魔女とクッキー

真朱マロ

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魔女とクッキー

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 街角のアパートの一階には、異国から来た魔女が住んでいる。
 フィーアのお兄ちゃんが彼女を呼ぶとき「まじょ」と呼んでいたので、魔女で間違いないと思う。

 魔女はキャラメルみたいな甘い色の肌をして、晴れた空のように青い瞳をして、派手な赤色の長い髪を一本に編んで、背中に垂らしユラユラと揺らしていた。
 金や銀の髪色が多いこの国でとても目立つけれど、フィーアのお兄ちゃんと同じ騎士団に所属している。
 だから仕事に向かう姿はキリリとした騎士団の制服を着ているし、魔法の杖も持っていない。
 魔女が魔法を使って泥棒や悪漢をビシバシと捕獲するのかとワクワクして後をつけたこともあるけど、自分のアパートと騎士団の駐屯所を往復しているだけなので肝心の魔法はまだ見ていない。

 魔女なのに、騎士団にいる。
 ものすごく不思議。本当に不思議。

 どこから来たのか。
 そもそも、魔女は人間なのか。
 魔女は何を食べて、何をして、生きているのか。

 疑問を口にすると「彼女に失礼だぞ」とお兄ちゃんにお尻を思い切り蹴とばされてしまうから、がんばって黙るようにしているけれど気になる。
 顔立ちが私たちとは違うけれど、すれ違った時に思わず振り返ってしまうぐらい、魔女はとても綺麗なお姉さんなのだ。
 年の離れたフィーアのお兄ちゃんは、魔女の話をしている時は顔が緩んでデレデレしているので、さらに気になる。

 とにかく、魔女は騎士団に所属しているのだ。
 魔女がどんな魔法を使うのかはわからないけれど、良い魔女に間違いないと思う。

 と、いうことで。
 フィーアは直接お話をするために、とっておきのキャンディの瓶を持って、魔女の家に遊びに行くことにした。
 お兄ちゃんは魔女にデレデレしているから、自分が出勤で魔女がお休みだと前日からドンヨリした顔になるので、ものすごくわかりやすいのだ。
 魔女の家に訪問するのは、当然ながらお兄ちゃんには内緒である。

 お兄ちゃんがお仕事に出て行ってから、フィーアは一人で魔女の家の前にいた。
 扉の横にある呼び出しベルの紐に手をかけた時、ちょっとだけ緊張したけれど思い切ってリンリンと鳴らす。
 綺麗な澄んだベルの音が止まると、すぐに扉は開いた。

 魔女はフィーアの顔を見るとほんの少しだけ驚いた顔をしたけれど、すぐに淡く笑った。
 美人が笑うとそれだけで威力があって、会話をするのも初めてだから胸がドキドキする。

「こんにちは、アインスの妹さん」
「こんにちは、魔女さん。お兄ちゃんがいつもお世話になってます。あたし、フィーアです。お願いがあってきました。あたしに魔法を教えてください」

 フィーアは勢いが大事とばかりに、お願いまで一気に言い切った。
 魔女はキョトンとした後で「魔法……?」と小さくつぶやくと、口元に手をやってブフッと噴出した。
 横を向いて必死に耐えているみたいだけど、その肩はプルプルと震えている。
 キャラメル色の肌が真っ赤になっているから心配になったけど、魔女は「ン、ン、ン」と意味のない独り言を繰り返してプルプルが止まらない。
 でも、しばらくして震えが止まると「中へどうぞ」と落ち着いた声で家に入れてくれた。

 お邪魔します、とドキドキしながら中に入ったら、思いのほか普通の家だった。
 備え付けの家具だからかもしれないけれど、見えるものがあたしの家と変わらない、と思う。
 フィーアの想像では見たことのないようなオブジェや、珍しいものがいっぱい詰まっているはずだったのに、普通すぎてがっかりしてしまった。

 フィーアの気持ちに気が付いたのか、魔女はキッチンに通してくれた。
 広めのキッチンは食卓も兼ねているのか、テーブルや椅子もあって魔女はフィーアに座るように言うと、不思議なお茶を出してくれた。
 スッと鼻が通るような清涼感と果物のような甘さがあるそのお茶は、淡いオレンジ色をしている。

「ポルポルの実と葉を使ったお茶は、私の生まれた国ものだからフィーアは知らないでしょう?」

 からかってくるその表情に、あたしは「うん」とうなずいた。
 魔女がとても綺麗に笑うし、初めて口にする味にドキドキする。
 なんだかくつろいでしまったけれど、ここに来た目的を忘れたりしない。
 フィーアは斜めがけしていたポシェットから飴の詰まった瓶を取り出して、魔女の目の前に置いた。

「ねぇ、魔女さん。私も魔法を使ってみたいの。報酬はあるのよ。あたしのとっておきのキャンディ!」

 うん、とうなずいて魔女はキャンディの瓶を持ち上げた。
 透明な瓶の中で、鮮やかな色彩の飴がキラキラしている。

「せっかくだから、飴を使った魔法にしましょう」

 そう言って魔女は、あたしにエプロンを貸してくれた。
 魔女の国の布でできたエプロンの模様は、赤や緑や青とクッキリした色彩で、あたしも魔女の国の人間になれたみたいだった。
 魔女も同じ模様のエプロンを身に着けると、テーブルの上にバターや小麦粉やお砂糖を並べる。

「さぁ、フィーア。今日の魔法は、大好きな人を元気にする美味しい魔法よ」

 これから作るもののその手順を聞いただけで、それが何かわかったのでフィーアは渋い顔をした。
 フィーアが子供だから、魔女がありふれたものでごまかそうとしていると思ったのだ。

「魔女さん、意地悪だわ。普通のクッキーなんて、ちっとも魔法にならないもの」

 プウッと頬を膨らませるフィーアの顔が面白かったのか、魔女は思わず横を向いた。
 必死に笑いをかみ殺そうとしているのだが、その肩がぷるぷると震えているので少しも隠せていなかった。
「ひどい!」と怒るフィーアに、魔女は「ごめんごめん」と笑いながら謝った。

「少し考えてみて。あからさまに怪しい魔女のクッキーなんて、誰も食べないでしょう? 当たり前で見慣れたものに魔法をかけたなら、フィーアの大切な人も怖がらずに受け取ってくれるはずよ」

 なるほど! と納得した後で、フィーアは少し不安になる。
 普通にそばにある当たり前のものに魔法をかけたなら、それが例えば悪いモノだったとしても、誰も気が付かない気がした。

 フィーアも知っているクッキーの材料に、魔女が「魔法の粉」を入れたから不安が大きくなった。
 植物を粉末にしたような魔法の粉は、ヴァニラのように甘くない。
 香ばしかったり爽やかだったり色々と入り混じった良い匂いなのだけど、フィーアの知らないスパイスの匂いだった。
 美味しそうだし、元気が出る匂いでもあったけど、ちょっぴり見た目が薬みたいだったのも気になる。

「魔女さんは、本当に良い魔女さんなの?」
「さぁ? フィーアにとって良い魔女かどうかはわからないけど、私はアインスの友達よ」

 不安になって思わず問いかけてしまったフィーアだけれど、魔女は怒ることもなくクスクスと笑いながら、クッキーの材料を混ぜ合わせていく。
 魔法の粉以外は普通なので、フィーアもクッキーの生地を作るのを手伝った。
 もしも、怪しいものが出来上がったなら誰にも渡さず、フィーアが独り占めすれば良いと気が付いたのもある。

 まとまった生地を休ませながら、魔女はクッキーの型を出してテーブルの上に並べた。
 星とハートと丸の三種類の型が、大・小のサイズ違いで六個ある。

「さぁ、フィーア。形には意味があるのを覚えてね。星は希望。ハートは愛。丸は円満。もしくは、完璧な笑顔」

 たったそれだけの言葉で、見慣れた抜型が特別なものに変わる気がした。
 すごい、やっぱり魔女は物知りだと思った。
 ワクワクしながら抜型を手にしていると、魔女がクッキーの生地を取り出して、麺棒で薄く延ばして広げていく。

 交代でフィーアも麺棒で均等に生地を伸ばす手伝いをした。
 普通のクッキーよりもちょっぴり厚めに伸ばしたところでストップがかかる。
 いよいよ型抜きをする段階になって、魔女は大きな星を一つ抜き取ると、その真ん中に小さな星の抜型を当てて穴をあけた。

「こんな風に丁寧に型を抜いてね。形が崩れると飴の魔法がかけられなくなるから」

 飴の魔法? と不思議に思いながらも、フィーアは言われた通りに抜いたクッキーの真ん中に、同じ形の小さな型抜きで穴をあけていく。
 少し時間はかかったけれど、鉄板いっぱいに穴あきクッキーが並んだ。
 小さな型で抜いた中心は、もう一枚の鉄板に並んでいる。
 ある意味壮観だったからフィーアはやり切った感で胸がいっぱいになったけれど、魔女は大した感慨もなくあっさりとオーブンの中に鉄板を入れた。

 淡々と作業を進める魔女は、フィーアのキャンディが入った瓶を取り出した。
 取り出した同じ色の飴をペーパーで包み、それに布巾をかぶせる。
 何をするんだろう? と興味津々のフィーアだったが、魔女が麺棒を振り上げてガツンガツンと叩きはじめたのでびっくりした。

「魔女さん、魔女さん! 飴が壊れちゃう!」
「うん、粉々にしないといけないからね。怖かったら後ろを向いていて」

 一瞬、フィーアは口から魂が飛び出しそうになった。
 どうしてかはわからなかったけれど、休むことなくガンガンと麺棒を振り下ろし続ける人に、背中を向けるのはものすごく嫌だった。
 だから魔女の手が止まるまで、フィーアは青い顔でブルブルと震えながら、魔女の破壊行動を見守ることになる。

 色分けした飴のすべてが粉々になった頃、クッキーが焼き上がった。
 美味しそうなスパイスの香りが部屋に満ちる中、魔女は鉄板を取り出す。
 焼き色が薄くて、もう少し焼いたほうが美味しそう……なんてことを思っているフィーアの目の前で、魔女はクッキーの穴に粉々にした飴をスプーンで詰め込んでいく。

 鉄板が熱いから、という理由でフィーアは見るだけだったけれど、魔女はあっという間に穴に飴を詰めてしまうと、クッキーをオーブンに戻した。
 様子を見ながら綺麗な焼き色になった頃に取り出すと、クッキーの中心で溶けた飴がステンドグラスのように輝いていた。

「鉄板が冷めるまで待ったら、魔女のクッキーは出来上がり。お茶でも飲む?」

 うん、とうなずいてフィーアは魔女とおしゃべりをする。
 魔女がどこから来たのか。
 騎士団で何をしているのか。
 些細な疑問を次々にしても、魔女は面倒くさがらずに話してくれた。

 遠くにある、雨季と乾季のある暑い国のこと。
 呪文のように難しい異国の言葉をたくさん知っていること。
 アインスのように警備や捜査に直接は関わっていないこと。

 全部が全部、本当のことではないとフィーアにもわかったけれど、魔女はあからさまな嘘もつかなかった。
 フィーアに言えない事は「沈黙の魔法」にかかっていると言って、シーッと唇に人差し指を当てて艶然と微笑んだ。

 クッキーが冷めてからも、魔女の国の料理をご馳走になって、たくさん話ができたのでフィーアは大満足だった。
 お土産に魔女特製のステンドグラスクッキーをもらって、それじゃぁまたね、と言って別れる頃には、夕焼けで辺りが真っ赤に染まっていた。
 家を出たのは朝なので、時間を気にせず、ずいぶんと長居をしてしまった。

 家の人に何も言わずに魔女の家に押しかけていたので、帰宅するとフィーアは母親にめちゃくちゃ怒られた。
 返ってこないフィーアを心配して、心当たりを探し回っていた兄弟たちにもめちゃくちゃ怒られた。
 そして仕事から帰ってきたアインスにも説教され、幼い子供にするように膝の上に載せられお尻をパンパン叩かれるぐらい、めちゃくちゃ怒られた。
 お尻は痛かったし、怒る母親とアインスが怖すぎてワンワン泣いていたら、末っ子に甘い父親の手で、魔女のクッキーを口に突っ込まれた。

「フィーア。自分の何がいけなかったか、わかるね?」

 うん、とうなずきながらフィーアはクッキーをモグモグ咀嚼する。
 元気の出るスパイスの香りと、飴のシャリシャリした甘さと、円満の丸の形をした魔女のクッキーは効果てきめんだ。
 フィーアの涙はすぐに引っ込んだ。

「ごめんなさい。今度からはちゃんと相談する」
「そうだね。迷惑をかけたキミの魔女さんにもお礼を言いに行こうね」

 ウンウンとうなずき合う父と娘に、アインスが「甘いぞ!」と突っ込んだところで、母親がポツンと言った。

「あの娘さん、今年配属されたばかりで街に知り合いもいないでしょう? お礼も兼ねて、うちにご飯でも食べに来てもらえば?」

 その言葉に喜んだのは、フィーアだけではなかった。
 ガタリ、と音を立てて立ち上がったアインスが、無言でガッツポーズを決めている。
 独身が大半を占める男所帯のむさくるしい騎士団に配属された彼女は、美人で性格も良くて気さくなので人気がありすぎて、抜け駆けしてはいけないという厳しい協定が作られているのだ。
 アインス自身が誘うのはヒンシュクを買う行為だが、「いたいけな妹」が迷惑をかけたお詫びとして「両親の声掛け」で自宅に招待するのは、抜け駆け禁止協定にも違反しない。

「よくやったぞ、フィーア。許す。とんでもないバカなことをしでかしたと思っていたけれど、とりあえず許す。その調子で彼女ともっと仲良くなってくれ」
「イヤぁぁぁ抱っこしないでぇぇぇ!」
「いいか、おまえの全力で俺に協力しろ。ご褒美をやるから頑張れ」
「お……お兄ちゃんが気持ち悪いぃぃぃぃ」

 数日後、魔女さんを囲む会としてフィーアが主宰する食事会が実現するとか。
 魔女さんが魔女ではなく、実はマジョリカという名前で、愛称がマジョさんだったとか。
 年齢差はあるけれど、フィーアとマジョリカが本当の友達同士になるとか。
 訪問した私服姿が「可愛すぎてしんどい」と繰り返すアインスが鬱陶しくて、そのお尻を「静かにして」フィーアがペシペシ叩くから、窒息しそうなぐらいマジョリカが笑い続けるとか。
 本当にいろいろな出来事が待っているのだけれど。

 今日のところは、魔女のクッキーをかじりながらフィーアの冒険を聞いて、にぎやかな夜を過ごす仲良し家族なのであった。






【 おわり 】


※魔女さんは騎士団に所属していますが騎士ではなく、通訳や翻訳や暗号解析がメインの頭脳職です。
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