3 / 59
第一幕
亀裂
しおりを挟む嘉阮での事件をきっかけに、京の諸侯は大いにざわめいた。暁光が公に宵君への謝罪を行うことで一件落着とも思われたが、繁國の父、遠野繁正を含め、山部清高、橋本頼鹿など幻驢芭の近臣五家当主達は次々と不服の声を上げた。
緊急に開かれた会議の席で、謹慎中の――自責しやすい鯨一郎を、大袈裟に批難されるのが分かっていて矢面に立たせるのは不憫であると、宵君が謹慎という名目で休養を命じた――鯨一郎に代わり出席したのは、白爪家との歴史深い酒熾家当主、恭也である。
対する幻驢芭家からは帰郷の旅から戻った橋本頼鹿が会議の場である白爪邸に赴き、その語気には怒りを顕わにした。
「上様をお守りすべく付き従うた鯨一郎殿がかえって火種となり、上様にお怪我させるとは如何なることか!」
「まことに面目次第もない。しかし、鯨一郎とて此度の件は予期せぬところ。宵殿をお守りせねばと避けなんだものを、宵殿がいわばご自分の判断にて割って入ったとお聞きしたが」
「何! 上様が勝手に庇ったと申すか!」
「……左様」
「何たる無礼……よもや其方らは、政のみならず戦上手でもあられる上様を疎ましく思い、刺客を雇って摂政の座から退けんと画策したのではないか!」
「誰がそのような恐れ多きことを!」
もはや会議とは名ばかり、冷静さを欠いた口論でしかない。何とか頼鹿を宥めようと落ち着いた物腰で居た恭也だが、暁光の人柄や白爪の矜恃を疑う言葉には腰を上げた。
「頼鹿殿、幾ら何でもそのような言動は慎みなされ。其方らの怒りは尤も、しかし幻驢芭殿と我が主白爪家、巨大なる両家の亀裂は、すなわちこの沖去の亀裂。我らは斯くも呆気なく割れて良い仲にはござらん。どうか今一度、冷静な議論をお願い申し上げる」
「……む、左様であった。先の発言は撤回しよう。……非礼をはたらいた。お詫び申し上げる」
頼鹿が頭を下げたので、恭也もまた一礼した。ようやく本題に入れると息をついた恭也に、頼鹿は先程より静かな口調で告げた。
「嘉阮での件、鯨一郎殿に非在らざるは我らとて承知しておる。しかし問題は、白爪殿の末端の者が買った私怨で、上様が利き手にお怪我を負われたということじゃ。抑も、上様は借りた家臣を傷物にして返せば、白爪殿との軋轢、また幻驢芭家の汚点となろうと刹那にご判断なされ、鯨一郎殿に代わり刺客の刃をお受けなさったとのこと」
「……左様であられたか。私も先の発言を改めよう。鯨一郎をお助け頂き、感謝致します」
両者和解したところで、どちらに非があるわけでもないこの件に、如何に片をつけたものか、という課題に唸る。両者の懸念は、白爪、幻驢芭両家に仕える者達の動揺を如何に穏便に鎮めたものか、又、件の童の両親を襲った白爪の末端とは一体何者かであった。
「まことにそのような者が居ってまだ生きておるのなら、当人に縄をかけ問い質すのがよろしかろうな」
「忍の者に探らせよう。一度持帰り、上様にお話せねばなるまい」
「うむ。今日においては、まことに有意義な席であった。両家が今一度手を携えて、解決に向き合う機会となった」
半ば再びの衝突を避けるように、会議は早々にお開きとなった。ともあれ、重臣らの間だけでもわだかまりが解けたことは、進展である。
頼鹿が幻驢芭邸に戻った後、恭也は報告の為暁光の室を訪れた。既にそこには暁光の弟、洸清と少し顔色の良くない鯨一郎の姿があり、恭也と視線を合わせた鯨一郎は申し訳なさそうに会釈した。
「鯨一郎殿、元より其方は被害者。そう気に病まれるな。頼鹿殿との会議も幸先良い」
「……かたじけない。流石、恭也殿でございますな」
安堵の表情を浮かべる鯨一郎に笑み、恭也は上座の暁光に向き直り一礼して腰を下ろし、深く頭を下げる。暁光はくつろいだ体勢を正して、恭也に顔を上げるよう声を掛けた。
「恭也、幻驢芭殿との関係修復、大儀であった。其方の働きに感謝致す」
「勿体なきお言葉。しかし上様、再び雲行きの淀まぬうちに逃げて参り、面目次第もございません」
「それで良い、賢明な判断よ。其方のお陰で、無益な児戯問答が長引かぬ」
「兄上も、これで少しはお休みになれましょう。毎日毎日、公主に御説明仕り、宵殿と会談を重ね……私はいつか兄上が過労で臥せってしまわれぬかと心配でなりませんでした」
深い溜息を吐く洸清に暁光は苦笑して、お前は心配性だからのう、と呟いた。まるで疲れを見せぬ兄に、洸清は兄上が無茶ばかりなさるからだと不満をこぼす。
「過ぎたことだ、洸清。兎角、その童の父母を殺したという者が気がかりだな。童を尋問した刑務官によると、彼が加害者を白爪の者だと思ったのは、父母の命を奪った刀の家紋を見たそうだ。なれば盗難品の可能性もある」
「は、会議でもその者の捜索が先決であろうという結論に相成りましてございます。白爪家に関わりのない者であれば、或いは……」
「私もその線が濃厚であると思う。まずは疾く探らせよう。シジミ」
暁光が縁側に声を掛けると、瞬きの間に一人の少女が庭に跪いていた。まだ幼い顔立ちに似合わぬ、小柄ながらたくましい肢体を砂利に屈めている。華やかさを損なわぬ武装はいかにも少女らしい。手足の装甲と帷子、その出で立ちから彼女が件の忍であると伺える。
「お話は伺っておりました。どうぞ、このシジミにお任せあれ」
「頼りにしている」
暁光の優しげな声に一瞬身を固め、シジミと呼ばれた忍はまた風に吹かれる砂煙のように姿を消した。足跡一つ残っていない庭を暫し眺めた後、暁光は目を伏せて笑った。
「すっかり一人前だ。五年前、門で行き倒れていた抜け忍を憶えておるか?」
「まさか、今のくノ一があの時の?」
暁光は目を丸くする鯨一郎に頷き、驚いたろう、とどこか得意気である。
「シジミは能ある幼き忍であったが、何せ骨と皮に痩せており、とても使い物にはならなかった。それが今ではどうだ」
懐かしむように目を細め、暁光は「まことあの娘はよう育った」と笑みを零した。シジミは拾われた命の恩を返すべく、浅い眠りの時間の他はもっぱら鍛錬にいそしみ、一回り年上の同業虎牙とも単純な膂力では対等に渡り合う程だという。
「あの娘は忍ゆえの忠誠心のみならず、己が力の成長を何より欲し、生き甲斐としている。立派な武人よ」
「何と……それは素晴らしい。私も見習わねばなりますまいな」
「はて、そう言えば、その虎牙の姿を見掛けませぬが……平生なれば、忍らしからず会議の場で堂々と姿を現し、菓子を食んでおるところ」
彼奴は何処へ? と問うた恭也の声に応えたのは、洸清であった。
「大方、シジミの後でも追ったのだろう。あの二人は顔を合わせれば諍い、いがみ合うばかりだが、シジミは虎牙の妹のようなもの。聞けば抜け忍同士でもある。気にかけてはおるらしい」
「確かに危険の伴う仕事だが、シジミの力量にそぐわぬ頼みはせん。虎牙の心配性は其方に似たな、洸清」
「……シジミの仕事熱心も、兄上によく似ておりますな」
そう皮肉を返してみせる洸清だが、心の底から心配しているといった面持ちである。暁光とてそれは承知の上だが、だからといって弟の前でしな垂れた姿を見せる訳には行かなかった。
――私には宵殿のみが、弱った姿を晒せる御方だ。宵殿は私に安らぎを与えて下さる。しかし……。
ようやく戻った虎牙を面々がからかう姿を微笑ましく眺め、暁光は誰にも気づかれぬ程の溜息を吐いた。
――それでは一体、宵殿の安らぎは何処にあるというのだ。
「兄上?」
「……あぁ、いや何……今宵は冷えるから、共寝の相手を迷うておるのだ」
憂う瞳を色ごとと誤魔化し、暁光は笑う。洸清はそれに納得したようで、「相変わらず、兄上は罪作りな御方だ」と呆れ気味に呟いた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる