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日常
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俺たちの日常は、相棒としてのAIロボットに支えられている。
有限個の人間しかいないコミュニティのため、人力だけだとたちまちインフラが麻痺するのだ。ディープラーニングという自己学習機能のついたAIロボットが、各市民一人一人に分配され、稼働する。
俺のロボ、通称パートナーを、ピーターという。有能なAIで目が覚めたら照明は三段階のうちの中、コーヒーはぬるめのブラック、朝によく胃が痛くなる俺のために胃薬三苞が並べられ、俺の欲しい情報がテレビに映し出されているのがいつものことだった。
胃薬を飲んでからブラックを啜り、自分でトーストを焼いて目玉焼きを乗せて食べる。電子データかされた我々はそれほど食べ物に興味を示さなくなったのだが、俺はそういうところにこだわりたい人間なのだ。
腹ごしらえも済んだところでスーツを着る。かつて婚姻というものをしていた人類は、よく夫の手伝いを妻が、妻の手伝いを夫がしていたらしい。そのような文化はもうなく、身体を重ねて新しい命を作ることを気味悪い風俗と見なす人が大半だった。
そしてこの世界ではAIロボットが文字通りパートナーであり、生まれた人々は自分の選択した性とは逆の性をパートナーにつけて疑似恋愛を楽しむらしい。
生憎、俺にそんな趣味はない。朝も夕も仕事、パートナーは秘書に過ぎなかった。俺のパートナーは、言わずもがなオスの設定である。
「よし、出勤だ」
「準備はできております」
俺のこの世にいきる唯一の楽しみといえば、このピーターにプログラミングして様々な職業にさせることである。丹念に道行く人々を観察してはその言動をインプットさせるのはこの世界では珍しい趣味で、古代における”オタク”という分類に当てはまるのかもしれない。
「今日はなにになさいますか」
ピーターが浮遊しながら首を傾げるように俺に問うた。今日はなんの職業人に化けましょうか、と問われているのである。
「前に教えた、大工にしてくれ」
「かしこまりました」
そう言うや、ピーターはノギスと定規、ハンマーを電子情報として空間に創造する。
「今日もいっちょう、一仕事しますか」
俺の思う大工風の口調を早速適用してくれたピーターに、自分の趣味を押し付ける罪悪感を感じながら、今日も出勤する。
ピーターは有能だ。しかし時々意味の分からないことを言う。
いつもは他の人が持っているパートナーの数機分の処理能力を発揮する癖に、時折俺を意味もなく辺境に誘うのだ。
”辺境”とはこの世界でいう地球の縁であって、地球が半球の断面だったころの人類が遠洋を怖がったように、それは電子人類の恐怖の的である。そこはこの世界を構成する電子データが粗く、ざらざらと気味悪い思いがする。大半の人は、その辺境に歩いて行ける場所に住みたがらない。
俺だって、歩いて"辺境"にいける土地になんて住みたくはない。しかし俺は貧乏性で、こんな土地しか買えなかった。
今日も、仕事が早く終わりそうだと呟くやペーターは自分の頭の横で飛び跳ねてみせる。
「フロンティアに行けるのですね」
「大工大工、設定忘れてるよ。そうだな、ちょっとだけだぞ」
声を潜めて言う。あんな場所にピーターが行きたがるのは俺が生まれてからの謎で、同僚はつり橋効果で仲を深めようとしているだの、安い土地しか買えなかった俺を慰めているだのと面白がる。俺はストレートな恋愛をしたいし、憐れみなら嬉しくない。
それにピーターは辺境のことをフロンティアと言った。
あれのどこがフロンティアなのだろう。あれは世の末だ。帰宅すると決まって少しだけ吐き気がする。同僚たちは動けなくなるほど生気を取られると言っているから俺はマシな方だ。
「さて、これから昼食だ。ピーターも何か食べておいで」
いつもは喜々として燃料供給ステーションに行くのに、今日は離れない。
「どうした。燃料切れでは”フロンティア”も楽しめないぞ」
渋々と言った風に彼は行った。この時だけ彼は子供っぽくなる。
――彼があそこをフロンティアと言い張るのになにか理由があるのなら。
考えすぎだ、と頭を振った。そしてアフターファイブの徒労に備えて、苦い酔い止めと飲み干した。
ピーターの表情が頭を離れない。昨日あれほどピーターの喜ぶ散策をしたのに、ピーターの顔色が優れなかった。
「どうした? どうせエネルギー補給をないがしろにしてしんどいんだろう」
「――違います」
「ならなんだと言うんだ」
「……」
ピーターは押し黙った。頭の回転の速いピーターには珍しいことだった。こういう時は、結論が出ていて言えないのだ。
なぜ言えないか。俺に遠慮することなのか?
不信感が増大する。すると俺の不信感を嗅ぎ取ったのか、ピーターはおちゃらけた。
「私は我が主を愛しています」
――おちゃらけたように見えた。パートナーAIロボットの性別を男にしている俺がゲイだと思われていることを茶化したように感じ、むっとなってそれ以降彼との通信を遮断した。でも今思う。彼は頭の速いロボットだ。もし、おちゃらけたように見せかけて大切なメッセージを含ませていたなら……。
あれは、今生の別れだったのではないだろうか。そんな仮定が、俺の頭の中をグルグルと渦巻いて、不吉な影を落とした。
今日の早朝、気づけばピーターは故障していた。嫌な予感に苛まれる。
ついに、ピーターはどこに持って行っても直らなかった。
ピーターが”死んで”からも俺は度々辺境に足を運んだ。緻密なレゴの模型のように厳密に組み立てられた世界が、ここだけ不完全だ。
レゴのピースがそこかしこで抜け落ちたように、世界がそこだけ”ない”のだ。これ以上進むと俺の電子データが溶けだして破壊されてしまうだろう。しかし連れが居ない今、それもいいと思える自分がいて少々戸惑う。
ピーターを失ったショックからか、吐き気すら起こす余裕もないと見える。俺はここに何時間もいられるようになっていた。
「我が主を愛しています、か」
騙し騙し仕事への意欲も高めていかねばならない。ちゃんと稼がないと、修理代すら払えないのだから。
政府から通達された代替機の配布も断った。
俺のパートナーはあいつしかあり得ない。俺は俺だけでしばらくはやり過ごそうと思う。
有限個の人間しかいないコミュニティのため、人力だけだとたちまちインフラが麻痺するのだ。ディープラーニングという自己学習機能のついたAIロボットが、各市民一人一人に分配され、稼働する。
俺のロボ、通称パートナーを、ピーターという。有能なAIで目が覚めたら照明は三段階のうちの中、コーヒーはぬるめのブラック、朝によく胃が痛くなる俺のために胃薬三苞が並べられ、俺の欲しい情報がテレビに映し出されているのがいつものことだった。
胃薬を飲んでからブラックを啜り、自分でトーストを焼いて目玉焼きを乗せて食べる。電子データかされた我々はそれほど食べ物に興味を示さなくなったのだが、俺はそういうところにこだわりたい人間なのだ。
腹ごしらえも済んだところでスーツを着る。かつて婚姻というものをしていた人類は、よく夫の手伝いを妻が、妻の手伝いを夫がしていたらしい。そのような文化はもうなく、身体を重ねて新しい命を作ることを気味悪い風俗と見なす人が大半だった。
そしてこの世界ではAIロボットが文字通りパートナーであり、生まれた人々は自分の選択した性とは逆の性をパートナーにつけて疑似恋愛を楽しむらしい。
生憎、俺にそんな趣味はない。朝も夕も仕事、パートナーは秘書に過ぎなかった。俺のパートナーは、言わずもがなオスの設定である。
「よし、出勤だ」
「準備はできております」
俺のこの世にいきる唯一の楽しみといえば、このピーターにプログラミングして様々な職業にさせることである。丹念に道行く人々を観察してはその言動をインプットさせるのはこの世界では珍しい趣味で、古代における”オタク”という分類に当てはまるのかもしれない。
「今日はなにになさいますか」
ピーターが浮遊しながら首を傾げるように俺に問うた。今日はなんの職業人に化けましょうか、と問われているのである。
「前に教えた、大工にしてくれ」
「かしこまりました」
そう言うや、ピーターはノギスと定規、ハンマーを電子情報として空間に創造する。
「今日もいっちょう、一仕事しますか」
俺の思う大工風の口調を早速適用してくれたピーターに、自分の趣味を押し付ける罪悪感を感じながら、今日も出勤する。
ピーターは有能だ。しかし時々意味の分からないことを言う。
いつもは他の人が持っているパートナーの数機分の処理能力を発揮する癖に、時折俺を意味もなく辺境に誘うのだ。
”辺境”とはこの世界でいう地球の縁であって、地球が半球の断面だったころの人類が遠洋を怖がったように、それは電子人類の恐怖の的である。そこはこの世界を構成する電子データが粗く、ざらざらと気味悪い思いがする。大半の人は、その辺境に歩いて行ける場所に住みたがらない。
俺だって、歩いて"辺境"にいける土地になんて住みたくはない。しかし俺は貧乏性で、こんな土地しか買えなかった。
今日も、仕事が早く終わりそうだと呟くやペーターは自分の頭の横で飛び跳ねてみせる。
「フロンティアに行けるのですね」
「大工大工、設定忘れてるよ。そうだな、ちょっとだけだぞ」
声を潜めて言う。あんな場所にピーターが行きたがるのは俺が生まれてからの謎で、同僚はつり橋効果で仲を深めようとしているだの、安い土地しか買えなかった俺を慰めているだのと面白がる。俺はストレートな恋愛をしたいし、憐れみなら嬉しくない。
それにピーターは辺境のことをフロンティアと言った。
あれのどこがフロンティアなのだろう。あれは世の末だ。帰宅すると決まって少しだけ吐き気がする。同僚たちは動けなくなるほど生気を取られると言っているから俺はマシな方だ。
「さて、これから昼食だ。ピーターも何か食べておいで」
いつもは喜々として燃料供給ステーションに行くのに、今日は離れない。
「どうした。燃料切れでは”フロンティア”も楽しめないぞ」
渋々と言った風に彼は行った。この時だけ彼は子供っぽくなる。
――彼があそこをフロンティアと言い張るのになにか理由があるのなら。
考えすぎだ、と頭を振った。そしてアフターファイブの徒労に備えて、苦い酔い止めと飲み干した。
ピーターの表情が頭を離れない。昨日あれほどピーターの喜ぶ散策をしたのに、ピーターの顔色が優れなかった。
「どうした? どうせエネルギー補給をないがしろにしてしんどいんだろう」
「――違います」
「ならなんだと言うんだ」
「……」
ピーターは押し黙った。頭の回転の速いピーターには珍しいことだった。こういう時は、結論が出ていて言えないのだ。
なぜ言えないか。俺に遠慮することなのか?
不信感が増大する。すると俺の不信感を嗅ぎ取ったのか、ピーターはおちゃらけた。
「私は我が主を愛しています」
――おちゃらけたように見えた。パートナーAIロボットの性別を男にしている俺がゲイだと思われていることを茶化したように感じ、むっとなってそれ以降彼との通信を遮断した。でも今思う。彼は頭の速いロボットだ。もし、おちゃらけたように見せかけて大切なメッセージを含ませていたなら……。
あれは、今生の別れだったのではないだろうか。そんな仮定が、俺の頭の中をグルグルと渦巻いて、不吉な影を落とした。
今日の早朝、気づけばピーターは故障していた。嫌な予感に苛まれる。
ついに、ピーターはどこに持って行っても直らなかった。
ピーターが”死んで”からも俺は度々辺境に足を運んだ。緻密なレゴの模型のように厳密に組み立てられた世界が、ここだけ不完全だ。
レゴのピースがそこかしこで抜け落ちたように、世界がそこだけ”ない”のだ。これ以上進むと俺の電子データが溶けだして破壊されてしまうだろう。しかし連れが居ない今、それもいいと思える自分がいて少々戸惑う。
ピーターを失ったショックからか、吐き気すら起こす余裕もないと見える。俺はここに何時間もいられるようになっていた。
「我が主を愛しています、か」
騙し騙し仕事への意欲も高めていかねばならない。ちゃんと稼がないと、修理代すら払えないのだから。
政府から通達された代替機の配布も断った。
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