マルグリットは婚約を破棄してもらいたい

真朱マロ

文字の大きさ
1 / 1

マルグリットは婚約を破棄してもらいたい

しおりを挟む
 マルグリットは追い詰められていた。

 貴族らしい上等な手紙が早馬で、マルグリット宛に届いたのは数日前。
 何かの間違いであって欲しいと繰り返し確認し、一字一句覚えるほどに見直したけれど、何度見直そうと内容は変わらなかった。
 婚約者であるクリスティアンが、マルグリットに会うため西の辺境地を出立すると書いてあった。
 手紙の書かれた日付を見れば、クリスティアンが明日にでも到着しておかしくない。
 到着してしまえば心の準備をする間もなく、婚約式の打ち合わせだ。
 その時を想像してしまい、青くなってマルグリットはプルプル震えるしかない。

「クリスティアン様、どうして婚約を破棄して下さらなかったの!」

 もともと、南の辺境と西の辺境を結ぶ街道の環境整備が目的である。
 孫子の代にも及ぶ長期の契約に、婚姻を条件とするのは定石だろう。
 両方の辺境伯家に未婚者がいなかったために、街道予定地の領主に役割が投げられたのは仕方のない事だった。
 仕方のない事ではあるが、実際に婚姻するのはマルグリットで、これも貴族の役目だからね~と受け取ってきた父ではない。

 マルグリットはフェルトス家の三女だ。
 田舎の小さな村を五つと古い歴史しかない小さな街を治める地方領主など、子爵位も飾り同然で、二人の姉の婚姻で持参金も尽きる。
 一生結婚せず兄の補佐になるつもりで、馬に横鞍を付け領内を駆け回り、弓矢で猪や熊の討伐に乗り出す跳ねっ返りであった。
 そろそろ長い髪を切って男装の補佐官になる予定が、とんだ大番狂わせである。

「よかったじゃないか、持参金なしで嫁に行けて」
 などと、のたまったのは兄だ。
 ついでに「ありのままで愛されると思うな」と言い放たれた。
「いいか、辺境の子息であっても、熊狩りの先頭に立つ女には惹かれない。か弱い令嬢になりきって騙せ」

 酷い言い様である。
 けれど、真理でもあった。
 真理であるがゆえに、マルグリットは歩み寄ることを諦めた。

 どうせ破綻する仲である。
 ありのままの姿を伝えれば、即時、婚約破棄されるだろう。
 破棄してもらえるなら、婚約式前が良い。

 そう思って自分が経験したことをそのまま手紙にしたためたけれど、読み返して低くうなる。
 熊被害にあった村に愛馬で駆け付け、自警団と共に森に入り、暴れるはぐれ熊の眉間を強弓で貫いたと、正直な申告は非常に嘘くさい。
 事実を書けば書くほど、嘘としか思えないのはなぜか。

 マルグリットは再び諦めた。
 事実が嘘くさいなら、真実っぽい虚像を作るしかない。

 幸い、相手は早馬を飛ばしても、一週間以上かかる位置にいる。
 交流手段は文通で、顔合わせも婚約式を行う一年以上後になる予定だ。
 それまでに、結婚相手にふさわしくないと認識してもらい、婚約を破棄してもらえば良い。
 子も産めぬ、病弱でか弱い令嬢を装う方向に決めた。

『ダンスの練習をしていたら、お兄様を巻き込んで倒れてしまいました』
 マルグリットが倒れたのは、戦闘を模した剣舞の激しいステップの連続回転中なので、嘘ではない。
 だが、この国で貴族のダンスと言えばワルツなのだ。
 ワルツすら踊れぬ病弱令嬢と勝手に勘違いしてくれるだろう。

『領内が雨続きで、目が回りそうです』
 にょきにょきと遠慮なく生えてくる雑草を、むんずと掴んで引き抜いて回るのが忙しかったので嘘ではない。
 悪天候で体調を崩す御夫人は多いから、目が回るとあれば勝手に病弱と誤解してくれるだろう。

『先日、領内に熊が出たようで、その知らせに震えてしまいました』
 知らせを聞いて即座に強弓を手にして飛び出し、その日のうちに討伐も完了して、歓喜に震えたので嘘ではない。
 でも、たぶん、熊の出没におびえて部屋に閉じこもる臆病な令嬢を装えたはず。

 こうしてマルグリットは手紙を交わすたびに、全力で病弱で脆弱で臆病アピールを繰り返した。
 クリスティアンは手紙に綴られた嘘を丸ごと信じて、いつも、丁寧に優しく慰めの言葉をくれた。
 優美で繊細な文字を書き、詩集の一節を綴って婚約者として尊重してくれる。
 手紙ひとつで、優しくて他人を思いやれる、美麗な貴公子の姿が見えるようだ。
 良い人すぎて、虚像を装うのが辛くなるほどだ。

 そうこうしているうちに、一年経った。
 マルグリットの奮闘虚しく、婚約は解消されなかった。

 そして、婚約式の日が近づいた。
 その準備にクリスティアンがやってくるのだ。

 もうだめだわ……と声にならない絶望に、打ちひしがれて勢いよく机に突っ伏す。
 ガツンと良い音がしたけれどマルグリットの額には何のダメージもなく、壊れたのは手紙をしまう小箱の蓋だった。
 ぱっかり割れた樫の木の蓋に、ホロリと涙がこぼれる。

 現実に顔を合わせて、おまえなど要らないと言われるのはつらい。
 どうせなら、虚像のうちに振ってほしかった。

 綴られた文字に似た典雅な美男子に蔑まれる未来を想像し、涙にくれるマルグリットが、頑強で強面なゴリマッチョの婚約者と顔を合わせるのは、翌日の事である。

【終わり】




クリスティアンの頑強で厳つい姿を見て、マルグリットは開口一番に「嘘よ!!」と叫んだとかなんとか……
手紙でどんなに貧弱アピールした嘘をついても、領内の評判を聞けば辺境地にふさわしいお嫁さんだよね。というお話。
ちなみに、馬には横鞍でドレス姿で乗ってます。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。

しげむろ ゆうき
恋愛
 男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない  そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった 全五話 ※ホラー無し

不実なあなたに感謝を

黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。 ※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。 ※曖昧設定。 ※一旦完結。 ※性描写は匂わせ程度。 ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

王太子殿下が好きすぎてつきまとっていたら嫌われてしまったようなので、聖女もいることだし悪役令嬢の私は退散することにしました。

みゅー
恋愛
 王太子殿下が好きすぎるキャロライン。好きだけど嫌われたくはない。そんな彼女の日課は、王太子殿下を見つめること。  いつも王太子殿下の行く先々に出没して王太子殿下を見つめていたが、ついにそんな生活が終わるときが来る。  聖女が現れたのだ。そして、さらにショックなことに、自分が乙女ゲームの世界に転生していてそこで悪役令嬢だったことを思い出す。  王太子殿下に嫌われたくはないキャロラインは、王太子殿下の前から姿を消すことにした。そんなお話です。  ちょっと切ないお話です。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...