sepia

めめくらげ

文字の大きさ
上 下
20 / 40

しおりを挟む


その日は昼前に江ノ島に行き、堤防のあたりで釣りをしてみたら、レンタルの安い釣竿にもかかわらず次から次へと面白いほどに釣れまくった。周りのおっちゃんたちが驚いて何人もクーラーボックスの中を覗きに来たほどだ。

「何コレ。おばけ効果?」

「さあ。」

「すげえな。あいつたぶん、この辺の海の神様なんだ……。」

「でもあんまり釣るのは止しましょう。食べられる分だけ……。」

「こんなに食えるかな?」

「皆さんにおすそわけすればいい。釣れてないようですし。」

たしかに、大漁になっても仕方ない。俺たちはさっさと釣りを切り上げ、おっちゃんたちに魚を分けてやりその場をあとにした。のんびり海の景色を楽しみながらやるつもりだったが、こんなに短時間でこれほどの釣果を得てしまうとは……。

「こりゃあ今夜の"お礼"ははずんでやらねえとな。」

「モトキさん、もうおばけが怖くないんですか?」

「あそこに浮かんでるゾンビどもは怖えけど、悪気のないヤツなら別に。ただあんまり関わりたくねえ。」

釣竿を返却すると、島には登らず小田急線の駅の方面まで引き返した。江ノ島の展望台までエスカレーターも使えるそうだが、この暑いのに山登りなんかできるもんか。それに島は縁結びの神社ばかりだそうで、俺には用事がない。

このあたりなら、夕暮れの七里ヶ浜から眺めて風情を楽しむのがいい。俺たちは駅を越え、さらに先にあるメインストリートにある古い旅館に入った。ここはどうやら宿泊せずとも露天風呂を借りれるらしい。昨日ネットで調べていたら見つけたのだ。

旅館は相当年季が入ってるが、住んでるところと同じくらい古いから、わざわざこのレトロ感に感動などしない。単に露天の温泉に安く浸かりたかっただけだ。

「何だかとても落ち着きますね。」

畳に腰を下ろし、浴衣を着たアラタが嬉しそうに微笑んだ。女将さんがとても親切で、泊まり客がない部屋を貸してくれ、店の浴衣まで出してくれたのだ。
俺たちは好意に甘え、夕方までここで涼んで行くことにした。アラタにはこれくらいの場所がいいのかもしれないが、戦後からある老舗であったとしても、戦前のような暮らしを好むこの男にはすべて「新しい」のだろう。

門や看板は通りに面してるものの、旅館の建物自体は奥に引っ込んでいる。そのため街の喧騒から遮られ、部屋は静かだった。玉砂利が敷き詰められ、棕櫚の木が植えられている縁側は風の通りが良くて涼しく、こういう日本的な趣のある古さもいいと感じた。うちの幽霊アパートは和洋折衷の造りだが、どちらかと言えば洋風の雰囲気がメインなのだ。

アラタは汗をかかないが、俺は汗だくだ。さっそく一風呂浴びることにし、先に露天の湯に向かった。
しおりを挟む

処理中です...