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第4章

◇踏み出す勇気-美姫Side-(1)

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 私の母方のおばあちゃんは、ものすごくしっかりした人だった。


 悪さなんてしたときは、お母さんよりも厳しくしつけられたくらいに。


 そんなおばあちゃんはおじいちゃんが亡くなったあとも、おじいちゃんとの思い出の詰まったこのマンションで一人暮らしていた。


 おばあちゃんは、おじいちゃんが亡くなった当時新婚だったお母さんを頼ることで、迷惑をかけたくないとも思っていたみたいだ。



 私がうまれて、お父さんが早くに病気で亡くなって、何度も一緒に住もうという話が出た。


 だけど、三人で住むにはこのマンションの部屋は少し窮屈だった。

 だからといって、おばあちゃんはおじいちゃんとの思い出の場所でもあるこのマンションの部屋を手放したくなくて、何度となく同居の話は流れてしまっていたんだ。


 あの日までは──。


 そんなおばあちゃんに物忘れの症状が見え始めたのは、私がちょうど小学5年生になった頃だったと思う。


 たまに顔を合わせる数時間の間に、何回も同じことを聞いてくるようになったんだ。


 おばあちゃんはその当時で80歳を超えたところ。


 おばあちゃん本人も、最近忘れっぽくなって~と話していたし、私もお母さんも歳を取ったからだと思っていた。


 それからは頻繁におばあちゃんのことを気にかけるようになった。


 ある日は、通帳を保管した位置がわからなくなったと大騒ぎしたり。またある日はゴミの日がわからなくなってゴミ屋敷になってたり。


 認知症の疑いがあると言われても、頑なに大丈夫と言い切って病院に行こうとしなかったおばあちゃん。


 おばあちゃんの物忘れ具合は月日が経つにつれて、どんどん悪化していった。


 そして私が中学に上がる頃、おばあちゃんが自宅の近所で迷子になって警察に保護されたと、お母さんの携帯に電話が入った。


 そのことがあってから、ようやく認知症の診断を受けたおばあちゃんは、私とお母さんと一緒に暮らすことに納得してくれたんだ。


 だけど一緒に暮らしはじめてからも、お母さんも仕事でずっとそばに居られるわけではなく、昼間はおばあちゃんを施設に預けながらの介護になった。



 だけど、どんなに頑張ってもどんどん私の知っていた大好きなおばあちゃんの様子は変わっていって……。


 頭の中では理解しているつもりでも、そんなおばあちゃんの姿を受け入れられるほど、心はついていけてなかった。


 ちょうど中学の卒業式の日のことだった。



『おばあちゃん、体調はどう? 今日は中学の卒業式だったの』


 その頃には、昔のしっかりしていたおばあちゃんの面影はなくなって、ぼんやりしていることが増えた。


 そんな中、会話をすることは脳にいいと聞いてた私は、何かしら意識しておばあちゃんに話しかけるようにしていたんだ。


 いつもだったら、


『あら、美姫ちゃん?』


『学校は?』


 と、ぼんやりとした返事が返ってくるのに、この日は違った。


『…………』


 じっと黙ったまま私を見つめるおばあちゃん。


『おばあちゃん? どうしたの?』


『あんた、誰? どこから入ってきたの?』


『……え? 誰って、私は美姫だよ、おばあちゃん』


『私は美姫なんて子は知らない。勝手に人の家に入り込んで、何て娘だ』


 そのまま、人の家に勝手に入った子どもを叱るように、おばあちゃんは私を怒鳴った。



 認知症と診断されてから怒りっぽくなったおばあちゃん。


 一生懸命介護するお母さんに暴言を吐く姿を見たことがあったし、この日は虫の居所が悪かったのかと思ったくらいだ。


 このときの私はきっと嘘だと思いたかったんだと思う。

 まさか一緒に住んでいる私のことを忘れられるなんて、思ってもみなかったのだから。


 だけどそれ以来、おばあちゃんは本当に私のことを忘れてしまったのか、私のことを美姫だと認識することはなかった。


 お母さんのことはわかるみたいなのに、私の存在だけがおばあちゃんの中から消えてしまったんだ。


 病気だから仕方ない。そう自分に何度も言い聞かせたけれど──。



『あんたなんて知らない』


 顔を合わせる度にそう言ってくるおばあちゃんに耐えらなかった。


 私はお母さんと話し合った結果、高校入学と同時におばあちゃんの気持ちを汲んで手放せずにいたおばあちゃんの住んでいたマンションに一人暮らしすることになった。



「それからはお母さんと度々連絡を取っておばあちゃんの様子は聞いてるけど、怖くて実家には帰ってない」


 だからおばあちゃんとは高校に入学して以来、一度も顔を合わせていない。


 本当にごくたまにお母さんが突然私の様子を見に現れるから、お母さんとは何回か会ってはいるのだけれど……。


 おばあちゃんから逃げたと言われればそうなのだろうけれど、あのときの私には、そうすることが精一杯だった。




「……そうか。話してくれてありがとう」


 私の話を黙って聞いてくれていた広夢くんは、視線を斜め下に落としたまま。



 広夢くんは、私の話を聞いてどう思ったのだろう……?


 広夢くんが顔を上げて私を見る。
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