31 / 56
31、熱
しおりを挟む
屋敷へ戻ったブランシュは風邪を引いた。幸い一日で良くなったが、その間マティアスは無理をさせた自分に責任があると言いたげな顔でブランシュにつきっきりで看病しようとした。
着替えまで手伝おうとするので、さすがにブランシュは部屋から追い出し、早く治さねばと思った。そのおかげかどうかわからないが無事に治った。しかし今度はブランシュの風邪をもらったのか、マティアスが床に臥してしまう。
今まで滅多に風邪を引いたことがないと言っていた彼は、それゆえ辛そうに呼吸をして、顔を真っ赤にさせていた。ブランシュはひどく動揺してしまい、マティアスと同じように四六時中彼のそばについて、額に載せられた布を定期的に取り替えてやり、背中を支えて水を飲ませ、温かいスープをスプーンで掬って彼の口元まで運び、汗をかいた彼の身体を拭くなど……すべて自ら進んでやった。
「貴女がそんなこと、しないでいいですから……」
そう言ってマティアスはブランシュを遠ざけようとしたが、彼女は無視した。
「あなたもわたくしに同じことをしてくれたでしょう」
なぜ自分がしてはいけないのか。
「貴女は、王女で……」
「……わたくしはもう、王女ではないわ」
降嫁しているのだから、本当は殿下と呼ばれるのは相応しくない。
(あなたや周りは認められないから、そう呼んでいるんでしょうけれど……)
ルメール公爵夫人と呼ばれたことが、目が覚めてから未だに一度もないのがその証拠だ。
「せめてこういう時くらい、わたくしを頼って……」
妻の真似事をさせてくれとブランシュは呟く。薬の副作用で眠いのか、マティアスは目をしきりに瞬き、抗うようにブランシュを見つめる。けれどしだいにゆっくりと抵抗をやめて眠りに落ちていく。その際に何か言ったようだったが、小さくて聞き取れなかった。彼女は毛布を肩までかけてやり、はみ出していた腕を戻してやる。
「……知らなかったわ」
瞼を閉じたマティアスの顔を見ながらブランシュは言葉にする。
「病気の人間を看病するのって、とても大変なのね……」
知らなかった。
「あなたが苦しむ姿を見ていると、わたくしまで辛くなったの……」
たかが風邪だと言われても、ひょっとしたら深刻な病で、死んでしまうのではないかとさえ思ってしまった。
「お父様も、こんな気持ちだったのかしら……」
父だけでない。早くに亡くなった母も、それから母親代わりに育ててくれた乳母のイネスも、いつの間にか険悪になってしまった兄のジョシュアも、今のブランシュのような気持ちを抱いて優しく接してくれたのだろう。それなのに彼女は……
「ありがとう、って思えなかったの」
上手に思いを返すことができなかった。
「熱に浮されている時ね、懐かしいって思ったの。ああ、この感じ、昔も味わったな、って」
大丈夫とか、頑張れとか、可哀想とか、そういった言葉をたくさんかけられた気がする。もどかしかった。少し動けば、すぐにきつくなって、熱が出て、寝台の上に引き戻される。見慣れた天井の景色。薬品の匂い。白いシーツに、窓際やテーブルに飾られた薔薇は血のように赤く、美しい花は生きる象徴に見えた。
「周りがせかせか動いているのに、わたくしだけはベッドの上に縛り付けられている。みんなはそんなブランシュを可哀想って言ってくれるけれど、この苦しみは誰にもわかってもらえない……そんなふうに、思っていたんだわ」
熱で朦朧としたせいか、記憶の一部が蘇った。けれどそれは本当に一部で、戻ってもブランシュは自分ではない、他の誰かの記憶のように思えた。
「でもね、彼女の苦しみはわかるの……わかりたくないのに、共感するの……」
自分のことだから当然だが、ブランシュは切なく、悲しかった。そして怒りもあった。
(どうしてわたくしは……)
ブランシュはぎゅっと手を握りしめ俯いた。
着替えまで手伝おうとするので、さすがにブランシュは部屋から追い出し、早く治さねばと思った。そのおかげかどうかわからないが無事に治った。しかし今度はブランシュの風邪をもらったのか、マティアスが床に臥してしまう。
今まで滅多に風邪を引いたことがないと言っていた彼は、それゆえ辛そうに呼吸をして、顔を真っ赤にさせていた。ブランシュはひどく動揺してしまい、マティアスと同じように四六時中彼のそばについて、額に載せられた布を定期的に取り替えてやり、背中を支えて水を飲ませ、温かいスープをスプーンで掬って彼の口元まで運び、汗をかいた彼の身体を拭くなど……すべて自ら進んでやった。
「貴女がそんなこと、しないでいいですから……」
そう言ってマティアスはブランシュを遠ざけようとしたが、彼女は無視した。
「あなたもわたくしに同じことをしてくれたでしょう」
なぜ自分がしてはいけないのか。
「貴女は、王女で……」
「……わたくしはもう、王女ではないわ」
降嫁しているのだから、本当は殿下と呼ばれるのは相応しくない。
(あなたや周りは認められないから、そう呼んでいるんでしょうけれど……)
ルメール公爵夫人と呼ばれたことが、目が覚めてから未だに一度もないのがその証拠だ。
「せめてこういう時くらい、わたくしを頼って……」
妻の真似事をさせてくれとブランシュは呟く。薬の副作用で眠いのか、マティアスは目をしきりに瞬き、抗うようにブランシュを見つめる。けれどしだいにゆっくりと抵抗をやめて眠りに落ちていく。その際に何か言ったようだったが、小さくて聞き取れなかった。彼女は毛布を肩までかけてやり、はみ出していた腕を戻してやる。
「……知らなかったわ」
瞼を閉じたマティアスの顔を見ながらブランシュは言葉にする。
「病気の人間を看病するのって、とても大変なのね……」
知らなかった。
「あなたが苦しむ姿を見ていると、わたくしまで辛くなったの……」
たかが風邪だと言われても、ひょっとしたら深刻な病で、死んでしまうのではないかとさえ思ってしまった。
「お父様も、こんな気持ちだったのかしら……」
父だけでない。早くに亡くなった母も、それから母親代わりに育ててくれた乳母のイネスも、いつの間にか険悪になってしまった兄のジョシュアも、今のブランシュのような気持ちを抱いて優しく接してくれたのだろう。それなのに彼女は……
「ありがとう、って思えなかったの」
上手に思いを返すことができなかった。
「熱に浮されている時ね、懐かしいって思ったの。ああ、この感じ、昔も味わったな、って」
大丈夫とか、頑張れとか、可哀想とか、そういった言葉をたくさんかけられた気がする。もどかしかった。少し動けば、すぐにきつくなって、熱が出て、寝台の上に引き戻される。見慣れた天井の景色。薬品の匂い。白いシーツに、窓際やテーブルに飾られた薔薇は血のように赤く、美しい花は生きる象徴に見えた。
「周りがせかせか動いているのに、わたくしだけはベッドの上に縛り付けられている。みんなはそんなブランシュを可哀想って言ってくれるけれど、この苦しみは誰にもわかってもらえない……そんなふうに、思っていたんだわ」
熱で朦朧としたせいか、記憶の一部が蘇った。けれどそれは本当に一部で、戻ってもブランシュは自分ではない、他の誰かの記憶のように思えた。
「でもね、彼女の苦しみはわかるの……わかりたくないのに、共感するの……」
自分のことだから当然だが、ブランシュは切なく、悲しかった。そして怒りもあった。
(どうしてわたくしは……)
ブランシュはぎゅっと手を握りしめ俯いた。
202
あなたにおすすめの小説
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
大好きなあなたを忘れる方法
山田ランチ
恋愛
あらすじ
王子と婚約関係にある侯爵令嬢のメリベルは、訳あってずっと秘密の婚約者のままにされていた。学園へ入学してすぐ、メリベルの魔廻が(魔術を使う為の魔素を貯めておく器官)が限界を向かえようとしている事に気が付いた大魔術師は、魔廻を小さくする事を提案する。その方法は、魔素が好むという悲しい記憶を失くしていくものだった。悲しい記憶を引っ張り出しては消していくという日々を過ごすうち、徐々に王子との記憶を失くしていくメリベル。そんな中、魔廻を奪う謎の者達に大魔術師とメリベルが襲われてしまう。
魔廻を奪おうとする者達は何者なのか。王子との婚約が隠されている訳と、重大な秘密を抱える大魔術師の正体が、メリベルの記憶に導かれ、やがて世界の始まりへと繋がっていく。
登場人物
・メリベル・アークトュラス 17歳、アークトゥラス侯爵の一人娘。ジャスパーの婚約者。
・ジャスパー・オリオン 17歳、第一王子。メリベルの婚約者。
・イーライ 学園の園芸員。
クレイシー・クレリック 17歳、クレリック侯爵の一人娘。
・リーヴァイ・ブルーマー 18歳、ブルーマー子爵家の嫡男でジャスパーの側近。
・アイザック・スチュアート 17歳、スチュアート侯爵の嫡男でジャスパーの側近。
・ノア・ワード 18歳、ワード騎士団長の息子でジャスパーの従騎士。
・シア・ガイザー 17歳、ガイザー男爵の娘でメリベルの友人。
・マイロ 17歳、メリベルの友人。
魔素→世界に漂っている物質。触れれば精神を侵され、生き物は主に凶暴化し魔獣となる。
魔廻→体内にある魔廻(まかい)と呼ばれる器官、魔素を取り込み貯める事が出来る。魔術師はこの器官がある事が必須。
ソル神とルナ神→太陽と月の男女神が魔素で満ちた混沌の大地に現れ、世界を二つに分けて浄化した。ソル神は昼間を、ルナ神は夜を受け持った。
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
夫に相手にされない侯爵夫人ですが、記憶を失ったので人生やり直します。
MIRICO
恋愛
第二章【記憶を失った侯爵夫人ですが、夫と人生やり直します。】完結です。
記憶を失った私は侯爵夫人だった。しかし、旦那様とは不仲でほとんど話すこともなく、パーティに連れて行かれたのは結婚して数回ほど。それを聞いても何も思い出せないので、とりあえず記憶を失ったことは旦那様に内緒にしておいた。
旦那様は美形で凛とした顔の見目の良い方。けれどお城に泊まってばかりで、お屋敷にいてもほとんど顔を合わせない。いいんですよ、その間私は自由にできますから。
屋敷の生活は楽しく旦那様がいなくても何の問題もなかったけれど、ある日突然パーティに同伴することに。
旦那様が「わたし」をどう思っているのか、記憶を失った私にはどうでもいい。けれど、旦那様のお相手たちがやけに私に噛み付いてくる。
記憶がないのだから、私は旦那様のことはどうでもいいのよ?
それなのに、旦那様までもが私にかまってくる。旦那様は一体何がしたいのかしら…?
小説家になろう様に掲載済みです。
白い結婚の行方
宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」
そう告げられたのは、まだ十二歳だった。
名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。
愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。
この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。
冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。
誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。
結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。
これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。
偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。
交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。
真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。
──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる