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しおりを挟むー「ふうー抜いた抜いた」
まるで悪いものを抜き取られたかのような清々しい気持ちで、楽しみにしていたアイスクリームを吟味する。前回はハンバーガーが振る舞われたが、今日はアイスとドーナツが用意されていた。
悩んだ結果イチゴ味のカップと自販機からホットの紅茶を取り、カフェスペースの丸テーブルに腰掛ける。平日のこの時間とあってかさほど混んではおらず、開放的な空間でようやくのんびりと独りの時間を堪能できた。息苦しい実家から逃げ出して正解であった。
だがアイスをむさぼっていると突然人影に覆われ、「お、お兄さん…?」と聞きなれた声が降ってきた。苦々しい顔でそっと顔を上げると、目の前にはスーツ姿の太一の姿があった。
「どうも。驚いた、まさかこんなところで会うなんて」
「なんだお前、仕事は?」
「ちょっと空きができたんで立ち寄ったんです。たまーに新宿に仕事で来るときは献血するんですよ。…お兄さんは?」
「俺は献血のためにはるばるここまでやって来たのだ」
「もっと近場にも献血ルームありますよ」
「知っているが初めて来たのがここだったから、それからずっとここと決めている」
「そうですか。…俺もここいいですか?」
「ダメだ。あっちへ行け」
「あ、俺もイチゴアイスにしたんですよ」
太一は平然と目の前の席に掛け、「ここのコーヒーなぜか異様に美味いんですよね」とカップのホットコーヒーをすすった。
「ホモは献血禁止だぞ」
「何言ってるんですか、キャリアのある人だけですよ。あとセックスの相手が決まってない人。俺はクリーンです。優としかしてないから」
「……」
「ところで今日、沢尻さんと灰枝さんが来てるんじゃ…」
「来ているぞ。そろそろお開きになったろうがな」
「行かなかったんですか?」
「いや行ったぞ。弁当を食い終わったから出てきた」
「そ、そうなんですか…。それにしても、優は本当にすごいです。計画は長くかかったけど、あっさり夢を叶えられるんだから」
「沢尻が協力してくれたからな。優くんは幸運な男だ。人に恵まれている」
時生の言葉に、太一は意外そうな顔をした。彼にとって沢尻はただ疎ましいだけの存在でしかないと思っていたが、それなりに感謝の念があったかのような口ぶりだ。
「…沢尻さんって良い人ですよね。ああいうタイプには珍しく面倒見がいいし、ずいぶん人情味があるというか」
「すべては未来につながっているがな」
「…ま、まあ…。でもきっちり仕事してくれたじゃないですか。…ところで、結局おふたりはどうなったんです?」
「どうもこうもない、以前と1ミリも変わらん関係だ。沢尻は相変わらず未来が好きだし、未来は沢尻を嫌ってはないが避けてる。それでバランスを保ってるんだ、あのふたりは」
「不毛ですね、沢尻さん。早く他にいい人が見つかればいいんですけど」
「そういえばお前らはいつどこで知り合ったんだ?毛ほども興味はないが教えろ」
「優からなんにも聞いてないんですか?」
「あいつは俺から聞かない限り自分から話さん」
「な、なるほど…。実はけっこうロマンチックですよ」
「そうか。わかった。もういい」
「ちょっ…、聞いてくださいよ。俺たちの出会いは、雨の日の小川喫茶です」
「小川…未来と優くんもそこで会ったと言ってたな」
「そうです、そのとき俺もいましたよ。…俺と優はふたりとも夕立にやられて、雨宿りで同時に駆け込んだんです。そしたらちょーど2人がけの席がひとつしか空いてなくて、相席になって…。雨が止む頃には完全に好きになってました。一目惚れだったのもありますけど」
「惚れっぽい男だなあ」
「いえ全然。俺は一目惚れより、友達として付き合ってくうちに好きになるタイプです。だからはじめての感覚でかなり戸惑いました。…それで、ああこの人素敵だなあって思った瞬間に、ドーンって雷が落ちたんですよ。運命的でしょう」
「なーにが運命だ。お前が恋に落ちたのはおそらく吊り橋効果の一種だな。落雷でビビったのを優くんにときめいたと勘違いしたんだ」
「いや、雷が落ちる前からもう好きでしたから。…本当にあの夕立と小川喫茶には感謝してます。お兄さんも灰枝さんと出会えたし、縁結びスポットですね、あそこは」
「女々しいこと言うな。それに俺には悪縁スポットだ、優くんがお前なんかに口説き落とされるなんて…。おまけにその雷はたぶん俺の目の前に落ちたやつだぞ。買い物帰りに豪雨の中をずぶ濡れで走ってたら、爆発音と共に大地震のように地面が揺れたんだ。急に世界が真っ白になったから死んだかと思ったぞ」
「す、すごい体験してますね。生きててよかったですねえ」
「ああまったくだ。俺まで死んだら優くんは天涯孤独だ。じいさんだってどうせ近いうちに死ぬんだから」
「なっ…嫌なこと言わないでくださいよ、おじいさんはまだ平気ですよ」
そのとき、外で献血募集の看板を持って立っていた男が、エレベーターから降りてきてふたりの真横を通りがかった。時生がここに来たときからビルの外で声を枯らしながら必死に呼びかけをしており、かなりくたびれた様子だ。その彼が脇に抱えていた【O型とAB型が不足しています】という手書きの看板が目に入ると、太一が「そういえばお兄さんもO型なんですよね」と言った。
「そうだ。ここはいつ来てもOとABの血を欲しがっている。ABは少ないから仕方ないにしても、O型はいっぱいいるのにな。薄情な奴が多いのか?」
「というより、たぶん他の血液型もカバーできるからじゃないですか?詳しいことは知らないですけど。ABの人は大変ですね」
「未来も優くんもABなのに、ふたりとも針が嫌いらしくてな。優くんは健康診断のあのちょっとの採血が限界だと言っていた」
「はは、優って基本怖いもの知らずなのに…」
そう言いかけて、太一はふとあることに気がつき、ゆっくりと真顔に戻っていった。そして「そういえば…」と切り出したが、やや置いて「ああ、なんでもないです」と引っ込めた。
時生が追加で持ってきたドーナツを食べ終えると、ふたりはなんだかんだと共に駅まで向かい、別の路線の電車に乗るので改札に入ってから別れた。「また週末お邪魔します」というと、「もう来るな」といつもの調子で返され、雑踏に消えていく時生の背中を見送った。
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