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4月
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ヨーイチは中学校入学にあわせて、東京から瀬戸内海の島に引っ越した。去年、父さんと別居するようになって、母さんの実家がある大屋島に妹の映子と二人で預けられることになったのだ。
新幹線の駅までじいちゃんが軽のワゴン車で迎えに来ていた。山の中の寂しい駅だ。そこからいくつかの山を越えて、一時間ぐらい走るとやっと海が見えた。
去年開通したばかりの緑色のトラス橋。
「どうじゃ。デカかろう。これで大屋島はもう離れ島じゃないぞ」
なんてじいちゃんは自慢する。ヨーイチがまだ小学校一年生だったころは、対岸の港からフェリーで三十分以上かかった。でも、橋ができたおかげで数分で島に渡れた。
大屋島は東西に細長い島で、四つの町に分かれた大きな島だ。橋は島西町の端っこにかかっている。じいちゃんの家は南側の屋ノ浦町だ。橋からうねうねと入り組んだ海岸線を通って、島の北側にあたる細長い大浜町の町なかを通って、そして船越峠を越えると屋ノ浦だ。その海岸通りから段々畑を上っていく。やっとじいちゃんの家に到着だ。
助手席の映子は車の中でずっとはしゃぎながらしゃべっていた。じいちゃんもうれしそうに映子の相手をしている。一方、後部座席のヨーイチは気分が悪い。一時間半もうねうねした道を走っている。いつもはミカン箱を積んだりするワゴン車だから、後部シートは強烈な柑橘系の匂いがしみこんでいるのだ。
体中が揺すぶられたのと、その強い匂いで吐き気がする。
気分が悪いのはそれだけじゃない。朝からすこぶる不機嫌なのだ。最初は心配してたびたび声をかけてくれたじいちゃんも、やがて後ろのヨーイチを気にしなくなった。
ふて腐れているんだ。何を言っても機嫌は治らないだろう。
六年ぶりの屋ノ浦だ。朝東京を出て、夕方やっと到着。どれだけ時間がかかるんだ。
じいちゃんちの庭から見ると、南に広がった夕陽の海がオレンジ色でまぶしい。海沿いに細長く並んだ浜辺の集落。一応一通りのものはこの町にもある。小学校も、中学校も、高校もある。小さいけれど、商店街だって、スーパーだってある。
すり鉢をさかさにしたようなてっぺんのとんがった高岳。島では一番高い山だ。海岸からその中腹まで段々畑がずっと広がっている。その真ん中辺りにじいちゃんの家があって、周りの段々畑は全てミカン畑になっている。昔は米作りが中心の棚田だったらしいが、今は全てがミカン山だ。
じいちゃんの家のすぐ隣がおじさんの家で、いとこのショウくんがいる。ショウくんは一つ上の中学二年生。
着いた日にショウくんが言った。
「屋ノ浦中学校は怖いところじゃから気をつけえよ」
何のことだかよく分からなかった。でも、まあ中学校ってどこでもいろいろあるんだろう。
『はなっから期待なんかしてないし』
東京から出るときに友達からからかわれた。
「島なんて、何にもない退屈なところだぜ。電気はつかないし、水は井戸水だし、遊ぶところだって全然ないんだから」
さすがに電気は通っている。井戸はあるにはあるが水道もちゃんとついている。そりゃあ東京に比べたら確かに異世界だ。不便といえば不便なんだろう。
来たかったわけじゃない。でも、別にどうでもいい。しょうがないだろ。母親が決めたんだ。だからしょうがないだろうが!
楽しいことなんて、ヨーイチはとっくにあきらめている。
入学式の日。じいちゃんとばあちゃんが付いてきた。どこからが中学校なんだかよく分からない。正門がないんだ。商店街からちょっと脇道を入ったら、すぐに中学校の玄関だ。その奥に細い道をはさんで小学校、向かいに公民館がある。町役場も交番も、何でも中学校を中心に集まっている。
じいちゃんとばあちゃんの後ろについて学校に入ろうとしたところ、一人の中学生が校舎の窓から飛び出してきた。上履きのままだ。
「こら、待たんかい!」
大声を上げて一人の先生が追いかける。こちらはクツ下のままだ。生徒はそのまま商店街を走って逃げていった。
「チキショウ。オレの上履きを水槽の中に浸けやがった」
「河野先生、入学式始まりますよ。大丈夫ですか?」
後ろから出てきた先生がユーイチだった。
へえ、先生のスリッパを水槽に浸けるなんて、そんな生徒がいるのか!まあどうでもいいが、ヘンな生徒にヘンな先生。まあそんな学校だ。
この学校には講堂が無い。だからすぐ向かいにある公民館の講堂で入学式を行う。ヨーイチは一年三組になっていた。隣の小学校からそのまま入学する。転入生もほとんどないから、九年間は同じ顔ぶれだ。ヨーイチ以外はみんなよく知っている。だから、ヨーイチの顔を見ると、みんな変な顔をする。
朝出かける前にショウくんが言っていた。
「ええか、一番最初に声をかけてきたやつに気をつけろ!ろくなやつじゃないはずだ」
ところが、一番最初に声をかけてきたのは女の子だ。三つ編みのお下げを二本垂らした優しそうな子だった。
「ねえ、ヨーイチくんじゃろ!うちのこと覚えとる?」
「えっ・・・!だれだっけ?」
とぼけて返事をした。だけど本当はドキッとした。
「うちの母さんとあんたんちのお母さんと仲が良かったんよ。母さんがヨーイチくんに会いたがっていたよ」
ヨーイチの母はここの卒業生だ。
入場の整列が始まった。その子は一組だった。
「またあとでね。分からんことがあったら何でもうちに聞くとええよ。うちは沖永陽子」
そうだ!やっぱりおきながようこだ。
整列して式場に入る。式場の中はワイワイガヤガヤ、とても入学式が始まるような雰囲気じゃない。後ろの席の二年生、三年生がうるさいんだ。先生たちはたびたび大きな声で叱る。それでも、物を投げ合ったり席を立ち歩いたりする生徒がやたらと多い。いや、多いどころか全員が騒ぎ回っている。
それがさっと静まりかえった。
「ミズノが来たっ!」
だれかが叫ぶ。その途端シーンと静かになったんだ。保護者席も一言も言わない。ショウくんから聞いていた水野先生だ。屋ノ浦中学校の鬼より怖いミズノ。
なるほどな、本当に鬼より怖い顔をしている。
静かに式が始まった。校長先生から担任の先生が紹介される。
「一年三組、小川祐一先生。今年本校に着任された先生です。この春東京の大学を卒業された新任の先生です」
さっきのユーイチだ。へえ、東京から来たのか。
「おれ、田嶋。お前んちの近くじゃ。よろしく」
隣に座った子が小声で話しかけてきた。
「お前、さっき沖永陽子と話しとったじゃろう。気をつけえよ。あいつの兄ちゃんはここの番長でぶち恐ろしいやつじゃ」
そうなのか。ショウくんの言ってた、最初に声をかけたやつに気をつけろ、っていうのは沖永洋子のことなのか。すると、この田嶋ってやつは親切なのか。
入学式の後、教室に入った。古い木造校舎の二階で、床も壁も節穴だらけだ。
「えーっと、小川です。これから皆さんと、この教室で過ごすことになりました」
小川先生は緊張しまくっている。早口で自己紹介をした後は、なかなか次の言葉が出てこない。みんなも緊張している。後ろに保護者がいっぱいいるから当たり前だ。
「新米先生、がんばれよ!」
その緊張した雰囲気を和ませたのが田嶋の一言だ。笑い声が上がった。クラスみんなが緊張から解放されたようだ。
「そう、先生は新米です。おまけにこの大屋島も全く初めてです。分からないことが多いかもしれない。みんなから教えてもらうことの方が多いかもしれないけれど、一年三組をみんなと一緒に明るいクラスにしていきたいと思いますのでよろしく」
田嶋がパチパチと拍手した。するとクラスのみんながそれにあわせて拍手した。すぐに田嶋が拍手をやめた。するとみんなパタッとやめた。少し変な感じがした。
家に帰るとショウくんがすぐに様子を聞いてきた。
「沖永陽子が最初に声をかけてきたんだけど、なんか番長の妹なんだって?気をつけろって言ってたが」
「そうか、ヨーコか。ヨーコちゃんが一番最初に声をかけてきたか。そうかそうか。でも、番長の妹って言ったのはだれだ?」
「田嶋って子だよ。なんか家が近いとか言ってたけど」
「ああ、やっぱり田嶋か。最初に声をかけてきたやつは。家が近いことなんか全然ない。ええか、あいつには気をつけたほうがいい。自分の子分を作ろうとしてるんじゃ。小学校のときからみんながあいつの顔色を気にしながら動いてたんじゃ。あいつは上級生に取り入るのがうまいからなあ。逆らうと何を言いふらされるか分からん。あんまり関わりにならんほうがいいぞ!」
そういえばクラスのみんなの雰囲気がおかしかった。田嶋には気をつけておいた方がいいのだろう。
どうせ仲間なんか作る気はないんだ。そうヨーイチは思った。
次の日、教室に入ると田嶋の周りに男子がたくさん集まっている。やっぱりなにか雰囲気が怪しい。ヨーイチを見つけると田嶋は、
「よお!」と気安く言って、みんなに目配せをして解散した。
「ヨーイチ、お前も一緒にやろうやあ。あの新米をちょっとからかってやるんじゃ」
「小川をからかうのか?どうやって?」
「今日一日、あいつに何を聞かれても、みんな『はい』としか言わんことにするんじゃ。なに言われても『はい』じゃ。はいだけであとは全然相手にせん。黙ったまんま一日中相手にせんのよ。そうやってあいつを困らしちゃろうや」
「そんなことしてなにが面白いんだ。どうでもいいけど、つまんねえや」
「ありゃりゃ。そりゃお前、みんながそうしちゃろうと言うとるのよ!」
こいつ目がすわってる。こうやってクラスのみんなを威圧してるんだな。
その時、教室の外から声をかけてきた子がいる。
「田嶋っ!ヨーイチをそんなことに巻き込むのは止めときいよ!」
沖永陽子だ。大きい声で叱りつけるような剣幕だった。
「ヨーイチはあんたなんかが思うように動きはせんからね!」
「おお、恐ろしい恐ろしい。女番長のお出ましじゃ。怖いのォ、怖いのォ!やめた、やめた。みんなー、やめたどォ!」
おかげでその日は静かな一日だった。
帰りがけに沖永陽子が下足箱で待っていた。うちに寄っていけという。母親がヨーイチに会いたいんだそうだ。
陽子の家は西浜の波止場のすぐそばで、イリコ工場になっている。
「沖永イリコ店か、なんか懐かしいなあ!」
「まだうちのこと思い出さん?」
「えっ・・・どっかで会ったっけ?」
もうとっくに思い出していた。
「どっかでって、この家や高田のおじいちゃんちでよく遊んだじゃない。もう六年も前だけど」
小学校に入ったばかりのころ、夏休みの間ずっと大屋島で過ごした。イリコ工場はいつも遊び場だった。東京の家にも、昔から『沖永イリコ店』のブリキ缶がたくさんあった。
「そういやあ、オレここに来たことがあるぞ。いっぱいイリコが干してあった。あのとき女の子がいた。えっと、ええっと、ヨーコ、そうだヨーコだ!」
ヨーイチは初めて気付いたように言った。ヨーコがうんうんとうなずいた。
「でも、あのヨーコはちびで細っこいおかっぱの女の子だったぞ」
「ちびで悪かったねえ。今はうちの方が背が高いじゃろ!」
本当だ。ヨーイチよりちょっと高い。
「でもやっと思い出したんじゃ。そうよ、わたしがそのヨーコ!あんまりきれいになったから気付かんかったんじゃろう」
「じゃあ学校の番長って、ヒロ兄ちゃんのことか?」
「そう、相変わらずガキ大将でね。屋ノ浦じゅうの悪ガキがいつもうちに集まってくるんよ」
ヨーコの家に入った途端、ヨーイチはいっぱい思い出した。
そうだよ、ここだよ。海のそばでこの匂い。
全然変わってない!覚えていたまんまだ。ヨーコの家は土間が広くて長い。それを挟んで右側がイリコ工場、左側が古い母屋だ。そしていつもサカナの匂い。
この匂いだ。この匂いが懐かしいんだ。
「まあまあ、ヨーちゃん大きくなったねえ、男前になって!入学式の時は全然気づかんかった」
奥から出てきたおばさんも昔のまんまだ。六年前に来たときは、ヨーイチの母親と波止を前にした縁側に座って、いつも長い長い話をしていた。
「あんたら二人はね、お腹におったときからの仲良しじゃったんよ。さと子とここへ座って話をしていると、あんたたちのどっちかがお腹をけるの。そしたらおんなじようにもう一人がお腹をけるんよ。ヨーちゃんが生まれたら、次の日すぐにヨーコが生まれて。一緒に縁側に並べて寝させていると必ず顔を合わせてニコニコ笑っているの。名前も太陽のように輝いてと願って、陽一と陽子。ここでこうやって青い空と海を見ながら育ったんよ」
どんどん思い出してきた。
この六年ほど大屋島に帰ってなかったけど、小さい頃はたびたび帰ってきていたのだ。そしていつもこの海を見ながらヨーコと一緒に遊んでいた。ヨーコの家の前からまっすぐ伸びて、先がへの字に曲がった波止の先、あの白い灯台を忘れるわけがない。あの頃が一番楽しかったんだ。
「おう、ヨーイチじゃないか。大きゅうなったのォ!」
沖永洋士、中学校の番長のお帰りだ。三人の仲間を連れている。
「学校でも見かけたけど、ヒロ兄ちゃんこそでかくなりすぎだよ。まるで相撲取りみたいだ」
「このでかい体が目印よお。またこれからなんぼでもうちに遊びに来いや!」
「兄ちゃん、絶対ヨーイチを悪いことに誘わんでよ!」
「わかっとるわい!ヨーコに言われんでも。おい、お前ら。一年三組の中本陽一、オレの弟じゃ。これからよろしゅうたのむで!」
ヒロ兄は仲間と一緒にイリコ工場の二階にある自分の部屋に上がっていった。
「兄ちゃんから声がかかってもついて行っちゃあいけんよ」
「なんで?ヒロ兄ちゃん昔のまんまだよ」
「そうよ。ヒロ兄は昔のまんまなんよ。昔のまんまで身体が大きくなっただけなんだけど、周りが親分親分なんて持ち上げるから、いい気になってるんよ。おだてられてその気になって、子分の手前、先頭に立って悪いことばっかり手を出す。それでみんなを代表して学校から叱られる。叱られても叱られても同じ事を繰り返す。だから、周りからますます親分親分と祭り上げられる。どんどん田嶋みたいな腰巾着が増えていくんよ。ヒロ兄も、もう断りきれんようになってるんじゃろうね。本当に馬鹿よね」
さすが妹、番長の心の分析は的確だ。
おかげでか、次の日から田嶋はヨーイチには気をつかって話すようになった。そうすると、安心したのかクラスの男子たちがいろいろ声をかけてくるようになった。でも、小川先生に対する田嶋の態度はどんどんひどくなっていった。何かにつけて悪意を感じるのだ。
ヘンヘ。ここら辺は、先生のことをヘンヘとかセンセとか言う。
「ヘンヘ、オレらは東京弁はよう分からん。こっちの言葉で授業をしてくれんとのう」
そりゃ無茶だ。教科書は標準語の東京弁で書いてあるんだぞ。それを一々方言に訳して説明するのか?でも、小川先生は優しい。
「しばらくは東京弁が出るだろうけど、ぼくも慣れたら君らと同じようになる。だから、もう少し我慢して」
甘いよユーイチ。コイツが言うのはそういうことじゃないんだ。たまには江戸っ子のかっこよさで啖呵を切ってみせろよ。
かといって、ヨーイチが小川先生のことを心配してやる筋合いもない。ヨーイチにしたって、ユーイチの授業なんて全然聞く気がない。ユーイチの授業はつまらないんだ。いや、ユーイチの授業だけじゃない。ヨーイチは中学校に入ってからちっとも勉強する気になれないのだ。
「ヘンヘ、黒板の方ばっかり向いて字を書いとったら、オレら眠とうなるんよ。ちょっとはこっちの方を向いて板書してえや」
田嶋がそんなことを言えば何人か同調するやつがいる。
「田嶋、そりゃあ無茶だぜ。後ろ向きにチョークで字を書くなんて、猿芝居じゃあるまいしよォ」
さすがにヨーイチは、ユーイチに助け船を出した。
「おっ、ヘンへを猿だとよ。さすが東京者同士」
田嶋のやつめ、いけ好かない。でも、ヨーイチが先生の味方をしてから、だんだんと田嶋の言うことを聞かない生徒も増えてきた。
「アーア、面白うないの。東京弁のお陰で教室の空気がおかしゅうなった」
そりゃお前のせいでこれまで空気が悪かったんだろうが。とはいってもユーイチの授業は確かに退屈だ。話がへたなくせにやたらと説明が長い。新米だからしょうがないんだろう。でも、習う生徒の身にもなれよ。
田島に限らず、一年三組はいつもクラス全体が賑やかだ。ユーイチの教える国語の時間だけじゃない。たいがいの授業が騒がしい。勉強なんてやる気のないやつの集まりだ。そんな雰囲気が教室中に漂っている。でも、水野先生の英語の時間は、みんなピシッと緊張している。それと、一組担任の河野先生の社会科。時間いっぱい笑わせてくれる。だから、みんな賑やかだけどよく聞いている。おかげで、ヨーイチも英語と社会の授業だけはよくわかる。
ある日、音楽の大西先生が授業中突然怒り出した。
「ピアノのカバーの下に、ヘビの抜け殻を置いたのはあんたたちじゃろうがね!」
そうは言っても三組の生徒はみんなで一緒に音楽室へ来たんだ。だれもピアノなんかに触ってはいない。一番やりそうな田嶋だって遅れて入ってきた。それなのに大西先生は言い張る。
「絶対あんたたちのだれかがやったのよ。だれかがはっきりするまで一年三組は教えないからね!」
そう言って音楽室から出て行った。
「ヒステリーめ。お前なんかに教えてもらわんでも困るかい」
田嶋が言った。これにはヨーイチも同感だ。
大西先生は担任の小川先生を職員室から連れてきて、音楽室の前でなんだかんだと言い始めた。教室の中の一年三組みんなに聞こえるように大声でだ。音楽の時間がどれだけ大変かをしきりに言っている。ユーイチに言ったって何にもならないのに。
「いいですか、小川先生。屋ノ浦の生徒は初めが肝心ですよ。最初なめられたら一年間手に負えなくなるわよ。最初からクラスをビシッと締めときなさい。特にあなたのクラスはひどすぎます!」
中で聞いていた一年三組全員が腹を立てた。
「大西ヘンへー、授業しょうやあ」
田嶋が大きい声を張り上げた。そして、机の上をリコーダーでバンバンたたき始めた。それにつられて何人かの男子が同じように騒ぎ出す。
「やかましいっ!あんたたちに私の授業はもったいない!黙って自習しとけ!」
「おーおっ、おばちゃんを怒らせたら怖いどォー」
田嶋がおどけて言った。小川先生がみんなをなだめたが、田嶋たちは余計に騒ぐ。大西先生はまた職員室に戻っていった。
こんどは水野先生がやってきた。
「こらあっ!」
オニの一声、一瞬で音楽室がシーンとした。
「教室で騒いだやつはだれかあ!授業を妨害するやつは許さんぞ」
みんな音一つ立てない。息もしてない。水野先生は一言怒鳴って帰っていった。入れ替わりに大西先生が帰ってきて、静かに授業が始まった。音の全くしない静かな音楽の授業だった。
「担任のせいにするなや。頼りない小川でもオレらの担任じゃあ」
授業が終わって、田嶋が仲間に言っていた。
それ以後音楽の時間に騒ぐ者はいなくなった。でも、一年三組はみんな大西先生が嫌いになった。ヨーイチはどっちの味方になるわけでもない。だが、少しだけこのクラスが気に入った。
大体「校歌くらい大きな声で歌いなさい」なんて、一ヶ月も校歌の練習ばかりさせる音楽の授業なんてどこにあるんだ。
夕方、映子がばあちゃんに言っていた。
「明日、奉仕活動で火ばさみを使うんだけど、うちにある?」
「ああ、学校でゴミ拾いをするんかね。うちにはいっぱいあるよ。納屋に行って好きなだけ持って行きんさい」
「ありがとう。じゃあ、忘れた友だちにも貸してあげたいから、何本か持って行くね」
「オレもいるんだけど。丸山公園でなんてらとか言ってたな」
明日午後から奉仕活動がある。ゴールデンウイークの前に公園の清掃をするんだそうだ。中学生だけじゃなく、小学校五六年生も一緒にやるらしい。生徒会活動で毎年奉仕作業をしているんだそうだが、どうせ町の仕事を子どもに押しつけてるだけだろ。
まあいいや、おかげで授業がないし、火ばさみ一本持って公園をぶらぶらしてればいいんんだろ。
丸山公園は公民館裏の低い丘だ。公民館の屋根とどっこいどっこいくらいの高さで、わりと広い芝生の丘だ。広いが何にもない。端っこに何か分からないが記念碑みたいなものが建っているだけだ。周りに桜が植えられていて、花見の頃には結構人が集まるんだそうだ。日ごろはろくなやつが来ていないらしい。空き缶だらけだ。飲み食いしたあとのいろんなものが落ちている。そんなもの拾っていたら後で仕分けるのが面倒だ。ヨーイチは小さい袋しか持っていない。だから小さいゴミだけを目標に拾った。あった、あった。タバコの吸い殻。これくらいなら拾いやすいし、かさばらない。と思ってたら次から次にタバコの吸い殻が見つかった。探さなくてもいくらでも落ちているのだ。なんでこんな所でタバコを吸うんだ。この分じゃあすぐに袋がいっぱいになってしまう。
やめた、やめた。こんな活動を計画したのは本当に生徒会なのか?絶対先生たちの陰謀だ。町役場の差し金に違いないぞ。
桜の木の影で休んでいると、下の方から聞き慣れた声が聞こえてくる。映子だ。小学校の五年生はすぐ下の溝を掃除していたのだ。
「みんなバラバラにやらないで役割を決めようよ。ユミちゃんとタカちゃんはそっちの方から空き缶を拾ってきて。あとのわたしら四人で紙くずやタバコの吸い殻を集めよう。カズくん、ビンやガラスを集めて、重いけどお願い」
おいおい、だいじょうぶか。転校生がそんな指図をして。
「映子ちゃん、やるじゃない。ずいぶん慣れるのが早かったみたいね」
そばで見ていたヨーコがそう言った。
だけどな、あんまり出しゃばるやつは嫌われるんだぜ。
新幹線の駅までじいちゃんが軽のワゴン車で迎えに来ていた。山の中の寂しい駅だ。そこからいくつかの山を越えて、一時間ぐらい走るとやっと海が見えた。
去年開通したばかりの緑色のトラス橋。
「どうじゃ。デカかろう。これで大屋島はもう離れ島じゃないぞ」
なんてじいちゃんは自慢する。ヨーイチがまだ小学校一年生だったころは、対岸の港からフェリーで三十分以上かかった。でも、橋ができたおかげで数分で島に渡れた。
大屋島は東西に細長い島で、四つの町に分かれた大きな島だ。橋は島西町の端っこにかかっている。じいちゃんの家は南側の屋ノ浦町だ。橋からうねうねと入り組んだ海岸線を通って、島の北側にあたる細長い大浜町の町なかを通って、そして船越峠を越えると屋ノ浦だ。その海岸通りから段々畑を上っていく。やっとじいちゃんの家に到着だ。
助手席の映子は車の中でずっとはしゃぎながらしゃべっていた。じいちゃんもうれしそうに映子の相手をしている。一方、後部座席のヨーイチは気分が悪い。一時間半もうねうねした道を走っている。いつもはミカン箱を積んだりするワゴン車だから、後部シートは強烈な柑橘系の匂いがしみこんでいるのだ。
体中が揺すぶられたのと、その強い匂いで吐き気がする。
気分が悪いのはそれだけじゃない。朝からすこぶる不機嫌なのだ。最初は心配してたびたび声をかけてくれたじいちゃんも、やがて後ろのヨーイチを気にしなくなった。
ふて腐れているんだ。何を言っても機嫌は治らないだろう。
六年ぶりの屋ノ浦だ。朝東京を出て、夕方やっと到着。どれだけ時間がかかるんだ。
じいちゃんちの庭から見ると、南に広がった夕陽の海がオレンジ色でまぶしい。海沿いに細長く並んだ浜辺の集落。一応一通りのものはこの町にもある。小学校も、中学校も、高校もある。小さいけれど、商店街だって、スーパーだってある。
すり鉢をさかさにしたようなてっぺんのとんがった高岳。島では一番高い山だ。海岸からその中腹まで段々畑がずっと広がっている。その真ん中辺りにじいちゃんの家があって、周りの段々畑は全てミカン畑になっている。昔は米作りが中心の棚田だったらしいが、今は全てがミカン山だ。
じいちゃんの家のすぐ隣がおじさんの家で、いとこのショウくんがいる。ショウくんは一つ上の中学二年生。
着いた日にショウくんが言った。
「屋ノ浦中学校は怖いところじゃから気をつけえよ」
何のことだかよく分からなかった。でも、まあ中学校ってどこでもいろいろあるんだろう。
『はなっから期待なんかしてないし』
東京から出るときに友達からからかわれた。
「島なんて、何にもない退屈なところだぜ。電気はつかないし、水は井戸水だし、遊ぶところだって全然ないんだから」
さすがに電気は通っている。井戸はあるにはあるが水道もちゃんとついている。そりゃあ東京に比べたら確かに異世界だ。不便といえば不便なんだろう。
来たかったわけじゃない。でも、別にどうでもいい。しょうがないだろ。母親が決めたんだ。だからしょうがないだろうが!
楽しいことなんて、ヨーイチはとっくにあきらめている。
入学式の日。じいちゃんとばあちゃんが付いてきた。どこからが中学校なんだかよく分からない。正門がないんだ。商店街からちょっと脇道を入ったら、すぐに中学校の玄関だ。その奥に細い道をはさんで小学校、向かいに公民館がある。町役場も交番も、何でも中学校を中心に集まっている。
じいちゃんとばあちゃんの後ろについて学校に入ろうとしたところ、一人の中学生が校舎の窓から飛び出してきた。上履きのままだ。
「こら、待たんかい!」
大声を上げて一人の先生が追いかける。こちらはクツ下のままだ。生徒はそのまま商店街を走って逃げていった。
「チキショウ。オレの上履きを水槽の中に浸けやがった」
「河野先生、入学式始まりますよ。大丈夫ですか?」
後ろから出てきた先生がユーイチだった。
へえ、先生のスリッパを水槽に浸けるなんて、そんな生徒がいるのか!まあどうでもいいが、ヘンな生徒にヘンな先生。まあそんな学校だ。
この学校には講堂が無い。だからすぐ向かいにある公民館の講堂で入学式を行う。ヨーイチは一年三組になっていた。隣の小学校からそのまま入学する。転入生もほとんどないから、九年間は同じ顔ぶれだ。ヨーイチ以外はみんなよく知っている。だから、ヨーイチの顔を見ると、みんな変な顔をする。
朝出かける前にショウくんが言っていた。
「ええか、一番最初に声をかけてきたやつに気をつけろ!ろくなやつじゃないはずだ」
ところが、一番最初に声をかけてきたのは女の子だ。三つ編みのお下げを二本垂らした優しそうな子だった。
「ねえ、ヨーイチくんじゃろ!うちのこと覚えとる?」
「えっ・・・!だれだっけ?」
とぼけて返事をした。だけど本当はドキッとした。
「うちの母さんとあんたんちのお母さんと仲が良かったんよ。母さんがヨーイチくんに会いたがっていたよ」
ヨーイチの母はここの卒業生だ。
入場の整列が始まった。その子は一組だった。
「またあとでね。分からんことがあったら何でもうちに聞くとええよ。うちは沖永陽子」
そうだ!やっぱりおきながようこだ。
整列して式場に入る。式場の中はワイワイガヤガヤ、とても入学式が始まるような雰囲気じゃない。後ろの席の二年生、三年生がうるさいんだ。先生たちはたびたび大きな声で叱る。それでも、物を投げ合ったり席を立ち歩いたりする生徒がやたらと多い。いや、多いどころか全員が騒ぎ回っている。
それがさっと静まりかえった。
「ミズノが来たっ!」
だれかが叫ぶ。その途端シーンと静かになったんだ。保護者席も一言も言わない。ショウくんから聞いていた水野先生だ。屋ノ浦中学校の鬼より怖いミズノ。
なるほどな、本当に鬼より怖い顔をしている。
静かに式が始まった。校長先生から担任の先生が紹介される。
「一年三組、小川祐一先生。今年本校に着任された先生です。この春東京の大学を卒業された新任の先生です」
さっきのユーイチだ。へえ、東京から来たのか。
「おれ、田嶋。お前んちの近くじゃ。よろしく」
隣に座った子が小声で話しかけてきた。
「お前、さっき沖永陽子と話しとったじゃろう。気をつけえよ。あいつの兄ちゃんはここの番長でぶち恐ろしいやつじゃ」
そうなのか。ショウくんの言ってた、最初に声をかけたやつに気をつけろ、っていうのは沖永洋子のことなのか。すると、この田嶋ってやつは親切なのか。
入学式の後、教室に入った。古い木造校舎の二階で、床も壁も節穴だらけだ。
「えーっと、小川です。これから皆さんと、この教室で過ごすことになりました」
小川先生は緊張しまくっている。早口で自己紹介をした後は、なかなか次の言葉が出てこない。みんなも緊張している。後ろに保護者がいっぱいいるから当たり前だ。
「新米先生、がんばれよ!」
その緊張した雰囲気を和ませたのが田嶋の一言だ。笑い声が上がった。クラスみんなが緊張から解放されたようだ。
「そう、先生は新米です。おまけにこの大屋島も全く初めてです。分からないことが多いかもしれない。みんなから教えてもらうことの方が多いかもしれないけれど、一年三組をみんなと一緒に明るいクラスにしていきたいと思いますのでよろしく」
田嶋がパチパチと拍手した。するとクラスのみんながそれにあわせて拍手した。すぐに田嶋が拍手をやめた。するとみんなパタッとやめた。少し変な感じがした。
家に帰るとショウくんがすぐに様子を聞いてきた。
「沖永陽子が最初に声をかけてきたんだけど、なんか番長の妹なんだって?気をつけろって言ってたが」
「そうか、ヨーコか。ヨーコちゃんが一番最初に声をかけてきたか。そうかそうか。でも、番長の妹って言ったのはだれだ?」
「田嶋って子だよ。なんか家が近いとか言ってたけど」
「ああ、やっぱり田嶋か。最初に声をかけてきたやつは。家が近いことなんか全然ない。ええか、あいつには気をつけたほうがいい。自分の子分を作ろうとしてるんじゃ。小学校のときからみんながあいつの顔色を気にしながら動いてたんじゃ。あいつは上級生に取り入るのがうまいからなあ。逆らうと何を言いふらされるか分からん。あんまり関わりにならんほうがいいぞ!」
そういえばクラスのみんなの雰囲気がおかしかった。田嶋には気をつけておいた方がいいのだろう。
どうせ仲間なんか作る気はないんだ。そうヨーイチは思った。
次の日、教室に入ると田嶋の周りに男子がたくさん集まっている。やっぱりなにか雰囲気が怪しい。ヨーイチを見つけると田嶋は、
「よお!」と気安く言って、みんなに目配せをして解散した。
「ヨーイチ、お前も一緒にやろうやあ。あの新米をちょっとからかってやるんじゃ」
「小川をからかうのか?どうやって?」
「今日一日、あいつに何を聞かれても、みんな『はい』としか言わんことにするんじゃ。なに言われても『はい』じゃ。はいだけであとは全然相手にせん。黙ったまんま一日中相手にせんのよ。そうやってあいつを困らしちゃろうや」
「そんなことしてなにが面白いんだ。どうでもいいけど、つまんねえや」
「ありゃりゃ。そりゃお前、みんながそうしちゃろうと言うとるのよ!」
こいつ目がすわってる。こうやってクラスのみんなを威圧してるんだな。
その時、教室の外から声をかけてきた子がいる。
「田嶋っ!ヨーイチをそんなことに巻き込むのは止めときいよ!」
沖永陽子だ。大きい声で叱りつけるような剣幕だった。
「ヨーイチはあんたなんかが思うように動きはせんからね!」
「おお、恐ろしい恐ろしい。女番長のお出ましじゃ。怖いのォ、怖いのォ!やめた、やめた。みんなー、やめたどォ!」
おかげでその日は静かな一日だった。
帰りがけに沖永陽子が下足箱で待っていた。うちに寄っていけという。母親がヨーイチに会いたいんだそうだ。
陽子の家は西浜の波止場のすぐそばで、イリコ工場になっている。
「沖永イリコ店か、なんか懐かしいなあ!」
「まだうちのこと思い出さん?」
「えっ・・・どっかで会ったっけ?」
もうとっくに思い出していた。
「どっかでって、この家や高田のおじいちゃんちでよく遊んだじゃない。もう六年も前だけど」
小学校に入ったばかりのころ、夏休みの間ずっと大屋島で過ごした。イリコ工場はいつも遊び場だった。東京の家にも、昔から『沖永イリコ店』のブリキ缶がたくさんあった。
「そういやあ、オレここに来たことがあるぞ。いっぱいイリコが干してあった。あのとき女の子がいた。えっと、ええっと、ヨーコ、そうだヨーコだ!」
ヨーイチは初めて気付いたように言った。ヨーコがうんうんとうなずいた。
「でも、あのヨーコはちびで細っこいおかっぱの女の子だったぞ」
「ちびで悪かったねえ。今はうちの方が背が高いじゃろ!」
本当だ。ヨーイチよりちょっと高い。
「でもやっと思い出したんじゃ。そうよ、わたしがそのヨーコ!あんまりきれいになったから気付かんかったんじゃろう」
「じゃあ学校の番長って、ヒロ兄ちゃんのことか?」
「そう、相変わらずガキ大将でね。屋ノ浦じゅうの悪ガキがいつもうちに集まってくるんよ」
ヨーコの家に入った途端、ヨーイチはいっぱい思い出した。
そうだよ、ここだよ。海のそばでこの匂い。
全然変わってない!覚えていたまんまだ。ヨーコの家は土間が広くて長い。それを挟んで右側がイリコ工場、左側が古い母屋だ。そしていつもサカナの匂い。
この匂いだ。この匂いが懐かしいんだ。
「まあまあ、ヨーちゃん大きくなったねえ、男前になって!入学式の時は全然気づかんかった」
奥から出てきたおばさんも昔のまんまだ。六年前に来たときは、ヨーイチの母親と波止を前にした縁側に座って、いつも長い長い話をしていた。
「あんたら二人はね、お腹におったときからの仲良しじゃったんよ。さと子とここへ座って話をしていると、あんたたちのどっちかがお腹をけるの。そしたらおんなじようにもう一人がお腹をけるんよ。ヨーちゃんが生まれたら、次の日すぐにヨーコが生まれて。一緒に縁側に並べて寝させていると必ず顔を合わせてニコニコ笑っているの。名前も太陽のように輝いてと願って、陽一と陽子。ここでこうやって青い空と海を見ながら育ったんよ」
どんどん思い出してきた。
この六年ほど大屋島に帰ってなかったけど、小さい頃はたびたび帰ってきていたのだ。そしていつもこの海を見ながらヨーコと一緒に遊んでいた。ヨーコの家の前からまっすぐ伸びて、先がへの字に曲がった波止の先、あの白い灯台を忘れるわけがない。あの頃が一番楽しかったんだ。
「おう、ヨーイチじゃないか。大きゅうなったのォ!」
沖永洋士、中学校の番長のお帰りだ。三人の仲間を連れている。
「学校でも見かけたけど、ヒロ兄ちゃんこそでかくなりすぎだよ。まるで相撲取りみたいだ」
「このでかい体が目印よお。またこれからなんぼでもうちに遊びに来いや!」
「兄ちゃん、絶対ヨーイチを悪いことに誘わんでよ!」
「わかっとるわい!ヨーコに言われんでも。おい、お前ら。一年三組の中本陽一、オレの弟じゃ。これからよろしゅうたのむで!」
ヒロ兄は仲間と一緒にイリコ工場の二階にある自分の部屋に上がっていった。
「兄ちゃんから声がかかってもついて行っちゃあいけんよ」
「なんで?ヒロ兄ちゃん昔のまんまだよ」
「そうよ。ヒロ兄は昔のまんまなんよ。昔のまんまで身体が大きくなっただけなんだけど、周りが親分親分なんて持ち上げるから、いい気になってるんよ。おだてられてその気になって、子分の手前、先頭に立って悪いことばっかり手を出す。それでみんなを代表して学校から叱られる。叱られても叱られても同じ事を繰り返す。だから、周りからますます親分親分と祭り上げられる。どんどん田嶋みたいな腰巾着が増えていくんよ。ヒロ兄も、もう断りきれんようになってるんじゃろうね。本当に馬鹿よね」
さすが妹、番長の心の分析は的確だ。
おかげでか、次の日から田嶋はヨーイチには気をつかって話すようになった。そうすると、安心したのかクラスの男子たちがいろいろ声をかけてくるようになった。でも、小川先生に対する田嶋の態度はどんどんひどくなっていった。何かにつけて悪意を感じるのだ。
ヘンヘ。ここら辺は、先生のことをヘンヘとかセンセとか言う。
「ヘンヘ、オレらは東京弁はよう分からん。こっちの言葉で授業をしてくれんとのう」
そりゃ無茶だ。教科書は標準語の東京弁で書いてあるんだぞ。それを一々方言に訳して説明するのか?でも、小川先生は優しい。
「しばらくは東京弁が出るだろうけど、ぼくも慣れたら君らと同じようになる。だから、もう少し我慢して」
甘いよユーイチ。コイツが言うのはそういうことじゃないんだ。たまには江戸っ子のかっこよさで啖呵を切ってみせろよ。
かといって、ヨーイチが小川先生のことを心配してやる筋合いもない。ヨーイチにしたって、ユーイチの授業なんて全然聞く気がない。ユーイチの授業はつまらないんだ。いや、ユーイチの授業だけじゃない。ヨーイチは中学校に入ってからちっとも勉強する気になれないのだ。
「ヘンヘ、黒板の方ばっかり向いて字を書いとったら、オレら眠とうなるんよ。ちょっとはこっちの方を向いて板書してえや」
田嶋がそんなことを言えば何人か同調するやつがいる。
「田嶋、そりゃあ無茶だぜ。後ろ向きにチョークで字を書くなんて、猿芝居じゃあるまいしよォ」
さすがにヨーイチは、ユーイチに助け船を出した。
「おっ、ヘンへを猿だとよ。さすが東京者同士」
田嶋のやつめ、いけ好かない。でも、ヨーイチが先生の味方をしてから、だんだんと田嶋の言うことを聞かない生徒も増えてきた。
「アーア、面白うないの。東京弁のお陰で教室の空気がおかしゅうなった」
そりゃお前のせいでこれまで空気が悪かったんだろうが。とはいってもユーイチの授業は確かに退屈だ。話がへたなくせにやたらと説明が長い。新米だからしょうがないんだろう。でも、習う生徒の身にもなれよ。
田島に限らず、一年三組はいつもクラス全体が賑やかだ。ユーイチの教える国語の時間だけじゃない。たいがいの授業が騒がしい。勉強なんてやる気のないやつの集まりだ。そんな雰囲気が教室中に漂っている。でも、水野先生の英語の時間は、みんなピシッと緊張している。それと、一組担任の河野先生の社会科。時間いっぱい笑わせてくれる。だから、みんな賑やかだけどよく聞いている。おかげで、ヨーイチも英語と社会の授業だけはよくわかる。
ある日、音楽の大西先生が授業中突然怒り出した。
「ピアノのカバーの下に、ヘビの抜け殻を置いたのはあんたたちじゃろうがね!」
そうは言っても三組の生徒はみんなで一緒に音楽室へ来たんだ。だれもピアノなんかに触ってはいない。一番やりそうな田嶋だって遅れて入ってきた。それなのに大西先生は言い張る。
「絶対あんたたちのだれかがやったのよ。だれかがはっきりするまで一年三組は教えないからね!」
そう言って音楽室から出て行った。
「ヒステリーめ。お前なんかに教えてもらわんでも困るかい」
田嶋が言った。これにはヨーイチも同感だ。
大西先生は担任の小川先生を職員室から連れてきて、音楽室の前でなんだかんだと言い始めた。教室の中の一年三組みんなに聞こえるように大声でだ。音楽の時間がどれだけ大変かをしきりに言っている。ユーイチに言ったって何にもならないのに。
「いいですか、小川先生。屋ノ浦の生徒は初めが肝心ですよ。最初なめられたら一年間手に負えなくなるわよ。最初からクラスをビシッと締めときなさい。特にあなたのクラスはひどすぎます!」
中で聞いていた一年三組全員が腹を立てた。
「大西ヘンへー、授業しょうやあ」
田嶋が大きい声を張り上げた。そして、机の上をリコーダーでバンバンたたき始めた。それにつられて何人かの男子が同じように騒ぎ出す。
「やかましいっ!あんたたちに私の授業はもったいない!黙って自習しとけ!」
「おーおっ、おばちゃんを怒らせたら怖いどォー」
田嶋がおどけて言った。小川先生がみんなをなだめたが、田嶋たちは余計に騒ぐ。大西先生はまた職員室に戻っていった。
こんどは水野先生がやってきた。
「こらあっ!」
オニの一声、一瞬で音楽室がシーンとした。
「教室で騒いだやつはだれかあ!授業を妨害するやつは許さんぞ」
みんな音一つ立てない。息もしてない。水野先生は一言怒鳴って帰っていった。入れ替わりに大西先生が帰ってきて、静かに授業が始まった。音の全くしない静かな音楽の授業だった。
「担任のせいにするなや。頼りない小川でもオレらの担任じゃあ」
授業が終わって、田嶋が仲間に言っていた。
それ以後音楽の時間に騒ぐ者はいなくなった。でも、一年三組はみんな大西先生が嫌いになった。ヨーイチはどっちの味方になるわけでもない。だが、少しだけこのクラスが気に入った。
大体「校歌くらい大きな声で歌いなさい」なんて、一ヶ月も校歌の練習ばかりさせる音楽の授業なんてどこにあるんだ。
夕方、映子がばあちゃんに言っていた。
「明日、奉仕活動で火ばさみを使うんだけど、うちにある?」
「ああ、学校でゴミ拾いをするんかね。うちにはいっぱいあるよ。納屋に行って好きなだけ持って行きんさい」
「ありがとう。じゃあ、忘れた友だちにも貸してあげたいから、何本か持って行くね」
「オレもいるんだけど。丸山公園でなんてらとか言ってたな」
明日午後から奉仕活動がある。ゴールデンウイークの前に公園の清掃をするんだそうだ。中学生だけじゃなく、小学校五六年生も一緒にやるらしい。生徒会活動で毎年奉仕作業をしているんだそうだが、どうせ町の仕事を子どもに押しつけてるだけだろ。
まあいいや、おかげで授業がないし、火ばさみ一本持って公園をぶらぶらしてればいいんんだろ。
丸山公園は公民館裏の低い丘だ。公民館の屋根とどっこいどっこいくらいの高さで、わりと広い芝生の丘だ。広いが何にもない。端っこに何か分からないが記念碑みたいなものが建っているだけだ。周りに桜が植えられていて、花見の頃には結構人が集まるんだそうだ。日ごろはろくなやつが来ていないらしい。空き缶だらけだ。飲み食いしたあとのいろんなものが落ちている。そんなもの拾っていたら後で仕分けるのが面倒だ。ヨーイチは小さい袋しか持っていない。だから小さいゴミだけを目標に拾った。あった、あった。タバコの吸い殻。これくらいなら拾いやすいし、かさばらない。と思ってたら次から次にタバコの吸い殻が見つかった。探さなくてもいくらでも落ちているのだ。なんでこんな所でタバコを吸うんだ。この分じゃあすぐに袋がいっぱいになってしまう。
やめた、やめた。こんな活動を計画したのは本当に生徒会なのか?絶対先生たちの陰謀だ。町役場の差し金に違いないぞ。
桜の木の影で休んでいると、下の方から聞き慣れた声が聞こえてくる。映子だ。小学校の五年生はすぐ下の溝を掃除していたのだ。
「みんなバラバラにやらないで役割を決めようよ。ユミちゃんとタカちゃんはそっちの方から空き缶を拾ってきて。あとのわたしら四人で紙くずやタバコの吸い殻を集めよう。カズくん、ビンやガラスを集めて、重いけどお願い」
おいおい、だいじょうぶか。転校生がそんな指図をして。
「映子ちゃん、やるじゃない。ずいぶん慣れるのが早かったみたいね」
そばで見ていたヨーコがそう言った。
だけどな、あんまり出しゃばるやつは嫌われるんだぜ。
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