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本編
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俺が辞めたくて仕方ない仕事は大手化学企業の営業マンで、先端材料と呼ばれる、何でもくっつく夢の接着剤を売っている。
日本が世界に誇る素材で、建材、航空宇宙・自動車製造、医療を中心に世界中のあらゆる分野で使用されていて、引っ張りだこ。お陰で業務時間中は取引先からの問い合わせや呼び出しに追われ、昼食を取る暇さえないし、定時後も提案書や見積書作成などの事務作業が深夜まで続く。
(あ~……しんど~~)
そんなわけで、今日も当たり前に残業中の俺。前方に座る、俺の大嫌いな上司、墨谷 文人(すみたに ふみと)から漂う冷たい空気を感じながら、あした客先に提出する資料を作成していた。営業部の壁で輝く世界時計の"Tokyo"は23時。そろそろ終電も近いが、あとは印刷だけで上がれる。
いそいそと席を立ち、フロアの一番奥のプリンターへ向かった。社員証をかざして、俺が送った印刷物が出てくるのを待つ。いつもながら遅い。
「…………」
ちらっと後ろを振り返る。残業中の他の社員はみんな通路の向こう側で、ここには俺1人だ。念のため、ついたての影に隠れてからスマホを出し結婚相談所エトワールのアプリを開いた。
「……ふふっ」 思わず口元が緩んだ。
冴えない現実と違って、なぜか婚活市場ではモテモテの俺。嬉しいことにまた新たな申込みが十件来てるし、先にやり取りを始めた男性たちからも、それぞれメッセージが届いている。
それと、『チャットルーム』にも鶴矢さんからメッセージが届いていた。チャットルームはエグゼクティブ会員だけの特典で、担当アドバイザーと二十四時間気軽に会話ができる。
鶴矢さんは『おはようございます』と朝の挨拶をしてくれていたのに、俺ときたら仕事に追われていたせいでいままで見過ごしていた。
『担当アドバイザーの鶴矢です。ちょっと憂鬱な月曜日ですが、調子はいかがですか?
土曜日はお忙しい中、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。初めてお会いした透くんは大変可愛らしく、率直に言って惹かれました。同時に透くんにとって、私が良い印象であることを祈っています。
さて本日、私は20時の閉店までご相談カウンターに常駐しています。ご相談内容は何でも結構ですので、ぜひいらっしゃってください。ご予約お待ちしております!』
今日も変態として、会社の皆に冷たく避けられていた俺には、気遣ってくれるメッセージが心に染みる。しかも、鶴矢さんのアイコンの顔写真が素敵な笑顔。一日の疲れも飛んでった。
だけど初回から未読スルーしちゃって、鶴矢さんには心配かけたかな。
『こんばんは、透です。先日はこちらこそありがとうございました! 今日は朝から仕事が詰まっていて、鶴矢さんからのメッセージに気づくのが遅れました、ごめんなさい。それで今やっと仕事が終わったところです。残業さえなければ鶴矢さんの予約をとったんですけど!!』
ホント、仕事さえなければな。平日は終電帰りが当たり前で、仕事帰りにどこかに行くなんてなかなかできない。
ため息をついてから、もうひとつメッセージを送った。
『婚活ですが、お陰さまで早速、いいなと思う人が見つかって、来週その人と会うことになりました! 絶対成功させたいので、その前に一度相談させてください!』
これで良し。社畜の俺もチャットのお陰で、婚活の報告ができて助かる~。あとは通知に気をつけて、鶴矢さんからのメッセージにはすぐに返信しよう。
気合を入れたところで丁度よくプリンターの作業完了のお知らせ音が鳴った。
印刷物の回収のためプリンターの前に戻る。が、スマホにも新たな通知が。
鶴矢さんのアイコンに、さっきはなかった『お仕事お疲れさまです!』の吹き出しが付いていた。遅れて、スタンプも届いたし。
さっき俺が送ったチャットへの返信?
鶴矢さんのステータスには『退勤済』と表示されているのに。
「チャットルームは二十四時間、いつでもどうぞ」と言われたけど、まさか、担当からの返事もいつでもくれるってこと?
思わずヒエと声が出た。こんな時間に急ぎでもないメッセージを送りつけて、鶴矢さんにしてみればたまったもんじゃないだろう。
『すみません、また明日にお願いします!!』
本当にごめんなさい、初心者なんで今回だけ許してください──急いで走り去ろうとする俺を、鶴矢さんはそれ以上の素早さで引き留めた。
『お返事いただけるのをお待ちしてました』
なんて仕事熱心なんだろう。そして待たせてごめんなさい……。
『明日、私とデートしていただけませんか?』
……え? デート?
首をかしげた俺に、ハート一杯の可愛いチラシが届いた。
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