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愛と寂寂の日々

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 『セブロン・フランセス・レメディオルス・クリスピア―ネウス・マ・セイノウス様、万歳!万歳!』

 「ファーッハッハッハッ!! 我の魔法にかかれば、勇者なんぞこの通りよ! 我らの進軍を妨げる者はもはやいなぁい!!」

 私の足元に転がっている虫の息の勇者と、その仲間。
 そして視界一面に広がる我が軍勢。
 ついに私は因縁の戦いに終止符を打ったのだ。 なんと素晴らしい日か!

 しかしだ……。

 近くにいる我が軍の幹部を、ちょいちょいと手招きで呼び寄せる。

 「――おい、我が娘サーシャがいないが、どうなっている? ちゃんと伝えたのか」
 「もちろんでございます、ですが――」
 「なんだ? はっきり申してみろ」
 「興味ない、と仰っておりました……」
 「……」

 興味ない、という言葉が頭の中で何度も何度も反響していた。

 「――魔王様ッ!! 勇者が何かしています、お下がりを!」

 気がつけば私の身体は、まぶしい光につつまれていた。






 いったいここがどこなのか、検討もつかなかった。

 「空が、明るいだと……!?」

 そんなはずはない、私の魔法で空は暗雲で閉ざし、世界を闇に染めあげたはず! おかしい、おかしいぞ! そして、我が軍勢は、勇者は、どこへいった!?

 「だれかぁ! だれかいないのかぁー!?」
 「fgagasdgehfdgg」

 思わず声を荒げていると、目の前にある大きな木に、聞いたことのない言語を放つ者がいた。 どうやら私を見ているようだが。

 「――人間、だと」

 なぜ人間がここにいる? そして人間ごときが私に話しかけようなど、あってはならないことだというのに! 

 ……とはいえ、今の状況が全くつかめない。 とりあえず言語翻訳魔法を使用するために、 大切な魔導書を取りださねばなるまい。

 「ランゲージ・コネクト」
 「ggssdaggdsdっから来たの? ていうか話聞いてる? その被り物のせい?」
 「我はセブロン・フランセス・レメディオルス・クリスピア―ネウス・マ・セイノウス。 魔王サタンの称号を持つ者だ。 ――人間よ、我と会話することを許そう、質問に答えろ」
 「なに? 演劇の練習でもしてるの? ああ、だからヤギの被り物なんてかぶってんの。 つきあってられないんだけど」
 「――ッな!!」

 この人間、頭がおかしいのか。
 私という存在を前にして、ひれ伏すどころか悪態をつこうなどとは、どうやら命がいらないらしい。  ……いや違う、これはおかしいぞ。


 「まだなんか用があるの? 私、人待ってるからさっさとどっか行ってほしいんだけど」
 「ファーッハッハッハ!! わかったぞ! キサマは我が軍勢の侵攻の及んでいない場所に住んでいる人間だろう? どこに隠れていたのかは知らないが運がいい! いや、我に今見つかった不運を呪うがいい!」


 私は愉快でたまらず笑ってしまった。 どうやら転移魔法で強制的にどこかへ飛ばされてしまった、というのが今回の顛末らしい。

 おそらく勇者の仕業、まだこんな力を隠していたとは驚きだ。 しかし、私を転移させるなんて、とんでもなく強力な魔法。 少し油断してしまったようだな。

 「興味ないって、消えて」

 耳を疑った。 そして頭を大槌で殴られたような衝撃だった。 どこかへ飛んでいってしまっていた記憶が、みるみるうちに戻ってくる。

 【――おい、我が娘サーシャがいないが、どうなっている? ちゃんと伝えたのか】
 【もちろんでございます、ですが――】
 【なんだ? はっきり申してみろ】
 【興味ない、と仰っておりました……】
 【……】

 興味ない。 なんという残酷な響きだろうか。 配下の前では、私は動じていないように装っていたんだ、魔王サタンの名を持つ者として。

 しかし本音は寂しかった、悲しかった。 なぜそんな態度を取るんだ。 娘を愛しているのに、お前は私のことが嫌いなのか。 わからない、私は娘がわからないよ。

 「なに、この本? ちょっと貸して」
 「――あッ! ちょっ! それ我の魔導書!!」

 油断した、またしても。 この人間、私の弱点を見抜いたというのか! あの本こそが、私の力の源。 あれがないと、一切魔法が使えなくなるのだ!


 「人間よ! 今すぐにそれを返さないと、無慈悲な鉄槌を下すことになる!! 本当だ!」
 「あーうっさいうっさい、すぐ返すから待って」


 私の頭の中で、言葉がこだまする。 記憶が、蘇ってくる。

 【我が娘サーシャよ、我はこれから人間と戦――】
 【うっさい】
 【……】

 胸が締め付けられる。 目の前の人間と同じだった。 目も合わせてくれない、別のことに夢中になっていて、邪魔者扱いする。

 「これ何語? まったく読めないんだけど」
 「……人間よ、これ以上我を責めるのはやめてくれないか」
 「ああごめん、返すよ。 そんな落ち込まないでよ、ちょっと借りただけじゃん」


 娘と、私の命の次に大事な魔導書が手元に返ってくるかと思いきや、背後から何者かが叫ぶような声がする。


 「おい、さくらァ! そりゃーねーだろ!? 勇気出して呼び出した奴に、この仕打ちか! そいつだれよ!?」


 威勢のいい人間がもう一人。 どうやら、怒っているような様子に見える。


 「いや知らないよ、偶然さっき会っただけ」
 「ほんとか? 彼氏でも見せつけて諦めさせようとしてんだろ!? そんなやり方しなくてもいいだろ!」
 「違うって、なんでそんなに焦ってんの」


 そういえば人を待っている、とか言っていたな、この人間。
 察するに、人間の男が女を呼び出して、何やら伝えようとしていたが、私の存在に驚いてしまった、というところか。

 私に恐怖する心は理解できるが、だがすこしばかり失礼というものだ。


 「人間の男よ、無礼であろう。 我がこの人間の女に言葉をつかわしているというところへ、割って入るなど」
 「ほら、やっぱり彼氏じゃねーかよ!! てめぇふざけんじゃねー! さくらにこれから告白するところだったんだよ!!」
 「ぐふぅッ!!!」 


 信じられないことが起きる。 勇者相手でも膝をついたことがない私が、人間に腹を蹴り上げられて背中を地につけさせられてしまった。
 私の頭へ急速に血が上る。


 「――キサマぁぁぁぁ!! 生きて帰れると思うなよぉぁぁ!! バラバラにしてケルベロスの餌にしてやるわぁ!!」
 「いつまでヤギの頭をかぶってんだ!? 取れよ、顔みせろ!!」
 「ちょっとちょっと、なにやってんのよ! あんた暴力なんて最低よ!!」


 ふざけた人間だ、私に敵う可能性など、万に一つもないというのに。 自殺行為にも限度が……魔導書がない。
 人間の男がこちらへ向かってくる。 その背後にいる人間の女の手に、それはあった。


 「人間の女よッ!! いますぐにそれを私に返――」
 「オラァ! 早く脱げよ、頭おかしいんじゃねーのかぁ!」
 「やめろォ!! 我の顔に触れるでない! キサマのような些末な存在が、我に勝てるわけがないであろう!」


 またしても地に打ち伏せられ、腹の上にのしかかられてしまう。 こんな屈辱、生まれて初めての経験。 なぜ私がこんな人間一人ごときに!!


 「ッ! 取れねぇな、この被り物!!」
 「人間のおんなっ! その本を、我にその本を返すのだ!! いだだだだだ!」
 「え?え? だれか助け呼ばなくていいの? この本がほしいの?」


 うろたえてオドオドしているが、こちらに近づいてきてはいる。 もう少し、もう少しだ!

 「めんどくせぇ、滅茶苦茶にしてやる!」
 「はや、はやくッ!! 角が、自慢の角が折れてしまうぅ!!」

 私の指先に魔導書の背表紙が触れる。

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