少年カイザー(挿絵複数有り)

めめくらげ

文字の大きさ
72 / 129

ケイちゃん

しおりを挟む

朝。いつものように制服を着て、いつもの時間に家を出る。本当は自転車で通える最寄りの高校に行きたかったが、そこは昔から問題を起こす生徒が集まりやすいせいか、もっと偏差値の高いところに進学してくれと親に言われたので、天音は毎朝バスに乗って自宅近くのバス停から1時間ほどの都立高校に通っていた。

バスに乗り込み発車すると、視点はあっという間に下駄箱に切り替わる。なぜだか自分には、この先に待ち受ける「悪夢」がすでに予兆できている。けれどそれを回避できない。「物語」はどんどん勝手に進んでいってしまうからだ。不穏なものを感じながら誰もいない校舎を歩くと、自分の教室からは薄暗い廊下に明かりが漏れ、にぎやかな声も廊下にまで溢れ出ている。

だが教室に入ると、騒がしかったはずの彼らがとたんにシンと静まりかえるのだ。しかしこれもわかっていたことだ。隣の席の友達に「おはよう」と言うが、小さな声でよそよそしく「おう」と返され、目を逸らされるのもわかっていた。

何人かはしばらくいつもどおり友達として付き合っていてくれる。だが徐々に男友達からは声をかけられることも減り、やがて自分のそばにこれまでの友人はいなくなった。一部の女子生徒たちだけが気を使って話しかけてくれたが、それはあくまでも友情ではなく同情によるものだ。仲間内のラインのグループは自分を抜いた新しいものが作られたそうだが、そうなる前からすでに誰からも連絡は来なくなっていた。


それでも毎朝、バスに乗らなければならない。1日の記憶はおぼろげだが、鮮明に覚えていることだけで物語はつむがれていく。あるときのホームルームで修学旅行の部屋割りについて話し合ったが、「席順は絶対に嫌です」と自分の周りの席の男子生徒たちが担任に訴えた。他のクラスメイトは気まずそうな顔をしたりクスクス笑ったりするが、担任もすでにこの事態を薄々察知していたのか、理由を問うこともせずただひたすらに困惑していた。

そして天音だけが特例として、移動中は女子のグループに受け入れてもらい、ホテルの部屋は引率の教師たちと一緒だと言われた。よりいっそう、クラスメイトたちから隔絶された瞬間だった。

家に帰ってから、修学旅行なんて行きたくないと親に訴えると、ふたりは担任と同じように困った顔をしたが、それでもいいと言ってくれた。活発で友達に囲まれていた中学時代から、たったの数ヶ月ですっかり様子の変わったひとり息子に対し、両親もどうしてよいのか分からないらしかった。

だが追求などされたくもないし、何も聞かずに放っておいてほしかったからそれでよかった。けれど何も聞けない彼らに対する罪悪感のようなもので、心が押しつぶされそうになった。

バスは毎朝やって来る。自分もいつもどおりに制服を着て、いつもの時間にバス停に並んでいる。その日のことも忘れられない。保健体育でも特別授業でもないただの世界史の時間に、担当の教師が性の多様化についての持論を唱えだし、そのとき天音は徹底的に叩き潰されることとなった。

クラスメイトたちはセクシャルマイノリティーに関わる言葉を知り、同性愛者への差別や迫害を知り、多様化する性の文化や歴史を知り、男同士のセックスによってHIVに感染する人々が増えていることを知り、つまりはわざわざ今ここで知る必要のない知識を頭につめこまれたのである。彼らは天音を見なかったが、心の視線はひとりのこらず彼に注ぎ、その瞬間に天音という人間は、差別を受け、迫害され、不治の病に感染する人たちと同じ人種であることを、若い彼らに強く意識づけることとなった。

病気になどかかっていないのに、水泳の授業には出ないでほしいと聞こえるように言われたので、その日からプールには入らず、見学の女子たちと並んで日陰のベンチで膝を抱えた。教師たちは厳しいことも言わないが、優しいことも言わなかった。厄介な問題が起こっているようだと意識の片隅にとどめる程度で、ただ、それだけだった。

バスに乗らなくなったのは、夏休み前の期末試験からだ。ある朝下駄箱のロッカーを開けると、いくつものコンドームがポロポロと落ちてきて、足元に散らばった。昼過ぎ、カバンの中で教科書に混ざって見覚えのない雑誌がまぎれこんでいることに気がつき、中に入れたままそっと表紙を見てみると、裸の男がふたり並んでおり、卑猥な煽り文が派手な色で目立つように添えられていた。

それが同性愛者向けに発行されたものであることすらわからなかったが、とにかく「かつての」クラスメイトたちが、いよいよ自分に牙を向けてきたことをさとった。

学校を早退すると、どうすればよいかわからず持ち帰ってきたコンドームと雑誌を近所の河原の草むらに投げ捨て、そのあとにカバンも投げ捨てた。教科書はカバンから飛び出てバラバラと散らばったが、それらを踏みながら川べりに立ち、ポケットに入れていたスマホも川に投げ捨てると、天音はその場にうずくまってすすり泣いた。

学校は遠いから、恋人と手をつないでいるところなどクラスの人に見られるわけがない、と思い込んでいた浅はかな自分を恨んだ。たくさんの人がラインで回ってきたその画像を見ていることも知らず、何食わぬ顔をして学生生活を営んでいたバカな自分が憎かった。

全部自分が悪い。元凶は幸せに浮かれていたマヌケな自分だ。それに、長いあいだ目を逸らされ迫害されてきたものを、今になって受け入れろという、世界史の教師のような世の中の風潮こそ間違っている。男同士が、昼間に雑踏の中で手をつなぐことが普通になる日なんて、永ごうやってくるはずがない。

世間のきれいごとと個人の心情はまったく乖離している。世間とは個人の集合体ではなく、鎧をまとった個人のいつわりが膨れあがっただけの、優しげな虚像に過ぎない。世界史の教師はそれを知らない。クラスメイトだって何も学んでいない。天音だけが、そのことを身をもって痛感しただけだ。

学校を辞め、恋人とも別れ、天音はしばらく放心したように日々を過ごしたが、バスに乗る悪夢にうなされつづけた。どこからどこまでが夢なのかわからない。だがただの夢ではなく、現実に起こった悪夢を繰り返し見ている。

変えられない過去が、環境の変わった未来にまで襲いかかってくる。見えない小人のような悪魔が忘れた頃に忍び寄ってきて、忘れるなよ、思い出せ、と口元を歪めてささやいてくるかのように。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...