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"顔"に焦がれたのっぺらぼう

"顔"に焦がれたのっぺらぼう③

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「これまで見た誰よりも美しく、愛らしお顔。そして何より――たっぷりの怨恨を纏った、かぐわしいお顔」

 どこかうっとりと告げた彼女の言葉に、思わず「え?」と驚愕が漏れる。
 私は咄嗟に自身の頬を両手で包んだ。

「うそ!? 私の顔、怨恨なんてついてるの!?」

「ええ、主に女の嫉妬の気が。それも、お会いする度に濃くなっておりますから、おそらく身近な方のものではいかと。心当たりはございませんか?」

 私の"顔"に嫉妬する、身近な女性。
 連想ゲームさながら、ぽんと浮かんだ顔。
 ああ、うん。私は盛大に溜息を零す。

「あるわ……心当たりどころか、正解引き当てたはず」

「私が言うのもなんですが、恨みつらみといった陰の気は、私達あやかしや"良くないモノ"を惹きつけやすいですから。可能でしたら、お早めに対処された方が良いかと」

「そうなんだ……。ありがと、善処するわ」

「ふふ、あやかしに礼だなんて、お優しいのですね」

 着物の袖で無い口元を隠し、彼女が笑う。
 きっと顔があったなら、とても優しい微笑みに違いない。

(なんだか私も、仕草と声の雰囲気でわかるようになってきたかも)

 嬉しさ半分、面白さ半分。
 そんな私の能天気さを払拭するかのように、彼女が不意に、折り畳んだ膝上の背をすっと伸ばした。
 路地のアスファルトに揃えた指先をつき、うやうやしく頭を下げる。

「この度は私の身勝手な振る舞いにより、ご迷惑をおかけしてしまって、大変申し訳ございませんでした。そればかりかこうしてお話まで聞いて頂き、礼まで告げていただけるなんて、私はもう、充分に救われました」

「え? なに、どうしたの急に改まって?」

 ゆったりとおもてを上げた彼女は慌てる私を見上げ、諭すような声で、

「祓い屋様のおっしゃる通り、私は隠世法度を破りました。あちらに戻ったところで、投獄される身。ならばここ斬り捨てて頂くほうが、父や一族にかける迷惑も少なくすむでしょう」

「そんな……っ!」

「焦がれていた貴女様とお話出来て、嬉しゅうございました」

 そこにはない二つの瞳が、私を映して細んだ気がした。
 彼女のおもてが微かに傾く。
 私ではなく、男に向いたんだ。私がそう認識すると同時に、彼女は再び頭を下げ、

「お時間を頂き、ありがとうございました。お手間をおかけしますが、何卒よろしくお願い致します」

「……ふん」

 男が静かに歩を進め、彼女の頭前に立つ。
 と、なんの躊躇いもなく、これで終いだとばかりに刀を振り上げた。

 ――斬られる。

 その目の冷たさに察した私は、「っ、駄目!」と駆け出し、彼女の身体に覆いかぶさった。
 背後から、低く冷たい声が届く。

「……望み通り、話は聞いただろう。いい加減、仕事の邪魔をするな」

 正直、ちょっと怖い。
 だって背後にはよく知らない男の持つ、明らかに"命を奪う"刃が振り上げられているのだから。
 けれどもなぜだか、この男はきっと、私を傷つけないだろうという確信が強くある。それは腕の中の彼女にも。
 だから私は顔だけで男を振り返り、睨み上げた。

「アナタ、間違ってるわよ」

「……なんだと?」

「だってこのあやかしは、何も悪いことをしていないんだもの。これで斬ったら冤罪よ冤罪。そんな大失態が知られたら、祓い屋稼業なんて一発で終わりなんじゃない?」

「……なに?」

 男が微かな戸惑いを浮かべた。
 その瞬間を狙って、私は今だと畳みかける。

「このあやかしが斬られる理由って、その隠世法度とかいうルールの、"いかなる理由があろうと、ヒトに危害を与えない"ってのを破ったってことなのよね?」

「……そうだ」

「なら、やっぱりおかしいわよ。だってこのあやかし、私に何も危害を与えてないじゃない」

 途端、男は脱力したようにうなだれ、盛大に息をついた。

「何を言い出すかと思えば……。アンタをここで連日追っていたのは、このあやかしだぞ」

「ええ、そう。追っていただけ。危害じゃないでしょ?」

「……その間、アンタに恐怖を与えた」

「変だなあとは思ってたけど、怖くはなかったし」

「……俺が間に合わなければ、アンタはそのあやかしに取り込まれ、顔を奪われていたんだぞ」

「だから、それは誤解だったじゃない。"化け術"のモデルにしたかっただけでしょ?」

 は、と。虚を突かれたような声を漏らした男は、それこそ"あやかし"でも見たような顔をして、

「アンタ……あやかしの言葉を信じるのか? そもそもあの長ったらしい身の上話だって、全部嘘かもしれないんだぞ」

「全部本当かもしれないじゃない。確かめてもいないのに嘘って決めつけるなんて、無能の証よ」

「……無能?」

 低く繰り返した男が、ぴくりと肩を揺らす。

(よし、食いついた)

 祓い屋の仕事内容なんてさっぱりだけど、私のプレゼンりょくだって伊達じゃないんだから!

「いーい? 仕事ってのはね、信頼性が一番重要なの。決めつけで動いて後から実は嘘でしたなんて言ったら、それまでどんなにいい仕事をしていようと、過去の功績なんて全ておじゃんよ? おまけにあることないこと尾ひれがついて、評判ガタ落ち。首になるだけならまだしも、業界全体からの締め出し、終いには社会的制裁なんてことにもなりかねないんだから。アナタ、祓い屋なんでしょ? そんな特殊すぎる仕事、それこそ悪評一つで、依頼に来る人なんていなくなっちゃうんじゃない? 嘘だというのなら、きちんと調べて証拠だすのが筋ってもんでしょ」

「…………」

 難しい顔をして、男が押し黙る。その眉間にはありありと不服が見て取れるけど、反論してこないってことは、自分の非を認めたってこと。
 どうだ、と強気な眼差しでその目を射続けていると、男は「……はあ」と深々と息をついて、振り上げていた腕を静かに下ろした。

 金装飾の美しい鞘に、鈍く光る刀身が収められる。
 次の瞬間、再び刀が閃光を帯びて、万年筆状の小棒に姿を変えた。

「……わかってくれた、ってことでいいんだよね」

 おそるおそる彼女から身を退け尋ねると、男は不服そうに双眸を細めて、

「なぜ、そうまでして庇う。あやかしに"恩返し"など期待しても無駄だぞ」

「そんなんじゃないわよ……。ただ、私にはこの彼女が嘘を言っているようには思えなかったんだもの。それだけよ」

 良かったわね、と私は視線を下げ、どこか呆然とした様子の彼女に手を差し出した。

「はい、立てる? せっかく綺麗なお着物なのに……汚れてないといいのだけど」

「……私は、許されたのですか?」

「許すもなにも、最初から誤解なんだから、当然の結果でしょ?」

 おずおずと乗せられた白い手を「よっと」と引き上げ、彼女を立たせた私は地についていたその膝を軽く払ってやる。
 それから「ねえ」と、私よりも少し高い位置にあるおもてを覗き込み、

「私にはあやかし事情はよくわからないけど、一つだけ、わかることがあるの。それはね、私の顔はアナタの"顔"には向かないってこと。だって、貴女は私よりずっと純粋な心を持っていて、仕草にも話し方にも自然な品があるのだもの。私はね、顔って、その人の歴史だと思ってて。ほら、"顔つき"って言葉あるじゃない? もちろん、生まれ持った構造や配置はあるけども、それからどう生きてきたかで、ひとつひとつのパーツが変わってくると思うのよ」

 彼女の望む"顔"は、ただの写し絵なんかじゃない。
 彼女が願ったのは"彼女の顔"なのだから、ちゃんと彼女のこれまでを込めてあげないと。
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