花浮舟 ―祷―

那須ココ

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第一幕

亀裂

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 嘉阮での事件をきっかけに、京の諸侯しょこうは大いにざわめいた。暁光が公に宵君への謝罪を行うことで一件落着とも思われたが、繁國の父、遠野繁正しげまさを含め、山部清高、橋本頼鹿など幻驢芭の近臣五家当主達は次々と不服の声を上げた。

 緊急に開かれた会議の席で、謹慎きんしん中の――自責しやすい鯨一郎を、大袈裟に批難されるのが分かっていて矢面に立たせるのは不憫であると、宵君が謹慎という名目で休養を命じた――鯨一郎に代わり出席したのは、白爪家との歴史深い酒熾さかおき家当主、恭也きょうやである。
 対する幻驢芭家からは帰郷の旅から戻った橋本頼鹿が会議の場である白爪邸に赴き、その語気には怒りを顕わにした。

「上様をお守りすべく付き従うた鯨一郎殿がかえって火種となり、上様にお怪我させるとは如何なることか!」

「まことに面目次第もない。しかし、鯨一郎とて此度の件は予期せぬところ。宵殿をお守りせねばと避けなんだものを、宵殿がいわばご自分の判断にて割って入ったとお聞きしたが」

「何! 上様が勝手に庇ったと申すか!」

「……左様」

「何たる無礼……よもや其方らは、政のみならず戦上手でもあられる上様を疎ましく思い、刺客を雇って摂政の座から退けんと画策したのではないか!」

「誰がそのような恐れ多きことを!」

 もはや会議とは名ばかり、冷静さを欠いた口論でしかない。何とか頼鹿を宥めようと落ち着いた物腰で居た恭也だが、暁光の人柄や白爪の矜恃を疑う言葉には腰を上げた。

「頼鹿殿、幾ら何でもそのような言動は慎みなされ。其方らの怒りは尤も、しかし幻驢芭殿と我が主白爪家、巨大なる両家の亀裂は、すなわちこの沖去の亀裂。我らは斯くも呆気なく割れて良い仲にはござらん。どうか今一度、冷静な議論をお願い申し上げる」

「……む、左様であった。先の発言は撤回しよう。……非礼をはたらいた。お詫び申し上げる」

 頼鹿が頭を下げたので、恭也もまた一礼した。ようやく本題に入れると息をついた恭也に、頼鹿は先程より静かな口調で告げた。

「嘉阮での件、鯨一郎殿に非在らざるは我らとて承知しておる。しかし問題は、白爪殿の末端の者が買った私怨で、上様が利き手にお怪我を負われたということじゃ。抑も、上様は借りた家臣を傷物にして返せば、白爪殿との軋轢、また幻驢芭家の汚点となろうと刹那にご判断なされ、鯨一郎殿に代わり刺客の刃をお受けなさったとのこと」

「……左様であられたか。私も先の発言を改めよう。鯨一郎をお助け頂き、感謝致します」

 両者和解したところで、どちらに非があるわけでもないこの件に、如何に片をつけたものか、という課題に唸る。両者の懸念は、白爪、幻驢芭両家に仕える者達の動揺を如何に穏便にしずめたものか、又、件の童の両親を襲った白爪の末端とは一体何者かであった。

「まことにそのような者が居ってまだ生きておるのなら、当人に縄をかけ問い質すのがよろしかろうな」

「忍の者に探らせよう。一度持帰り、上様にお話せねばなるまい」

「うむ。今日こんにちにおいては、まことに有意義な席であった。両家が今一度手を携えて、解決に向き合う機会となった」

 半ば再びの衝突を避けるように、会議は早々にお開きとなった。ともあれ、重臣らの間だけでもわだかまりが解けたことは、進展である。

 頼鹿が幻驢芭邸に戻った後、恭也は報告の為暁光の室を訪れた。既にそこには暁光の弟、洸清こうぜいと少し顔色の良くない鯨一郎の姿があり、恭也と視線を合わせた鯨一郎は申し訳なさそうに会釈した。

「鯨一郎殿、元より其方は被害者。そう気に病まれるな。頼鹿殿との会議も幸先良い」

「……かたじけない。流石、恭也殿でございますな」

 安堵の表情を浮かべる鯨一郎に笑み、恭也は上座の暁光に向き直り一礼して腰を下ろし、深く頭を下げる。暁光はくつろいだ体勢を正して、恭也に顔を上げるよう声を掛けた。

「恭也、幻驢芭殿との関係修復、大儀であった。其方の働きに感謝致す」

「勿体なきお言葉。しかし上様、再び雲行きの淀まぬうちに逃げて参り、面目次第もございません」

「それで良い、賢明な判断よ。其方のお陰で、無益な児戯じぎ問答が長引かぬ」

「兄上も、これで少しはお休みになれましょう。毎日毎日、公主に御説明つかまつり、宵殿と会談を重ね……私はいつか兄上が過労で臥せってしまわれぬかと心配でなりませんでした」

 深い溜息を吐く洸清に暁光は苦笑して、お前は心配性だからのう、と呟いた。まるで疲れを見せぬ兄に、洸清は兄上が無茶ばかりなさるからだと不満をこぼす。

「過ぎたことだ、洸清。兎角、その童の父母を殺したという者が気がかりだな。童を尋問した刑務官によると、彼が加害者を白爪の者だと思ったのは、父母の命を奪った刀の家紋を見たそうだ。なれば盗難品の可能性もある」

「は、会議でもその者の捜索が先決であろうという結論に相成りましてございます。白爪家に関わりのない者であれば、或いは……」

「私もその線が濃厚であると思う。まずはく探らせよう。シジミ」

 暁光が縁側に声を掛けると、瞬きの間に一人の少女が庭に跪いていた。まだ幼い顔立ちに似合わぬ、小柄ながらたくましい肢体したいを砂利に屈めている。華やかさを損なわぬ武装はいかにも少女らしい。手足の装甲と帷子かたびら、その出で立ちから彼女が件の忍であると伺える。

「お話は伺っておりました。どうぞ、このシジミにお任せあれ」

「頼りにしている」

 暁光の優しげな声に一瞬身を固め、シジミと呼ばれた忍はまた風に吹かれる砂煙のように姿を消した。足跡一つ残っていない庭を暫し眺めた後、暁光は目を伏せて笑った。

「すっかり一人前だ。五年前、門で行き倒れていた抜け忍を憶えておるか?」

「まさか、今のくノ一があの時の?」

 暁光は目を丸くする鯨一郎に頷き、驚いたろう、とどこか得意気である。

「シジミは能ある幼き忍であったが、何せ骨と皮に痩せており、とても使い物にはならなかった。それが今ではどうだ」

 懐かしむように目を細め、暁光は「まことあのはよう育った」と笑みを零した。シジミは拾われた命の恩を返すべく、浅い眠りの時間の他はもっぱら鍛錬たんれんにいそしみ、一回り年上の同業虎牙こうがとも単純な膂力りょりょくでは対等に渡り合う程だという。

「あの娘は忍ゆえの忠誠心のみならず、己が力の成長を何より欲し、生き甲斐としている。立派な武人よ」

「何と……それは素晴らしい。私も見習わねばなりますまいな」

「はて、そう言えば、その虎牙の姿を見掛けませぬが……平生なれば、忍らしからず会議の場で堂々と姿を現し、菓子を食んでおるところ」

 彼奴は何処へ? と問うた恭也の声に応えたのは、洸清であった。

「大方、シジミの後でも追ったのだろう。あの二人は顔を合わせればいさかい、いがみ合うばかりだが、シジミは虎牙の妹のようなもの。聞けば抜け忍同士でもある。気にかけてはおるらしい」

「確かに危険の伴う仕事だが、シジミの力量にそぐわぬ頼みはせん。虎牙の心配性は其方に似たな、洸清」

「……シジミの仕事熱心も、兄上によく似ておりますな」

 そう皮肉を返してみせる洸清だが、心の底から心配しているといった面持ちである。暁光とてそれは承知の上だが、だからといって弟の前でしな垂れた姿を見せる訳には行かなかった。

 ――私には宵殿のみが、弱った姿を晒せる御方だ。宵殿は私に安らぎを与えて下さる。しかし……。

 ようやく戻った虎牙を面々がからかう姿を微笑ましく眺め、暁光は誰にも気づかれぬ程の溜息を吐いた。

 ――それでは一体、宵殿の安らぎは何処にあるというのだ。

「兄上?」

「……あぁ、いや何……今宵は冷えるから、共寝の相手を迷うておるのだ」

 憂う瞳を色ごとと誤魔化し、暁光は笑う。洸清はそれに納得したようで、「相変わらず、兄上は罪作りな御方だ」と呆れ気味に呟いた。



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