その結婚は、白紙にしましょう

香月まと

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「では、紅茶の用意をしてお待ちしております」

 そう告げてユリウスは、軽やかに一礼した。

 ミレナシアは、しばらくその背を見送っていた。
 胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。

 (ユリウスは、昔から変わらないわね……)

 小さく笑って、彼女は部屋の片隅の鏡に目を向ける。
 疲れた顔をしていないか確かめるように。

 (せっかくのお誘いですもの。きちんとして行かなくては)

 軽く髪を整え、上着を羽織り、侍女に短く指示を出す。

 「少し、外の空気を吸ってまいりますわ」

 「承知しました、姫様」

 そのまま、ゆっくりと扉を出た。
 日差しがあたたかく、庭の花々が風に揺れている。

 ミレナシアの足取りは軽いようで、どこか沈んでいた。




***



 白亜の宮殿の裏手、香草と薔薇の混じり合う庭園の奥──緑の小径を抜けた先に、白い東屋があった。
 陽は柔らかく、白い蔦薔薇のアーチが淡く香る。
 
 真昼の光を受けて、透けるような白布が風に揺れている。
 そこに、ユリウス・ド・ベルフォールが控えていた。
 金糸の髪をきっちりまとめ、白手袋を外しながら、優雅に一礼する。

 「お待ちしておりました、姫様」

 「ユリウス様、お誘いいただいてうれしいわ」

 ミレナシアは、いつも通り微笑んでそう答えた。
 それでも、彼女の頬にはかすかな疲れの影が浮かんでいた。
 連日の公務、来客対応、そして何より――夫となった騎士団長との距離。
 彼の名を胸に思い浮かべた瞬間、胸の奥がひやりとする。

 姫は気分を変えるように、本日の仕掛けに視線をやった。

 「それにしても便利なものがあるのですね」

 東屋の天井には薄絹の天幕が揺れ、二人の座る丸いティーテーブルには、銀のポットと淡いブルーのティーカップ。
 その中央に――まるで宝石のような小さな装置が置かれていた。

 「姿は見えても、声は外には聞こえないのですか?」

 「そうです」

 簡易結界装置。
 拳ほどの大きさの透明な水晶で、内部を金の糸が螺旋を描いて巡っている。
 ユリウスが指先で軽く叩くと、かすかな音がして、光がふわりと膨らんだ。
 登録をする者以外を通さない。例え登録があったとしても、他者を害するものは持ち込めない。

 「外交や軍議の席でよく使われる仕掛けです。本日は――内緒話の席ですから」

 「まあ」

 二人は、くすりと笑みを交わす。

 「登録は指紋と声で行うんです」

 ユリウスは手をかざし、軽く言葉を紡いだ。

 「ユリウス・ド・ベルフォール、許可申請」

 水晶が微かに脈打ち、次いで姫の方へと淡い光を向けた。

 「姫様もどうぞ」

 「ミレナシア・ド・カリューネ」

 その名を告げると、水晶の内側に淡い花の紋が咲き――やがて空気が変わった。
 外のざわめきが一瞬で遠のき、鳥の声すら霞む。
 周囲の空気がやわらかく膜を張るように、世界が二人だけの空間へと変わっていった。

 ――内緒話。
 そう、きっとそれは、いま彼女が最も望んでいた時間だった。

 「姿は見えど、声は外には聞こえない。登録者に害をなすものは持ち込めません。出入りも登録者のみ」

 ユリウスは椅子を引いて、姫を丁寧にエスコートした。今一度装置の仕組みをミレナシアへ告げる。
 白いテーブルクロスの上、紅茶の香りがゆっくりと立ち上った。

 「今日のこの席には、先ほど登録した僕とあなた。……それから、一応、団の方で許可を得るためにもう一人登録があります」

 「まあ、どなた?」

 「決まりごとですよ。警備上の手続きですから、どうかお気になさらず」

 ユリウスの微笑みは、ただただ柔らかだった。

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