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外伝

私の王子様:前編

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 中学生の頃にテニスを始めた。テニスの楽しさを教えてもらった。
 高校生の時にもテニス部だった。あまり真面目には練習しなかったけど、男の子達には結構人気があったと思う。

 大学でもテニスサークルで楽しく過ごした。3年に上がって間もなく、突然ラケットが持てなくなった。右手が炎症を起こして普通に拳を握る事すら困難になった。

 初めは只の腱鞘炎だと思った。しばらく安静にしていればまたテニスが出来ると信じていた。
 しかし、右手の痛みと痺れは引くどころか右腕全体に広がり、またたく間に四肢の全てに伝播して行った。

 満足に歩く事さえ出来なくなった私に、医師から告げられた病名は『膠原病《こうげんびょう》』だった。自分の免疫が自分の細胞を攻撃する、現代社会でも原因不明の死に至る病……。

 即座に入院、免疫抑制剤を毎日注射される日々が続いた。
 何週間? 何ヶ月? 何年? 強力な痛み止めで常にボンヤリしている私には時間の感覚が狂っている。

 私は今、何歳だっけ? 27? 28? 25から30の間なのは確かなはずだが、それすらも記憶と思考が怪しい。

 ある日、中学生の頃からの親友から葉書が届いた。「家族が増えました!」と大きく書かれた葉書の真ん中に、赤ん坊を抱いた幸せそうな親友の写真。隣に写っている男性は旦那さまだろうか? 私の知らない人だ。
 …っていうか私、あの子が結婚した事すら知らないよ?

 友達が恋をして、結婚して、子供を産んでいる時に、私はずっと病院のベッドで何をするでも無く寝ていた。
 何もしていない、何も出来ていない。ただ『生かされていた』だけだ。

 なんであの子だけ幸せに…?
 いや違う、なんで私だけこんなに不幸な目に遭うの? 私だって素敵な恋をして、結婚して、大好きな旦那様との愛の結晶を、可愛い赤ちゃんを産んでみたかった… 高校生の頃は私の方があの子よりモテたのに……。

 私だけの白馬の王子様は、いつまで経っても現れてくれそうに無い……。

 羨ましい、悔しい、憎い、悲しい、情けない。 …もう死んでしまいたい。
 涙が止まらない。何より親友の慶事に「おめでとう」とすら返せない卑屈で矮小な自分が情けなくて、このまま消えてしまいたくなる。

 布団を被って独り泣いているうちに、いつしか私はそのまま眠りについていた……。


 気が付くと私は真っ白い空間でパイプ椅子に腰掛けていた。さっきまで着ていたオレンジ色のパジャマは黒いリクルートスーツに変えられている。
 夢にしては妙にリアルだし、これ以上ない程の明晰夢だ。

 何これ面接? えーと、ちょっとどこかに鏡無いかな? お化粧もしていないのに面接なんてあり得ないんですけど?

 そんな心配をしていたら、目の前の床からいきなりショートヘア金髪で、ミリタリールックの女性がニョキッと生えた。穴とか前兆とか何も無かったのに…?

 声も出せずに口元に手を当てたまま驚いて固まっている私を見て、その女性はニッコリと微笑みながら口を開いた。

「こんにちは、春日井かすがい すみれさん。本日は我が欧州帝国、株式会社シュピーゲルの新戦力勧誘プログラムにお越し頂きありがとうございます。私は今回担当させて頂くエルザと申します」

 そう言ってエルザさんは頭を下げる。私も釣られる様に「どうも」と頭を下げる。

 え? 新戦力? 何の話? まるで話について行けない。無言のまま固まる私を無視してエルザさんは1人で話を進めだした。

「春日井さん。貴女の現状を拝見いたしました。全くもってお気の毒であらせられる。いや実に勿体無い! 貴女、現実を抜け出したくはありませんか? 今の窮屈な体を飛び出して、宇宙や大空を飛び回ってみたいとは思いませんか?」

 は? 『宇宙や大空を飛び回る』ってどこかの遊園地のアトラクションじゃあるまいし、病気の私にそんな夢みたいな事… ってあれ? これは夢か。ならなんでも有りなのかしら…?

「ええそうです! 病気も職歴も関係ありません。『自由の翼』、欲しくないですか…?」

 今考えを読まれたような…? でもまぁ最近まともに人と話をしていないので、言葉がきちんと発音できるかどうかすら怪しい。変に吃《ども》るくらいならそれで考えが直接伝わるならオッケーかな? と思う。

「まぁ細かい事はお気になさらず。まずはこちらを見て頂きましょう」

 そう言ってエルザさんは後ろに手を広げる。するとこれまた突然現れたホワイトボードにスクリーンが現れて映像が映しだされる。

 画面に映ったのは、抜けるような青空に多数の人型ロボットが隊列を組んでアクロバット飛行をしているシーンだった。

 とても美しいと感じた。ロボット達は全員宝石を散りばめているかの様にキラキラした外装をしている。ラメの照り返しの光を更に強くした様な印象だ。

「キレイ……」
 思わず口から感嘆の声が湧き出た。

「…貴方、このロボットに乗ってみたくはありませんか? 満足に動かせぬ手足など捨て去って、我々と共に『輝きの騎士グランツ・リッター』を駆って大空を支配しませんか?」

 エルザさんの説明など右から左に聞き流し、私は画面のロボットの美しさと優雅な動きに魅了されていた。

 エルザさんはそこで間を置き、真面目な顔で私と相対する。

「貴女の『生きたい』と言う気持ちが輝きの騎士グランツ・リッターに大きな力を与えます。どうです? 新しい世界で羽ばたいてみませんか?」

 これが夢だと言う事は分かっている。そして、たとえ夢でもそれに縋《すが》りたい程に打ちのめされた、小さな、とても小さな私が居た。

 どうせこのまま治療を続けても、病気の進行を遅らせるだけで、ゆっくりと死に向かっている事には変わりないのだ。
 私も自由になりたい。大地を走り回りたい。大空を飛び回りたい。

 …またテニスがしたい。

 私はエルザさんを真っ直ぐ見つめ、今までの人生、かつてないほど心を込めた言葉を発していた。

「是非お願いします。私を自由にして下さい!」

 エルザさんはそれから喋らなかった。代わりに彼女は涼やかに微笑み、その背後から起きた直視できない程の眩しい光に照らされて、私はそのまま意識を失った……。



《みんな、あーしの言う事を聞いて…》

 過去、体験した事の無い激しい頭痛と同時に目が覚めた。若い、中学生か高校生くらいの女の子の声を聞いた気がする。

 その声は表現できない程、とても恐ろしい物だった。耳にした途端、頭の中をハンバーグの材料を捏《こ》ねるみたいにグチャグチャにされたような感じ。

《やめてぇっ! 頭が割れそう! 誰か助けて…》

 思わず声を上げる。自分の声にハッとなり、意識が覚醒する。
 視界が開ける。ここは… どこか狭い空間。
 すぐ目の前に20代半ばと見られる、ウェットスーツに似た服を着た茶髪の男性が居る。西洋人の様だ。

 そして私は全く動けないでいた。

 理解が全く追いつかない。

 え? ちょっと、身動き出来ない状態で若い男性と狭い部屋で2人きりとか、一体何が起こったの? 私は病院のベッドで寝ていたはずなのに……。

「何だ?! 何者だ? 誰かいるのか?」

 目の前の男性が振り向く素振りをする。青い目の白人で、とっても端正な顔立ちをしていた。
 正直好みのタイプだ。この人ならきちんと口説いてくれれば、今の様な如何《いかが》わしい状況になっても許せるかも知れない。

 おっと、そんな事を言っている場合ではない。

《何か自分でも知らない間にこの部屋に押し込められていました。手足も全く動かせません。助けて頂けると嬉しいのですが…》
 と努めて淑女的に救援を求める。

「何? どこに居るって? 輝甲兵グランツリッターの中には人が隠れられる隙間なんて無いぞ? と、とにかく今は作戦中で相手にしていられない。しばらく我慢しててくれ」

《は、はい!》

「なんだ…? 友軍の輝きの騎士グランツ・リッターがみんな動きを止めて… 何故だ?! 何故裏切る? カール! ハインツ! アドルフ! やめろ! 離せ! うわぁっ! 虚空ヴォイドがぁっ! やめてくれぇっ!!」

 正面の画面に映し出されたのは、エルザさんの動画で見せてもらったキレイなロボットが、私達の方に大勢押し寄せて光を放って消える瞬間だった……。
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