あなたのいない世界であなたと生きる

駄文のヒロ

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第1章 出会い

3、真紅と純白

 酒屋を出ると、夜風が思ったより冷たかった。
 石畳の通りは、昭和初期ラウンジらしく街灯が少なく、橙色の光がところどころににじんでいる。

 レイヤー世界におけるラウンジ間移動は、「現実世界の“連続性”を模倣することで、精神の安定を保つ」という設計思想で作られている。
 そのため瞬間移動などは原則使えず、「歩く」「乗る」「待つ」という現実世界と同じ時間感覚が維持されている。

 同一ラウンジ内の建物や飲食店への移動は、完全に物理連続で、現実の街を歩くのと同等である。

 そして、レイヤー世界には、ラウンジとラウンジを繋ぐ“街路層”が存在している。

 他には、過去、現在、未来などの時代ラウンジや、地下鉄、バス、路面電車などの「公式移動手段」が存在している。

 通りをしばらく歩いていく。

「二件目、あそこだ」

 山崎が顎で示した先に、小さなバーの看板が見えた。
 そのとき、桜樹の視界の端に、半透明の通知が浮かび上がる。

  《SYSTEM NOTICE》

 反射的に、歩きながらログを開いた。

  Layer Monitoring Log
  Subject ID:SAKURAGI-K

  Status Update:
  Bio-Link Reference:UNRESOLVED
  Persona Log:ACTIVE

 桜樹は一瞬、足を止めた。

「……ん?」

 詳細を開こうとすると、ログの一部が黒くマスクされている。

  Reference Error
  Authorization Required

  肉体リンク未解決。
  人格ログ、稼働中。

「またか……」

 最近、こういう曖昧な通知が増えている。
 システム運用の立場からすれば、見過ごせないはずの警告だが、今は業務時間外だ。

「どうした?」
「いや、仕事の癖でさ。後で見る」

 桜樹はログを閉じた。
 通知は、まるで最初から存在しなかったかのように消える。

 山崎は気にも留めず、バーのドアに手を掛けた。

「ま、明日でいいだろ。今日は飲もうぜ」

 ドアが開いた瞬間、中から低い音楽と、アルコールの匂いが流れ出してくる。

 桜樹は一歩遅れて、その中へ入った。

 扉が閉まった瞬間、外の夜は切り落とされた。

 ジャズが、低く、ゆっくりと空間を満たしている。
 ピアノの音は角が取れ、ベースは心臓の鼓動に近い。

「……空気、変わったな」

 桜樹がそう言うと、山崎は肩をすくめた。

「酒屋は“語る場所”だろ。
 ここは“忘れる場所”だ」

 照明は控えめで、客の顔ははっきり見えない。
 影と光の境目が曖昧で、輪郭が溶けている。



 カウンターの木目はやけに滑らかで、
 触れた指先に、温度の記憶だけが残った。

「昔の店みたいで、でも……」
「でも?」
「妙に新しい」

 山崎は鼻で笑った。

「そりゃそうだろ。
 “古いまま”でいるには、相当な手入れがいる」

 グラスを磨くバーテンダーの動きは無駄がなく、
 そのリズムが音楽と噛み合っている。

 客たちは皆、静かだった。
 笑っている者も、話している者もいるのに、
 声だけが遠い。

 まるで——

 同じ場所にいながら、それぞれ違う時間を生きているような。

「なあ、桜樹」
「なんだ」
「ここ、落ち着かないか?」
「……落ち着く、が正しいのか分からない」

 心拍は穏やかなのに、思考だけが、少しだけ浮いている。

 酔いとは違う。
 酒はまだ、身体に回っていないはずだった。

 だが、確かに——
 現実から一枚、薄皮ががれた感覚があった。

 桜樹はグラスを受け取りながら、
 理由の分からない予感を胸の奥に沈めた。

 この場所で、
 何かと出会う。

 それだけは、妙に確信めいていた。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 グラスの中で、氷が静かに鳴った。

 桜樹は一口だけ呑み、喉をうるおす。

「山崎」
「ん?」
「最近さ、ちょっと気になるログを見つけた」

 山崎は視線だけを向けた。
 仕事の話だと察したらしい。

「また妙なのつかんだのか」
「妙、というか……説明しづらい」

 桜樹はグラスの縁を指でなぞる。

「存在してるはずなのに、
 存在の前提が欠けてるログだ」
「……哲学的だな」
「俺もそう思った」

 笑おうとして、桜樹はやめた。

「アバターの動きも、発言も、行動履歴も正常。
 他のプレイヤーと何も変わらない」
「でも?」
「紐づくはずの“現実側”が、見当たらない」

 山崎は眉を寄せる。

「参照権限の問題じゃなくて?」
「最初はそう思った。
 だから深追いしなかった」

 桜樹は少し間を置いた。

「でもな……
 “ない”って感じじゃないんだ」
「ない?」
「最初から、そこに無いみたいな」

 山崎は氷を転がし、音を立てた。

「怖い言い方するな」
「だろ。
 だから気のせいだってことにしてた」

 バーの照明が、グラスに反射する。

「明日、もう少しちゃんと見るつもりだ」
「深入りするのか」
「仕事だからな」

 桜樹は肩をすくめた。

「それに、こういうの放っとくと、
 だいたい面倒なことになる」

 山崎は小さく笑った。

「昔からそうだよな、お前」
「山崎だって、似たようなもんだろ」
「違いない」

 二人は軽くグラスを合わせた。

 その乾いた音は、
 なぜかこのバーでは、やけに大きく響いた。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 二人がグラスを置いた、そのときだった。

「——そのお酒、ここでは珍しいんです」

 不意に、声が割り込んだ。

 桜樹は顔を上げる。

 カウンターの隣に、いつの間にか黒褐色の長めの髪の女性が立っていた。

 赤いスーツ。 
 バーの照明を吸い込むような、深い色合いだった。
 見た目は、20代くらいだろうか。

「……そうなんですか?」

 山崎が応じると、彼女は小さく頷いた。

「ええ。
 この店、基本は軽めのカクテルばかりなので」

 声は落ち着いていて、音楽に埋もれない、妙に澄んだ響きがあった。

「旅行ですか?」

 彼女の視線が、自然な流れで桜樹に向く。

「え?」

「このラウンジ、常連さんは顔を覚えられてしまうから。
 初めて見る方だな、と思って」

 桜樹は一瞬、言葉に詰まった。

「……まあ、そういう感じです」
「ですよね」

 彼女は微笑んだ。

 それは作った笑顔ではなく、
 だが、どこか慣れすぎている笑顔だった。

「わたし、ミレーナと言います。
 ひいらぎ・ミレーナ・アウレリア」
「桜樹敬司です」

 名乗った瞬間、彼女の瞳が、ほんのわずかに揺れた。

 ——気のせいだ。
 桜樹はそう思うことにした。

「山崎隼です」
「ご一緒、いいですか?」

 断る理由は、どこにもなかった。

 彼女が椅子に腰掛けると、
 バーの空気が、ほんの少しだけ変わった。

 賑わいが増したわけでも、静かになったわけでもない。

 ただ——

 焦点が合った。

 そんな感覚。

 桜樹は、その理由を説明できなかった。

「お二人は、こちらではお仕事は?」

 ミレーナが、何気ない調子で尋ねた。

「システム管理です」

 桜樹が答えると、彼女は興味深そうに首を傾げる。

「管理、ですか。
 レイヤー全体?」
「主に運用側ですね。
 障害対応とか、ログ監視とか」
「そうなんですね」

 その反応が、妙に自然すぎて、桜樹は一瞬だけ引っかかった。

「山崎さんは?」
「俺は同じ部署で、現場寄り」

「なるほどね。
 だから、お二人とも“道に迷わなさそう”」
「迷うこともありますよ」

 桜樹がそう言うと、ミレーナは微笑んだ。

「でも、引き返し方は知っていそうですね」

 山崎が肩をすくめる。

「耳が痛いな」
「ちなみに、ミレーナさんは?」

 桜樹が聞き返す。

 彼女は一瞬だけグラスに視線を落とし、
 それから顔を上げた。

「わたしは……ツアーガイドです」
「ツアー?」
「ええ。
 仮想空間の」

 山崎が軽く目を見開く。

「そんな職業あるのか」
「最近は多いですよ」

 ミレーナは指先で空をなぞるような仕草をした。

「時代別のラウンジを巡ったり、都市を横断したり」
「昭和初期とか?」
「中世ヨーロッパも。
 完成したサグラダ・ファミリアも案内します」
「完成してるんだ」

 桜樹が思わず言うと、ミレーナは頷いた。

「ここでは、完成しないものの方が少ないですから」

 その言葉が、
 なぜか胸の奥に残った。

「……それ、楽しい仕事ですね」
「楽しい、ですよ」

 ミレーナはそう答えたあと、
 ほんの少しだけ声を落とす。

「迷っている人に、
 “次の場所”を見せるのが、役目ですから」

 桜樹は、その言葉の意味を、まだ理解していなかった。

 ——彼女が案内しているのが、場所だけではないことを。



「……ところで」

 ミレーナはグラスを持ち上げ、淡い白色の液体をゆっくりと揺らした。

「桜樹さん、これ、何のカクテルかご存知ですか?」
「え?」

 突然振られ、桜樹はグラスに目を落とす。

 白い。
 透明感はあるが、どこか柔らかい色合いだ。

「ジン……系、ですかね」

 自信なさげな答えに、ミレーナはくすっと笑った。

「惜しいです」
「山崎、分かるか?」
「いや、見た目で飲む派だから」

 即答だった。

「ですよね」

 ミレーナは楽しそうに頷き、静かに答える。

「ホワイトレディ、です」

「ホワイトレディ?」
「ええ」

 彼女はグラスをカウンターに置いた。

「発祥はロンドン。
 シローズ・クラブで生まれたとされているカクテルです」

 語り口は穏やかで、
 まるで旅先の話をするようだった。

「名前の由来は諸説あるんですけど……」

 ミレーナは一瞬だけ言葉を選ぶ。

「最初に純白のウェディングドレスを着た
 ヴィクトリア女王に捧げられた、という説が有名ですね」

「へえ」

 桜樹は感心したように息を漏らす。

「意外と、ロマンチックなんだな」

「ロマンチック、ですか」

 ミレーナはそう繰り返し、微笑んだ。

「でも、このカクテル」

 彼女はグラスを見つめる。

「見た目は柔らかいのに、中身は、意外と強いんです」

 その言葉が、
 なぜか桜樹の胸に引っかかった。

「……今の、含みがあるな」
「気のせいですよ」

 ミレーナは何事もなかったように視線を上げた。

 だが桜樹は、
 この人は——

 ただの偶然で隣に座った人ではない
 という確信だけを、静かに深めていた。
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