その結婚は、白紙にしましょう

香月まと

文字の大きさ
7 / 19

しおりを挟む
「では、紅茶の用意をしてお待ちしております」

 そう告げてユリウスは、軽やかに一礼した。

 ミレナシアは、しばらくその背を見送っていた。
 胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。

 (ユリウスは、昔から変わらないわね……)

 小さく笑って、彼女は部屋の片隅の鏡に目を向ける。
 疲れた顔をしていないか確かめるように。

 (せっかくのお誘いですもの。きちんとして行かなくては)

 軽く髪を整え、上着を羽織り、侍女に短く指示を出す。

 「少し、外の空気を吸ってまいりますわ」

 「承知しました、姫様」

 そのまま、ゆっくりと扉を出た。
 日差しがあたたかく、庭の花々が風に揺れている。

 ミレナシアの足取りは軽いようで、どこか沈んでいた。




***



 白亜の宮殿の裏手、香草と薔薇の混じり合う庭園の奥──緑の小径を抜けた先に、白い東屋があった。
 陽は柔らかく、白い蔦薔薇のアーチが淡く香る。
 
 真昼の光を受けて、透けるような白布が風に揺れている。
 そこに、ユリウス・ド・ベルフォールが控えていた。
 金糸の髪をきっちりまとめ、白手袋を外しながら、優雅に一礼する。

 「お待ちしておりました、姫様」

 「ユリウス様、お誘いいただいてうれしいわ」

 ミレナシアは、いつも通り微笑んでそう答えた。
 それでも、彼女の頬にはかすかな疲れの影が浮かんでいた。
 連日の公務、来客対応、そして何より――夫となった騎士団長との距離。
 彼の名を胸に思い浮かべた瞬間、胸の奥がひやりとする。

 姫は気分を変えるように、本日の仕掛けに視線をやった。

 「それにしても便利なものがあるのですね」

 東屋の天井には薄絹の天幕が揺れ、二人の座る丸いティーテーブルには、銀のポットと淡いブルーのティーカップ。
 その中央に――まるで宝石のような小さな装置が置かれていた。

 「姿は見えても、声は外には聞こえないのですか?」

 「そうです」

 簡易結界装置。
 拳ほどの大きさの透明な水晶で、内部を金の糸が螺旋を描いて巡っている。
 ユリウスが指先で軽く叩くと、かすかな音がして、光がふわりと膨らんだ。
 登録をする者以外を通さない。例え登録があったとしても、他者を害するものは持ち込めない。

 「外交や軍議の席でよく使われる仕掛けです。本日は――内緒話の席ですから」

 「まあ」

 二人は、くすりと笑みを交わす。

 「登録は指紋と声で行うんです」

 ユリウスは手をかざし、軽く言葉を紡いだ。

 「ユリウス・ド・ベルフォール、許可申請」

 水晶が微かに脈打ち、次いで姫の方へと淡い光を向けた。

 「姫様もどうぞ」

 「ミレナシア・ド・カリューネ」

 その名を告げると、水晶の内側に淡い花の紋が咲き――やがて空気が変わった。
 外のざわめきが一瞬で遠のき、鳥の声すら霞む。
 周囲の空気がやわらかく膜を張るように、世界が二人だけの空間へと変わっていった。

 ――内緒話。
 そう、きっとそれは、いま彼女が最も望んでいた時間だった。

 「姿は見えど、声は外には聞こえない。登録者に害をなすものは持ち込めません。出入りも登録者のみ」

 ユリウスは椅子を引いて、姫を丁寧にエスコートした。今一度装置の仕組みをミレナシアへ告げる。
 白いテーブルクロスの上、紅茶の香りがゆっくりと立ち上った。

 「今日のこの席には、先ほど登録した僕とあなた。……それから、一応、団の方で許可を得るためにもう一人登録があります」

 「まあ、どなた?」

 「決まりごとですよ。警備上の手続きですから、どうかお気になさらず」

 ユリウスの微笑みは、ただただ柔らかだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから

えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。 ※他サイトに自立も掲載しております 21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

うちに待望の子供が産まれた…けど

satomi
恋愛
セント・ルミヌア王国のウェーリキン侯爵家に双子で生まれたアリサとカリナ。アリサは黒髪。黒髪が『不幸の象徴』とされているセント・ルミヌア王国では疎まれることとなる。対してカリナは金髪。家でも愛されて育つ。二人が4才になったときカリナはアリサを自分の侍女とすることに決めた(一方的に)それから、両親も家での事をすべてアリサ任せにした。 デビュタントで、カリナが皇太子に見られなかったことに腹を立てて、アリサを勘当。隣国へと国外追放した。

最近彼氏の様子がおかしい!私を溺愛し大切にしてくれる幼馴染の彼氏が急に冷たくなった衝撃の理由。

ぱんだ
恋愛
ソフィア・フランチェスカ男爵令嬢はロナウド・オスバッカス子爵令息に結婚を申し込まれた。 幼馴染で恋人の二人は学園を卒業したら夫婦になる永遠の愛を誓う。超名門校のフォージャー学園に入学し恋愛と楽しい学園生活を送っていたが、学年が上がると愛する彼女の様子がおかしい事に気がつきました。 一緒に下校している時ロナウドにはソフィアが不安そうな顔をしているように見えて、心配そうな視線を向けて話しかけた。 ソフィアは彼を心配させないように無理に笑顔を作って、何でもないと答えますが本当は学園の経営者である理事長の娘アイリーン・クロフォード公爵令嬢に精神的に追い詰められていた。

【完結】何回も告白されて断っていますが、(周りが応援?) 私婚約者がいますの。

BBやっこ
恋愛
ある日、学園のカフェでのんびりお茶と本を読みながら過ごしていると。 男性が近づいてきました。突然、私にプロポーズしてくる知らない男。 いえ、知った顔ではありました。学園の制服を着ています。 私はドレスですが、同級生の平民でした。 困ります。

【完結】名無しの物語

ジュレヌク
恋愛
『やはり、こちらを貰おう』 父が借金の方に娘を売る。 地味で無表情な姉は、21歳 美人で華やかな異母妹は、16歳。     45歳の男は、姉ではなく妹を選んだ。 侯爵家令嬢として生まれた姉は、家族を捨てる計画を立てていた。 甘い汁を吸い付くし、次の宿主を求め、異母妹と義母は、姉の婚約者を奪った。 男は、すべてを知った上で、妹を選んだ。 登場人物に、名前はない。 それでも、彼らは、物語を奏でる。

嫌いなところが多すぎるなら婚約を破棄しましょう

天宮有
恋愛
伯爵令嬢の私ミリスは、婚約者ジノザに蔑まれていた。 侯爵令息のジノザは学園で「嫌いなところが多すぎる」と私を見下してくる。 そして「婚約を破棄したい」と言ったから、私は賛同することにした。 どうやらジノザは公爵令嬢と婚約して、貶めた私を愛人にするつもりでいたらしい。 そのために学園での評判を下げてきたようだけど、私はマルク王子と婚約が決まる。 楽しい日々を過ごしていると、ジノザは「婚約破棄を後悔している」と言い出した。

愛しの第一王子殿下

みつまめ つぼみ
恋愛
 公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。  そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。  クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。  そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。

愛を知らないアレと呼ばれる私ですが……

ミィタソ
恋愛
伯爵家の次女——エミリア・ミーティアは、優秀な姉のマリーザと比較され、アレと呼ばれて馬鹿にされていた。 ある日のパーティで、両親に連れられて行った先で出会ったのは、アグナバル侯爵家の一人息子レオン。 そこで両親に告げられたのは、婚約という衝撃の二文字だった。

処理中です...