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あお
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ふわふわと階段を上るような足取りで雲を出た。途端に太陽の光が強くなって思わず顔を伏せる。恐る恐る戻すとそこは蒼い世界だった。
息を呑む。半開きの口から声が出ないのは痛みではなく感動のためだった。
更に顔を上げて上を見る。雲がない。雲の上だから当たり前か。
ゆっくりと白い絨毯を踏みしめていくと黒い塊が見えた。大きなぼろぼろの黒布に何かがくるまって転がっている。反対側に回って確認してみるとどこかで見たことがあった。たしか、先生の部屋でカタカタ鳴らして遊んだ記憶がある。なんだっけ。そう、
「ドクロだ」
「んん」
暗い眼孔に光がともり、ないはずの眼と眼が合った。
「おはよう」
ドクロがしゃべった。少し高い、少年のような声だった。
「おはよう。寝てたの?」
こんなにいい天気なのに勿体無いというと、ドクロは立ち上がりながら答えた。
「うん。いい天気だからこそ寝るのさ。こんな日は寝ないとむしろ失礼だよ」
珍妙なことを言うと頭をかしげながらドクロを見ていると見上げる格好になった。また眼が合う。
「ところで、君は迷子かな?」
少し考えて、首を振りながら返事をする。
「ううん。散歩してる」
迷子は目的地に行こうとして迷うことだ。今は目的地がないのだから散歩という言葉のほうがあってる。
「へえ。そうなんだ」
ドクロがカタリと顎を鳴らした。表情はないが、可笑しそうに笑っているのがわかる。
むっとして口を尖らせると、「ごめんごめん」と謝ったが更にカタカタと笑うのでもっとむかついた。
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕は」
「知ってる。ドクロでしょう」
腹いせにさえぎって言ってやる。
「いや、······うん」
ドクロの瞳の光が困ったように揺れた。ちょっとかわいそうだったかな。
「まあ、いっか。僕はそろそろ仕事に行こうと思うけど、よかったら一緒にくる?」
「仕事? どんな?」
「迷子の道案内ってとこかな」
そう言って細長い骨の手を黒布のすきまから出した。その手を握り返すことで返事をした。
「わぁ」
ドクロに手を引かれて雲の下を飛びながら歓声をあげた。
眼下には田んぼが広がり、田植えをしている人々が米粒のよりも小さく見える。田んぼに水を引くための小さな川がキラキラと流れるのを見送り、青々とした森がしげる山に光景が移る。所々剥げている山を越えればだんだん建物が増えてきた。
長い建物が多い場所の上でとまる。
「降りるよ」
「うん」
頷いて地面に降りると車や人の行き交う音に耳が呑み込まれた。人里離れた都会の喧騒が珍しくてついきょろきょろとあたりを見てしまう。
大画面で映像を流すモニター、広い道路を隙間なく埋める車、流行りのファッションに身を包む人々、洒落た屋台で売られる甘そうなお菓子。白い世界になじんだ眼には刺激的だった。
しばらく進むと道路の端に青年を見つけた。一歩踏み出せば車にぶつかる場所で歩道に背を向け、まっすぐ前を向いている。誰も青年に気づいてない様だった。
危なくないかとさらに見ていたら、ドクロが青年に声をかけた。
「いたいた。おーい」
まるで友人のような気安さでドクロが近づくと青年は驚いた顔をした。
「あぁあ――」
青年は唸るような声を出しながら軽くうなずいた。疑問が解けたような納得したような声色だった。
「やっぱり、そうなのか。なんか変だなと思ってたけど」
「うん、そうそう。話が早いね」
「で、俺はどうすりゃいいんだ?あんたについていけばいいのか?」
「いいや。きみ、気になってることがあるでしょ。それを解消するんだよ」
「気になることねぇ」
青年は眉間にしわを寄せて考え始めた。
この人がドクロの仕事相手なんだろうか。だとすれば迷子なのか?こんな大人が。
悩む青年に思ったことを訊ねる。
「おじさんは迷子なの?」
「はぁっ?!」
青年の大きな声に体がビクッとすくんだ。
青年は目を丸くして口をあんぐりとあけて見下ろしている。すると、いきなりドクロがふきだした。
「ぶぷっ。あは、あはははは」
「······くっくは」
全身をカタカタと震わせて笑うドクロにを、青年はあっけにとられたまま見ていたが、つられて徐々に笑い出した。ずっと笑っている二人を見ているとなぜか負けられない気分になり、「あっはっは」と勢いよく笑ってみる。笑っているうちに本当に可笑しくなって涙がにじむまで笑い続けた。
「くく。ま、迷子ってなんだよ。それに、まだ俺は21だぞ。お兄さんって呼んでくれよ」
ひとしきり笑い、青年の目じりにも涙が浮かんだところでそう訴えられた。
「わかった。お兄さん」
笑顔を交わすと青年はドクロに視線を移して真顔で問いかける。
「この子は?」
「この子は散歩中だってさ」
「散歩? 散歩か」
ほっとしたように顔を緩ませると、あっと叫んだ。今度は驚かなかった。
「思い出した。犬が気になるんだよ」
「犬?」
「おう。バイク乗ってたら犬が飛び出してきて、避けようとしたんだけど本当に避けれたかわからない。それが気になるな」
「それじゃ行こうか」
ドクロが言うなり歩きだし、青年もあわててついてくる。
「どこへ行くんだ」
「その犬のところだよ」
「そんな顔したって飼えるかなんてわかんないよ」
「うぅ―」
「だから、その顔やめてってば」
「うぅぅ―」
公園の一角で二人の子供が言い争っていた。いや、言っているのは女の子だけで女の子より小さい男の子は呻っていた。
男の子は犬を両手で抱え、犬の頭の上に顎を乗せたまましゃがみこんでいた。うなりながらぽつりとつぶやく。
「――かいたい」
女の子の顔が泣きそうに歪んだが、すぐに唇を引き締めてしっかりとした声で言った。
「帰るよ」
犬と男の子を引きはがし、男の子の手を握って歩き出した。男の子は何度も犬を振り返ったが女の子の手を放すことはなかった。
「あの犬?」
子供たちを見送った後、犬の背中を見ながら青年に聞いた。青年も目線を子供たちから犬に移して返事をする。
「ああ。あの犬だ。見たとこケガはねえな。ちゃんと避けれてたか」
よかった、と青年は息をついた。
「小さいね。子犬かな」
「小型犬だからあれで成犬だよ。見たことないのか?」
「ない」
体に悪いからと、犬や猫のような動物とは遊べなかった。実際に見るのもこれが初めてだった。一緒に遊んでみたい。お手やお座りはできるのか。あの毛並はどんな感触がするんだろう。
うずうずしているとドクロが屈む。
「いきたいの?」
大きくうなずく。
「じゃ、いけばいい」
一瞬ためらった。でも、きっと大丈夫だ。今なら。
ドクロの手を放して犬に向かって駆け出した。
「野良犬なのか。あの種類人気あったのに」
「人気だったからじゃない?」
「え?」
「人気があればあるほど飼う人が増えるけど、飽きて捨てる人も増えるよ」
「······」
「ブームのうちは楽しんで、だんだん世話が嫌になり、最後はほったらかしさ」
「ふーん」
「きみもそうかな?」
「······ははっ。そうだな、離婚するときにどっちもいらねえとよ。それまで父親はよく遊んでくれたし、母親もやさしかったんだがな。結局、母親に引き取られた。そんで、再婚したらいよいよ邪魔物扱いで追い出された。まあ、金はくれたから不自由はしなかったけど」
「ひどい親だね」
「まったくだ」
「でも、親だ」
「······ああ」
「会いに行くかい?」
「いや、いいよ。会いたいとは思えないし」
「そう」
あと一歩というところで犬が振り向き、足が止まった。つぶらな瞳でみつめられ、これ以上進めない。確か、目をそらしたら負けなのだ。目に力を込めて見返すと犬はきょとんと首をかしげた。だめだ。顔がゆるむ。
とりあえず、やってみたいことを言おう。
「お、おすわりっ」
すぐに失敗に気づいた。最初から座っている。顔が少し熱くなった。ちらりと後ろを伺うと青年とドクロは話をしている。向こうの声は聞こえないから、きっとさっき言ったのも聞こえてないだろう。
顔を戻すと飛び上がりたくなった。犬がすぐそばまで近づいてきていた。足を叱咤し、目線を合わせるためにしゃがみこむ。
体は小さいのに目と耳は大きく、そのアンバランスさが可愛いらしい。灰色がかった毛並みはよく見ると根元が白い。なでようと腕を伸ばした。
「キャンッ」
「うわっ」
あともう少しで毛先に触れられるというところで、犬に吠えられ尻餅をついた。
ダメだったと残念な気分をかみしめる。またカタカタと音が聞こえた。ふりかえるとやはりドクロが笑っていた。
「びびってんの―」
「びびってないっ。びっくりしただけ!」
どうしてあのドクロは人をおちょくる言い方をするのか。内心で憤慨しながら立ち上がった。
犬は急にそっぽを向いて走り出した。その方向にはさっきの子供たちと大人の女性がいた。男の子と犬がじゃれあうのを眺めながらドクロのそばに戻る。
「この犬だけど」
女の子が固い声で続ける。
「飼えないかな」
「う―ん。本当に野良犬? 迷い犬じゃなくて」
「何日も前からこの公園にいたし、それっぽい張り紙は見てないよ」
「そう。ちょっと、こっち来なさい」
女性は男の子を呼び、犬を受け取ると両手で掲げて持った。そうやってしばらく犬を見つめた後、地面におろし、子供たちに向きなおった。
「一つ聞かせて。どうして飼いたいと思うの?」
「すきだから!!」
男の子はすぐに答えた。女の子も頷いてこたえる。
女性は女の子を見て、男の子を見て、犬を見て、また子供たちを見た。
「わかったわ。責任を持てるなら連れて帰りましょう」
「せきにん?」
「このこの散歩をしたり、ご飯をあげたり――家族として受け入れるということよ」
女性の眼は厳しく、そして優しかった。
「できるわね」
「「うん!!」」
子供たちは同時に頷いた。
新たに増えた兄弟を喜びながら家族は帰っていく。何となく青年を見ると青年は眩しそうに目を細めながら家族を見つめていた。
「あの犬は幸せになれるよな······」
「君は幸せじゃなかったの?」
一瞬だけ青年の顔が歪み、すぐに苦笑に変わった。
「それなりに楽しかったさ。そうだな、あの犬が幸せになれば俺も幸せだ」
「なるよ。だって嬉しそうだもん」
なぜあんな切なく家族を見たのか、泣きそうだったのかわからないが、犬のことはわかったからそういったら青年は微笑んだ。
「だな。······よしっ。んじゃいくか」
「もういいのかい?」
「ああ。なんかふっきれた。じゃあ、元気でな」
「うん。お兄さんも元気で」
手を振りながら言うと、何が可笑しいのか青年は笑いながら空気に溶けていった。
これでドクロの仕事が終わりならもう一緒にいることはできないだろう。でもまだ帰ろうとは思わなかった。もう少し自由でいたかったし、ドクロとはなれるのもなごりおしかった。だから、ドクロへ手を突き出して言った。
「次は?」
息を呑む。半開きの口から声が出ないのは痛みではなく感動のためだった。
更に顔を上げて上を見る。雲がない。雲の上だから当たり前か。
ゆっくりと白い絨毯を踏みしめていくと黒い塊が見えた。大きなぼろぼろの黒布に何かがくるまって転がっている。反対側に回って確認してみるとどこかで見たことがあった。たしか、先生の部屋でカタカタ鳴らして遊んだ記憶がある。なんだっけ。そう、
「ドクロだ」
「んん」
暗い眼孔に光がともり、ないはずの眼と眼が合った。
「おはよう」
ドクロがしゃべった。少し高い、少年のような声だった。
「おはよう。寝てたの?」
こんなにいい天気なのに勿体無いというと、ドクロは立ち上がりながら答えた。
「うん。いい天気だからこそ寝るのさ。こんな日は寝ないとむしろ失礼だよ」
珍妙なことを言うと頭をかしげながらドクロを見ていると見上げる格好になった。また眼が合う。
「ところで、君は迷子かな?」
少し考えて、首を振りながら返事をする。
「ううん。散歩してる」
迷子は目的地に行こうとして迷うことだ。今は目的地がないのだから散歩という言葉のほうがあってる。
「へえ。そうなんだ」
ドクロがカタリと顎を鳴らした。表情はないが、可笑しそうに笑っているのがわかる。
むっとして口を尖らせると、「ごめんごめん」と謝ったが更にカタカタと笑うのでもっとむかついた。
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕は」
「知ってる。ドクロでしょう」
腹いせにさえぎって言ってやる。
「いや、······うん」
ドクロの瞳の光が困ったように揺れた。ちょっとかわいそうだったかな。
「まあ、いっか。僕はそろそろ仕事に行こうと思うけど、よかったら一緒にくる?」
「仕事? どんな?」
「迷子の道案内ってとこかな」
そう言って細長い骨の手を黒布のすきまから出した。その手を握り返すことで返事をした。
「わぁ」
ドクロに手を引かれて雲の下を飛びながら歓声をあげた。
眼下には田んぼが広がり、田植えをしている人々が米粒のよりも小さく見える。田んぼに水を引くための小さな川がキラキラと流れるのを見送り、青々とした森がしげる山に光景が移る。所々剥げている山を越えればだんだん建物が増えてきた。
長い建物が多い場所の上でとまる。
「降りるよ」
「うん」
頷いて地面に降りると車や人の行き交う音に耳が呑み込まれた。人里離れた都会の喧騒が珍しくてついきょろきょろとあたりを見てしまう。
大画面で映像を流すモニター、広い道路を隙間なく埋める車、流行りのファッションに身を包む人々、洒落た屋台で売られる甘そうなお菓子。白い世界になじんだ眼には刺激的だった。
しばらく進むと道路の端に青年を見つけた。一歩踏み出せば車にぶつかる場所で歩道に背を向け、まっすぐ前を向いている。誰も青年に気づいてない様だった。
危なくないかとさらに見ていたら、ドクロが青年に声をかけた。
「いたいた。おーい」
まるで友人のような気安さでドクロが近づくと青年は驚いた顔をした。
「あぁあ――」
青年は唸るような声を出しながら軽くうなずいた。疑問が解けたような納得したような声色だった。
「やっぱり、そうなのか。なんか変だなと思ってたけど」
「うん、そうそう。話が早いね」
「で、俺はどうすりゃいいんだ?あんたについていけばいいのか?」
「いいや。きみ、気になってることがあるでしょ。それを解消するんだよ」
「気になることねぇ」
青年は眉間にしわを寄せて考え始めた。
この人がドクロの仕事相手なんだろうか。だとすれば迷子なのか?こんな大人が。
悩む青年に思ったことを訊ねる。
「おじさんは迷子なの?」
「はぁっ?!」
青年の大きな声に体がビクッとすくんだ。
青年は目を丸くして口をあんぐりとあけて見下ろしている。すると、いきなりドクロがふきだした。
「ぶぷっ。あは、あはははは」
「······くっくは」
全身をカタカタと震わせて笑うドクロにを、青年はあっけにとられたまま見ていたが、つられて徐々に笑い出した。ずっと笑っている二人を見ているとなぜか負けられない気分になり、「あっはっは」と勢いよく笑ってみる。笑っているうちに本当に可笑しくなって涙がにじむまで笑い続けた。
「くく。ま、迷子ってなんだよ。それに、まだ俺は21だぞ。お兄さんって呼んでくれよ」
ひとしきり笑い、青年の目じりにも涙が浮かんだところでそう訴えられた。
「わかった。お兄さん」
笑顔を交わすと青年はドクロに視線を移して真顔で問いかける。
「この子は?」
「この子は散歩中だってさ」
「散歩? 散歩か」
ほっとしたように顔を緩ませると、あっと叫んだ。今度は驚かなかった。
「思い出した。犬が気になるんだよ」
「犬?」
「おう。バイク乗ってたら犬が飛び出してきて、避けようとしたんだけど本当に避けれたかわからない。それが気になるな」
「それじゃ行こうか」
ドクロが言うなり歩きだし、青年もあわててついてくる。
「どこへ行くんだ」
「その犬のところだよ」
「そんな顔したって飼えるかなんてわかんないよ」
「うぅ―」
「だから、その顔やめてってば」
「うぅぅ―」
公園の一角で二人の子供が言い争っていた。いや、言っているのは女の子だけで女の子より小さい男の子は呻っていた。
男の子は犬を両手で抱え、犬の頭の上に顎を乗せたまましゃがみこんでいた。うなりながらぽつりとつぶやく。
「――かいたい」
女の子の顔が泣きそうに歪んだが、すぐに唇を引き締めてしっかりとした声で言った。
「帰るよ」
犬と男の子を引きはがし、男の子の手を握って歩き出した。男の子は何度も犬を振り返ったが女の子の手を放すことはなかった。
「あの犬?」
子供たちを見送った後、犬の背中を見ながら青年に聞いた。青年も目線を子供たちから犬に移して返事をする。
「ああ。あの犬だ。見たとこケガはねえな。ちゃんと避けれてたか」
よかった、と青年は息をついた。
「小さいね。子犬かな」
「小型犬だからあれで成犬だよ。見たことないのか?」
「ない」
体に悪いからと、犬や猫のような動物とは遊べなかった。実際に見るのもこれが初めてだった。一緒に遊んでみたい。お手やお座りはできるのか。あの毛並はどんな感触がするんだろう。
うずうずしているとドクロが屈む。
「いきたいの?」
大きくうなずく。
「じゃ、いけばいい」
一瞬ためらった。でも、きっと大丈夫だ。今なら。
ドクロの手を放して犬に向かって駆け出した。
「野良犬なのか。あの種類人気あったのに」
「人気だったからじゃない?」
「え?」
「人気があればあるほど飼う人が増えるけど、飽きて捨てる人も増えるよ」
「······」
「ブームのうちは楽しんで、だんだん世話が嫌になり、最後はほったらかしさ」
「ふーん」
「きみもそうかな?」
「······ははっ。そうだな、離婚するときにどっちもいらねえとよ。それまで父親はよく遊んでくれたし、母親もやさしかったんだがな。結局、母親に引き取られた。そんで、再婚したらいよいよ邪魔物扱いで追い出された。まあ、金はくれたから不自由はしなかったけど」
「ひどい親だね」
「まったくだ」
「でも、親だ」
「······ああ」
「会いに行くかい?」
「いや、いいよ。会いたいとは思えないし」
「そう」
あと一歩というところで犬が振り向き、足が止まった。つぶらな瞳でみつめられ、これ以上進めない。確か、目をそらしたら負けなのだ。目に力を込めて見返すと犬はきょとんと首をかしげた。だめだ。顔がゆるむ。
とりあえず、やってみたいことを言おう。
「お、おすわりっ」
すぐに失敗に気づいた。最初から座っている。顔が少し熱くなった。ちらりと後ろを伺うと青年とドクロは話をしている。向こうの声は聞こえないから、きっとさっき言ったのも聞こえてないだろう。
顔を戻すと飛び上がりたくなった。犬がすぐそばまで近づいてきていた。足を叱咤し、目線を合わせるためにしゃがみこむ。
体は小さいのに目と耳は大きく、そのアンバランスさが可愛いらしい。灰色がかった毛並みはよく見ると根元が白い。なでようと腕を伸ばした。
「キャンッ」
「うわっ」
あともう少しで毛先に触れられるというところで、犬に吠えられ尻餅をついた。
ダメだったと残念な気分をかみしめる。またカタカタと音が聞こえた。ふりかえるとやはりドクロが笑っていた。
「びびってんの―」
「びびってないっ。びっくりしただけ!」
どうしてあのドクロは人をおちょくる言い方をするのか。内心で憤慨しながら立ち上がった。
犬は急にそっぽを向いて走り出した。その方向にはさっきの子供たちと大人の女性がいた。男の子と犬がじゃれあうのを眺めながらドクロのそばに戻る。
「この犬だけど」
女の子が固い声で続ける。
「飼えないかな」
「う―ん。本当に野良犬? 迷い犬じゃなくて」
「何日も前からこの公園にいたし、それっぽい張り紙は見てないよ」
「そう。ちょっと、こっち来なさい」
女性は男の子を呼び、犬を受け取ると両手で掲げて持った。そうやってしばらく犬を見つめた後、地面におろし、子供たちに向きなおった。
「一つ聞かせて。どうして飼いたいと思うの?」
「すきだから!!」
男の子はすぐに答えた。女の子も頷いてこたえる。
女性は女の子を見て、男の子を見て、犬を見て、また子供たちを見た。
「わかったわ。責任を持てるなら連れて帰りましょう」
「せきにん?」
「このこの散歩をしたり、ご飯をあげたり――家族として受け入れるということよ」
女性の眼は厳しく、そして優しかった。
「できるわね」
「「うん!!」」
子供たちは同時に頷いた。
新たに増えた兄弟を喜びながら家族は帰っていく。何となく青年を見ると青年は眩しそうに目を細めながら家族を見つめていた。
「あの犬は幸せになれるよな······」
「君は幸せじゃなかったの?」
一瞬だけ青年の顔が歪み、すぐに苦笑に変わった。
「それなりに楽しかったさ。そうだな、あの犬が幸せになれば俺も幸せだ」
「なるよ。だって嬉しそうだもん」
なぜあんな切なく家族を見たのか、泣きそうだったのかわからないが、犬のことはわかったからそういったら青年は微笑んだ。
「だな。······よしっ。んじゃいくか」
「もういいのかい?」
「ああ。なんかふっきれた。じゃあ、元気でな」
「うん。お兄さんも元気で」
手を振りながら言うと、何が可笑しいのか青年は笑いながら空気に溶けていった。
これでドクロの仕事が終わりならもう一緒にいることはできないだろう。でもまだ帰ろうとは思わなかった。もう少し自由でいたかったし、ドクロとはなれるのもなごりおしかった。だから、ドクロへ手を突き出して言った。
「次は?」
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