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8、欲
マリアは客室用の部屋へ案内されて、挙式までそこで過ごした。
みんな準備で忙しいためか、申し訳なさそうな顔をしつつ、マリアを一人きりにさせた。彼女としては長旅で疲れた身体を癒すのにちょうどよかったので、特に不満はなかった。それに……。
「マリア様。ジークハルト様から、お手紙をお預かりしております」
ジークハルトはしきたりで顔を合わせることができない代わりに、毎日欠かさず直筆の手紙をメイドを通じて渡してくれた。忙しいだろうに自分を気遣う丁寧な文章にマリアは申し訳ない気持ちになるが、密かに楽しみになってもいた。
(嬉しい……)
こんなふうに異性から手紙をもらったことなどなかったから。婚約者だったエルヴィンとも週に一度顔を合わせるので必要なく、彼はヒルデを想っていたから……。
読みやすく大きな文字で書かれた文章に目を落としていたマリアは顔を上げる。
「あの、お返事を書きたいのだけれど、ご迷惑になるかしら?」
栗色の髪に眼鏡をかけた若いメイド――ベルタはちょっと驚いたのち、そんなことないですよと笑って答えた。
「とても喜ばれると思いますよ」
ではぜひ渡してほしいとマリアはジークハルトのように彼の体調を気遣う文章と手紙のお礼をしたためた。
(ジークハルト様だけでなく、他の方たちも、わたしの家族については訊いてこない)
忙しいからだろうか。あるいは、訊かないよう予め言いつけられているのか……。
わからなかったが、訊かれても上手く答える自信のなかったマリアは正直ほっとしていた。
手紙を読んで返信する以外は、ドレスの合わせや式の段取りの説明を受けて、辺境伯家についての勉強を欠かすことはなかった。
そして式の当日。まだ日が昇っていない時刻に起こされると、たくさんの女性たちの手で準備が進められた。
淑女教育を受けたような若い女性もいたが、明け透けなく話す中年の女性の方が多かった。
「ウエストが細くていいわねぇ」
「肌も白くて綺麗だから、白粉もそんなしなくていいかも」
お喋りに興じながらも手際よく支度を進まれて、マリアは全身純白の花嫁衣装を着終えた。
「まぁ素敵!」
「マリア様、とても美しいですわ」
「こりゃ旦那様も目を奪われるってもんだね」
口々に褒められて、マリアは非常にくすぐったい気持ちになる。
「あの、みなさま。素敵に仕上げていただいて本当にありがとうございます」
微笑んでお礼を述べる花嫁に一瞬辺りはシンと静まり返る。
マリアが気分を害してしまったかと慌てると、一人の中年女性が笑った。
「やだ、もう、奥様ったら。そんな改めて礼を述べることじゃありませんよ」
「そうですよ。これが私たちの仕事なんですから」
「えっと……」
どうやら怒ったわけではないそうだ。
「奥様、旦那様のこと、よろしくお願いしますね」
「は、はい」
「顔は怖そうに見えますが、根は本当にお優しい方ですから」
「そうなんですか?」
実は優しい、というのを疑ったわけではなく、怖そうに見えるのが意外だった。手紙のやり取りをしているうちに、最初の印象からすっかり変わっていた。
しかし詳しい事情を知らない彼女たちからすると、マリアがジークハルトを怖がっているように見えたらしい。
「ええ。優しすぎて、女としては物足りなく感じることもあるかもしれませんが」
「あら、それは大丈夫よ。こんなに綺麗なお嬢さんですもの」
「それもそうね……奥様、もし旦那様が野獣化したら、あたしたちに相談してくださいね」
「はぁ……」
(野獣、ってどういう意味かしら)
マリアはよくわからなかったが、既婚者である女性たちは自分たちにも経験があるのか、うんうんと頷いている。頬を赤くしている女性もいた。
「では、お支度も済みましたら、そろそろ聖堂の方へ向かいましょうか」
ベルタが場をまとめるようにそう述べた。
◇
式の間ずっと緊張していたマリアは花嫁衣装を脱ぎ終わると、解放された気分になった。
湯浴みを済ませて肌触りのいい夜着を着せ終わると、メイドたちは部屋を退出したので、マリアは今部屋に一人だ。もう客室用の部屋ではなく、夫婦の寝室に案内された。普通ならばもっと緊張しておかしくないのだが、湯に浸かってリラックスできたことと日中ずっと気を張りつめていた疲労のお陰か、どこか夢心地であった。
(あの花嫁衣装、本当はヒルデが着る予定だったのよね……)
伯爵夫妻が持たせてくれたもので、ヒルデが辺境伯に嫁入りすると決まってから少しずつ作らせていたそうだ。一目見てお金と手間暇をかけたのがわかり、メイドたちからはご両親の愛情がたっぷりつまった衣装なのですね、と微笑ましそうに言われた。
マリアは本当に自分が着ていいのか、少し複雑な気持ちになった。
花嫁衣装は長いトレーンが特徴で、挙式では少女二人に持ってもらった。おめでとう、とたくさんの祝福の言葉をもらった。女性たちからは可愛いや綺麗という言葉も……。
(ジークハルト様にも……)
その時ちょうど扉を開く音がして顔を上げれば、ジークハルトが部屋へ入って来るところだった。
胸元が見えるシャツに式の時とは違う、ゆったりとした脚衣の姿を見ると、マリアはそれとなく視線を外した。だがすぐに夫となった彼を出迎えなくてはと立ち上がり、ちょうどこちらへ歩み寄っていたジークハルトと向き合う格好になった。
改めて見上げると、ジークハルトは伯爵やエルヴィンよりもずっと背が高かった。背だけではない。体格もがっしりとしていた。
じっと無表情で見下ろされて、マリアは蛇に睨まれた蛙の気持ちになる。
だが勇気を出して伝える。
「あの、ジークハルト様。今日は、ありがとうございました」
「いや、こちらこそ……疲れただろう?」
「はい。あ、いえ……でも、大丈夫ですから」
口にして、何だか恥ずかしくなった。これからのことを考えると、はしたない答えだったかもしれない。
「マリア」
ジークハルトの手が頬に触れた。誓いの口づけと同じ距離の近さにどきりとする。
「あなたを必ず幸せにする。だからどうか、俺に身を委ねてくれるか」
囁くような低い声に胸が締めつけられる。まだ会って少ししか経っていないが、彼が見た目とは裏腹に真摯で優しい男性なのがわかった。だからこそ、マリアは言わなくてはいけないと思った。
「あの、わたし」
「マリア……」
でも、ジークハルトの自分を求める声と眼差しに欲が出た。
今夜だけでも、自分を求めてほしい。ヒルデの代わりではなくマリアという存在を見てほしい。
(ごめんなさい)
マリアは背を伸ばし、自分からジークハルトに触れるような口づけした。
顔を離すと、目を丸くする彼に伝える。
「はい、ジークハルト様。あなたにすべてを捧げます。わたしをどうか、あなたの本当の妻にしてください」
みんな準備で忙しいためか、申し訳なさそうな顔をしつつ、マリアを一人きりにさせた。彼女としては長旅で疲れた身体を癒すのにちょうどよかったので、特に不満はなかった。それに……。
「マリア様。ジークハルト様から、お手紙をお預かりしております」
ジークハルトはしきたりで顔を合わせることができない代わりに、毎日欠かさず直筆の手紙をメイドを通じて渡してくれた。忙しいだろうに自分を気遣う丁寧な文章にマリアは申し訳ない気持ちになるが、密かに楽しみになってもいた。
(嬉しい……)
こんなふうに異性から手紙をもらったことなどなかったから。婚約者だったエルヴィンとも週に一度顔を合わせるので必要なく、彼はヒルデを想っていたから……。
読みやすく大きな文字で書かれた文章に目を落としていたマリアは顔を上げる。
「あの、お返事を書きたいのだけれど、ご迷惑になるかしら?」
栗色の髪に眼鏡をかけた若いメイド――ベルタはちょっと驚いたのち、そんなことないですよと笑って答えた。
「とても喜ばれると思いますよ」
ではぜひ渡してほしいとマリアはジークハルトのように彼の体調を気遣う文章と手紙のお礼をしたためた。
(ジークハルト様だけでなく、他の方たちも、わたしの家族については訊いてこない)
忙しいからだろうか。あるいは、訊かないよう予め言いつけられているのか……。
わからなかったが、訊かれても上手く答える自信のなかったマリアは正直ほっとしていた。
手紙を読んで返信する以外は、ドレスの合わせや式の段取りの説明を受けて、辺境伯家についての勉強を欠かすことはなかった。
そして式の当日。まだ日が昇っていない時刻に起こされると、たくさんの女性たちの手で準備が進められた。
淑女教育を受けたような若い女性もいたが、明け透けなく話す中年の女性の方が多かった。
「ウエストが細くていいわねぇ」
「肌も白くて綺麗だから、白粉もそんなしなくていいかも」
お喋りに興じながらも手際よく支度を進まれて、マリアは全身純白の花嫁衣装を着終えた。
「まぁ素敵!」
「マリア様、とても美しいですわ」
「こりゃ旦那様も目を奪われるってもんだね」
口々に褒められて、マリアは非常にくすぐったい気持ちになる。
「あの、みなさま。素敵に仕上げていただいて本当にありがとうございます」
微笑んでお礼を述べる花嫁に一瞬辺りはシンと静まり返る。
マリアが気分を害してしまったかと慌てると、一人の中年女性が笑った。
「やだ、もう、奥様ったら。そんな改めて礼を述べることじゃありませんよ」
「そうですよ。これが私たちの仕事なんですから」
「えっと……」
どうやら怒ったわけではないそうだ。
「奥様、旦那様のこと、よろしくお願いしますね」
「は、はい」
「顔は怖そうに見えますが、根は本当にお優しい方ですから」
「そうなんですか?」
実は優しい、というのを疑ったわけではなく、怖そうに見えるのが意外だった。手紙のやり取りをしているうちに、最初の印象からすっかり変わっていた。
しかし詳しい事情を知らない彼女たちからすると、マリアがジークハルトを怖がっているように見えたらしい。
「ええ。優しすぎて、女としては物足りなく感じることもあるかもしれませんが」
「あら、それは大丈夫よ。こんなに綺麗なお嬢さんですもの」
「それもそうね……奥様、もし旦那様が野獣化したら、あたしたちに相談してくださいね」
「はぁ……」
(野獣、ってどういう意味かしら)
マリアはよくわからなかったが、既婚者である女性たちは自分たちにも経験があるのか、うんうんと頷いている。頬を赤くしている女性もいた。
「では、お支度も済みましたら、そろそろ聖堂の方へ向かいましょうか」
ベルタが場をまとめるようにそう述べた。
◇
式の間ずっと緊張していたマリアは花嫁衣装を脱ぎ終わると、解放された気分になった。
湯浴みを済ませて肌触りのいい夜着を着せ終わると、メイドたちは部屋を退出したので、マリアは今部屋に一人だ。もう客室用の部屋ではなく、夫婦の寝室に案内された。普通ならばもっと緊張しておかしくないのだが、湯に浸かってリラックスできたことと日中ずっと気を張りつめていた疲労のお陰か、どこか夢心地であった。
(あの花嫁衣装、本当はヒルデが着る予定だったのよね……)
伯爵夫妻が持たせてくれたもので、ヒルデが辺境伯に嫁入りすると決まってから少しずつ作らせていたそうだ。一目見てお金と手間暇をかけたのがわかり、メイドたちからはご両親の愛情がたっぷりつまった衣装なのですね、と微笑ましそうに言われた。
マリアは本当に自分が着ていいのか、少し複雑な気持ちになった。
花嫁衣装は長いトレーンが特徴で、挙式では少女二人に持ってもらった。おめでとう、とたくさんの祝福の言葉をもらった。女性たちからは可愛いや綺麗という言葉も……。
(ジークハルト様にも……)
その時ちょうど扉を開く音がして顔を上げれば、ジークハルトが部屋へ入って来るところだった。
胸元が見えるシャツに式の時とは違う、ゆったりとした脚衣の姿を見ると、マリアはそれとなく視線を外した。だがすぐに夫となった彼を出迎えなくてはと立ち上がり、ちょうどこちらへ歩み寄っていたジークハルトと向き合う格好になった。
改めて見上げると、ジークハルトは伯爵やエルヴィンよりもずっと背が高かった。背だけではない。体格もがっしりとしていた。
じっと無表情で見下ろされて、マリアは蛇に睨まれた蛙の気持ちになる。
だが勇気を出して伝える。
「あの、ジークハルト様。今日は、ありがとうございました」
「いや、こちらこそ……疲れただろう?」
「はい。あ、いえ……でも、大丈夫ですから」
口にして、何だか恥ずかしくなった。これからのことを考えると、はしたない答えだったかもしれない。
「マリア」
ジークハルトの手が頬に触れた。誓いの口づけと同じ距離の近さにどきりとする。
「あなたを必ず幸せにする。だからどうか、俺に身を委ねてくれるか」
囁くような低い声に胸が締めつけられる。まだ会って少ししか経っていないが、彼が見た目とは裏腹に真摯で優しい男性なのがわかった。だからこそ、マリアは言わなくてはいけないと思った。
「あの、わたし」
「マリア……」
でも、ジークハルトの自分を求める声と眼差しに欲が出た。
今夜だけでも、自分を求めてほしい。ヒルデの代わりではなくマリアという存在を見てほしい。
(ごめんなさい)
マリアは背を伸ばし、自分からジークハルトに触れるような口づけした。
顔を離すと、目を丸くする彼に伝える。
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