TOKIO

めめくらげ

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「それじゃあ優さん、改めておめでとうございます」

「おめでとう」

「おめでとう」

「優くんおめで…」

「僕じゃなくて、全部沢尻さんのおかげですよ」

「いいえ、あなたのアピール力の勝利です」

乾杯をすると、時生以外の大人4人が酒を飲み、時生はノンアルコールビールのジンジャーエール割りに口をつけて、まずそうな顔をした。

4月。優は異例の速さで改装費の目標額を達成し、今日はその祝いということで、未来と時生、そしてあれ以来少しカジュアルな雰囲気に路線変更した沢尻が、柊家を訪れていた。無精髭こそ無くなったものの、先日もこの店を訪れ、優によって伸ばした髭を整えてもらったばかりだ。

老舗の和食屋に仕出し弁当を頼み、祖父も交えて昼の食卓を囲んでいる。このあとも期限まで資金集めは続くので、順当にいけば200%近くの達成率が見込めるということであった。

「あとは優さん次第です。…と言っても、俺にも他に出来ることがあれば、力を貸しますけど」

「沢尻さんにはもうこれ以上甘えられませんよ。でも予算にかなり余裕ができたから、出来ることの幅が計画してたよりもかなり広がってます」

「そうでしょうね。内容をお伺いしても?」

その後のふたりの会話は、時生にとっては「大人の話し合い」となったので何も口を挟めず、祖父が「俺のも食うか?」と回してくれた2つ目の茶碗蒸しを、子供のように貪っていた。

「それにしても時生、お前本当に車の運転なんかできるのか?」

「できないから教習所に通ってるんだろ」

「学校もロクに行けなかったくせに、ちゃんと通えてんのか?」

「ふつうの学校と違って毎日行く必要はない。だが決められた日に行かなきゃならんからそれは苦痛だな」

「それくらいは頑張れ」

「時生さんちゃんと休まず通ってますよ。自分でお金を払ってるからサボれないって」

「そうですか?卒業まで続くといいんだけどなあ」

「続きますよね。もうおじいさんに運転を頼らなくてもいいように、って通い始めたんですから」

「そうだそうだ、コンビニに突っ込むのを阻止してやるためだぞ」

「俺はお前の買い物以外でもう車なんか乗らねえよ。シルバーパスさえあれば困らん。それより免許取ったら車買うのか?」

「当然だ、車に乗らなきゃ取る意味がないだろ」

「けど普段から使わねえんじゃ無駄んなるぞ。駐車場代だってこの辺は安くねえしな」

「しばらくはレンタカーでいいですよ。毎晩借りてドライブがてら練習すればいいんです」

「毎晩レンタカー屋に行くのなんかごめんだ。買うったって別にこだわりはないから、適当な安い車でいい。色が黄色でさえなければ」

「でも乗らなくなったって税金と保険料は払い続けるんだぞ?2年ごとに車検も通さなきゃいけねえし。税金と車検と駐車場代と保険料…車1台持ってるだけで、ガソリン引いても年間2、30万はとられる」

「……」

「それに最近はレンタカー屋通さなくても借りられますから。うちのマンションの角にあるパーキングの車、予約すればそのまま好きに使えるんですよ」

「この辺は下町の田舎だけど、チャリンコ1台有りゃ車なんかいらねえだろ。お前灰枝さん家に住んでて車必要になったことあるか?」

「…な、ない」

「じゃあ何にもねえ田舎に越すとなったら買えばいい。東京に住んでるうちはいらねえぞ」

「じゃーもう教習所なんかやめだ!!車がいらないなら免許もいらん!!」

「ま、待ってください、それこそお金の無駄ですよ?!それに免許はあったほうがいいです、身分証としてはいちばん使えますから」

「保険証がありゃじゅーーぶんだろ!!だいたい身分証が必要になったことなど逮捕されたときと職質を喰らったとき以外では皆無だ!!俺は携帯だって不必要な生活を送ってるんだぞ!!」

「さっきからうるさいなあ兄さん!狭い部屋で大声出すなよ!」

「ていうか今、逮捕って…」
 
「ああ沢尻さん、気にしないでください。兄さん、車は買わなくていいけど、今後じいちゃんが体悪くして病院行くときとか、僕が手を離せないときに出してもらえると助かるんだ。だから免許は持っといてほしい。それにうちの車はずっと置いとくんだから、新車とかゼータク言わないで大人しくうちのやつ使ってろ」

「じゃーうちの車を優くんの余った金で新車に買い換えてくれよ」

「余ったお金なんか一銭もないよ、すべて店のために使うんだから。だいたい兄さん今めちゃくちゃ稼いでるんだろ?そんなに欲しいなら年間何十万払ってベンツでもなんでも買えばいい」

「俺の金は優くんのように安定した金ではない」

「何言ってんだ、自営業なんかみんか不安定だよ!僕も灰枝くんも沢尻さんもみんなそうなの!その中でうまくやりくりして今があるの!分かってないならいっぺん痛い目見て少しは学習しろ!!」

「まあまあ優さん。それはそうと、俺も免許取り立てのころ嬉しくて速攻で車買ったし、気持ちはわかるよ。それなら時生さんのお金でこの家の車を買い替えて、維持費は折半とかにしたらどう?」

「…まあそれならいいよ。車は僕もたまに使うし文句ない。新車にしたいと思わないから替えたいなら兄さんが出せ」

「しょっちゅう使っても怒らないなら」

「別に怒らないよ。僕もめったに使わないし。そのかわり慣れるまでは今の車使えば?速攻でぶつけたりしたら無駄だから」

「うむ。…しかし車1台でこれだけ揉めるとはな」

「無駄遣いするなって言ってるだけだ」

「ははは、俺の実家も、親父の無駄遣いの外車がガレージに5台も停まってますよ。ま、世田谷なんかド田舎だから車は必須なんですけどね。軽井沢にはもっと無駄なクラシックカーまで置きっぱなしです。展示場じゃあるまいし」

沢尻が嫌みのない顔で屈託なく笑うと、4人が一斉に彼を見やり、そして同時に(あなた(お前)には理解できないだろうな)と心中でつぶやいた。

「でも兄さん」

優が向き直り、少しだけ気恥ずかしそうに目を伏せ、ぽつりと言う。

「運転に慣れたら、ドライブ行こうね」

その言葉に時生は細い目を少しだけ見開き、両の手のひらをテーブルにバンと打ち付け、「おお行こう!!絶対行こうな!!」と嬉しそうに返した。優は兄が途中で教習所通いを投げ出さないように言ったのだが、もしも本当に行くとなったらふたりきりは嫌なので、そのときは太一でも未来でも祖父でも、誰でもいいから道連れにしようと思った。
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