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14、少しの変化
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それから、ロワールが侍医から外された。マティアスが詳細を伏せた形で、報告したのだろう。
国王からはさらに気遣う言葉をかけられたが、記憶のことに関してはしばらく聞かれなくなった。乳母のイネスも何か言いたげな表情をしていたが、口を噤むことが増えた。
以前とは違う日々が、ブランシュには訪れた。
一番の変化は、マティアスが昼間にも、ブランシュのもとへ足を運ぶようになったことだろう。
彼は部屋に引きこもりがちなブランシュを催促し、外へ連れ出した。他の場所へ行くことはブランシュが尻込みしたので、庭を散歩する程度に留まったが、それでも衛兵や侍女たちの目は変わったように思う。
ブランシュに対して、というよりマティアスにだが。
「ルメール公爵は本当に、素晴らしい方ですわね」
ブランシュの世話をする侍女が、うっとりとした声色で彼を称賛する。
「あんなことがあっても王女殿下を奥方として大切にするなんて、同じ男として尊敬するね」
と衛兵たちも陰でマティアスを褒め称えている。
「殿下はあんな素晴らしい伴侶を得られて、幸せなお方だ」
その度に、ブランシュは逃げられず、じわじわと追い詰められていく気がした。
「これが、あなたの作戦なの」
「作戦とは、酷い言い草ですね」
薔薇の庭園を寄り添って歩きながら、ブランシュは公爵を厳しい目で見やった。後方には侍女や衛兵がおり、二人の邪魔にならないよう距離を置いていた。
「だって、そうでしょう。こんな……」
「貴女も、私と想い合っているとして、外堀を埋めたんですよ?」
(そんなの知らない)
ふいと顔を背けて、薔薇の花を睨みつける。
「庭師にとらせますか」
「いらない」
ここに植わっている花は、すべてブランシュの気に入ったものらしい。そう思うと、ひどく窮屈で、息がつまる感じがした。
「今日の夜も、伺いますので」
手を絡めながら、マティアスが囁く。
(一々お伺いを立てずとも、勝手に来るくせに)
「きちんと、起きていらっしゃってくださいね」
(寝ていても、無理矢理起すくせに)
「私も、寝ている人間に無粋な真似はしたくありませんから」
マティアスの言葉をブランシュはすべて無視した。彼の方を一切見ず、じっと絡まった蔓を見る。
「これは珍しい光景だな」
声のした方を振り向けば、王子であるジョシュアがにこやかな笑みと共に現れた。彼女は内心逃げ出したくなる気持ちを抑え、他人行儀な挨拶をした。
「何の話をしていたんだ」
「薔薇の花が綺麗だと話していたんです」
居心地の悪いブランシュに代わり、マティアスが答えた。王子はちらりとブランシュに目をやりながら、そうかと頷いた。
「おまえのことだから、この薔薇全てを部屋へ運ぶよう言って、彼を困らせていないだろうね」
「いいえ。そんなことしていませんわ」
目を合わせぬまま、そっけなく答える。ジョシュアはそんな彼女の態度に少し肩透かしを食らったようで、マティアスの方へと視線を投げかける。
「薔薇は好みではないそうです」
「ほぉ……記憶を失うと、趣味趣向まで変わるのか?」
ブランシュはジョシュアを冷ややかに一瞥する。
「ええ、変わりますわ」
その言葉はマティアスに響いたようで、繋いでいた手をきつく握りしめられた。しかし彼女は振り払うように解き、二人から一歩離れた。
「ブランシュ?」
ジョシュアの目が大きく見開かれる。
「わたくし、まだ体調が良くないようですので、先に失礼させてもらいます。侍女や衛兵たちがおりますので、公爵は殿下と共にお戻りください」
返事も聞かず、彼女はさっと背を向けた。
王子の戸惑った表情。そしてマティアスの強い視線が背中に突き刺さるのを感じたけれど、ブランシュは決して振り返らなかった。
ブランシュがマティアスを拒絶すればするほど、彼はブランシュに執着する。
庭園で別れたその夜も、抱かれた。相変わらず服は着たままで、中には出されなかったが、いつもよりねちっこく、ブランシュが昇りつめようとするとわざとやめて、ぐずぐずにさせた。声を出させようとしているのか弱い所ばかり責め、ブランシュの頭の中を何度も真っ白にさせた。
行為が終わると甲斐甲斐しくブランシュの服装を正し、部屋を出て行く。どうやら最近彼は王宮に寝泊まりしているらしい。わざわざ夜更けに公爵家へ帰ることも面倒なのだろう。それを周りはブランシュのためだと解釈している。妻を心配する優しい夫。
(そんなわけないじゃない……)
彼はブランシュのことを殿下、と呼ぶ。もう降嫁しているのに、公爵夫人となったはずなのに、自分は決して認めていないというように。
(まぁ、それは彼だけじゃないかもしれないけれど……)
姫様。王女殿下。
臣下の立場からすればそう呼んだ方が普通なのかもしれないが、ブランシュにはなぜかみんなが自分を笑っているように聞こえる。
おまえなんてただのちっぽけな娘だと。
(でも、わたくし自身が一番そう思うのよね……)
礼儀作法などは身体に染みついているが、王女として過ごした日々は、何一つ覚えていない。
記憶は今までの自分を積み重ねてきたもの。未来の自分を作り上げるものだ。それを突然失って、彼女は足場の悪い、不安定な場所で辛うじて立っている状況だった。
もっときちんと立ちたいのに、踏み場がない。真っ直ぐと、堂々と立てない。
(思い出した所で、みんなが以前のブランシュを望むとは限らないのに……)
可哀想なブランシュ、と彼女は目を瞑った。
国王からはさらに気遣う言葉をかけられたが、記憶のことに関してはしばらく聞かれなくなった。乳母のイネスも何か言いたげな表情をしていたが、口を噤むことが増えた。
以前とは違う日々が、ブランシュには訪れた。
一番の変化は、マティアスが昼間にも、ブランシュのもとへ足を運ぶようになったことだろう。
彼は部屋に引きこもりがちなブランシュを催促し、外へ連れ出した。他の場所へ行くことはブランシュが尻込みしたので、庭を散歩する程度に留まったが、それでも衛兵や侍女たちの目は変わったように思う。
ブランシュに対して、というよりマティアスにだが。
「ルメール公爵は本当に、素晴らしい方ですわね」
ブランシュの世話をする侍女が、うっとりとした声色で彼を称賛する。
「あんなことがあっても王女殿下を奥方として大切にするなんて、同じ男として尊敬するね」
と衛兵たちも陰でマティアスを褒め称えている。
「殿下はあんな素晴らしい伴侶を得られて、幸せなお方だ」
その度に、ブランシュは逃げられず、じわじわと追い詰められていく気がした。
「これが、あなたの作戦なの」
「作戦とは、酷い言い草ですね」
薔薇の庭園を寄り添って歩きながら、ブランシュは公爵を厳しい目で見やった。後方には侍女や衛兵がおり、二人の邪魔にならないよう距離を置いていた。
「だって、そうでしょう。こんな……」
「貴女も、私と想い合っているとして、外堀を埋めたんですよ?」
(そんなの知らない)
ふいと顔を背けて、薔薇の花を睨みつける。
「庭師にとらせますか」
「いらない」
ここに植わっている花は、すべてブランシュの気に入ったものらしい。そう思うと、ひどく窮屈で、息がつまる感じがした。
「今日の夜も、伺いますので」
手を絡めながら、マティアスが囁く。
(一々お伺いを立てずとも、勝手に来るくせに)
「きちんと、起きていらっしゃってくださいね」
(寝ていても、無理矢理起すくせに)
「私も、寝ている人間に無粋な真似はしたくありませんから」
マティアスの言葉をブランシュはすべて無視した。彼の方を一切見ず、じっと絡まった蔓を見る。
「これは珍しい光景だな」
声のした方を振り向けば、王子であるジョシュアがにこやかな笑みと共に現れた。彼女は内心逃げ出したくなる気持ちを抑え、他人行儀な挨拶をした。
「何の話をしていたんだ」
「薔薇の花が綺麗だと話していたんです」
居心地の悪いブランシュに代わり、マティアスが答えた。王子はちらりとブランシュに目をやりながら、そうかと頷いた。
「おまえのことだから、この薔薇全てを部屋へ運ぶよう言って、彼を困らせていないだろうね」
「いいえ。そんなことしていませんわ」
目を合わせぬまま、そっけなく答える。ジョシュアはそんな彼女の態度に少し肩透かしを食らったようで、マティアスの方へと視線を投げかける。
「薔薇は好みではないそうです」
「ほぉ……記憶を失うと、趣味趣向まで変わるのか?」
ブランシュはジョシュアを冷ややかに一瞥する。
「ええ、変わりますわ」
その言葉はマティアスに響いたようで、繋いでいた手をきつく握りしめられた。しかし彼女は振り払うように解き、二人から一歩離れた。
「ブランシュ?」
ジョシュアの目が大きく見開かれる。
「わたくし、まだ体調が良くないようですので、先に失礼させてもらいます。侍女や衛兵たちがおりますので、公爵は殿下と共にお戻りください」
返事も聞かず、彼女はさっと背を向けた。
王子の戸惑った表情。そしてマティアスの強い視線が背中に突き刺さるのを感じたけれど、ブランシュは決して振り返らなかった。
ブランシュがマティアスを拒絶すればするほど、彼はブランシュに執着する。
庭園で別れたその夜も、抱かれた。相変わらず服は着たままで、中には出されなかったが、いつもよりねちっこく、ブランシュが昇りつめようとするとわざとやめて、ぐずぐずにさせた。声を出させようとしているのか弱い所ばかり責め、ブランシュの頭の中を何度も真っ白にさせた。
行為が終わると甲斐甲斐しくブランシュの服装を正し、部屋を出て行く。どうやら最近彼は王宮に寝泊まりしているらしい。わざわざ夜更けに公爵家へ帰ることも面倒なのだろう。それを周りはブランシュのためだと解釈している。妻を心配する優しい夫。
(そんなわけないじゃない……)
彼はブランシュのことを殿下、と呼ぶ。もう降嫁しているのに、公爵夫人となったはずなのに、自分は決して認めていないというように。
(まぁ、それは彼だけじゃないかもしれないけれど……)
姫様。王女殿下。
臣下の立場からすればそう呼んだ方が普通なのかもしれないが、ブランシュにはなぜかみんなが自分を笑っているように聞こえる。
おまえなんてただのちっぽけな娘だと。
(でも、わたくし自身が一番そう思うのよね……)
礼儀作法などは身体に染みついているが、王女として過ごした日々は、何一つ覚えていない。
記憶は今までの自分を積み重ねてきたもの。未来の自分を作り上げるものだ。それを突然失って、彼女は足場の悪い、不安定な場所で辛うじて立っている状況だった。
もっときちんと立ちたいのに、踏み場がない。真っ直ぐと、堂々と立てない。
(思い出した所で、みんなが以前のブランシュを望むとは限らないのに……)
可哀想なブランシュ、と彼女は目を瞑った。
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