にも、そう伝えて』
ヒルデが涙ながらにそう言って、マリアを抱きしめた。
婚約者であるエルヴィンにも直接会って別れを告げたかったのだが、許されなかったので、手紙を託すことにした。彼の他にも、付き合いのあった友人や孤児院の子どもたち、ザムエル宛てにもしたためた。
突然こんな形で別れることになり、申し訳ない。今までよくしてありがとう、と……。
(本当に、突然よね……)
マリアの気が変わらぬうちに、と思ったのか。……いや、恐らくアロイスとヒルデが結婚することを辺境伯側に知られて抗議される前に、と考えた結果だろう。
騙し打ちのようにして嫁いで向こうの機嫌を損ねてしまったら、それこそ亀裂が生じるのではないか。
マリアはもう一度そう述べたのだが、伯爵は大丈夫だと答えた。
『伯爵家の娘を嫁がせると言ったのだ。嘘は言っていない』
結局、リーデル伯爵も王家も、カリウス辺境伯のことをどこか下に見ており、どうとでもなることが話していて伝わってきた。
(わたしの存在自体が、カリウス辺境伯たちを不愉快にさせないかしら)
一体どんな顔をして会えばいいのだろう。
ヒルデならこんな時、天真爛漫に笑って、上手くやれるのではないだろうか。
(でも、わたしはヒルデじゃない。上手くやれない。でも……)
上手くやらなければ、伯爵家と王家、ひいては国全体に迷惑をかける可能性もある。
長い旅路の中、マリアの心はプレッシャーで押しつぶされそうだった。
「――お嬢様、そろそろ到着みたいですね」
付き添いのメイドが開放感を滲ませた声でそう言ったので、マリアは読んでいた本から顔を上げた。同乗しているメイドの他にも伯爵家からついてきた使用人や護衛騎士がいるが、彼らはマリアと辺境伯が結婚式を挙げた後、王都へ帰る予定だ。
誰も残るとは言ってくれなかったのが、仕方がないとはいえ、寂しく感じた。
「わっ、すごい!」
俯いていたマリアはメイドの声に、外へ視線を向けた。
カーテンを少し開けた先に、いかにも年季の入った堅固な建物が見えた。周りの自然豊かな――どこまでも深い森が続いているような濃い緑の景色も相まって、一昔前の異国に迷い込んだような錯覚に陥る。
(あれが、カリウス辺境伯の城……)
エーレンベルク国の北東部・国境地帯を治める領主の城だ。周りは森に囲まれており、城に向かって土地が高くなっていた。
今はもう恐らくないと考えられるが、戦乱の時代は隣国からの攻め入られることも少なくなかった。城を落とされれば、ここの領地は敵のものになる。最後の砦がこの城なのだ。
そう考えると、物々しい外観も納得できる。
跳ね橋を渡り、玄関前で止まった馬車から降りたマリアは、城を見上げてそっと息を吐いた。巨大な城の大きさに心細さが芽生え、途方に暮れたような気持ちになった。
(まるで孤児院からリーデル伯爵家へ来た時と同じね)
「ようこそ、お出でくださいました。ジークハルト様が中でお待ちでございます」
馬車の近くで待機していたのは家令と思われる老齢の男性だった。年下であるマリアにも慇懃に挨拶して、中へ案内しようとする。
彼の他には数人ほどの召使いしかいなかったので、恐らくあまり歓迎されていないのだろう。そう勝手に思っていたマリアは、中へ入り息を呑んだ。
長い廊下の両端にズラリと並んでいる使用人に、厳つい甲冑や騎士の隊服を着ている男性陣の姿があった。思わず怖気づいてしまうほどの迫力があり、マリアが前を通り過ぎるとそれに合わせて頭を下げてきたのでさらに恐縮してしまう。
居たたまれない気持ちで自然と早足になり、大きな扉の前まで到着する。両脇に衛兵がおり、重厚な扉をゆっくりと開けてくれた。
そこはまるで王の謁見の間だった。
いや、この土地の人間、城に仕える者たちからすると、彼こそ、王なのだろう。
(ああ、あの方が……)
ジークハルト・カリウス。二十五歳の時に若くして辺境伯になり、今年で二十九歳になる男性。
遠目からでも威厳が十分に感じられて、暗めの赤い髪も目を引く。琥珀色をした眼光の鋭さも狩りをする動物を思わせた。国境地帯を治めるとあれば苦労がつきものなのか、実年齢よりも上に見えた。
金の飾緒がついた黒い布地のジャケットとスラックスは恐らく騎士団の制服だと思われ、彼をより厳格で恐ろしい人物に仕立て上げている。
顔立ちのせいなのか、それとも歓迎していないからか、ジークハルトはマリアを睨んでいるように見えた。
(ま、まずは、挨拶しないと)
相手がどう思っているにせよ、こちらに敵意はなく、歩み寄る姿勢は大事だ。
しかしここにきて緊張が最高潮に達したのか、マリアはスカートの裾を掴む手が震えてしまう。
「あ、わ、わたしは……」
ジークハルトの両隣には彼の信頼する家臣がおり、マリアがおかしな行動をしないか目を光らせていた。その容赦ない視線がさらに心臓の鼓動を速め、頭の中を真っ白にさせる。
(どうしよう、どうしよう……)
泣いてはますます恥を晒すだけなのに、自然と目に涙が浮かぶ。その時だ。
「遠いところからよく来てくれた!」
大きくてよく通る、そして明るく溌剌とした声に、マリアは意外な思いがして顔を上げていた。
壇上に座っていたジークハルトが真っ直ぐこちらへ向かってくる。
(え、え……ジークハルト様の方から来てる!?)
動揺する間に長い脚はあっという間にマリアの前まで来て、身を屈めた。
「あなたがここへ来てくれたこと、我が家臣一同、深く感謝している。これからどうか、よろしく頼む」
ポカンとするマリアの手をジークハルトはそっと手に取り、触れるような口づけを落とした。
そしてこちらを窺うように上目遣いになり、ぎこちないものの確かに微笑みかけたので、マリアは心臓が大きく鳴った。怖そうだと思っていただけに優しい笑顔に目を奪われた。
「あなたの名前を、改めて教えてくれないだろうか」
「……マリア。マリア・リーデルと申します」
「マリア。良い名前だな。俺はジークハルト・カリウス。すまない。あなたがあまりにも可憐で、緊張してしまった。名乗るのが遅れてしまった」
ジークハルトはそう言うが、別に謝る必要はない。
マリアの方が爵位は下であるし、年下だ。こちらから挨拶するのが普通だった。
(もしかしてわたしが緊張していたから、わざと……?)
「もうジークハルト様! いくら花嫁が可憐だからって、自ら出迎えに行っちゃだめじゃないですかぁ!」
どこか間延びした声でそう言ったのは、ジークハルトのそばに控えていた男性の一人だ。金髪で、彼と似たデザインの服を着ているので同じ騎士だろうか。
「そう言うな、ラウル。俺は堅苦しい挨拶は苦手なんだ」
「苦手なんじゃなくて面倒なだけでしょ。まったく、せっかく俺たちがどうやったら強くてかっこよく見えるか思案したってのに、ジークハルト様ったら、いてっ」
ラウル、という青年の頭を叩いたのは、彼の隣に立っていた黒髪の男性だった。
「お前のその馴れ馴れしい態度こそが一番ジークハルト様の威厳に傷をつけている」
「いやいや。そんなことないよ。俺ほどジークのこと……ジークハルト様のこと敬っている人間はいないから」
「こういう時だけ『ジークハルト様』呼びするからぼろが出ている。普段から言葉遣いには気を付けろと言われているのに無視しているからだ」
「いいんです~。俺とジークは幼い頃からの付き合いなんです~。ぽっと出のお前よりも親友という地位を築いているんです~」
「その生意気な口をこの機会に塞いでやろう」
「上等だこの野郎。そのサラサラヘア、見る度にムカついていたんだ」
「俺もお前のクルクルヘアには鬱陶しさを覚えていた」
「何だと!? お前、俺がこの髪型を維持するのにどれだけ苦労しているか――」
「お前たち! いい加減にしろ!」
怒鳴り声で叱りつけたのは家臣の中でも一番年を重ねているように見える男性だ。
マリアはというと、ただただ驚いて口を挟めずにいた。
「マリア。驚かせてすまない。だが家はこういう賑やかな雰囲気なんだ。あまり身構えず、慣れていってほしい」
ジークハルトは苦笑しながらそう言うと、これからのことを簡単に説明した。
「挙式は二週間後だ。それまではゆっくり休んでいてくれて構わない。……と言っても、準備があるだろうから、難しいかもしれないが……それから、一応しきたりで、花婿である俺とは、式まで顔を合わせてはいけないことになっている」
「はい。存じております」
急であったとはいえ、知っておかなければ困るだろうと思い、マリアは慌てて辺境伯家について調べた。ここへ向かう馬車の中でも辺境伯の歴史に関する本を読んだお陰で、途中少し酔ってしまった。
「そうか。では心細いだろうが、式まで耐えてくれると助かる。何かあったら、使用人たちに遠慮せず申しつけてくれ」
「はい。ご配慮いただきありがとうございます」
ジークハルトはマリアの言葉に困ったような、複雑そうな顔をした。その表情にマリアは不安になる。そして、今さらながら、ジークハルトは身代わりとして嫁いできた自分のことをどう思っているのか気になった。
「あの、ジークハルト様」
「うん?」
口を開こうとしたマリアは、不意に伯爵の言葉が思い出された。
『マリア。どうかあちらの機嫌を損ねるようなことだけはしないでほしい。お前が心苦しい気持ちになるのも仕方ないが、すべてを話せば丸く収まるという問題ではない。嘘をつくことも、時には必要なことなんだ。自分の心を誤魔化し続けてね……神父の前で夫婦となれば、カリウス閣下も夫としての覚悟をお持ちになるはずだ』
相手を騙している自覚がありながら神に愛を誓うなど……間違っている。
(でも……)
「どうした」
「いいえ。これから、よろしくお願いします」
困った顔で微笑むマリアにジークハルトは僅かに瞠目し、次いで「ああ」と目を細めた。その笑みに罪悪感が湧く。
自分はなんて卑怯者なのだろう。
それでもマリアは本当のことを言えなかった。伯爵や王家に逆らえなかった。ここを追い出されても、帰る場所などなかったから。
『マリア。私のせいで本当にごめんなさい。辺境伯様にも、そう伝えて』
ヒルデが涙ながらにそう言って、マリアを抱きしめた。
婚約者であるエルヴィンにも直接会って別れを告げたかったのだが、許されなかったので、手紙を託すことにした。彼の他にも、付き合いのあった友人や孤児院の子どもたち、ザムエル宛てにもしたためた。
突然こんな形で別れることになり、申し訳ない。今までよくしてありがとう、と……。
(本当に、突然よね……)
マリアの気が変わらぬうちに、と思ったのか。……いや、恐らくアロイスとヒルデが結婚することを辺境伯側に知られて抗議される前に、と考えた結果だろう。
騙し打ちのようにして嫁いで向こうの機嫌を損ねてしまったら、それこそ亀裂が生じるのではないか。
マリアはもう一度そう述べたのだが、伯爵は大丈夫だと答えた。
『伯爵家の娘を嫁がせると言ったのだ。嘘は言っていない』
結局、リーデル伯爵も王家も、カリウス辺境伯のことをどこか下に見ており、どうとでもなることが話していて伝わってきた。
(わたしの存在自体が、カリウス辺境伯たちを不愉快にさせないかしら)
一体どんな顔をして会えばいいのだろう。
ヒルデならこんな時、天真爛漫に笑って、上手くやれるのではないだろうか。
(でも、わたしはヒルデじゃない。上手くやれない。でも……)
上手くやらなければ、伯爵家と王家、ひいては国全体に迷惑をかける可能性もある。
長い旅路の中、マリアの心はプレッシャーで押しつぶされそうだった。
「――お嬢様、そろそろ到着みたいですね」
付き添いのメイドが開放感を滲ませた声でそう言ったので、マリアは読んでいた本から顔を上げた。同乗しているメイドの他にも伯爵家からついてきた使用人や護衛騎士がいるが、彼らはマリアと辺境伯が結婚式を挙げた後、王都へ帰る予定だ。
誰も残るとは言ってくれなかったのが、仕方がないとはいえ、寂しく感じた。
「わっ、すごい!」
俯いていたマリアはメイドの声に、外へ視線を向けた。
カーテンを少し開けた先に、いかにも年季の入った堅固な建物が見えた。周りの自然豊かな――どこまでも深い森が続いているような濃い緑の景色も相まって、一昔前の異国に迷い込んだような錯覚に陥る。
(あれが、カリウス辺境伯の城……)
エーレンベルク国の北東部・国境地帯を治める領主の城だ。周りは森に囲まれており、城に向かって土地が高くなっていた。
今はもう恐らくないと考えられるが、戦乱の時代は隣国からの攻め入られることも少なくなかった。城を落とされれば、ここの領地は敵のものになる。最後の砦がこの城なのだ。
そう考えると、物々しい外観も納得できる。
跳ね橋を渡り、玄関前で止まった馬車から降りたマリアは、城を見上げてそっと息を吐いた。巨大な城の大きさに心細さが芽生え、途方に暮れたような気持ちになった。
(まるで孤児院からリーデル伯爵家へ来た時と同じね)
「ようこそ、お出でくださいました。ジークハルト様が中でお待ちでございます」
馬車の近くで待機していたのは家令と思われる老齢の男性だった。年下であるマリアにも慇懃に挨拶して、中へ案内しようとする。
彼の他には数人ほどの召使いしかいなかったので、恐らくあまり歓迎されていないのだろう。そう勝手に思っていたマリアは、中へ入り息を呑んだ。
長い廊下の両端にズラリと並んでいる使用人に、厳つい甲冑や騎士の隊服を着ている男性陣の姿があった。思わず怖気づいてしまうほどの迫力があり、マリアが前を通り過ぎるとそれに合わせて頭を下げてきたのでさらに恐縮してしまう。
居たたまれない気持ちで自然と早足になり、大きな扉の前まで到着する。両脇に衛兵がおり、重厚な扉をゆっくりと開けてくれた。
そこはまるで王の謁見の間だった。
いや、この土地の人間、城に仕える者たちからすると、彼こそ、王なのだろう。
(ああ、あの方が……)
ジークハルト・カリウス。二十五歳の時に若くして辺境伯になり、今年で二十九歳になる男性。
遠目からでも威厳が十分に感じられて、暗めの赤い髪も目を引く。琥珀色をした眼光の鋭さも狩りをする動物を思わせた。国境地帯を治めるとあれば苦労がつきものなのか、実年齢よりも上に見えた。
金の飾緒がついた黒い布地のジャケットとスラックスは恐らく騎士団の制服だと思われ、彼をより厳格で恐ろしい人物に仕立て上げている。
顔立ちのせいなのか、それとも歓迎していないからか、ジークハルトはマリアを睨んでいるように見えた。
(ま、まずは、挨拶しないと)
相手がどう思っているにせよ、こちらに敵意はなく、歩み寄る姿勢は大事だ。
しかしここにきて緊張が最高潮に達したのか、マリアはスカートの裾を掴む手が震えてしまう。
「あ、わ、わたしは……」
ジークハルトの両隣には彼の信頼する家臣がおり、マリアがおかしな行動をしないか目を光らせていた。その容赦ない視線がさらに心臓の鼓動を速め、頭の中を真っ白にさせる。
(どうしよう、どうしよう……)
泣いてはますます恥を晒すだけなのに、自然と目に涙が浮かぶ。その時だ。
「遠いところからよく来てくれた!」
大きくてよく通る、そして明るく溌剌とした声に、マリアは意外な思いがして顔を上げていた。
壇上に座っていたジークハルトが真っ直ぐこちらへ向かってくる。
(え、え……ジークハルト様の方から来てる!?)
動揺する間に長い脚はあっという間にマリアの前まで来て、身を屈めた。
「あなたがここへ来てくれたこと、我が家臣一同、深く感謝している。これからどうか、よろしく頼む」
ポカンとするマリアの手をジークハルトはそっと手に取り、触れるような口づけを落とした。
そしてこちらを窺うように上目遣いになり、ぎこちないものの確かに微笑みかけたので、マリアは心臓が大きく鳴った。怖そうだと思っていただけに優しい笑顔に目を奪われた。
「あなたの名前を、改めて教えてくれないだろうか」
「……マリア。マリア・リーデルと申します」
「マリア。良い名前だな。俺はジークハルト・カリウス。すまない。あなたがあまりにも可憐で、緊張してしまった。名乗るのが遅れてしまった」
ジークハルトはそう言うが、別に謝る必要はない。
マリアの方が爵位は下であるし、年下だ。こちらから挨拶するのが普通だった。
(もしかしてわたしが緊張していたから、わざと……?)
「もうジークハルト様! いくら花嫁が可憐だからって、自ら出迎えに行っちゃだめじゃないですかぁ!」
どこか間延びした声でそう言ったのは、ジークハルトのそばに控えていた男性の一人だ。金髪で、彼と似たデザインの服を着ているので同じ騎士だろうか。
「そう言うな、ラウル。俺は堅苦しい挨拶は苦手なんだ」
「苦手なんじゃなくて面倒なだけでしょ。まったく、せっかく俺たちがどうやったら強くてかっこよく見えるか思案したってのに、ジークハルト様ったら、いてっ」
ラウル、という青年の頭を叩いたのは、彼の隣に立っていた黒髪の男性だった。
「お前のその馴れ馴れしい態度こそが一番ジークハルト様の威厳に傷をつけている」
「いやいや。そんなことないよ。俺ほどジークのこと……ジークハルト様のこと敬っている人間はいないから」
「こういう時だけ『ジークハルト様』呼びするからぼろが出ている。普段から言葉遣いには気を付けろと言われているのに無視しているからだ」
「いいんです~。俺とジークは幼い頃からの付き合いなんです~。ぽっと出のお前よりも親友という地位を築いているんです~」
「その生意気な口をこの機会に塞いでやろう」
「上等だこの野郎。そのサラサラヘア、見る度にムカついていたんだ」
「俺もお前のクルクルヘアには鬱陶しさを覚えていた」
「何だと!? お前、俺がこの髪型を維持するのにどれだけ苦労しているか――」
「お前たち! いい加減にしろ!」
怒鳴り声で叱りつけたのは家臣の中でも一番年を重ねているように見える男性だ。
マリアはというと、ただただ驚いて口を挟めずにいた。
「マリア。驚かせてすまない。だが家はこういう賑やかな雰囲気なんだ。あまり身構えず、慣れていってほしい」
ジークハルトは苦笑しながらそう言うと、これからのことを簡単に説明した。
「挙式は二週間後だ。それまではゆっくり休んでいてくれて構わない。……と言っても、準備があるだろうから、難しいかもしれないが……それから、一応しきたりで、花婿である俺とは、式まで顔を合わせてはいけないことになっている」
「はい。存じております」
急であったとはいえ、知っておかなければ困るだろうと思い、マリアは慌てて辺境伯家について調べた。ここへ向かう馬車の中でも辺境伯の歴史に関する本を読んだお陰で、途中少し酔ってしまった。
「そうか。では心細いだろうが、式まで耐えてくれると助かる。何かあったら、使用人たちに遠慮せず申しつけてくれ」
「はい。ご配慮いただきありがとうございます」
ジークハルトはマリアの言葉に困ったような、複雑そうな顔をした。その表情にマリアは不安になる。そして、今さらながら、ジークハルトは身代わりとして嫁いできた自分のことをどう思っているのか気になった。
「あの、ジークハルト様」
「うん?」
口を開こうとしたマリアは、不意に伯爵の言葉が思い出された。
『マリア。どうかあちらの機嫌を損ねるようなことだけはしないでほしい。お前が心苦しい気持ちになるのも仕方ないが、すべてを話せば丸く収まるという問題ではない。嘘をつくことも、時には必要なことなんだ。自分の心を誤魔化し続けてね……神父の前で夫婦となれば、カリウス閣下も夫としての覚悟をお持ちになるはずだ』
相手を騙している自覚がありながら神に愛を誓うなど……間違っている。
(でも……)
「どうした」
「いいえ。これから、よろしくお願いします」
困った顔で微笑むマリアにジークハルトは僅かに瞠目し、次いで「ああ」と目を細めた。その笑みに罪悪感が湧く。
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