空に想いを乗せて

美和優希

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第1章

そこは別世界(4)

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「うん。なんかごめんね」

「いいよ。委員長、いつも忙しそうだもん。身体、壊さないようにね」

「ありがとう。また明日ね」


 柔らかく笑って手を振ってくれる柳澤くんに、私も手を振り返す。


 柳澤くんに背を向けて屋上の入り口のドアに手をかけると、突然呼び止められる。



「いいんちょー」


 ふり返ると、ギターを抱えた柳澤くんがこちらに駆け寄って来ていた。


「俺、昼休みと放課後はここに居るからさ、委員長さえよければまた来てよ」

「え……?」

「もっと委員長のこと知りたいなー、なんて」


 少し照れ臭そうに笑う柳澤くんに、何故だか私まで恥ずかしくなる。



「そんな変な意味じゃねーから! ただ委員長と俺って去年はクラス違ったし、全然お互いのこと知らねぇなぁとか思ってさ」


 何かを弁解するかのように早口でまくし立てる柳澤くんがどこか可愛いくて、私は思わずクスクスと笑ってしまった。



「わ、笑うことねーだろ? 委員長、ひでぇー」

「いいよ」

「……え、マジで!?」

「放課後は、クラス委員長の集まりの学年委員会とか、そうでなくても妹のお迎えとか塾とかあって難しいけど、昼休みなら」

「マジで!? 信じらんね」


 突然、耳をカッと赤くしてわたわたする柳澤くん。

 そんなに、意外だったのかな……?



「いや、すげー嬉しい! 明日、楽しみにしてるな!」


 無邪気に笑う柳澤くんに手を振って、私は幼稚園までの道を急いだ。


 *


「お姉ちゃん、おそーい! 何してたの?」

 幼稚園に着くと少し17時を回っていて、ご立腹の奈穂が私を出迎えた。


「ごめんね、遅くなって」

「おねーちゃん、今日は委員会ないって言ってたじゃん」

「ちょっといろいろあってね」

「いろいろって、なにー?」

「いろいろは、いろいろなの!」


 適当にごまかすと幼稚園の先生に挨拶をして、家までの道を急ぐ。

 幼稚園から家までは、徒歩で十分ほどだ。

 けれど、このあとに塾の時間が迫っていることからも、走らないと間に合わない……!


「ちょっと今日は急ぐから、ごめんね」

 私は奈穂を抱き抱えて、家まで猛ダッシュした。


「お姉ちゃん。なほ、落ちちゃうよ~」


 こちらの事情も知らない奈穂はそんな風に叫んで、ただこの状況を楽しんでいるようだった。


 家に着くと、薄暗い室内が私たちを迎え入れる。

 まだ、私たち以外の誰もこの家には帰ってきていないようだった。


「あれ? おかーさんは?」

「もう帰ってくると思うけど……」

 電気をつけてキョロキョロと母親を探す奈穂に私は奈穂の好きな子ども番組をつけると、急いで自分の部屋に塾の教材の入ったカバンを取りに入る。


 いつもはちゃんと用意してあるはずの塾の教材は、今日に限って机の上に出たままになっている。

 今日は塾の学力テストを言い渡されていたことから、昨夜遅くまで勉強して、そのままにしてしまっていたのだ。

 慌てて準備を完了しているところで、奈穂の声が聞こえてくる。


「おねーちゃん、このテレビじゃない。この前のアニメがいいー」

「ちょっと待ってて」


 部屋の外に向かって叫ぶと、私は慌てて教材を一色塾用の鞄に放り込んで部屋を出る。


「なほ、おなかすいたー」

「もうお母さん帰ってくると思うから」

「いつー?」

「それは……」


 お父さんもお母さんも、超が付くほどの仕事人間だ。

 さすがに今日は私が塾だから、そろそろ帰って来てくれるとは思うけど……。


 そのとき、ガチャと玄関のドアが開く音が聞こえてくる。


「あ、おかーさんだ。おかえりー!」


 心配している間にお母さんは帰ってきてくれて、私は慌てて塾への道のりを走るのだった。



 目の前に広がる群青色の空を見て、思わず私の脳内に今日の出来事が思い返された。


 ほんの少しだったけど、柳澤くんと過ごした時間。
 楽しかったな……。


 いつも以上に慌ただしくなってしまったけど、あの時間だけは、穏やかに時が流れているようだった。


 まるで別世界のような、柳澤くんのいるあの空間。

 胸にスッと溶け込んで、思わず惹き付けられた彼の歌もギターの音色も、また聴きたいなと感じた。


 だけど、塾までの間にある見慣れた十字路の交差点に差しかかった瞬間、そんなふわふわした感情を抱いていた私は、現実を突きつけられた。


 信号機の下に、今日も変わらずに供えられている花束。

 それを見て、少しでも浮かれて、一抹もの幸せに浸っていたことに少なからず罪悪感を感じる。


 ここに供えられている花束は、誰かがいつも手入れをしているのか、定期的に新しいものに変わり、大きく枯れている様子を見たことがない。

 度々車のライトに照らされる花に、まるで責められているようにさえ感じた。


 ここを通る度に私は欠かさず手を合わせているけれど、今日はいつも以上に後ろめたい気持ちを感じさせらた。

 罪滅ぼしというわけではないけれど、いつもより少し長めに手を合わせて、私は塾への道のりを急いだ。
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