「いっすん坊」てなんなんだ

こいちろう

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ひとつ目の記憶

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 いっすん坊は、ヨシキのファイルを裏返して、何やら呪文みたいなことを言いながら、錫杖を一振り払う。
 逆回しだぞ。これまでの景色が過去へ過去へとどんどん戻っていく。


 今朝のお寺の境内だ。そしてお寺から見渡した高州島。
「ついさっきのラジオ体操だぞ。体操が終わって、オレが逆に動いてあっという間にラジオ体操の始まりだ。ほら、後ろ向きに石段を下りていく。階段を逆歩きしているよ。動きが危なっかしいけど面白いや。みんながどんどん後ろ向きに石段を下りていく。オレも後ろ向きでばあちゃんの家に着いて、ばあちゃんにおはようと言って、そのまんま布団に入って寝た。おいおい、ずい分速いなあ。逆回転ってこんなに速いのか?あんまり速いから、石段を落ちそうで心配だったぞ。それと、あれがなかったんじゃないかな。速すぎて途中で見落としたところでもあったのかなあ?」
「おまえが見た通りの景色だから、おまえの目の前で起きたことはすべて記録されておるはずだが」
「もう昨日の夜だ。花火が終わったんだ。ばあちゃんの家から前を向いたまんまで石段を下りて、大浜まで後ろ向きで歩いていって、いくつもの広がった花火が波止の先っぽにしぼんでいって。あれ、今しぼんでいった花火は、まるで竜の形をしてたぞ。竜がけむりになって石灯ろうに吸い込まれたみたいだ。そんな風に見えただけなのかな。それから後ろ向きでばあちゃんと一緒に石段を上がったんだ。ばあちゃんと夕ご飯を食べてと・・・、ほらほら、やっぱりユキちゃんとタカちゃんが全然出てこないよ。変じゃないか」
 見落としたのかな?いや全然出てこなかったぞ。少しでも映っていれば気がついたはずだ。
「ばあちゃんが迎えに来ていて渡し船に乗って、そうそう、アイスキャンデーをくわえた人がいた。浮き桟橋の上のベンチに座って、いつまでもアイスキャンデーをくわえた変なおっさんだよ。白い着物の坊主頭。横にたくはつ笠を置いている。なんだ托鉢のお坊さんだったのか。暑いから日かげで休んでいたんだ。たくはつ笠に『いっすんぼう』て書いてあったような気がしたんだが。それから後ろ向きのまま渡し船が河内岬に戻っていった。おや、潮に流されなかった。まっすぐに戻ったぞ。あんなに荒れ狂ったうずの中で、恐怖の体験をしたんだぞ。でも、静かな早水の瀬戸じゃないか。どうなってるんだ。今度は大島のバスに乗って、バスが後ろ向きに走って、フェリーに乗って、またバスに乗って新幹線に乗って、東京に戻って後ろ向きで家に帰った」
 今朝から昨日の朝までの出来事だ。結局ばあちゃんしか出てこないなあ。ユキちゃんとタカちゃんはどこなんだ。
「これがオレの見てきた一日か?おかしいなあ。島に来てから花火を見ただけじゃないか。何にもない一日だ。あれだけうずに巻かれて潮に流されて、大変な目にあったんだぞ。本当になんにもなかったのか?」
「映ってないなら、なんにもなかったんだ。そういうのんびりした日もあるんだ。そのほうがいいことだぞ。なんにもない平和な日のほうがいいんだよ。ありがたいことじゃないか」
「ほらほら、もうその前の終業式の日だ。全校生徒が集まって、長い長い校長先生の話だ。ほかに大したことはないや。本当に何にもないぞ。何にもない一日だ。一体いつまでなんにもない記録を見てるんだ。オレの人生って、こんなにつまんないのか?」
「そうだな、中学校の生活ってそれなりに面白いと思うけどなあ。逆回転のスピードを思いっきりあげてみるか」
「出来るんなら早くやれよ、こんな何にもない日ばっかり見せて。本当にのんきなんだから。うまく編集しろよ、いっすん坊。編集の腕だよ。いいとこ撮りのテクニックだ。テレビで野球のダイジェストなんてやってるだろ。パカーンと打った瞬間をズームアップ、あんな風にもっと短く、見てるものが気分の良くなるようなところだけ残して、あとはチュンと縮めて編集しろよ」
「私は常に歴史を公平な目で見ておる。都合よくいいところだけを見せるようなことはしない。テレビとは違う。都合良く編集して、こんなすごいことがありましたって視聴率を上げようとするような、そんな真似ができるか。世の中、すごくない平凡なことのほうがずっと多いんだ。『今日も何もない平和な一日でした』そういって世の中の無事を知らせることの方が大事だ。それを見る方がずっと楽しいぞ。事件ばっかり追いかけて放送して、『世の中毎日が大変な時代です』っていうやつこそ、歴史の事実をこわしてきた張本人だ」
「でもそうでなくちゃ、何にも起きないつまんない毎日をテレビで見続けなくちゃいけないんだぞ。世の中ってとんでもないことが起きるから面白いんだ。面白くなくっちゃ、テレビなんか見るもんか」
「今日も一日平和な日でした。良かった良かったっていうニュースがあってもいいだろう。何もない毎日を平和な気持ちで振り返れるって幸せなことなんだぞ」
「いっすん坊って、のんきな生活が好きなんだな。オレ、そんなにのんきに自分の毎日を送りたくはないや。オレは気の短い江戸っ子だぜ。おんなじことはせいぜい三十分くらいだ。この穴の中も、もうそろそろ限界だぞ」
「だがな、なんにもない長い毎日があって、でも、ときどき小さなもめごとが起きて、それがきっかけで大事件につながっていくことだってあるんだ。なんにもない日を送っているから、その小さな変化にも気がつくんじゃないか」
「だからさ、そこは適当にはしょれよ。オレだって見たい過去ってあるんだ。昨日何時に来てばあちゃんとどんなこと話してっていう、どうでもいいことは省いてさ。オレの見たい日の見たい時間のところだけじっくりみせてくれりゃあ、それでいいんだ」
「そんな風に編集して省略するのは、それこそ情報操作だ。でも、まあいい。じゃあおまえの見たい日にちを三つだけ言え。それをチュンと縮めて十分くらいで編集してやろう」
「じゃあ、今年の六月三十日の学校でのことだ。ついこの間のことだが、確認しておきたいことがあるんだ。逆回しじゃなくて、ゆっくり振り返って見直しておきたいことが一つある」
「よし、その日を五分くらいにまとめてみせりゃいいんだな」
「三つのお願いだなんて、そんな童話みたいなことができるんなら最初から言えばいいじゃないか」
 映像がどんどん前の記録を飛ばしていって、七月二十日。十九日、十八日、・・・。七月七日、六日・・・、二日、一日、六月三十日だ!よしここだ。逆回転はストップだぞ。
 さあ、いよいよ見直したいシーンのお出ましだ。



 時穴の中がヨシキの学校に変わった。
 毎日六時間の授業だ。中学生になって、毎日が毎日を繰り返すだけのつまらない毎日だったんだ。父さんは毎朝七時前に出勤する。しばらくして目覚ましが鳴って、でもなかなか起きないで、布団の中でぐずぐずして、遅刻ぎりぎりに慌てて飛び出すんだ。だから父さんの準備した朝飯なんか食ったことがない。
 いつも毎朝さえない顔をして、学校へ行って、授業中ぼーっとして、
「あっ、そこ。そこが期末テストに出たんだぞ。何やってんだよ、まったく。聞いてなんていないんだから。しょうがないなあ、ノートくらい写しとけよ。期末テストの時なんか、全然できなかっただろう。いつだってオレはそうなんだ。やろうとは思ってるんだぜ。先生の方を向いてるようで、でもなんか授業に身が入ってないんだよな。だいたい授業が面白くないんだ。ちょっとは生徒が興味を持つように授業しろよ。だから、学校を抜け出したくなるんじゃないか」

 そうそう、音楽の時間だ。ここだ、これが始まりだ。後ろの宮田が小声で何度も呼ぶもんだから、
「うるせえ」って振り向いたら、手に持ったリコーダーが丁度宮田のほっぺたにパシッとあたったんだ。
 それでその場で大げんかになった。音楽の先生の注意なんか聞きゃしない。床に転がって、上になったり下になったり、二人でむちゃくちゃな殴り合いになった。
 痛いっ、痛いぞ!
いくら再現にしたって、宮田のパンチ、あの時より痛いぞ。
「あの時、一言ゴメンで済んだんだ。でも、オレそのゴメンが言えないんだよな」
 あとで職員室に二人で呼ばれて、そこでも二人で大声で言い合いになって、担任の広川先生から大目玉を食らったんだ。でも、それでも宮田のやつをにらんでいたら、ヨシキだけ残されて長い説教をされた。
「オレだけだぞ、オレだけが説教をくらった。えこひいきだよ。どっちもどっちってところなのにな。でもこのオレの態度、ふてくされてさ、説教なんて聞いてる態度じゃあないよな」
この反抗的な態度、どっちかっていうとヨシキの方を叱りたくなるのは当たり前か。
「いやいや、いっすん坊。だからそんなことどうだっていいんだ。くそ下手な編集の仕方だな。こんなところから始めたからユキちゃんがびっくりしてるじゃないか。恥ずかしいだろ。説教まで再生すんなよ。どうせ、広川の長説教なんて全然聞いてないんだからな」
 そうだ、ここら辺はもっと早回しでいいんだ。この後見たいところがあるんだ。そこのところを早く見せろ。
「ちぇっ、今度はグランドか・・・。あっ、そうだ。グランドでオレの上に何人もが乗っかってきた。痛っ、痛いよ!おや、上に乗ったのは竹下だけだったのか。宮田のやつが仕返しに乗って来やがったと思ったのに。それにしても痛いじゃないか」
 体育の授業中だ。サッカーのパス回しで竹下が足を引っかけてきてヨシキが下敷きになったんだ。でも、
「あれ?先にオレの足が竹下の足を引っかけたのか。オレが強引に足を伸ばしたんだ。それで竹下が吹っ飛んでオレの背中に乗ったんだ」
こうして見てると、オレの方が悪いんだ。明らかにヨシキが足をひっかけにいってる。それも、わざとみたいだ。
 だけど竹下は
「ごめん。ヨシキくんごめんよ」
そう言ってなんども謝ったんだ。でもヨシキは「邪魔すんなよ!」なんて悪態ついてるし。
「別に悪気はなかったんだぜ。でも、こうして映像で見てると、なんかオレってすごいワルだよな」
ユキちゃんがあきれた顔をして見ている。
「いっすん坊、どうしてそんなオレの都合の悪いところばっかりアップして映すんだ。印象操作だぞ。わざとオレを悪く見せようとして、気分悪いよ。この辺はどうでもいいって。オレが見たいのは下校時間のことなんだ」
「まあ待て、順番に出てくる。今はこの日のハイライトを再現してるんだから」
「おっ!下足箱に出てきた」
テスト週間だから部活はなし。みんな一斉下校だ。
 ここだよ、ここ。ここからだ。
 竹下と一緒に帰ってたらさ、あとから宮田のやつが追っかけてきて、
「山田、おまえ気が短かすぎだよ。音楽の時間、おまえにいいことを教えてやろうと思って声かけたんだぜ」
そんなことを言い出した。
「夏休みにちょっとしたアルバイトがあってさ、仲間に入るだけでかなりの小遣いが貯まるんだ」
「へえ、でもさ、重いものを運ぶとか、きついバイトじゃないのか?」
「簡単簡単、バイト先にじっとして居ればそれでいいんだ。人数をできるだけ集めたいらしいんだよ。大勢でやる仕事だ。数に入ってるだけで、それで小遣いかせぎになるんだぜ。だからおまえを紹介しようと思ったんじゃないか。おまえだから声を掛けたんだ。今から取り次いでくれる先輩に会うから、一緒に来ないか。話だけでも聞いてみればいいじゃん。竹下も一緒に来いよ」
「いや、おれ夏休みは用事があるからだめなんだ」
そう言って、竹下は一人で帰っていった。
 ここなんだ。ここで安うけ合いしちまったんだ。
「竹下はえらいよ。竹下と一緒に帰ってしまえばよかったんだ」
どうも怪しかったんだ。そのことがずっと気にかかってるんだ。
 宮田に付いてスーパーの裏手の駐車場に行った。三年生が二人いた。学校でもよく見かける、悪さで目立つやつらだ。宮田がかけ寄って何か二人と話している。
「そうか、山田。おまえ手伝ってくれるのか」
なんかいやな感じだった。でも、この時は二人の三年生にはさまれて、断り切れないと思った。
「でも、母さんの法事があって、オレ夏休みに入ってすぐ、瀬戸内海の島に帰らなきゃならないんです。一週間くらいなんだけど」
「夏休み最初の一週間か、おお、ちょうどいいじゃん。七月中に準備しておいて、忙しくなるのは八月からだ。だから、八月にこっちに戻ってきてから手伝ってくれればそれでいいんだ。頼んだぜ」
そう言って二人が帰って行った。
「そうだ、その時なんかすごくいやな感じだったんだよ」
 それがいつまでも気になって仕方なかったんだ。
「いっすん坊さん、ちょっと待って。今の先輩と宮田のひそひそ話のところ、ちょっと巻き戻して。音声を上げてゆっくり回してみてくれないかな」
「しょうのないやつだな。リクエストは一回しか聞かないぞ」
 もう一度、宮田が三年生に駆け寄るシーンだ。
「うちのクラスの山田ってやつを連れてきました。クラスの中で浮いてるやつで、無断欠席は多いし、面白くないことがあると勝手に学校を飛び出して帰ったりする、担任からも嫌われ者のしょうのないやつです」
 なんだと、宮田!
 やっぱりお前とは仲良くなれねえぞ。
「見張りはできそうか」
「大丈夫でしょう、それくらい」
「まあ、もしパクられても口さえ硬けりゃいいんだ。いいか、詳しいことは絶対なんにも教えるなよ。ただ見張りだけさせれば、それでいいんだ」
 えっ!そんなことをさせようとしてたのか!
 あれからずっと気に掛かってたんだ。あの時のふん囲気、気になって仕方なかったんだ。虫の知らせだよ。やっぱりそうなんだ。そんなことだろうと思ったんだ。
「パクられる?捕まるって!そんなことできるもんか。そんなことちっとも聞かなかったぞ。危ない危ない。ワルたちの仲間にされるところだった」
「だめよ!ヨッちゃん、そんな人たちについて行かないで」
ふと、どっかから声が入る。
「あれ?母さんだ」
 スーパーの駐車場からだろうか。あのときはそんな声を聞いた覚えなんてなかったよな。いや、でも絶対母さんの声だ。
「なんで母さんの声が入ってるんだ?」
「ごめん、ヨッちゃん。つい声を出しちゃった」
なんだ、ユキちゃんの声だったのか。ユキちゃんがずっと心配そうに見ていたんだ。
「でも東京に帰ったら、すぐに宮田君に断りの電話を入れてね。もう関わらないことよ。それからね、学校にはちゃんと行って。人の話はよく聞くの。広川先生のお話をちゃんと聞くのよ」
 おいおい、言い方が母さんそっくりじゃないか。同い年のくせに一々お節介なやつだ。
「オレ。ここまでひどい生徒じゃないんだぜ。でも、これを見せてもらって良かった。良かったよ。危ないところだった。すぐに断るよ。いっすん坊さんのおかげで、悪い連中の仲間に入らずにすんだんだ。助かったよ、ありがとう」

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